時は流れ、想いは紡がれる

佐古橋トーラ

時は流れ、想いは紡がれる

 未来と過去。


 それは、誰しもが平等与えられていて、誰しもがその流れの中を泳げる大海だ。本物の海よりもずっと広い。地球の外でも、人間じゃなくても、誰だって未来と過去を持っている。

 そんな大きな青の中にいたちっぽけな一匹の魚、それが私であり、私だったものだ。

 あまりにもちっぽけなヒレで泳ぎ続けた私のことを、誰か理解してくれるだろうか。

 してくれるとしたら、海だけだろうな。



 私には一人の幼馴染がいた。

 と言っても、親友かどうかと言われるとかなり微妙な存在だ。少なくとも魂を繋ぎ止めた大親友だとは言えないことは確かなくらい。


 友達ではあった。


 でも、程よい距離感というか、人によっては物足りないと感じるくらいの間柄だったと思う。



 八谷きずなという名前だった彼女と初めて出会ったのは保育園だった。


「ねえねえ。なんでいつもはじっこにいるの?」


 わたしは後ろ向きで木しか立っていないところを見つめる女の子に声をかけてみた。

 理由は特にないけど、なんとなく気になった。気になることがあったら聞いてみるのが一番早いっておかあさんが言ってたし。

 みんながあそんでいる時間なのに、ひとりで木とにらめっこしてなにが楽しいのかな?

 保育園はすごく広いし、遊べる場所はたくさんあるのに、この子はいつもここにいる気がする。わたしの気のせいかな。


「…べつに。やることないから。」


 こっちに振り向いた女の子は、それはそれはお姫様みたいに綺麗な子だった。おかあさんはよくわたしのことをかわいいって褒めてくれるけど、こっちの子の方がかわいいじゃないか、と文句を言いたくなったくらいだ。


「みんなとあそばないの?」

「つまんない。」

「じゃあわたしとあそぼうよ。」

「つまんない。」

「つまんないとはかぎらない。」

「かぎる。」

「かぎらない。」

「かぎる。」


 気難しい子のようだ。

 でもひとりぼっちはさびしいっておかあさんもいってたし、ひとりよりふたりだ。


「おえかきする?」

「しない。」

「かけっこする?」

「しない。」

「じゃあなにする?」

「なにもしない。」


 むむ。

 これはなかなかやっかいな。


 そんなこんなしているうちに、保育園の上には大きな雨雲が出来上がっていた。

 そして、なんの遠慮もなく分厚い雨の粒が落下してくる。


「みんなー。雨が降ってきたから戻ってきてー。」


 せんせいが大きな声で呼んでいる。

 雨が降ってきたら外での遊びは中止になってしまうのだ。


「もどろっか。」

「……うん。」


 拒否しようがないことだったんだろうけど、わたしの言葉に頷いてくれたのが気持ちを高鳴らせた。

 おとなしくて、わたしと遊んでくれないその女の子のことを初めて認識したのはこの日だった。



 次の日も、その次の日も、わたしはその女の子のところへ行った。最初はずっと嫌がっていた女の子だったけど、ずっと一緒にいたおかげか少しずつわたしと話してくれるようになった。


