【短編】猛き令嬢の信仰
南下八夏
【短編】猛き令嬢の信仰
雷鳴
眼前には広大な荒野。
草木のろくに生えないむき出しの土が、今、数年ぶりの水の恵みを受けている。長い
「神が我らを見放そうとも、我らはこの手で生きることができる」
モリーは十七歳にしては古めかしい口調で呟いた。伝統を重んじ古きを愛する祖父母によって育てられた彼女は、若き
背後ではモリーの部下である十数名の兵士達が、抱き合い歓喜の声を上げている。神に見捨てられた土地と呼ばれたこの土地を、戦の
モリーの足元には、素焼きの小さな壺だった物が、粉々に砕けて落ちていた。安い
「これからだ」振り返り、モリーは良く通る声で部下達に呼びかけた。「これから、この土地をこの国で最も美しく、最も豊かな土地にしよう。この土地を
およそ六年に渡る
元来
そもそも数が少ない。魔道士は先天性で、遺伝性である。かといって近親交配を続ければいずれ子孫に異常が出ることは、既にこの国でも知られていた。
魔道士は日常生活では役立つが、非力過ぎて戦時では役に立たない。それが一般的な認識だった。
それを覆したのが、リモンク伯爵の三女、モリーである。
モリーは逞しかった。
貴族らしい端正で上品な相貌を、丸太のような首が支えている。デコルテを強調するはずのドレスは盛り上がった
それでもモリーは魔道士だった。魔道士としては並程度の能力だったが、人並外れた肉体と、祖父母仕込みの戦闘能力を持っていた。
貴族たるもの民を守るべし、という祖父母の教えにより、モリーは強くあらねばならぬと自身に課していた。
空気椅子で書物を読み、逆立ちしながら魔法陣を描き、息抜きに組手をして過ごした。
杖も鉄にしたかったのだが、精霊は金属を嫌う。やむを得ず、王国で手に入る木材の中で最も重いものを用いた。
生来の素養もあり、かくして戦闘のできる魔道士ができあがったのである。
これを使わない手はない。王の命令により、当時若干十四歳のモリーは王国陸軍
身の丈ほどの大剣を振るって重装兵を殴り倒し、至近距離で小さな爆発を起こして敵騎馬隊の馬を恐慌させ、
文字通り一騎当千
モリー率いる第九魔道小隊が投入されてから一年。彼らが機動力・
モリーの故郷は勝利に浮かれ、後方で報告を受け取っていただけの王侯貴族達は敵から奪った広大で資源豊かな領地に満足していた。
前線にいた兵士の誰もが、モリーは王都でも勇者として
だが、実際に祝賀会で
参戦した兵士達は誰もが
迅速な砲撃を可能にしたのは、誰が火種を作ったからか。
負傷兵の傷の
清潔な水を戦場に常に供給したのは誰か。
わずかな休息だけを挟んで、大量の敵兵を
前線にいた者ほど良く知っていた。
だが、モリーは伯爵家の人間であり、着任してたった一年の新米少尉であり、十七歳の女だった。身分、経歴、年齢、性別、全てが王侯貴族の評価対象に含まれていなかった。
祝勝会から随分経った後、モリーに参加証のように小さな
十七歳といいえばそろそろ結婚
王と軍の命令に、伯爵家ごときでは逆らえない。モリーの両親は強く育ち過ぎた娘を憐れんだが、モリーは何も言わずに従った。
モリーは祝勝会でも、パレードでも、何も言わなかった。
私利私欲の剣を振るうは獣に劣る。ただ国と民の為の剣と心得よ――祖父母に言われ続けた言葉は、彼女の心の奥深くに刻まれていた。求めるべきは
モリーが子爵となることを聞きつけたかつての部下たちは、家族のある者を除いて、彼女と共に子爵領に移住することを決めた。平民か、下級貴族の次男三男などだった者たちだ。彼らはモリーの独立を、王に認められて褒賞として得たものだと思っていた。
モリーに新領土の情報はほとんど与えられなかった。どこにあるかだけが描かれた地図に、地形や集落の情報は載っていなかった。
