3 初事務所は一人

 水面がムトや、他のスタッフの手を借りて武器の山を回収し終えた頃には、すでに窓の外は夕暮れの赤い光が差し込んできていた。

 集められた武器はすでに分類ごとにわけられ、ナンバリングが終わったものから運ばれていっていた。


「あれは落とし物係の範疇じゃないんですか?」

「ん? もちろんウチの管轄だよ。って言っても僕達が直接処理するわけじゃない。さっきも言った通り、回収班、交渉班、研究班、管理班」


 言われて水面が隣に立っていたスタッフの名札を見ると、回収班と書かれていることに気がついた。


「僕や、それこそ徒與くんはそれを統括する総務班で、キアラくんは管理と研究がメイン、みたいなね。彼らが落とし物用倉庫に一度保管して、だいたい全部ポータルの向こうの世界に戻るか、あるいはターミナルの所有物になる……かな」


 明日はそこの見学からしようか、とムトは水面に言いながら伸びをした。

 傷だらけだった床のタイルも、清掃班によってすでに八割ほどがきれいなものに取り替えられており、水面の、ひいては落とし物係の仕事はもう残っていなかった。


「さて、戻ろうか。そろそろ今日の終業時間だしね」

「あ、え……ほんとだ」


 水面が腕時計を見ると、すでに時刻は五時を回っていた。

 ムトはすでに現場から立ち去ろうとしており、水面はそれを追いかけるように走り出す。


「でも俺まだ全然ここの仕事内容を理解して……」

「あはは、徒與くんは真面目だねぇ。それくらい明日でもいいよ。そんなに難しいこともしないからね。さ、退勤処理をするために一度事務所に戻ろうか。ちゃんと自己紹介も出来てなかったし、それになにより、他のみんなも徒與くんに会いたいだろうしね」


 しばらく水面とムトはターミナル内を歩く。走ってしばらくかかった現場から歩いて帰ることもあってか、その移動時間は水面にとって少し長く感じられるものだった。

 水面はそんな中ですれ違う人々の物語を横目に眺めていく。

 途中のターミナル内の通路では、水面の横をすれ違うように人間ではない種族の子どもたちが走り抜けていく。思い出を歌うように走り抜けていく子どもたちを、周囲の人々たちが微笑ましく見ていた。

 暫く歩くと、見覚えのある扉が水面の視界に入ってきた。

 水面にとってはまだムトが居たことしか覚えていない事務所だ。


「ささ、入って入って。多分みんな驚くんじゃないかなぁ!」


 中の様子すら見たことがないそこを、水面はムトに急かされて開ける。すると中からクラッカーの音が一つ、さみしく鳴り響いた。


「おつかれ〜……ってあれ? 皆は?」


 クラッカーのリボンを巻き取りながらムトが聞くと、キアラは手元に残ったクラッカーのゴミをムトに押し付けてその場に置いていたカバンを手に取った。


「全員直帰っス。カリアだけ残ってカカリチョが指示した歓迎会の準備をしてくれたっスけどね。ってわけで私も帰るっス」


 キアラがそそくさと事務所を去り、水面とムト、そしてキアラの言ったカリアという女性だけが事務所に残った状態となった。

 事務所の奥で佇んでいたカリアはまるで宮廷から飛び出してきたかのような優雅な、それでいて心臓の音すら聞こえないであろうほどに静謐な姿をしている。


「うわぁ……」

「あ、そうだ。ようこそ徒與くん。ここが落とし物係の総合事務所、そして総務班の働く場所だよ」


 ムトはそう言いながら両手を広げた。

 声を漏らした水面は、その圧倒的な景色に見入って、それに返事をすることが出来なかった。

 窓のない事務所に設置された異世界の様子を映す窓枠の向こうでは刻々と情景が変わっていき、本棚には異世界語の書籍が並ぶ。その横に並べられたガラスケースでは、水面の理解には及ばないような物たちが淡く光を放っていた。


