第5話 誤算の真相
脳内モニターが明るく光る。
《緊急配信》
――ん?
なんだ?
画面の片隅に『LIVE』と表示された動画が流れ始める。
雨が降りしきる丹下砦だ。
どうやら、離れた場所の様子を中継してくれる機能が発動したらしい。
簡素な屋敷の周囲に織田木瓜の家紋が描かれた陣幕が張られ、
桶狭間で松平勢を駆逐した信長は雷雨を逃れて丹下砦まで兵を引いたらしい。
と、そこへ伝令が到着した。
「大高城に見捨てられた
鳴海城は大高城よりも清洲城に近いところにある今川の最前線基地だ。
丹下砦は善照寺砦などと共に、それを囲むように築かれていた織田方の監視拠点の一つにあたる。
「鳴海城の大将は今川家臣の岡部元信であったか」
「いえ、それが、岡部殿はすでに昨夜のうちに城を去り、松平家の本多
「なるほど、通せ」
伝令と入れ替わりに通されたのは憔悴顔の小男だった。
「鳴海城代、本多忠真でござる。単刀直入に申し上げる。鳴海城を明け渡すゆえ、城兵どもの命を保証してくだされ」
「なるほど。だが、今川への申し開きはどうするつもりじゃ」
「我らは松平の家臣でございまする。我らを捨てた今川に義理立てすることはございません。すでに城内の兵も松平の者しか残っておりませぬ」
「あい分かった」と、信長はうなずいた。「良かろう。抵抗せず鳴海城を明け渡すのであれば、城内の者はすべて三河へ帰参することを認める」
「これは寛大なご判断。誠にかたじけない」
「して、その方にたずねる。今川の軍勢は大高城へ入るはずではなかったのか」
「はい。我ら松平勢も先鋒をおおせつかり、若殿が大高城へ兵糧を運び入れましたが、昨夜遅く、今川の本陣に内通者が来訪したとの話を聞いております」
「なに、我が織田家の動きを伝えた者がいるというのか」
「はい、なんでも、南蛮人だそうで、織田方がオッケー狭間なる場所で奇襲を仕掛けると忠告したそうでございます。それにより義元公は沓掛城を去り、鳴海城の岡部殿にもその一報が届くと、我らに守備を任せ昨夜のうちに今川の兵はみな退去したのでございます。取り残された我らは大高城に孤立した若殿へ早馬をやり、織田方が攻めてきた場合は、殿(しんがり)として城を枕に討ち死にする覚悟でございました」
「ううむ」と、信長は顎髭に手をやってしばし考え込んでいた。「なるほど、そうであったか。本多殿の忠義と御覚悟、この信長も感服つかまつった。我らは追わぬゆえ、早々に安心して故郷へ帰られるがよい」
「このたびのご処置、心より感謝いたしまする。では、我らはこれにて三河へ退去いたします」
松平の使者が去ると、脇に控えていた家老の林秀貞がそっとたずねた。
「殿、よろしいのですか。敵を無傷で返すなど、将来の禍根とならねば良いのですが。少なくともけじめとして本多殿に切腹を命じるべきではございませぬか」
「それは浅い考えというものよ」と、信長はほくそ笑む。「抵抗もせずおめおめと無傷で帰ってきた将兵を三河ではどう迎える。さらに守備を命じておいて自分たちだけ手を引いた今川の心証はどうだ。恥や恨みほど団結を引き裂く秘薬はあるまい」
「なるほど、内部からの分裂を促すと。殿の深いお考え、感服いたしました」
「それにしても南蛮人か」と、織田信長が宙をにらみながらつぶやく。「河尻」
指名された丹下砦
「ははっ、お館様何用でございまするか」
「その方、昨夜サカマキとか言うあの南蛮人を見たか」
「はい。あ、いや、昨夜ではございませんが、今朝方であれば握り飯を配っておるときに話をしました。見慣れぬ服を着ておりましたので」
「では、夜のうちには見かけておらんのだな」
「はい。拙者は見ておりません」
横から林秀貞が口を挟む。
「丹下砦から沓掛城までは二里(八キロメートル)ほど。一晩のうちに往復できますな」
「うむ、あやつ、我らを裏切りおったな」
――おいおい、ちょっと待てよ。
俺は思わず脳内ディスプレイに向かって反論しようとしていた。
俺がそんな裏切り行為をするわけないだろ。
織田信長に天下を取らせるために軍師になったんだからな。
もちろん、そんな言い分がモニターの向こうに伝わるはずもなく、軍議が進んでいく。
