第2話

 ゴールデンウィークの悪夢───いや、醜態から早いもので、もう二週間が経った。そしてまた、僕とかえでさんは、あのオシャレなカフェに来ている。


 そう、懲りずに来ているのだ。客はその時々で異なるから、まぁイイ。だけど店員さんは、そうではない。前回の醜態を知っている店員さんもいるに違いないのだ。


 ・・・いや、いるのだ。僕と楓さんが入店したとき、何人かの顔が引きつっていたのを、僕は見てしまっている。彼ら彼女らは、僕たちの醜態を見聞きしていたに違いない。そんな場所に、またしても僕たちは来てしまっている。


趙雲ちょううんって、チョー運がイイよね!」


 楓さんは相変わらず三国志の話をしている。三国志を絡めたダジャレを言っている。


 ちなみに趙雲ちょううんとは、三国志における三つの大国の一つ───【しょく】という国の将軍だ。趙雲ちょううんは、無数の敵兵がいる戦場から、主君の幼い子供を探し出し、見事に生還した───という逸話の持ち主である。それは、【長坂ちょうはんの戦い】と呼ばれるいくさでの出来事である。数多の敵兵に取り囲まれながらも生き残った趙雲ちょううんは、たしかに運がイイといえるだろう。


 しかし、つい今しがた、楓さんが言っていたのは、そのことに関してではない。ではでは、どういうことか、というと・・・。


 まず始めに、三国志というのは大きく二つに分かれていて、歴史書としての【正史せいし】と、物語としての【演義えんぎ】というのがある。


 そのうちの【正史せいし】での趙雲ちょううんに関する記述は、非常に短い。つまりは、趙雲ちょううんに関する資料は少ないということだ。要は、よく分からない人物といえるのだ。


 けれども、【演義えんぎ】においては、大活躍に次ぐ大活躍をする重要人物として描かれている。そうして今や趙雲ちょううんは、三国志を代表する人気キャラの一人になっているのだ。


 楓さんは、そのことに対して、『チョー運がイイ』と言ったのである。イマイチよく分からない人物が、今や人気キャラにまで成り上がっているのだから、それはたしかに運がイイといえるだろう。


 ちなみに楓さんは、趙雲ちょううんのことがキライである。その理由は、先に述べた【長坂ちょうはんの戦い】にある。そのいくさ趙雲ちょううんが、主君の幼い子供───のちに【しょく】の皇帝となり、無能と評されることになる───を助けなければ、【しょく】はもう少し、なんとかなっていたのではないかと考えているからだ。つまり、『そんなヤツ、助けるなよ!』という考えなのだ。


 ちなみに、幼い子供といっているが、正確にいえば、赤子───つまりは、赤ちゃんである。楓さんは、赤ちゃんを見殺しにしろ───という考えを持っているのだ。う~ん、やはり鬼畜である。


 とはいえ楓さんは、【しょく】を推しているワケではない。彼女は【】のファンである。ちなみに僕も【】が好きだ。そのことが、僕と楓さんが親交を深めた要因の一つとなったワケだ。


 そんな【】のファンである楓さんが【しょく】の心配をしている。なんと、ややこしいことだろうか。しかしそれは、【敵の敵は、味方】という考えにもとづくモノなのだ。


 つまり、どういうことか、というと───。


「なにを難しい顔をしてるんだい?」


 ハッ! いけない、いけない。楓さんの三国志ダジャレを無視して、考えごとをしてしまっていた。なんとか上手く取り繕わなくては。


「えっと・・・、超ウンコしたいんです」


「ブハッ! 趙雲ちょううんだけに? アハハッ!」


 よし、ウケた。ハッキリいって、楓さんは笑い上戸である。三国志ダジャレであれば、ほぼ確実に笑うのだ。そして下ネタにも耐性がある。決して引いたりはしない。だから彼女を笑わせるのは、容易たやすいとさえ、いえる。


 しかしながら、そんな楓さんに対し、僕は呆れている。例の如くに呆れているのだ。三国志ダジャレを連発するから、呆れているのだ。しかし話題を変更することは出来ない。なぜなら、またしても醜態を晒してしまうことに、なるかもしれないからだ。


「『超ウンコしたい』と『趙雲、越したい』か。なるほど、キミは立派な将軍になりたいんだね」


 いえ。将軍になんて、なりたくはないですよ?


