【短編】猛き令嬢の信仰

南下八夏

【短編】猛き令嬢の信仰

 雷鳴とどろく豪雨の中、モリーは腕を組んで前方を見据みすえていた。

 眼前には広大な荒野。

 草木のろくに生えないむき出しの土が、今、数年ぶりの水の恵みを受けている。長い旱魃かんばつによって不毛の大地と化していたこの土地は、今ようやくかつての緑豊かな姿を取り戻そうとしていた。

「神が我らを見放そうとも、我らはこの手で生きることができる」

 モリーは十七歳にしては古めかしい口調で呟いた。伝統を重んじ古きを愛する祖父母によって育てられた彼女は、若き伯爵令嬢はくしゃくれいじょうの価値観とふるき騎士の魂を併せ持つ。すなわち、神を盲信しない現実的な目と、この土地に雨をもたらす術を探し続けた情熱を。

 背後ではモリーの部下である十数名の兵士達が、抱き合い歓喜の声を上げている。神に見捨てられた土地と呼ばれたこの土地を、戦の報償ほうしょうと称して押し付けられてから約二年。モリー達第九魔道まどう小隊は、土壌どじょうを調べ開拓のすべを探る一方、雨をもたらすという伝説の秘宝を追い求めた。

 モリーの足元には、素焼きの小さな壺だった物が、粉々に砕けて落ちていた。安い砂糖壺さとうつぼのように見えるこれが、雨雲のたねを封じてあった秘宝である。

「これからだ」振り返り、モリーは良く通る声で部下達に呼びかけた。「これから、この土地をこの国で最も美しく、最も豊かな土地にしよう。この土地を寄越よこした連中が泣いて悔しがるほどの富を得るのだ!」

 おう、と拳を振り上げる兵士達の目は、獰猛どうもうな獣のように熱に満ちていた。


 およそ六年に渡る隣国りんごくとの戦争に終止符しゅうしふを打ったのは、試験的に導入どうにゅうされた魔道士まどうしひきいる遊撃ゆうげき部隊だった。

 元来魔道士まどうしとは、部屋に引きこもって黙々もくもくと研究を行い、星を占い、精霊せいれいと対話してささやかな力を得る、要は戦闘など無縁な連中だった。研究に時間を取られて運動する時間が無く、当然体力も無い。腕立て伏せどころか散歩すらろくにしない、戦闘に連れ出すにも戦地へ向かう為の準備で息切れするような人間がほとんどだった。

 火種ひだねが無くても火を起こせる、水源が無くても水を得られる。その程度のことしかできないが、それでも本来ならば戦場でいくらでも活躍できるはずの能力を持つにも関わらず、だ。

 そもそも数が少ない。魔道士は先天性で、遺伝性である。かといって近親交配を続ければいずれ子孫に異常が出ることは、既にこの国でも知られていた。

 魔道士は日常生活では役立つが、非力過ぎて戦時では役に立たない。それが一般的な認識だった。

 それを覆したのが、リモンク伯爵の三女、モリーである。

 モリーは逞しかった。

 貴族らしい端正で上品な相貌を、丸太のような首が支えている。デコルテを強調するはずのドレスは盛り上がった僧帽筋そうぼうきんを強調し、伸びやかな四肢ししは鋼のように力強い。最近廃れつつあるコルセットは彼女の強靭きょうじんな腹筋にはばまれてくびれを作れず、ただの腹巻と化している。背丈こそ成人女性にしてはやや高い程度だが、大木の如く重心の安定した立ち姿は見る者を圧倒した。

 それでもモリーは魔道士だった。魔道士としては並程度の能力だったが、人並外れた肉体と、祖父母仕込みの戦闘能力を持っていた。

 貴族たるもの民を守るべし、という祖父母の教えにより、モリーは強くあらねばならぬと自身に課していた。

 空気椅子で書物を読み、逆立ちしながら魔法陣を描き、息抜きに組手をして過ごした。

 杖も鉄にしたかったのだが、精霊は金属を嫌う。やむを得ず、王国で手に入る木材の中で最も重いものを用いた。

 生来の素養もあり、かくして戦闘のできる魔道士ができあがったのである。

 これを使わない手はない。王の命令により、当時若干十四歳のモリーは王国陸軍少尉しょういに任じられた。少尉といっても名ばかりで、実際は前線で戦闘と雑用を担わされた。部下も雑用係のような者を少数与えられただけで、軍人というよりは便利な道具として使われた。