信長がふっと息を吐く。
「織田家に耳寄りな情報を届け、今川方にも内通していたとは、あの南蛮人やはり食えぬな」
「南蛮人の申すとおりに出張って松平の軍勢を蹴散らしたのは
「うむ、どちらでも勝った方から褒美を取ろうとしていたのであろうが、わしの目は節穴ではないことを思い知らせねばならぬようだな」
信長のやつ、完全に俺のことを疑ってやがる。
今川を取り逃がしたにしろ、松平を殲滅できたのは俺のおかげなのに。
だが、俺じゃないとしたら、誰なんだ。
南蛮人と言えば……あいつか。
――デイブ・スミッシー。
そうだ、あいつだ。
実際、桶狭間で馬に乗ったあいつに会った時、東の沓掛城の方から来てたよな。
今思えば、あれは今川方に情報をもたらして帰ってくるところだったんじゃないのか。
ちきしょう、デイブのやつ、俺たちを今川に売りやがって。
このままで終わると思うなよ。
俺は全国統一を千回成し遂げた最強の軍師なんだ。
最果ての蠣崎ですらシミュレーションを繰り返して勝ちパターンを発見してきたんだ。
絶対にゲームオーバーになんかさせないからな。
だが、証拠はないし、デイブがどこにいるのかも分からない。
そもそも俺は今どういう状態なんだ。
頭を殴られて気を失ったんじゃなかったっけ?
脳内モニターが点灯しているから自分も織田の軍議に参加しているように思ってしまうけど、実際にはそこ――丹下砦――にはいないんだよな。
俺はステイタス画面を呼び出してみた。
武将情報から《状態》タグを選ぶと、《坂巻悠斗:沓掛城》と出てきた。
ということは、俺は桶狭間から自分が指示したとおりに沓掛城に運ばれたということか。
だが、ならばなぜ俺は殴られたんだ?
薄れていく意識の中で、かすかに聞いた声を思い起こす。
『やはり、お館様の言っていたとおりだったか』
あれは藤吉郎の声だったような気がする。
丹下砦に到着したときに、藤吉郎に使いが来て、あいつは信長の本陣へ呼ばれたんだった。
そのときに、『サカマキが怪しいから見張れ』と言われたんだろうか。
さっきの丹下砦での軍議の様子からは、織田信長が俺のことを疑って保険をかけていたことは明白だ。
だとすれば、もう藤吉郎も俺の味方ではないのだろう。
イヤな予感がよぎる。
――俺は生きているのか?
藤吉郎と前田利家に殺されているんじゃないのか。
でも、ならばゲームオーバーで脳内ディスプレイも死んでいるはずだ。
俺は沓掛城でまだ生かされているのか?
《アクティブモードを再開します》
脳内ディスプレイが通常の画面に切り替わった。
――ん?
気絶させられていたのが、どうやら意識を取り戻したらしい。
目を開けるとそこは薄暗い小屋の中だった。
米俵や薪などが積んである。
俺はそこの床で寝ていたようだ。
「目が覚めたか」
声をかけられて体を起こそうとしたら、上半身を縄でぐるぐる巻きにされていた。
俺は囚われの身ということらしい。
「無理に起きなくてもいいだろ。そのまま転がってろ」
藤吉郎だ。
甲冑を脱いだ着物姿だが、雨で濡れたのを着替えたのか、清洲の時よりこざっぱりした少し良質そうなのをまとっている。
「ここはどこだ?」
沓掛城だというのはステイタス画面で分かっていたけどたずねてみた。
「沓掛城の物置小屋だ。利家と酒井殿を呼んでくる」
耳を澄ましても音は聞こえないから、雨はやんだらしい。
梅雨時らしいじめっとした空気がほこりっぽい臭いと共に床にたまっていて、にじみ出る汗が不快だ。
――俺も着替えたいな。
縛られてるのに、思い浮かんだのはそんなことだった。
風呂も入ってないから髪の毛もゴワゴワだ。
令和ではそこまで清潔好きというわけでもなかったけど、戦国の衛生感覚というのはやはり俺には合いそうにない。
山もないし、温泉なんてこのあたりにはないんだろうな。
ふと、とりとめもないことを考えている自分に気づいて苦笑してしまう。
俺は捕らえられ縛られ殺されるかもしれないのに、清潔とか快適なんてことを気にしている場合じゃないだろうに。
ただ、現実感が欠けていて思考が広がっていかない。