「きょうはなにするの?」

「えかきしりとり!」

「なにそれ。」

「えにかいたものでしりとりするの。わたしがこうやってりんごをかいたら、つぎはきずなちゃんが『ご』からはじまるものをかく。」

「それ、みかんじゃない?」

「りんご!」


 この子の名前はきずなというらしい。

 きずなちゃんか。

 ひらがなのなまえ、いいなぁ。名字もそんなに難しくないから、わたしでも書ける。


 わたしときずなちゃんは、一ヶ月くらいで仲良くなった。

 ひとりぼっちがふたりぼっちになっただけだけど、それでもすごく嬉しかった。

 きずなちゃんはすごく大人しい人だけど、逆に言えば一度懐に入り込めたらこっちのものだ。家に遊びにいくほどじゃないけど、保育園に着いたら自然といつも一緒にいる。


「これ、なに?」

「イタチ。」

「わかんないや。」

「からだがながいちいさいどうぶつ。」

「へぇ〜。」


 きずなちゃんは物知りだ。わたしが知らないことをいつも教えてくれる。それに、教えてくれる時の自慢げな顔がすごく面白い。

 こうやって二人で端っこで遊ぶのがわたしたちの日課だった。


 そんな物知りなきずなちゃんには、とある口癖があった。


「みらいにぜったいはないけど、かこにはぜったいしかない。」


 そんなちょっと長い言葉を、ことあるごとにわたしに言った。


「どういういみ?」

「かこはかえられないけど、みらいはかえられるってこと、らしい。」

「どういういみ?」


 その言葉の意味をわたしはよく分からない。未来とか過去とかの単語はなんとなく分かるけど、「ぜったい」が無いってどういう事だろうか。

 わたしは明日も明後日もぜったいきずなちゃんと一緒にいるけど、それは未来のぜったいではないのだろうか。

 きずなちゃんもイマイチよく分かってないらしく、言葉の響きが気に入っているのかいつも声に出していたけど、意味を教えてくれる時はちょっと自信なさげだった。 


「ひいおばあちゃんのノートにかかれてた。」

「ひいおばあちゃんのノート?」

「うん。すごくふるいノート。たぶん、じかんをたいせつにしようっていみだとおもう。」


 きずなちゃんの言葉はひいおばあちゃんから来ていたものだったのか。なんかいいな、そういうの。私なんかおばあちゃんとも会ったことないのに。


「そういうことなら、もっとあそぼう。」

「うむ。」


 でもわたしにはお母さんと友達ときずなちゃんがいる。

 だからそれでじゅーぶん。


「きょうはあっちのはじっこにいこうよ。」

「…いどうするの?」

「うん。あたらしいばしょにいかないと、みらいはやってこないかもしれないからね。」


 そう言ってわたしは手を取って園庭の端っこから反対側の端っこまで歩くのだった。

 手を繋いでる時のきずなちゃんは、見た目とは裏腹にすごく手のひらが熱い。冷たいわたしの手と合わせるとフライパンの上みたいだ。

 でもはなさない。

 ともだちだもんね。

 未来とか過去とか分からない言葉のことを気にしていても仕方がない。きっときずなちゃんの言葉は大人になったらわかるのだろう。



 わたし、鶴峰つるみね侑梨雅ゆりかは小学生になった。


 いろんなことがあったけど、なんだかんだいつの間にか時間は過ぎて、保育園にいたのが遠い昔のようだ。

 実際は大した時間でもないが、小学校というのは忙しいところだ。宿題があって、部活があって、授業も長くて。

 だから、一日一日の生活の記憶がすぐに抜け落ちていく。今日の思い出が増えるたび、古い思い出は消えていってしまうのだ。

 だから、保育園にいたときのことはそんなにたくさんは覚えていない。

 もちろん、友達と一緒にいた時間のことはちゃんと覚えている。きずなちゃんは今だってわたしの友達だ。


 でも、会える時間は減った。

 保育園にいた頃はいつも一緒にいたけど、小学校に入ったら基本的にクラス内で行動するようになったのだ。

 クラスは三クラスで、運悪くも三年連続できずなちゃんとは別のクラスだった。

 特段仲良くしている子たちは、クラスが別々になっても昼休みや休み時間に互いに教室を行き来していたけど、わたしたちはそんな感じでもない。


 なんでだろう?


 きずなちゃんは確かに友達なのに、いつの間にか距離が生まれてしまったような気がする。

 クラスが一緒にならないから仕方がないと言われればそれまでだけど、わたしとしては親友に会うために他のクラスからこちらのクラスに来ている子を見るたびになんだかもやもやする羽目になるのだ。


 その答えを見つけ出せないまま、わたしの日々は過ぎていく。



 小学六年生になった私は、特に不自由ない暮らしを繰り返していた。

 いつも通り学校に行って、いつも通り帰ってくる。だるい気持ちを抑えながら宿題に取り組み、たまには友達とも遊びに行く。不満も不安もないけど、特に夢を持っているわけでもない。