多大な不信感と新天地への
「何ですか、これは」
背後の部下が、
「草木も生えてない!」「岩しかないじゃないか」「本当にここが領地なんですか!?」
見渡す限りの岩と、土。緑はどこまでも見えない。吹き渡る風は冷たく乾いている。
「ここだ」モリーも声に動揺を
モリーは瞬時に理解し、怒りに顔を歪ませた。
「奪った領土の中に、隣国にとっても不要な土地があったというわけか。
敵国に
部下達は
モリーは首を横に振った。あえてゆっくりと、言い聞かせるように、部下達に告げた。
「戦の状況を
渋々静まった部下達を、モリーは見渡した。
「この通り、我が領土は不毛の土地であった。新たな土地で新たな生活を夢見ていた者には、厳しい土地であろう。ここには疲れを
事前情報を得られなかったのは、高位貴族達が意図的に封じていたのだろう。こんな土地に好き好んで移住する者はいない。モリーを使い続けたい軍と、下々の不満を抑える為にモリーを
モリーは目を伏せた。長い
「貴様らの生活の
「そんな!」
驚愕する部下達に手を
「この土地を
部下達に
帰りたい、と誰もが思っていた。
その中の一人、眼鏡をかけた商家の
「少尉殿は、どうなさるのです?」
モリーの答えは決まっていた。
「私はここの領主だ。ここに残る」
「無茶ですよ!」眼鏡の男が叫んだ。他の兵士達も目を見開いている。
「少尉殿、どうやって暮らすおつもりですか! 今おっしゃったではないですか、ここでは生活できないと!」
「少尉殿も共に王都に戻りましょう! これは抗議すべきだ!」
「軍に掛け合いましょうよ! きっと力になってくれます!」
「ならぬ」モリーは静かに言った。「軍に領土に口を出す権限は無い。戻ったところで、賜った領土を突き返すことなどできぬ」
モリーは貴族だ。伯爵家の立場も、
モリーは力強く、真っすぐに宣言した。
「私は子爵としての
部下達はどよめいた。下位貴族出身の何名かが、平民出身者に首を横に振り、モリーの立場がいかに
モリーは彼らが結論を出すのを待った。できるならば、全員に、王都に帰って欲しかった。
やがて、部下の一人がおずおずと前に出た。
「すみません、少尉殿。俺は、帰りたいです…………本当に、申し訳ありません…………」
モリーを見る目から涙が
モリーは表情を
「正しい判断だ。私の望みでもある。ありがとう」
その言葉を聞いて、男は泣き崩れた。「俺、俺は、少尉に認めてもらえて嬉しくて、誰かに
男が落ち着くのを待って、モリーは他の兵士達を見渡した。
「何も謝る必要はない。当然で、賢明な判断だ。貴様らも共に王都へ帰ると良い」
しばしの沈黙が落ち、男が
「の、こり、ます」
先程の眼鏡がぽつりと
眼鏡の男が、決意に満ちた表情で、顔を上げた。
「俺は残ります!」
モリーが
「俺も残ります!」
「私も残ります!少尉殿はお洗濯が苦手でしょう。私がいないとシャツに染みができてしまいますよ!」
「軍に志願した時に命は捨てたものと心得ております!どこまでも付いていきます!」
「俺は農家の生まれですから、絶対お役に立ちますよ!」
「私も――」
「俺も――」
皆が無理やり笑顔を作り、無理やり明るい声を出している。咎めてくれるなとモリーに言外に伝えている。
モリーは一瞬目を伏せ、表情を引き締めた。
「貴様ら、本当に、残る気か?」
一斉に即答した声は、力強かった。
やはり残ると言い出した貴族の庶子を全員でなだめて王都に送り返し、モリー達の過酷な生活が始まった。
まずは
幸い、晴れ過ぎるほどに晴れていたので、悪天候に作業が止まることは無かった。
モリーの魔道により水だけは確保できたが、他の物資はモリーの実家の伯爵家や
それも長期間は続けられない。この土地で物資を得られるようにする必要があった。