 湿気しけた火薬の乾燥、かまどから大砲までの着火、飲用水の生成、負傷兵の回復促進、そして戦闘。

 身の丈ほどの大剣を振るって重装兵を殴り倒し、至近距離で小さな爆発を起こして敵騎馬隊の馬を恐慌させ、鼓舞こぶの声援を風に乗せて広範囲にとどろかせた。

 文字通り一騎当千八面六臂はちめんろっぴの姿を間近で見ていた部下達は、少しでも彼女の負担を減らそうと、どの部隊よりも機敏に動き回るようになっていた。彼らは魔道士ではないが、雑用も戦闘も、魔道無くともできるものだ。

 モリー率いる第九魔道小隊が投入されてから一年。彼らが機動力・損耗そんもう率の低さ・遊撃ならではの他部隊の補助で圧倒的に優れた部隊として知られるようになり、モリーが「前線に遊びに来た貴族の魔道士」から「戦神に愛されし猛者もさ」に呼び名を変えた頃、戦争が終わった。

 モリーの故郷は勝利に浮かれ、後方で報告を受け取っていただけの王侯貴族達は敵から奪った広大で資源豊かな領地に満足していた。

 前線にいた兵士の誰もが、モリーは王都でも勇者としてたたえられると信じていた。

 だが、実際に祝賀会で叙勲じょくんされたのは司令部にいた数名の高位貴族だけで、モリーは晴れ舞台に名を呼ばれることは無かったのである。城で行われた祝賀会でも、王都を巡ったパレードでも、モリーは下位士官として並んでいるだけだった。はち切れそうなドレスを着て、上品にたたずんでいた。

 参戦した兵士達は誰もがいきどおった。特に民兵と下位騎士から不満が噴出した。

 迅速な砲撃を可能にしたのは、誰が火種を作ったからか。

 負傷兵の傷の治癒ちゆを早め、戦線を維持したのは誰か。

 清潔な水を戦場に常に供給したのは誰か。

 わずかな休息だけを挟んで、大量の敵兵をほふり続けたのは誰か。

 前線にいた者ほど良く知っていた。

 だが、モリーは伯爵家の人間であり、着任してたった一年の新米少尉であり、十七歳の女だった。身分、経歴、年齢、性別、全てが王侯貴族の評価対象に含まれていなかった。

 祝勝会から随分経った後、モリーに参加証のように小さな勲章くんしょうと、今回獲得した領土の中で最も価値のない土地が与えられた。伯爵家にではなく、モリーに、である。

 十七歳といいえばそろそろ結婚適齢期てきれいきだが、軍としてはモリーを手放しがたい。そこでモリーを独立させ、軍で囲っておく為に、モリーの実家である伯爵家に打診という名の命令が下った。モリー嬢を子爵ししゃくとし、今回得た領土の一部を子爵領として治めよと。

 王と軍の命令に、伯爵家ごときでは逆らえない。モリーの両親は強く育ち過ぎた娘を憐れんだが、モリーは何も言わずに従った。

 モリーは祝勝会でも、パレードでも、何も言わなかった。

 私利私欲の剣を振るうは獣に劣る。ただ国と民の為の剣と心得よ――祖父母に言われ続けた言葉は、彼女の心の奥深くに刻まれていた。求めるべきは褒美ほうびではなく、民の笑顔と平穏だった。

 モリーが子爵となることを聞きつけたかつての部下たちは、家族のある者を除いて、彼女と共に子爵領に移住することを決めた。平民か、下級貴族の次男三男などだった者たちだ。彼らはモリーの独立を、王に認められて褒賞として得たものだと思っていた。