 まあそこらへんの子供そのものだ。

 そんな生活の中で、ある日、なんとなく頭に思い浮かんだセリフがあった。


「未来には絶対はないけど、過去には絶対しかない…。」


 ふとその言葉を思い出して口にした。

 きずなちゃんがいつも呟いていた。

 きずなちゃんとは相変わらずの関係で、もはや関係なんてないと言った方が正しい。

 いつも、見かけるたびに一人ぼっちだったから、周りからはそもそも存在すら無いものとして扱われているのかもしれない。

 しかし、私の中できずなちゃんに対する気持ちは減ってはいなかった。

 もう何年も話してないし、お互いどんな会話をすればいいかもよく分からないが、私にとってきずなちゃんは何かが特別だった。

 保育園が一緒だったというだけではない、何かが。

 そして、その特別を自分自身に理解させるかのように、勝手に口からきずなちゃんの口癖が飛び出してくるのだ。まるでインコだ。 


 なんとなくだけど、この時の私でもこの言葉の意味を理解できた。

 いつからか、私が呟く独り言は、ほとんどこのセリフだけになっていっていた。

『未来には絶対はないけど、過去には絶対しかない』

 そして、その言葉が何年もなんとなく燻っていた私の背中を押した。



「久しぶり、きずなちゃん。」

 とある日の学校の帰り道、私は赤いランドセルを背負って一人で下校している少女に声をかけた。もちろん、今名前を呼んだように、その少女とはきずなちゃんのことだ。


「えっ………。あ、うん。」


 肩の下あたりにまで髪を伸ばし、おしゃれとは言えなくてもかなり整った顔立ちが印象的な彼女は、初め何が起こったのか分からないように目を丸くしたが、慌てて絞り出すように反応を見せた。

 何年も話してなかった相手がいきなり後ろから語りかけてきたんだ、動揺するのは無理ないか。


「いっしょに帰ってもいいかな?」

「………うん。」


 なんとなく違和感のように付きまとう、きずなちゃんに対する『特別』。その正体を知りたかった。そして、それを知るには自分から行動するしかないのだ。未来にはいくらでも可能性が転がっているのだから。