令和の高校生にとって、こんな生命に関わる状況がかけ離れすぎているからだろうか、映画やドラマを見ているような感じで、自分が主人公という自覚がおこらないのも仕方がないのかもしれない。
ただ、そのおかげで、パニックにはならずに済んでいた。
少しして、周囲が騒がしくなってきた。
大勢の人の足音や、積み荷か何かを下ろす音が聞こえる。
小屋の扉が開いて藤吉郎と前田利家、それと酒井忠次が現れた。
「来い」
藤吉郎が乱暴に縄を引っ張り上げ俺を無理矢理立たせる。
おとなしく従うと、表に引き出され、城の館に連れていかれた。
城内の空き地には疲れ切った様子の雑兵たちがいた。
みなうつろな目で座り込み、手にした握り飯をかじっている。
「鳴海城から撤退した松平の兵だ」
藤吉郎の説明に、さっき脳内で見た中継の様子を思い出す。
「本多忠真の軍勢か」
「なぜおぬしがそれを知っているのかはさておき、その通りだ」
気絶していた俺が正確に情報をつかんでいることを怪しまれてしまったようだ。
建物で囲われた中庭に面して広い板張りの部屋があり、真ん中にぽつんと鎧姿の小男がいる。
映像で見た本多忠真だ。
ちらりと俺に目をやっただけで、うつむいてじっと板張りの模様を眺めている。
「殿を呼んで参る。ここで待たれよ」
酒井忠次が縁側へ出て奥へ向かうと、前田利家が俺の縄を解いてくれた。
「ありがとうございます」
礼を述べても利家は顔をそらして無言だった。
代わりに藤吉郎がつぶやく。
「やはりおぬしは今川の
「俺はスパイ……間者ではない」
「だが、今川に我らのことが筒抜けだったではないか。お館様は昨夜俺を呼び出して、『あの南蛮人を見張れ。怪しいと思えばすぐに殺せ』とおっしゃっていたのだ」
「俺は裏切ってなどいない。今川の軍勢が撤退したのは予想外だったが、織田方にマイナス……不利な結果ではなかっただろう」
「昨夜のうちに丹下砦を抜け出して、今川義元のいたこの沓掛城まで知らせに来ることは可能だった」
前田利家が口を挟む。
「俺は出口で休んでおったが、南蛮人の服装をした者は出てこなかったぞ」
「服を替えれば分かるまい」
「だが、夜中に二里も往復できるであろうか。この者は道も知らぬだろうし、そもそも、今川方が全軍を引き返す決断を下すほどこの者の言うことを信用するとは思えぬが」
「だからこそ、今川の間者という
「俺じゃない。清洲城で会ったデイブ・スミッシーが黒幕だ。桶狭間の神社であいつが馬に乗って東の方から来ただろう。あいつが今川に知らせたんだ」
「なるほど、南蛮人か。だが、あいつはお館様と取引をしている商人だぞ。裏切る意味がなかろう」
「今川とだって取引をしていたかもしれないだろ」
「必死よのう」と、藤吉郎がニヤける。「他人に罪をなすりつけて言い逃れをするつもりか。見苦しいぞ」
「じゃあ、なぜ生かしておく」
殺されたくはないが、中途半端な状態も気になる。
「そもそもおぬしをお館様に引き合わせたのはわしだからな。わしに裏切りの責めを負わせられたら困るのだ。おぬしを生かしたままお館様に差し出した方がわしの身の潔白も
出会ったときから寝取られロリ野郎の最低の男だと思っていたが、ここまでひどい計算をしているとは本当に動物園の猿を見ているようだった。
「おぬしらは織田方の者か」と、本多忠真が俺たちを睨んでいた。「拙者は松平家臣本多忠真と申す」
「ああ、わしは織田家中の木下藤吉郎だ」
「拙者は前田利家と申す」
「おぬしらの話を聞いたが、わしが聞いたのと同じようじゃな。昨夜のうちに義元公に織田の軍勢の動きを知らせた者がおって、早朝に沓掛城を去ったと大高城に知らせがあったそうだ。鳴海城の我らに知らせがもたらされたときは織田方に囲まれ孤立無援、もはや手の打ちようがなかった」
「その南蛮人は金髪であったか?」
藤吉郎の問いかけに忠真は無念そうに首を振るばかりだった。
「拙者は直接見てはおらぬゆえ、なんとも申し上げようがござらん」
「松平の御家中で、義元公のそばにいた者はいませんか」と俺は横からたずねた。
「我々は先鋒として大高城や鳴海城に入っていたので、昨夜は沓掛城に松平の者は一人もおらんかったであろうな」
――参ったな。
証人がいないんでは、説得しようがない。