 モリーに新領土の情報はほとんど与えられなかった。どこにあるかだけが描かれた地図に、地形や集落の情報は載っていなかった。

 多大な不信感と新天地への些細ささいな興味を抱いて小隊が向かった先には――何もなかった。

「何ですか、これは」

 背後の部下が、驚愕きょうがくあらわにした。一人が声を出したのを皮切りに、口々に悲鳴が上がる。

「草木も生えてない!」「岩しかないじゃないか」「本当にここが領地なんですか!?」

 見渡す限りの岩と、土。緑はどこまでも見えない。吹き渡る風は冷たく乾いている。

「ここだ」モリーも声に動揺をにじませた。手元の地図は、間違いなくこの荒野が彼女の領土だと示している。

 モリーは瞬時に理解し、怒りに顔を歪ませた。

「奪った領土の中に、隣国にとっても不要な土地があったというわけか。分不相応ぶんふそうおうに目立ってしまった小娘こむすめに形ばかりの褒美として与えるにはうってつけだったのだな」

 敵国に誤魔化ごまかされて押し付けられた土地を、更にモリーに押し付けたというわけだ。

 部下達はいきどおった。パレードの中心でふんぞり返っていた司令官共よりも、遥かにモリーの方が戦功をあげている。そう信じて疑わなかった。

 モリーは首を横に振った。あえてゆっくりと、言い聞かせるように、部下達に告げた。

「戦の状況をはんじ、あの大軍の指揮をることは、私にはできない。あの方々は勲章くんしょうたまわるに相応ふさわしい働きをなさっておられたのだ。我々には見えないところで、大局を見ておられたのだ」

 渋々静まった部下達を、モリーは見渡した。朗々ろうろうとした声が荒野に響く。

「この通り、我が領土は不毛の土地であった。新たな土地で新たな生活を夢見ていた者には、厳しい土地であろう。ここには疲れをいやす酒も、香ばしいパンも無い。この土地で作物が育つかどうかもわからぬ」

 事前情報を得られなかったのは、高位貴族達が意図的に封じていたのだろう。こんな土地に好き好んで移住する者はいない。モリーを使い続けたい軍と、下々の不満を抑える為にモリーをねぎらう形を取りたい貴族院、不要な土地を処分したい王の思惑が一致した結果がこれだろう、とモリーは見当を付けた。せめて軍の介入があれば、もっとましな褒美をたまわったはずなのだが、国土の管理について軍は管轄外かんかつがいだ。

 モリーは目を伏せた。長い睫毛まつげで影が落ちる。

「貴様らの生活の保障ほしょうができぬ。あの厳しい戦場で、私に付き従ってくれた見返りがこれでは、私の面目めんぼくが立たぬ。――貴様ら、王都に帰れ」

「そんな!」

 驚愕する部下達に手をかざし、モリーは続けた。

「この土地をたまわったのは私だ。貴様らには何の責任も無い。軍役を離れるなら、私が一筆書こう。これは誰に恥じることもない、貴様らの当然の権利だ」

 部下達に動揺どうようが走った。草木すら無いこの土地に移住したとて、何ができるというのか。開拓民となる覚悟など、誰もしていない。王都に戻って元の暮らしに戻った方が良いことは、誰の目にも明らかだ。

 帰りたい、と誰もが思っていた。

 その中の一人、眼鏡をかけた商家のせがれが、モリーに不安げに問うた。

「少尉殿は、どうなさるのです?」

 モリーの答えは決まっていた。

「私はここの領主だ。ここに残る」

「無茶ですよ!」眼鏡の男が叫んだ。他の兵士達も目を見開いている。

「少尉殿、どうやって暮らすおつもりですか! 今おっしゃったではないですか、ここでは生活できないと!」

「少尉殿も共に王都に戻りましょう! これは抗議すべきだ!」

「軍に掛け合いましょうよ! きっと力になってくれます!」

「ならぬ」モリーは静かに言った。「軍に領土に口を出す権限は無い。戻ったところで、賜った領土を突き返すことなどできぬ」

 モリーは貴族だ。伯爵家の立場も、新興しんこう子爵に過ぎない自身の立場もよく理解している。それらがどれほど弱いものであるか。こればかりは、肉体を幾ら鍛えてもどうにもならない。