 明日きずなちゃんに話しかけることで何かが変わるかもしれない。でも、昨日きずなちゃんに話しかけなかったという事実はどう頑張っても消えない。


 だから、行動するのはいつだって先へ向けた一歩だ。

 きずなちゃんの言葉からそんな解釈をした私は、思い切って彼女に話しかけた。


 結果から見るなら、その選択は成功だった。

 私たちは、今までの数年間が存在していなかったかのように仲を復調させた。

 きずなちゃんの方がどう考えていたのかは分からないけど、自然と私たちは一緒にいるようになった。あのとき、幼稚園でそうだったように。


「もしかしたら、私たちって運命の赤い糸で繋がれてるのかもね。」

「なにそれ?」

「いや。こうやって、何年越しかに仲良くなるってあんまりなくない?」

「……まあ、色々相性とかあるのかもね。」


 なんて言いつつ、満更でもなさそうなきずなちゃんを眺めていると、なんだかこっちまで嬉しくなれた。



 中学三年生になった。


 特に私立中学受験などのイベントがあったわけでもないので、私たちは共に近所の公立中学に進学した。


「きずな。結局、高校どこにするの?」


 私の隣の席で頬杖をついて考え事をしているのは、友達であるきずなだ。

 もう受験間近だっていうのに、未だに志望校を決めてないとは、他人事ながら危機感がなさすぎなんじゃないかと思う。

 そうそう、私たちは、小学生の頃一度も同じクラスにならなかったことが一気に収束したのか、三年連続で同じクラスだった。しかも、今は席も隣だ。


「侑梨雅とおんなじところにしよっかな。」

「そんな理由で決めちゃっていいの?人生の分岐点なのに。」

「大袈裟だよ。」


 まったく。きずなは相変わらず物事に興味がないから困る。ま、適当とはいえ同じ高校に行きたいっていうのは私も同意だけど。


 きずなと私は、ごく普通の友達同士だ。

 こうやって、環境的に近くにいればずっと一緒にいる。でも、休日に遊びに行くほどじゃないし、席替えしたらこんなに多く話すこともないだろう。


 離れ離れになってもたぶん悲しまないし、そのまま一生会わなかったとしても不思議だとは思わない、そんな関係。



「そうだ。今更だけどあの口ぐせ、無くなったよね。」

「なんのこと?」

「未来に絶対はないけど、過去には絶対しかないって言葉。」


 そういえば、小学六年生の時に関係を戻してから、きずなの口からその言葉を聞いたことは一度もない。

 私の方はなぜかいつまでもそのセリフが頭の片隅に残っているけど、きずなは忘れてしまったのだろうか。

 というか、なんで私の頭の中にその言葉が残り続けているのかがよく分からない。よくよく考えたら当たり前の事実を述べただけの言葉なのに。


「ああ、あれね。」


 私の質問の意味を理解したきずなは、あまり肯定的ではない表情で向き直る。


「なんか、よく分かんなくなっちゃって。」

「というと?」

「ひいおばあちゃん、あ、3年ぐらい前に亡くなっちゃったんだけどね。死んじゃうちょっと前に、この言葉について教えてくれたんだ。でもその時、『昔はそう思って生きてきたけどね。でも、歳とってそれは間違いだって気づいたんだよ。現実はそんなに現実的じゃないってね』って。」

「………?」


 現実はそんなに現実的じゃない?

 過去は変えられないけど未来は変えられるって意味じゃなかったのかな。


「よく分かんないね。」

「でしょ?てっきり正しい言葉だと思って使ってたのに、間違いだったって言われちゃったから……」

「だから使わなくなった?」

「というかその意味が分かるまでは封印することにした。ひいおばあちゃんは死んじゃったけど、私にとって大切な言葉であることには違いないから、理解できるまで考えることにする。」


 いつものことだけど、妙なところにこだわる子だ。いや、この言葉にこだわり続けているのは私も同じことか。保育園の頃にきずなから聞かされただけの言葉をいつまでも思い出しているのだから。

 それにしても、きずなのひいおばあちゃんは、どうして『あの言葉は間違っていた』なんて言ったのだろうか。

 普通に私も正しいと思ってたんだけどな。

 事実、未来は変えられるし、過去は変えられないだろうに。

 結局、その話題は私の片隅にやはり気掛かりなできものを残して過ぎていった。しばしば取り除こうと思案したこともあったが、やはり違和感は消えなかった。




 私は32歳になった。


 高校三年間はあっという間に過ぎ去った。

 楽しいことや苦しい受験期を乗り越えてきたが、その間、相変わらず私ときずなの関係は変わらなかった。

 お互いになんとなく登校時と下校時は一緒だけど、自分たちから無理に接近したりはしない。

 自然と近づいたら会話をする、ありふれた友達関係だ。でも、この関係を幼稚園時代から継続している人はなかなかいないと思う。大抵は、疎遠になるか親友になるかの二択だろう。


 そんな私たちだったが、大学に入学するのと同時についに離れ離れになった。

 高校までと違い、全国に無数にある大学で同じになるという可能性は限りなく低い。

 私は少し離れた都心部の公立大学に、きずなは近所の私立大学に行ったようだった。

 当然連絡先は交換しているが、私たちがそれを利用することは滅多にない。というより、高校卒業以降、ついぞ連絡を交わすことはなかった。

 そういう関係なのだ、私たちは。

 もうお互いの動向なんてまったく知らない。

 偶然街でばったり出会ったらきっと話をするだろうが、そんな奇跡が訪れることもなかった。



 私はといえば、大学卒業後インテリア業界に入り、今年でもう10年目だ。

 仕事に関してはそんなに文句もないけど特質して良いと思うこともない。まあ、それなりの大学を出ただけのことはあり、全体的な待遇はそこそこ恵まれている方ではあると感じる。会社の同僚や上司とは良好な関係だし、後輩からはちょっと怖がられてはいるけど全然悪い関係ではない。