「これは……」

「それも落とし物。って言っても返すアテも見つからず、保管期限も過ぎちゃって廃棄する物の中からきれいで安全な物を見繕って並べてるだけなんだけどね」


 水面がそこを覗き込むと、置かれた物品たちも呼応するように淡く光る。

 誘発物ではないことはわかっていても、事故になるかもしれないと敢えて水面は右耳に触れなかったが、それでもここに居る物たちが不幸せであるようには感じられなかった。


「こうやって、見られたい物は出してるんですね」

「ふふ、水面くんにはそう見えるかい? 僕が選んだんだけど、そう言われるとなんだか面映ゆいね」


 立ち上がって振り返った水面は、ムトの背後、厳密には事務所の中央をみやる。

 そこではターミナルの見取り図が描かれたパネルが浮き、窓が存在しないようなターミナルの中であるはずであるにも関わらず、壁に設置された窓の外は見たこともない景色を映し出している。


(啖呵切ってしまった手前言い出せなかったんだけど、まだ覚えきれてないんだよなここの地図)


 水面がそんなことを思いながらマップを眺めていると、いつの間にかムトの横にはカリアが立っていた。


「お疲れ様です。ムト係長」


 カリアと呼ばれた女性が水面とムトの前にゆっくりと歩いてきて、一つ礼をした。

 その動作一つを見るだけで、水面はカリアの能力が高いことを悟った。それは、お辞儀という大きな動きに対して、全く空気が動かなかったことが要因だった。

 その服装はメイド服そのものであり、足首まで伸びているスカートと、そのスカートの裾と同じ位置まで伸びた濡羽烏色のつややかな髪が動作に合わせて美しく揺れている。

 貴族は生まれてから一度も髪を切らない、なんて世界は、どこの世界だったか。と水面はそれを眺めながら思い出していると、ふと視界に違和感を覚えた。

 完璧さとは裏腹に、そのスカートの裾の向こうにあった明らかに色の違う青と赤の靴下がやけに目立っていたのだ。


「徒與水面さん、ですよね。本日の配属表の中に記載がありました。カリア・マーガルストと申します」

「あ、よ、よろしくお願いします。特徴的な靴下ですね」

「靴下……? あッ!? 失礼いたしました。私としたことが」


 カリアはその顔の表情を一切崩さずに謝罪の言葉を述べる。


「いや! 自分はいいと思いますよ!」

「いえ、メイドたるもの、このようなミスは言語道断でございます。明日からはしっかりと気をつけさせていただきます」


 あまりにも機械、水面は冷徹に告げるカリアの言葉に水面はそんな判断を下してしまいそうになる。

 が、顔を上げたその向こうにずっと存在する異なる靴下の色が、カリアを人間たらしめているようにも見させていた。


「あー……ははは。まあ時間外労働だからしょうがないか。もっと早く戻ってくれば皆も居たかも知れないんだけどね……。あ、カリアくんも一緒に……」

「G39地区のポータル発生事案に関しては、完了の報告が上がっております。終業時刻に間に合わないことをこちらで勝手に判断させていただきましたので、ムト係長と徒與様の二名分、アルガムトの逆鱗肉を使ったレアステーキと、徒與様のお口に合うようにと味噌汁、プリンを用意させていただいております」


 カリアはデスクの上に並んだレアステーキと味噌汁、そしてプリンを指差した。


「それでは、私はヴィル様のご夕食の準備がございますので、失礼いたします」

「あ、ははは。わかったよ。また明日、ヴィルくんにも水面くんのこと、できれば軽く紹介しておいてね」

「承知いたしました」


 ムトの言葉にカリアは一礼をすると、足音もなく事務所を去っていった。

 その所作は足が動いているにも関わらず上半身が全くブレない。

 しかし、そんなきれいな足取りとは裏腹に、靴下と同じようにエプロンの紐も左右の柄が異なっていた。


「いや、それはなんかもう間違いとかじゃなくてわざとだろ」

「ははは、おしゃれなのかもしれないよ。おじさんにはわからないけど」

「それにしても、あんなすごいメイドさんも落とし物係なんですね」


 なぜ彼女のような人物が落とし物係にいるのだろうか。水面はふと疑問に思ったことを口に出してしまった。

 メイドとは、主人の世話が第一である、と水面は勝手に思っている。

 だが、ヴィルという人物がどのような人物かはわからないが、一人メイドが欠けたところで問題もない人物なのだろう。


「そうだねぇ。でもああ見えてもすごく強くて、それでヴィルくんの身の回りの警護をしてる……みたいな感じなんだよ。それに、水面くんみたいに物のことがわかるんだよ。カリアくんは物の”存在意義”なんて言ってたっけかな。物に宿る意味を彼女は……」