 モリーは力強く、真っすぐに宣言した。

「私は子爵としてのつとめを果たす」

 部下達はどよめいた。下位貴族出身の何名かが、平民出身者に首を横に振り、モリーの立場がいかに脆弱ぜいじゃくかを伝えた。全員の中で、帰りたいという気持ちと、モリーへの忠誠心がせめぎあい、しばらくはざわめき合った。

 モリーは彼らが結論を出すのを待った。できるならば、全員に、王都に帰って欲しかった。

 やがて、部下の一人がおずおずと前に出た。男爵だんしゃく家の庶子しょしで、家に居場所が無く、父の命令で志願兵となった男だった。

「すみません、少尉殿。俺は、帰りたいです…………本当に、申し訳ありません…………」

 モリーを見る目から涙がこぼれた。彼がおのれに対する怒りと悔さで泣いていることは、モリーにも伝わった。

 モリーは表情をゆるめ、柔らかな笑顔を浮かべた。

「正しい判断だ。私の望みでもある。ありがとう」

 その言葉を聞いて、男は泣き崩れた。「俺、俺は、少尉に認めてもらえて嬉しくて、誰かにめてもらったのは初めてで、なのに、俺は」幼子おさなごのように、謝罪は嗚咽おえつまれた。その背を優しく叩き、モリーは「気にするな」「大丈夫」と何度も繰り返した。

 男が落ち着くのを待って、モリーは他の兵士達を見渡した。

「何も謝る必要はない。当然で、賢明な判断だ。貴様らも共に王都へ帰ると良い」

 しばしの沈黙が落ち、男がはなすする音と風の音だけが響いた。

「の、こり、ます」

 先程の眼鏡がぽつりとこぼし――モリーは眼を見開いた。

 眼鏡の男が、決意に満ちた表情で、顔を上げた。

「俺は残ります!」破顔はがんし、宣言した。「家に帰ってもやることないですし!ここは体を鍛えるにはうってつけですよ!少尉よりもたくましくなってみせます!」彼は枯れ枝のような腕を曲げて力こぶを作る振りをした。

 モリーがとがめるより早く、他の者が続いた。

「俺も残ります!」

「私も残ります!少尉殿はお洗濯が苦手でしょう。私がいないとシャツに染みができてしまいますよ!」

「軍に志願した時に命は捨てたものと心得ております!どこまでも付いていきます!」

「俺は農家の生まれですから、絶対お役に立ちますよ!」

「私も――」

「俺も――」

 皆が無理やり笑顔を作り、無理やり明るい声を出している。咎めてくれるなとモリーに言外に伝えている。

 モリーは一瞬目を伏せ、表情を引き締めた。

「貴様ら、本当に、残る気か?」

 一斉に即答した声は、力強かった。


 やはり残ると言い出した貴族の庶子を全員でなだめて王都に送り返し、モリー達の過酷な生活が始まった。

 まずは拠点きょてんる。初めは布を剣で支えただけの簡易かんい日除ひよけで寝起きしながら、最寄もよりの集落――と言っても馬で一日かかる距離だが――から材木や食料や家畜を仕入れ、大工の心得のある者を中心に簡易な小屋をいくつか作った。

 幸い、晴れ過ぎるほどに晴れていたので、悪天候に作業が止まることは無かった。

 モリーの魔道により水だけは確保できたが、他の物資はモリーの実家の伯爵家や隣接りんせつする領土から、モリーの私財しざいとうじて買い求めた。

 それも長期間は続けられない。この土地で物資を得られるようにする必要があった。

 モリーは農家出身の者と学のある者に意見を求め、土壌どじょうを調べた。砂や塩分が極端に多いわけではなく、土壌自体は悪くは無さそうで、水と肥料さえ与えれば何かしらの農作物は作れそうだった。適した作物が何かまでは不明だが、改善の可能性があるというだけで、一筋の光明こうみょうが差した思いだった。