藤吉郎が意味ありげに笑みを浮かべながらたずねた。
「本多殿は本多忠勝とはご親戚かな」
「おお、まさしく平八郎はわしの甥じゃ。兄の忠高が戦で討ち死にし、幼少の頃に引き取って育てたのがわしだ」
「その忠勝だが、桶狭間で討ち死にしたぞ」
「なんと……」
絶句した忠真に、藤吉郎がシャツを引っ張って俺を突き出した。
「殺したのはこいつだ」
「きさま!」と、刀に手をかけ立ち上がる。「大高城への兵糧入れで初陣を飾り、ようやく兄への恩返しができたかと喜んでおったのに。なんという……」
本多忠真は刀を抜かなかった。
怒りのやり場を見つけられずに拳を握りしめながら床に座り込むと、忠真はその拳を目にあてて人目もはばからず泣いていた。
「平八郎はわしのような飲んべえを諭すような賢い子じゃった。祖父も父も松平のために命を捧げたことを誇りに思い、後を継ぐのだと申しておったが、根が優しすぎたのであろうな。寝小便も最近までなおらんかったが、初陣が決まってからはぐっと男らしゅうなっておったのに」
俺にというよりはむしろ自分の喉に刀を突きつけたような思い詰めた表情のせいで、酒井忠次よりやや下の三十歳くらいなのに令和の六十過ぎに見える。
この時代の人間が生き急いでいるのか、令和が平和すぎるのか俺には分からない。
「わしはそなたを許したわけではないが、決して後ろから刺すような真似はせぬ」と、俺に顔を突き出す。「だがな、正面から刺されぬように気をつけられよ」
眉間に深いしわを寄せた鋭い目に見据えられて俺は返事ができなかった。
と、そこへ酒井忠次がもどってきた。
「若殿のお成りである、みなの者控えい」
「ははっ」と、本多忠真が平伏する。
織田方の二人と俺はあぐらをかいた格好で足音のする廊下の方を向いていた。
松平元康の金陀美具足を身につけた世良田村の作兵衛だ。
馬子にも衣装ということわざそのままだ。
顔を上げた忠真が呆然とした表情で黄金の甲冑を見つめている。
「これは、いったい……」
「本多殿、若殿である。帰還のご挨拶をなされよ」
「はあ」と、なおも首をかしげる。「して、若殿はどちらに」
「こちらにおわすではないか」
「酒井殿、これはどういうことでございますかな。若殿の甲冑をどこの馬の骨とも分からぬ者が身につけるなど、無礼にもほどがありますぞ」
「分からぬのはその方ぞ、本多殿。こちらにおわすのは紛れもなく若殿ではないか」
忠真の表情が再び引き締まる。
「なんと、平八のみならず、若殿まで討ち死になされたのか」
「めったなことを申すな」と、忠次が声を潜める。「討ち死になどと知られれば松平の家は断絶じゃ。我らの三河は今川に好きなように切り取られる。ここにおわすのが我らが松平の若殿なのだ」
膝をすりながら忠真が筆頭家老に詰め寄る。
「酒井殿、本気でござるか」
「もちろん、冗談でできる話ではない。殿の死を隠して乗り切るしかないのだ」
そして、俺たちの計画を説明した。
「今川と手を切り、松平家は織田と組む。忠真殿も、こたびの戦で今川が我らを見下しておることは痛感したであろう。若殿も人質以来これまで充分に苦労を耐え忍んでこられたのに、結果としてこのような仕打ち。もはや今川に義理立てする筋はござらぬ」
「わしもそのように思うて鳴海城を明け渡してきた」と、忠真が深くうなずく。「先鋒を仰せつかって命を投げ出しても、今川にとっては使い捨ての安い駒だったのであろうな」
深いため息と共に忠真は拳で床をたたきつけた。
「松平の御家のため、この忠真、すべてを飲み込みまする」
「うむ、それでこそ忠義。忠真殿の同意、この忠次ありがたく礼を申すぞ」
忠次は縁側の方へ顔を向け、控えていた従者に目で合図した。
縁側にこざっぱりとした着物を着た若者が現れる。
髪も結い直してすっかり武士の姿になった六太郎だ。
「本多殿、平八郎のことであるが、率直に申して、この者を跡継ぎとして迎え入れてもらいたいのだ」
「ううむ……」と、黙り込んだ忠真は腕を組み、しばらく考え込んでから偽の本多忠勝をにらみつけた。「その方、本当の名は何と申す」
「六太郎です」と、声を震わせながら元農民が廊下に手をつき頭を下げた。