「あ、確かに。ムトさん、ここが俺のデスクですよね」


 疑問が掻き消えるほどに、水面は自分のために用意されたデスクをすぐに見分けられたことに驚いていた。

 シンプルながら、水面が普段使っているボールペンや使いやすい場所に整頓された文具類などが、まるで水面の生活を知っていたように並べられている。


「お、わかっちゃったか。カリアくんはそういうの上手いからなぁ」

「じゃあ、言ってたヴィルって人が……」

「そう、ウチのもう一人だね。ま、僕が紹介するよりも本人に会って自己紹介してもらったほうが早いと思うから、これくらいにして」


 ムトはまるで予測していたように腹の虫を鳴らすと、事務椅子に座った。その大きな尻に、椅子が壊れないか水面は見ていて少し心配になる。


「さて、なんだかどこの国の料理なのかわかんないけれど、水面くん、もし、本当にもしこれから暇で、お給料も出ないけれど僕みたいなおじさんと一緒にご飯を食べることを時間外労働だと思わないのであれば、一緒に晩御飯でもどうかな? 二人だけの早い歓迎会ってことで」

「良いですよ。でも、なんか恥ずかしいですけどね」

「ははは、僕もだよ」


 ムトの言葉に、水面は首を縦に振る。ムトはその行動一つが嬉しいのか黒い爪で頬を掻きながら、事務椅子を水面に一つ渡した。

 渡された椅子に水面は座り、目の前に並んだ料理に手を付ける。


「おいし……」

「カリアくんの料理は美味しいよねぇ。いつ食べても脳内に音楽が響いてくるみたいで」


 太い指で丁寧に箸を持つムトは頬に手を当てながら目を細める。

 水面は箸を止めて、ムトをみやる。確かに、ジャンルの違うそれぞれではあるが、調和の取れたハーモニーを奏でているようだ。

 物の存在意義がわかるからこそ、それを従前に発揮して作る料理はバラバラでも調和が取れる。


「……」


 だが、そのムトの行動とは逆に、水面の手は少しずつゆっくりになっていった。


「ん? どうしたんだい?」

「あの、ムトさんもカリアさんもキアラさんも、みんな俺の、この能力のこと本当に気にしてないんですか」


 水面の背に冷たい汗が流れ落ちる。聞かなければならないが、聞いてしまってはあとには引けない。

 だが、突然の質問にムトは箸を口に含んだまま少し停止して、そしてぷっと吹き出した。


「ははは! そんなことか」


 ムトはゆっくりと箸を置くと、水面の頭に手をおいた。


「辛かっただろうね。でも、ここは異世界ターミナル。君みたいな人のほうが常識の世界だ。それに、ここの仕事は”物の声を聞く”ことじゃない。その能力を使っても使わなくてもいいんだ。僕が本当に君に求めているのは、利用している人に、あるいはポータルの向こうの世界に物を、そしてその”想い”を届ける仕事ができるかどうか、だよ」


 水面の心の中に、その言葉がゆっくりと染み込んでいく。温かな気持ちは緊張して段々と狭まっていった水面の空腹の感情を、再度復活させていった。

 その水面の感情を世界が祝福するかのように、事務所の扉の向こうにある窓からは沈む直前の夕日が水面を赤く染める。事務所の中にあるものが、そしてまだ見ない異世界からの落とし物が、あるいはターミナルの中での落とし物が、それぞれに物語があることを静かに響かせ、オーケストラのように世界という音楽を奏でている。

 水面の初出勤日は、想定していたものよりも暖かく、そして全貌が見えない氷山の一角を掴むようにして、終わっていくのだった。

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はい!こちら異世界ターミナルなんでも課落とし物係 青月 巓(あおつき てん) @aotuki-ten

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