モリーは農家出身の者と学のある者に意見を求め、
何はともあれ、水である。モリー一人で生成できるのは、小隊分の生活用水程度が限界だった。土地を
「
己への
すっかり
王都の魔道研究塔で、水脈を探す術を身に着けることが最善であると、意見が一致した。一時とはいえ自分だけが王都に戻ることをモリーは渋ったが、全員に説得され了承した。
「最短最速で習得してくる。必ず、この土地に井戸を作る」
言い残したモリーは馬を最速で駆けた。途中ですれ違った者たちが目を疑うほどの速度で王都に戻ったモリーは、最低限の
写し終えたモリーは、一旦研究塔前にある実験用の広場で試してみることにした。
魔術は内容によって必要なものが異なる。魔法陣を必要とする魔術もあれば、杖だけで発動できるものもあった。水脈探知は魔法陣が必要だった。
大地の精霊と水の精霊に呼びかけ、魔法陣を介して大地の奥深くを
集中して
歓喜と希望が体の芯から
ただ、モリーの能力では、城一つ分程度の範囲しか一度に調べられないようだ。
(ならば、見つけるまで、やるのみだ)
決意したモリーを乗せた馬は、
一日目、一日使って探しても、水脈は見つからなかった。疲れ切ったモリーを、皆が
二日目、まだ水脈は見つからなかった。まだ誰もが余裕を見せていた。
三日目、四日目。五、六、七日目。段々皆の表情が
そして八日目。
拠点から
「ここだ!!」
僅かに感じ取った水の気配。常人であれば、まず岩をどかす道具が必要なところだが、幸いここにいるのはモリーである。モリーは大岩の下に指を
モリーは再び雄叫びを上げた。それを目印にして部下達が馬で駆け付け、早速井戸
水脈自体が細く小さいものだったので、
小隊は歓喜に
モリーが王都で仕入れた数十種類の種を試験的に
何しろ小さな小さな水脈しか見つかっておらず、土地を
「雨さえ降れば……」
誰もがそう思っていた。この土地に来て、未だに一度も雨雲を見ていない。
拠点に集まった小隊の前で、モリーは
「古の魔道士は天候すら操ったそうだが……今ではそんな力を持つ者はどこにもおらぬ。力不足で申し訳ない」
「少尉殿が謝ることじゃないですよ」眼鏡の男が
だが、なぜ
重い沈黙が落ちる。誰も何も意見を出せない。
そのまま数刻経った頃、遠くから馬の
小隊は一斉に顔を上げた。この土地に来る人間なんて、自分達以外にはいない。行商すら避けて通られているのだ。蹄の音は徐々に近づき、やがて拠点のドアが開いた。
「少尉殿!」
現れたのは、唯一
珍しく心底驚いて声も出せずにいるモリーに笑顔で敬礼し、彼は
「雨が降らない理由がわかったんです! それと、解決する方法も!」
王都に戻ってから、彼はずっと後悔していた。かといって今更戻ってもきまりが悪い。もじもじと悩んだ末、王都に戻ったからこそできることをしようと思い至った。
あの土地に無くて王都にあるもの。大量にあるが、最大のものは情報である。
不毛の土地を
「ここの
彼は手帳を開いて示した。
「昔、天候を操る魔術があったとかで。隣国はそれを使って、我々の国に災害を起こして弱体化させようとしていたのです」
「どうやって調べた?」
「俺は俺で、体張ってたんですよ」
誇りをもってこの小隊に戻るために。貴族の父を使い街の情報屋を使い、危ない橋も
その結果、隣国の軍事機密の一片すらも掴んで見せたのだった。
「今時天候を操れる魔道士なんていません。ですが、古代の魔道士は違う。強大で、天変地異みたいなこともできたそうです。隣国が手にしたのは、古代の魔道士が作った装置のようなものだったそうです」
彼が持ってきたのは、古代の魔術に関する本である。その中のあるページを示し、彼は表情を引き締めて言った。