 何はともあれ、水である。モリー一人で生成できるのは、小隊分の生活用水程度が限界だった。土地をうるおすには、雨と井戸が必要だった。

水脈すいみゃくを探る魔術まじゅつがあったはずなんだが……私には使えぬ。すまない。学んでおくべきだった」

 己への怒気どきを立ち昇らせ、モリーはくちびるみしめた。日々の労働で少ない脂肪が更にぎ落され、精悍せいかんを通り越して鬼気きき迫る風貌ふうぼうになっていた。部下達は慣れていたが、初対面の者がいればおびえて泣いていたかもしれない。

 すっかり土埃つちぼこりまみれた部下達と共に会議を重ねた結果、モリーは一旦王都に戻ることになった。

 王都の魔道研究塔で、水脈を探す術を身に着けることが最善であると、意見が一致した。一時とはいえ自分だけが王都に戻ることをモリーは渋ったが、全員に説得され了承した。

「最短最速で習得してくる。必ず、この土地に井戸を作る」

 言い残したモリーは馬を最速で駆けた。途中ですれ違った者たちが目を疑うほどの速度で王都に戻ったモリーは、最低限の挨拶あいさつ周りを最短時間で済ませ、研究塔に文字通り駆け込んだ。

 猛牛もうぎゅうのような勢いで突入してきたモリーに腰を抜かした所長の前で、モリーは急停止し、優雅ゆうが会釈えしゃくをして、端的たんてきに要件を述べた。所長がぷるぷる震えながら教えた書架しょかに竜巻のように駆け寄り、魔導書まどうしょを数冊手にして必要な個所を手帳に書き写した。研究所に来る前にインクを買い足した万年筆を動かしながら、頭の中で魔術を構築する。モリーが若くして軍に実用性を認められたのは、彼女のみ込みの早さも一因いちいんしていた。

 写し終えたモリーは、一旦研究塔前にある実験用の広場で試してみることにした。

 魔術は内容によって必要なものが異なる。魔法陣を必要とする魔術もあれば、杖だけで発動できるものもあった。水脈探知は魔法陣が必要だった。

 大地の精霊と水の精霊に呼びかけ、魔法陣を介して大地の奥深くをさぐる。

 集中して暗闇くらやみを探る。鋭く絞った意識の先を伸ばた先で、研究塔の東側に細い水脈があるのを感じ取り――モリーは雄叫おたけびを上げた。

 歓喜と希望が体の芯からあふれ、のどをつき、王都に広く響き渡った。

 ただ、モリーの能力では、城一つ分程度の範囲しか一度に調べられないようだ。

(ならば、見つけるまで、やるのみだ)

 決意したモリーを乗せた馬は、往路おうろよりも更に早い速度で子爵領に戻った。


 一日目、一日使って探しても、水脈は見つからなかった。疲れ切ったモリーを、皆がなぐさめた。初日から上手く行くなんて、ほんの少ししか思っていない。

 二日目、まだ水脈は見つからなかった。まだ誰もが余裕を見せていた。

 三日目、四日目。五、六、七日目。段々皆の表情がくもってきた。

 そして八日目。

 拠点から随分ずいぶんと離れた平地の、大きな岩の下。

「ここだ!!」

 僅かに感じ取った水の気配。常人であれば、まず岩をどかす道具が必要なところだが、幸いここにいるのはモリーである。モリーは大岩の下に指をもぐり込ませ、渾身こんしんの力を込めて足を踏ん張る。大岩は徐々に浮かび上がり、ついにはごろりと転がった。