「ふん」と、鼻を鳴らす。「平八に二つ足りぬは六太郎、か。二年もすればものになるかのう」
「おっ……叔父上、よろしくお願いいたします」
「その方に言っておく。決して命を粗末にするでないぞ。臆病者ほど虚勢を張る。前に出るだけが侍ではない。退くことを恥とせぬよう心せよ。良いな」
「はい、肝に銘じます」
神妙な六太郎の返事に忠真は口をゆがめて首を振った。
「この世に生まれ申したことがこれほど不憫なこととは思いもせなんだ。飲まずにはおられんわい」
酒井忠次が声を震わせながら頭を下げた。
「本多殿の心中、この忠次深くお察し申し上げる。だが、こらえてくだされ」
「ご心配めさるな。我が本多一族の忠義はつねに松平の御家と共にございまする」
言葉とは裏腹に奥歯を食いしばり、白くなるほど拳を握りしめている。
と、ここで脳内モニターに画面がポップアップした。
《戦国時代の武家では、血筋よりも家の存続という実質が重要視されたため、養子をもらい『他人』に家名を継がせることは普通のことでした。現代の価値観とは異なりますが、このようにして続いた武家の方がむしろ多いくらいです》
でも、これは養子縁組とは違うよな。
死んでしまった人間の偽物を用意して生きていることにする
だけど本多忠真としてはどんなに
こうなったのも俺の責任なんだろうか。
俺が史実を変えてしまったから本多忠勝は討ち死にしたんだろうか。
いや、俺はただ桶狭間に今川義元が来ると織田信長に教えただけだ。
それは史実と変わらない情報だ。
織田信長の家来が見つけて知らせ桶狭間で奇襲をしかけるか、それとも俺が予告したか、ただそれだけの違いだ。
問題なのは、そこにいたのが今川ではなく松平の軍勢だったという違いだ。
でもその原因はデイブの裏切りであって、俺の情報のせいではない。
――だよな。
あえて俺の責任と名乗り出る必要はないよな。
討ち取ったのが俺だという事実以上の二重の責任なんて取りようがないんだからな。
逆に俺だって、本多忠勝に討ち取られていたかもしれないんだ。
弱肉強食の戦国時代。
下克上の世。
俺じゃない誰かにやられていたかもしれないんだ。
卑怯かもしれないが、正直に申し出たところで得をすることもない。
この時代に合わせた行動と発言が正解としか言いようがないんだろう。
郷に入れば郷に従えだ。
「話はついたようだな」と、藤吉郎が口を挟んだ。「いつまでもしんみりしておらんで織田の本陣へ使いを出してくれ。松平元康が織田家と組むために会見を申し入れるとな」
「あい分かった」と、酒井忠次が立ち上がろうとしたところを、前田利家が呼び止めた。
「俺が書状を書くゆえ、それを御使者に持たせてくだされ」
藤吉郎が向き合う。
「又左よ、そなたはまだ帰参がかなったわけではないぞ」
「だが、サル、おまえは字が書けぬであろう」
「それはそうだが」
「影武者のことは伏せるが、俺の手柄を記して織田家に帰参できるようにしたいのだ」
「まあ良かろう。おぬし一人の問題ではないからな。まつ殿のことも考えんとな」
「恩に着るぞ、サルよ」
前田利家は紙と筆をもらって早速手紙を書き始めた。
昔の人の文字は読めないが、脳内に翻訳文が表示される。
自分の活躍により松平勢を味方に引き入れることに成功したと、かなり盛ってあるが、べつに構わないだろう。
と、また脳内モニターに新しいアラートが表示された。
《今川勢が岡崎城へ入りました》
あ、そうか。
沓掛城はまだ松平の領内ではないんだよな。
「今川勢が岡崎城へ入ったそうです。このまま駿河へ退去すると思いますか?」
俺の問いかけに藤吉郎が笑う。
「相変わらずおもしろいことを言う男だ。なぜ今川勢の状況が分かる」
説明しようがないから俺は無視して続けた。
「岡崎城で立て直して居座られたら、織田方についた松平は居場所を失いますよ。この計画は無駄になります」
「じゃあ、どうしたらいい」と、前田利家が筆を止めた。「おぬしが申していたように松平が総崩れと早馬は出したが、もともと数で勝る今川が引き返してきたら勝ち目はないな」
前田利家の冷静な分析に藤吉郎の表情も引き締まる。
「じゃあ、どうするというのだ、又左よ。ここにおる松平勢もせいぜい数百。またどこかで奇襲を仕掛けるか?」