 一応言っておくけど別にパワハラとかしているわけじゃないからね。でもなんとなく私には怖い雰囲気があるとかなんとかと同僚が言っていた。仕事バリバリの私的人間関係ポイ捨て人間だと思われているらしい。

 私ってそんなに怖いかな?と思うけど、周りから見た評価なんて気にしても仕方ない。

 


「センパイ、この間の話ホントですかぁ?」


 そんな私に話しかけてくる数少ない後輩の声が一つ。

 ニコニコしながら後ろで腕を組んで顔を覗かせている女は、私の直接の後輩だ。新卒でまだ22歳のくせに、やけに堂々と先輩に踏み込んでくる奴で、同年代や上司からは結構嫌われているらしい。

 だが、当の本人はその能天気そうな触れ合い方に反して仕事面では非常に優秀であるため、周りもいちいち指摘しにくい状況にある。

 空気が読めない有能というやつだ。

 まあ、私はこいつがどんな人間でもどうでもいいし、ビジネス的に関わることには好意も嫌悪もない。

 が、こうやって昼休みにも話しかけられると流石に面倒だと思わざるを得ない。


「あ?この前の話って?」

「ほら、もう時期自立して起業するって話ですよ。」

「………なんでそれ知ってんだよ。」


 どこで聞き出してきたのか知らないが、最近になって起業したいと考えて始めているのは事実だ。


 あ、ちなみにこいつ以外の後輩にはちゃんと丁寧に敬語も使っているので悪しからず。 


「でもセンパイって普通に出世ルート爆進してますよね?わざわざ自分で作んなくても、いずれ部長ですよ。」

「いいだろ別に。こっちの事情なんだから。」

「なるほど、部長程度じゃ満足できない感じですかー。…じゃあ、もしセンパイが起業するなら、わたしも連れてってくださいよ。」


 あー、また後輩が意味わかんないこと言い出した。お前こそわざわざ新卒でこの会社に入ったんじゃないのか。


「ああ?何言ってんだ。」

「ほら。秘書が必要でしょう社長には。わたしも役に立つと思いますよー。」

「はいはい。気が向いたらね。」


 こんな感じで、私の周りは仕事だけではなく、自分の将来のことやよくわからん後輩の言葉に耳を貸すことで忙しい。


 昔を振り返ってあのクラスメイトがなんの仕事してるとか、あの部活の先輩が誰と結婚したとかいうのは耳に挟んだとしてもすぐに忘れる他ない。

 でも、やはり彼女の、きずなのことは私のどこかに消えない残り香を醸し出していた。

 時々、本当に時々、あの子は今何をやっているのだろうか、ということを考えてしまう。もう何年も顔すら合わせていないのに。

 そして、あの言葉も、ふとしたときに思い出す。

 私にはまだその意味がよく分からない。

 若い頃のきずなの曾祖母は、何を思ってあの言葉をノートに記したのだろうか。そして、歳をとってその言葉の意味を訂正したのは何故なんだろうか。

 きずなは、その答えに辿り着けたのだろうか。 

 なんでもないような思い出の一場面が、仕事一筋で私用なんて気にしていられない私の中で渦巻いていた。 

 それは普段はほとんど目立たないけど、確かに中心部分にあったのだ。




 60歳になった。


 ついに私はその答えを見つけた。

 幼稚園時代からも含めれば半世紀弱だ。

 それだけの期間を費やして、その言葉の意味を理解した。いや、理解させられた。


「社長〜。上半期の決算見ました?」


 ノックもせずに部屋に入ってきたのは、この会社の副社長である元後輩だ。

 もうこいつも十分老け始めているくせに、そのふざけ倒した話し方のスタンスを変えないとはな。まあ30年近く付き合ってきたんだし、今更文句なんて言わないけどさ。


「見てないわけないだろ。」

「ですよねぇ。頑張ったんですよ、わたし。」

「頑張ったのは社員たちだろ。」

「ならわたしもそれに含まれますね。」

「私もな。」

「そりゃもちろん。社長がきっかけとなったこの会社がいまや上場ですからね。」


 大体25年前、私は会社を辞めて起業した。今隣にいるあんぽんたんを連れて。当たり前だけど引き抜きとかじゃない。勝手に着いてきた。安定した職場だったのに、わざわざリスクを冒して新興企業に来るとは、やはりこいつの考えてることはわからない。まあ、結果的にはそのおかげで今のポジションがあるわけだけど。