 モリーは再び雄叫びを上げた。それを目印にして部下達が馬で駆け付け、早速井戸づくりが始まった。

 水脈自体が細く小さいものだったので、粗末そまつで小さなものではあるが、間違いなく井戸が出来上がった。

 小隊は歓喜にき、んだ水をかけあって飛び跳ねた。


 モリーが王都で仕入れた数十種類の種を試験的にく一方で、まだまだ課題は山積みだった。

 何しろ小さな小さな水脈しか見つかっておらず、土地をうるおすには程遠かったのである。今回見つけた水脈も、いつ枯れるかわからない。

「雨さえ降れば……」

 誰もがそう思っていた。この土地に来て、未だに一度も雨雲を見ていない。

 拠点に集まった小隊の前で、モリーは眉間みけんしわを寄せて言った。

「古の魔道士は天候すら操ったそうだが……今ではそんな力を持つ者はどこにもおらぬ。力不足で申し訳ない」

「少尉殿が謝ることじゃないですよ」眼鏡の男がほがらかに言った。他の者達もうなずいた。

 だが、なぜ旱魃かんばつが起きているのか、どうすれば雨を呼べるのか、誰にも見当がつかなかった。

 重い沈黙が落ちる。誰も何も意見を出せない。

 そのまま数刻経った頃、遠くから馬のひづめの音が聞こえた。

 小隊は一斉に顔を上げた。この土地に来る人間なんて、自分達以外にはいない。行商すら避けて通られているのだ。蹄の音は徐々に近づき、やがて拠点のドアが開いた。

「少尉殿!」

 現れたのは、唯一離脱りだつした貴族の男だった。

 珍しく心底驚いて声も出せずにいるモリーに笑顔で敬礼し、彼はかばんから手帳と古びた本を取り出した。

「雨が降らない理由がわかったんです! それと、解決する方法も!」

 王都に戻ってから、彼はずっと後悔していた。かといって今更戻ってもきまりが悪い。もじもじと悩んだ末、王都に戻ったからこそできることをしようと思い至った。

 あの土地に無くて王都にあるもの。大量にあるが、最大のものは情報である。

 不毛の土地を命懸いのちがけで開拓している仲間のために、彼は命懸けで土地について調べ上げたのだった。

「ここの旱魃かんばつは、人為じんい的なものだったんです」

 彼は手帳を開いて示した。

「昔、天候を操る魔術があったとかで。隣国はそれを使って、我々の国に災害を起こして弱体化させようとしていたのです」

「どうやって調べた?」

 いぶかしむモリーに、男はへらへらと笑って見せた。

「俺は俺で、体張ってたんですよ」

 誇りをもってこの小隊に戻るために。貴族の父を使い街の情報屋を使い、危ない橋も幾度いくどか渡った。仲間はもっと大変な目にっている、何度も自分に言い聞かせて踏ん張った。

 その結果、隣国の軍事機密の一片すらも掴んで見せたのだった。

「今時天候を操れる魔道士なんていません。ですが、古代の魔道士は違う。強大で、天変地異みたいなこともできたそうです。隣国が手にしたのは、古代の魔道士が作った装置のようなものだったそうです」

 彼が持ってきたのは、古代の魔術に関する本である。その中のあるページを示し、彼は表情を引き締めて言った。

「一定の範囲の雨雲を書き消してしまう装置があったようです。本来は逆で、雨続きの時に使うものだったようなんですが、隣国はこれを見つけて起動し、我が国に使おうとしたようです。ところが範囲の指定を失敗して、国境沿いにある自国の土地、つまりここの雨雲を消してしまった。しかも止め方がわからないそうで」

 モリーはため息をついた。確かに敵国に攻撃手段として使うなら、止め方まで調べる必要は無かっただろう。

「原因は以上です。装置を見つけて止める必要があります。場所の目安もつけました。ただ、俺にも止め方はわかりませんでした」

 小隊は一斉に険しい顔になった。少尉殿なら壊すこともできそうだが、古代魔道装置なんて迂闊に壊したら何が起きるかわからない。

 小隊に、戻ってきた男は告げた。

「でも、一つだけ、雨雲を作る方法を見つけました」

 顔を上げる小隊に、険しい顔で男は告げた。

「雨雲のたね、というものがあるそうです。それを使えば、どこにでも雨雲を呼び出せるそうです。ただ、先程の天候の装置とは違って、王国の北の方に伝わる伝承なんですが。一応、八百年前の書物に、雨雲の種を使ったという記述があるんです」