俺は一つの考えを示した。
「今川はまだ松平が織田方につくと決めたことを知りません。岡崎城へ戻ってきたと見せかけて今川がおとなしく去ればそれで良しとする。今川が岡崎城を明け渡さない場合は偽計を使って追い出すというのはどうでしょうか」
「偽計とは?」
「織田方に沓掛城を奪われ、勢いに乗って岡崎城へ向かっていると嘘を伝えるのです。立て直す余裕を与える前に偽計を用いれば、今川も岡崎城に固執することはないでしょう」
「そううまくいくかのう」と、藤吉郎は腕を組んで首をひねったまま黙り込んだ。
「この計画にはもう一つ意味があります」
「それは?」と、前田利家が俺を見つめる。
「岡崎城にいる今川義元に、今川方に織田家の奇襲を密告した南蛮人が誰なのかを聞き出すことができます」
「つまり、おぬしの無実の罪を晴らせるというわけだな」
前田利家は大いにうなずいているが、藤吉郎は納得していないらしい。
「悪くない考えだが、わしらが今川義元と会見できるわけないであろう。わしらは織田家臣だ。松平勢と偽ったところで、お目通りのかなう身分ではないからな。本人の口から聞けないのならば、おぬしの身の証とはならぬぞ」
うう、それはそうだな。
前田利家も腕を組む。
「酒井殿の従者として控えているだけではだめか。控えの間まで会見の声が届けばいいだろう」
「まあたしかにそれでもいいかもしれないが、そもそも酒井殿がわしらを今川に突き出したら終わりだ」
『
――いや、岡崎は三河だろ。
俺のツッコミもどうでもいい。
「我らは『若殿』のご意向に従うまで。この期に及んで裏切りなどは考えてはおらぬ」
酒井忠次の言葉に、本多忠真は渋い表情で吐き捨てた。
「わしも恨みを持っていることは隠さぬが、裏切る気はない。御家のため、武士として誓う」
今は松平元康となった世良田村の作兵衛はおどおどしながらつぶやいた。
「おいらが偽物だと見抜かれたらどっちにしろ終わりだろ」
たしかに、今川の人間はみな元康の顔を知っている。
のこのこ岡崎へ行けば、すぐに影武者だとバレるだろう。
「とりあえず、『若殿は負傷して沓掛城にて治療中』と言い訳すれば使者だけでも疑われないだろうし、むしろ、大将が負傷するほどの総崩れと思わせることもできるかもしれないですね」
「よし」と、藤吉郎が俺たちを見回す。「わしが丹下砦のお館様に沓掛へのご出馬をお願いしに行く。ここで作兵衛は待て。酒井殿の付き添いでお館様との会見をおこなうこととしよう。又左とサカマキは本多殿の従者として岡崎へ行って、さっき申していたとおりの計略を実行して今川を追い出してくれ。南蛮人の件も又左が証人となればサカマキの無実も確かめられるであろうからな。それでどうだ?」
居合わせたみながうなずいた。
「又左、書状はできたか」
「はいよ」
「では、急がなければな。時間がたてばたつほど、今川をだませなくなる」
すぐさま立ち上がった藤吉郎に続いて俺たちも早速行動を開始した。
独(ひと)り六太郎だけが縁側に座ったままだ。
「おい、平八郎、何をしておる」と、忠真叔父が頭をはたく。「そちも我らについて参れ」
「えっ」と、見上げた六太郎の額をさらに拳で突く。
「ぼやぼやするでない。二つ足りぬなどとのんきなことは言っておれんぞ」
「いてててて」と、耳を引っ張られながら立ち上がって、六太郎忠勝も本多忠真についていった。
俺も前田利家と並んで歩きながら礼を言った。
「藤吉郎に口添えしてくださってありがとうございました」
「なに、いいってことよ」と、六尺の大男が笑顔を見せる。「お互い様だ。俺も織田家では厄介者扱いされておるからな」
沓掛城を出たのは夕方の六時だった。
すでに雨雲は流れ、夏至に近い時期の西日が差し込んで、東へ向かう俺たちの行く手を明るく照らしていた。
信長のアレを千回クリアした俺が戦国最強の軍師に転生したのに、いきなり桶狭間が消えてるんだが(ていうか、おまえら全員シナリオ無視すんな) 犬上義彦 @inukamiyoshihiko
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