「あ、そうだ。聞こうと思ってたことがあるんだけど・・・」


「なんですか?」


「万華鏡、見る?」


「ブフォッ!!」


 思わず、吹き出してしまった。楓さんの発した言葉に驚き、吹き出してしまった。前回に引き続き、またしても吹き出してしまった。そして、これまた前回と同様に、楓さんが紡いだ言葉により、僕たちの周りにいる客はそれぞれの会話を止め、皆が一斉にこちらを見た。しかし、それらのことを楓さんは気にするでもなく、続ける。


「ねぇ。万華鏡、見たい?」


 可笑おかしい。やはり可笑しいぞ。楓さんのイントネーションが前回と同様に、少し可笑しいぞ。それにしても、なんでいきなり万華鏡の話になったんだ?


「ねぇってば。ワタシの万華鏡は見たくないのかい?」


 いつも見てるみたいに言わないで下さい!!


「ワタシの万華鏡はキレイなんだよ」


 いつもは汚いんですか!?


「キミには見て欲しいな。ワタシの万華鏡は特にキレイに見える筈だから」


 なにか特殊なことでも、したんですか!?


「ま、万華鏡ですね!! 万華鏡!! あの、キラキラしてるヤツ!!」


 僕は大声で叫んだ。


 とにかく、楓さんに正しいイントネーションを伝えなければ! そして周りの客たちには、万華鏡のことだと伝えなければ!


 そんな思惑から、僕は大きな声で叫んだのだ。すると・・・。


「ほら。昔、言ったよね? たまに体験教室に通ってるって。この前、そこで作ったんだ。───だから万華鏡も見てくれるよね?」


 あ~。楓さんが中学生のときに、そんなことを聞いたなぁ。ランチョンマットを作ったり、エプロンを作ったり───って。なるほど、今回は万華鏡を作ったのか。それを見せたいんだな。とはいえ・・・。


「万華鏡、見たいよね?」


 見たいです──とは言いにくい。変わらず楓さんのイントネーションが可笑おかしいからだ。いくら僕が修正したところで、見たいです───とは言えない。とんだ変態野郎になってしまうだろうから。


 困ったことに、今回は一つの単語である。だから前回のように、単語の並びを入れ替えるという手法は使えない。このまま正しいイントネーションを叫び続けるしかないのだろうか。しかし、万華鏡、万華鏡と大声で連呼していたら、それはそれで可笑おかしな人間である。たとえそれが、正しいイントネーションだったとしても。


「ねぇねぇ。万華鏡、見たいよね? 興味あるだろ?」


 興味はありますけど!!


「万華鏡ですよね!! あの、クルクルと回して中を見るヤツですよね!!」


「あ、あぁ・・・。そうだけど・・・」


 楓さんの顔が、引き気味である。まるで、『なんで、そんな分かりきったことを言ってるんだい?』という感じだ。


「もしかして、ワタシの万華鏡は見てくれないのかな? この前、栗とリスの写真は見てくれたのに」


 それ、やめて!!


「リスと栗です!! リスと栗の写真です!! リスと栗なんです!!」


 周りの人間に対し、とにかく大声で叫んでいる僕はまるで、無実を訴えている囚人のようである。


「栗とリスは見てくれたのに、万華鏡はダメなんだね・・・」


「見ます!! 見ますから!! クルクルと回して中を見る万華鏡を、見ますから!! キラキラしてるヤツを見ますから!!」


 そのあと、程なくして、僕たちはカフェから立ち去った。


 ・・・出禁になるんじゃないかな。



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