「言い伝えか……」

 眼鏡の男が顔をしかめた。解決策というには心許ないことこの上ない。

 モリーは本と手帳を受け取って目を通し、思案して――顔を上げた。

「だが、我々には十分価値のある情報だ」

 小隊はモリーを見つめた。彼らが信じてやまない少尉殿の判断をあおぐために。モリーは慎重に言葉を選びながら言った。

「確信はないが、調べるに値する。かといってこれだけに縋るには、些か不安要素がある。

 だから、一旦部隊を三つに分けたい。

 ここに残って畑を作る者、雨雲を消す装置について調べる者、そして雨雲の種を探す者、だ。

 例え雨雲ができても、すぐに畑になるわけではない。この土地に合った作物が何か、調べ続ける必要がある。

 雨雲を消す装置は、止めねばならぬ。王都の研究塔に、私から話を通す。魔道装置であるならば、魔道の知識だけでなく、機械仕掛けについての知識も必要であろう。

 そして雨雲の種だが……雲を掴むような話だ。北方は寒さの厳しい土地ゆえ、探索にも多大な苦労があろう。それでも、調べておきたい。無ければ無いという確証が欲しい。雨雲を生じさせたというのが事実なら、種でなくとも何かしらの術はあるのかもしれぬ。

 いずれも、苦しい道だ。それでもやってくれるか」

 小隊は無言で頷いた。


 三手に別れた小隊は、いずれも艱難辛苦かんなんしんくの道を辿った。

 畑を守る者たちは試行錯誤しこうさくごを繰り返し、雨雲を消す装置を探す者たちは難解なんかいな魔導書と技術書を血眼ちまなこになって読みふけり、そして雨雲の種を探す者たちは腰まで積もった雪をかき分けて伝承を追い求めた。

 そして、二年。

 ようやく適した農作物の目途めどが立ち、ごく少量だが収穫を迎えた。

 雨雲を消す装置を完全に停止はできなかったが、出力を抑えることができた。

 雨雲の種を二十個も手にしたモリーが帰還し、皆を集めて種が入ったつぼを割り――冒頭ぼうとういたる。

 子爵領はこの雨を契機に、奔流のような情熱をもって急速に発展した。


 未だ乾燥する時もあるが、種が無くとも雨が降るようになった。残りの雨雲の種は、旱魃かんばつそなえて厳重に保管された。ひび割れた大地はしっとりとうるおい、地下水脈にも水が戻って井戸を増やすことができた。

 畑は徐々に範囲を広げ、食糧の自給自足が実現した。水分が戻ったお陰か、どこからか風に乗ってやってきた種も芽吹き、緑は徐々に広がっている。木材だけはまだ外部から購入しているが、作った野菜や増えた家畜を売って代金を賄えるようになった。もちろん植林も進めている。彼らの孫の代までには、きっと森ができているいることだろう。

 移住者も増えた。小隊達の知人に開拓の協力を仰いだことから始まり、新しい集落は土地が余っていて広い畑がもらえると聞いた農夫達がやってきて、住人達の服やくつ需要じゅようを見込んだ職人達もきょかまえるようになった。

 人と物が集まれば、野盗やとうに目を付けられるものだ。まして、女性の貴族が治める土地は軽んじられやすい。

 子爵領にも何度も盗賊団の襲撃しゅうげきがあったが、子爵領を守る者たちが全てを返りちにしていた。襲撃者の三割ほどは、モリーが――筋肉量が成人男性の二倍はありそうな女性が、ぱっつんぱっつんのドレスを着て巨大な鉄の剣を片手に掲げながら馬で突撃して来るのを見ただけで逃げ出していた。

 豊かで、安全な街。人々が移住したがる理由としては充分である。

 粗末な小屋の寄せ集めだった拠点は、家や店が立ち並ぶ小さな町になりつつあった。

 岩ばかりと思われた地域では炭鉱たんこう鉱脈こうみゃくが発見され、採掘場の準備も進めている。運用が始まれば、鉄を自ら生産できる。ゆくゆくは、最近王都付近で開通したという鉄道を、この子爵領に走らせることができるかもしれない。

 子爵領の評判は王国全土に広まりつつあった。荒野を復興ふっこうさせた奇跡の大地、神に祝福された土地だと。

 だが、若き子爵はそれを否定する。

 この土地に神はいない。ただ、人があがいているだけだけだと。

 人が持つ不屈ふくつの精神こそが、我が信仰しんこうであると。

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