 もともと持っていたノウハウと後輩の手助けもあり、会社はかなり順調に成長していった。去年からは株式を上場している。

 ゼロから始めた企業としては十分過ぎるほどの飛躍だ。

 気がついた時にはもう歳も歳だけど、少なくとも私は後悔なんて微塵もしていない。 


 それに、仕事以外で唯一知りたかったことも、つい最近になって分かったような気がするのだ。


花寄はなよせ。」


 私は後輩の名前を呼ぶ。


「なんです?」

「『未来に絶対はないけど、過去には絶対しかない』この言葉の意味、分かるか?」


 意味もなく質問した。本当に意味はない。

 こちらの質問に、後輩は少し考えるようなそぶりを見せた後、口を開いた。


「うーん。未来は何があるか誰にもわからないけど、過去はタイムマシンでもない限り覆すことはできない、って感じですかね?」

「………そうか。」

「なんなんです?いったい。」


 曖昧な反応に、後輩は若干不満そうに聞き返す。


「いや、お前の考え方が小学生の時の私と同じで良かったよ。」

「意味分かんないです。」

「分かんなくてもいいよ。いつか分かる時がくるかもしれない。」

「哲学ですか?もうセンパイもおばあちゃんなんですから余計な知識蓄えすぎると脳がバグりますよ。」


 余計なお世話だよ。

 その言葉のあとも、後輩はぐちぐちと文句を言っていたが、そこは全部無視した。

 説明したら分かることだし、わざわざ勿体ぶることでもないのだが、でも何十年も考えてきたことだ。だから、この答えは心の中にとどめておこう。


 ふと、窓の外を見た。

 私の会社のビルもデカくなったもんだ。

 下の道を歩く人が小さく見える。

 そこに、私と同い年くらいの女性二人が並んで歩いていた。仲良さげに隣歩いて、もういい歳なのに若い恋人のようだ。


 あの二人のことを、私は知らない。

 そして、一生をかけてもたぶん理解することはできない。


 何故なら、私は彼女たちが紡いできた時間の流れを知らないから。どう頑張っても、本当の意味の理解なんてできないから。


 もし過去の事象を見ることができたとして、私が『良い』と思った彼女たちの思い出も、あの人たちにとっては『悪い』かもしれないのだ。全部見透かすなんて無理な話。

 なんなら、過去の私が『普通』と思っていて、今の私が『優秀』と思ったことも、数年後の私は『無能』と答えるかもしれない。自分のことだって分かりはしない。


 客観的な事実は変わらなくても、本質的な真実は、変わるかもしれないのだ。

 歳をとって、そんなことを時々思うようになった。


 簡単な話だったんだ。

 誰か説明しようとしても、頭で理解させることは容易いだろう。

 でも、それを心情で実感できたのはつい最近になってからだ。


 当の昔に萎れた花が再び色づくという、考えもしなかった奇跡が起こりうるのだ。いや、実際に何度も起こった。それが答えだ。



 そして思う。


 あの子は、どんな結論を出したのだろうか。

 いつの間にか連絡先を変えて、もはや出会うことすら不可能となった私の親友﹅﹅は、人生の中で、何を見て、何を考えたのだろうか

 この言葉の意味をあの子なりに突き止めて、そして、また誰かに受け継がせていくのだろうか。幼い私にそうしたように。


 そんなこと、私には分からない。

 でも、未来にも過去にも絶対はないのだ。だから、それが分かる日もいつか来るのかもしれない。


 もう一度外を見ると、既に先ほど見かけた二人の女性はいなくなった後だった。

 

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時は流れ、想いは紡がれる 佐古橋トーラ @sakohashitora

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