「一定の範囲の雨雲を書き消してしまう装置があったようです。本来は逆で、雨続きの時に使うものだったようなんですが、隣国はこれを見つけて起動し、我が国に使おうとしたようです。ところが範囲の指定を失敗して、国境沿いにある自国の土地、つまりここの雨雲を消してしまった。しかも止め方がわからないそうで」
モリーはため息をついた。確かに敵国に攻撃手段として使うなら、止め方まで調べる必要は無かっただろう。
「原因は以上です。装置を見つけて止める必要があります。場所の目安もつけました。ただ、俺にも止め方はわかりませんでした」
小隊は一斉に険しい顔になった。少尉殿なら壊すこともできそうだが、古代魔道装置なんて迂闊に壊したら何が起きるかわからない。
小隊に、戻ってきた男は告げた。
「でも、一つだけ、雨雲を作る方法を見つけました」
顔を上げる小隊に、険しい顔で男は告げた。
「雨雲の
「言い伝えか……」
眼鏡の男が顔をしかめた。解決策というには心許ないことこの上ない。
モリーは本と手帳を受け取って目を通し、思案して――顔を上げた。
「だが、我々には十分価値のある情報だ」
小隊はモリーを見つめた。彼らが信じてやまない少尉殿の判断を
「確信はないが、調べるに値する。かといってこれだけに縋るには、些か不安要素がある。
だから、一旦部隊を三つに分けたい。
ここに残って畑を作る者、雨雲を消す装置について調べる者、そして雨雲の種を探す者、だ。
例え雨雲ができても、すぐに畑になるわけではない。この土地に合った作物が何か、調べ続ける必要がある。
雨雲を消す装置は、止めねばならぬ。王都の研究塔に、私から話を通す。魔道装置であるならば、魔道の知識だけでなく、機械仕掛けについての知識も必要であろう。
そして雨雲の種だが……雲を掴むような話だ。北方は寒さの厳しい土地ゆえ、探索にも多大な苦労があろう。それでも、調べておきたい。無ければ無いという確証が欲しい。雨雲を生じさせたというのが事実なら、種でなくとも何かしらの術はあるのかもしれぬ。
いずれも、苦しい道だ。それでもやってくれるか」
小隊は無言で頷いた。
三手に別れた小隊は、いずれも
畑を守る者たちは
そして、二年。
ようやく適した農作物の
雨雲を消す装置を完全に停止はできなかったが、出力を抑えることができた。
雨雲の種を二十個も手にしたモリーが帰還し、皆を集めて種が入った
子爵領はこの雨を契機に、奔流のような情熱をもって急速に発展した。
未だ乾燥する時もあるが、種が無くとも雨が降るようになった。残りの雨雲の種は、
畑は徐々に範囲を広げ、食糧の自給自足が実現した。水分が戻ったお陰か、どこからか風に乗ってやってきた種も芽吹き、緑は徐々に広がっている。木材だけはまだ外部から購入しているが、作った野菜や増えた家畜を売って代金を賄えるようになった。もちろん植林も進めている。彼らの孫の代までには、きっと森ができているいることだろう。
移住者も増えた。小隊達の知人に開拓の協力を仰いだことから始まり、新しい集落は土地が余っていて広い畑がもらえると聞いた農夫達がやってきて、住人達の服や
人と物が集まれば、
子爵領にも何度も盗賊団の
豊かで、安全な街。人々が移住したがる理由としては充分である。
粗末な小屋の寄せ集めだった拠点は、家や店が立ち並ぶ小さな町になりつつあった。
岩ばかりと思われた地域では
子爵領の評判は王国全土に広まりつつあった。荒野を
だが、若き子爵はそれを否定する。
この土地に神はいない。ただ、人があがいているだけだけだと。
人が持つ
【短編】猛き令嬢の信仰 南下八夏 @nanka_yakka
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