今日
こうして、ぼくは、嵌められた。その結果として、こうして、バイクを走らせているのだ。
住宅街を抜けて、ビルが点々と建つ町へと出た。住宅街と同様に、灯りの付いている建物は、二十四時間営業のコンビニやらレストランやらを除いては、見当たらなかった。
しばらく、バイクを走らせていくうちに、道路沿いに建てられたビルの数が増え、その大きさも大きくなっていっていた。おそらく、と思う。目的の場所が近付いているのであろう、と。
ぼくは、そのビル群の中でも一際目を引くビルの前に並ぶコインロッカーの列の前に停車した。ここが目的地である。ぼくは、ヘルメットを脱ぎ、スマホをズボンのポケットから取り出した。液晶画面は、現在の時刻が午前の二時であると示している。ぼくはスマホのロックを解除し、通話アプリを起動した。そして、風越さんに、電話をかける。ワイアレスイヤフォンを接続する。右耳だけに、イヤフォンをはめる。この行為に及ぶ前に、風越さんから、
「コインロッカーについてからの行動は、私に電話してね。行動のモニタリングと、指示をキミに伝えたいから」
と、言われていたのだ。
コールが五回も鳴らないうちに、彼女は電話に応じた。真夜中であるというのに、電話に応じる彼女に関心する。風越さんは、昼間と変わらぬ声で話し始めた。
「着きましたよ」
〈えらいわね。よくできました〉
おちょくるような口調を無視して、ぼくは訊く。
「で、どのロッカーなんです?」
〈えっとねぇ〉と風越さん。〈一番右端の真ん中の段のロッカー。621番ね。開錠パスコードは777だって〉
ぼくは、なんと縁起のいい数字なんでしょう、と漏らしながら、右端中段のロッカーに目を走らせる。621番ロッカーはすぐに見つかった。三桁ダイヤルを777に合わせていく。
〈あ〉と、風越さんが言った。〈ロッカーに紙袋があると思うけれど、その中身は自由に使っていいよ、ってさ、言ってたよ〉
そうですか、とぼくがいった時に、ロッカーから、かちん、と聞こえた。開錠できたのだ。ぼくは、ロッカーを開け放ち、目的のリュックサックを手に取る。ジッパーの部分に細工がなされており、簡単には開くことができない様になっていた。差し詰め、何某かの後ろめたい物品が入っているのであろう。その何某かの物品の正体は、容易に想像がつく。
ぼくは、ずっしりと思いそれを背負った。そして、リュックサックと一緒に入っていた紙袋を取り出す。見た感じは、そこら辺にあるようなブティックでもらえる紙袋と一緒だ。ぼくは、中身を見てみた。
うわ! と思わず漏らしてしまった。どうしたの、と電話越しに風越さんが聞いてくる。なんともありません、と返す。そのぼくの声は震えていた。
ぼくの目に映っているのは、真っ黒な物体だった。メタル製なのか、ほのかに光沢を放っている。拳銃だ。弾がいっぱいに込められた予備の弾倉が脇に二つ見えた。拳銃の先端に、筒のようなものが付いていた。消音器──サプレッサー、だっけ──という単語が思い浮かんだ。だいぶ昔に、銃器マニアの友人に教えてもらったのだ。それらが入った紙袋は、ずっしりと重く、今背負っているリュックよりも重く感じられた。これが命の重さなのだ。
ぼくは紙袋を持ち、ぼくは再びバイクに跨った。ヘルメットを被る。
「二つとも回収しましたよ」ぼくは、バイクのエンジンをスタートさせながら、ぶっきらぼうに言った。「次は、どうすればいいんですか」
〈そこから三キロくらい離れたところに、もう一つ駅があるはず。そこで合流しましょう〉
ぼくは、了解です、と言いながら、アクセルを捻った。バイクは排気音を轟かせながら、走り出した。
進む道は、直線的であった。ほぼ線路沿いに進むだけであった故である。おかげで、スピードも出しやすく、思ったよりも、早く物事を完了できそうであった。風が心地よい。疎に輝く街頭の光が、視界の端へと過ぎ去っていく光景は、その刹那の場面を切り抜けば、立派な絵画になり得そうなものであった。
後ろから響いた乾いた音に気づいたのは、その時であった。その音が聞こえたと同時に、ぼくは、バイクの右側面より数十センチ離れた、コンクリートの地面が抉られるのを見た。
再び、ぱん、と乾いた音が響く。今度は、ぼくから見て左斜め前に着弾した。
銃撃。直撃。痛み。血。そして、死。そんな単語が思い浮かんだ。ぼくの体から、血の気が引いていくのがわかった。
〈今の何?〉銃声を聞いたのは、ぼくだけではなかった様であある。風越さんが、怒鳴る様に訊いてきた。彼女も焦っているのだ、と明確にわかった。〈銃声?〉
「ええ……! おそらくねぇ!」ぼくは声を荒げて言った。必死であったのだ。「なんとかできませんかねぇ⁉︎ えぇ⁉︎」
〈落ち着いてよ!〉風越さんの声を掻き消すように、四回の銃声が響く。ぼくは、それをバイクを左右に滑らせるようにして、回避した。
「落ち着けるわけ……!」
〈いい?〉ぼくの言葉を無視して、風越さんは話す。〈その追跡者をなんとか撒くなり、撃退するなりして。そうしないと、安全に“バイト”を完遂できない〉
「できるものなら、とっくにやって──」その時、三回銃声が響いた。空気を裂き、飛んできた弾丸の内一発が、バイクのサイドミラーを吹き飛ばした。からん、と、虚しい音を立てて、ミラーは後方へと過ぎ去っていく。
〈ねぇ、よく聞いて〉風越さんが言う。〈どこかの裏路地に入れない?〉
「はぁ⁉︎」ぼくは、そう聞き返さざるを得なかった。そんなことをしたら、追跡者を捕捉できなくなる。そうなってしまえば、こちらの命が危険に晒されてしまう可能性が高まるのであるから。ぼくはそれを風越さんに伝える。後方では、かちん、と何某かのものが落とされる様な音が聞こえた。
〈それは、相手も同じ。そこを利用しない手はないわ〉
ぼくは、風越さんの言葉を聞き流しがら、大きく弧を描くようにカーブを曲がった。
が、それが仇となったのだ。
大きな隙を晒してしまったのだ。後方の追跡者が放った三発の弾丸がバイクの後輪とチェーン、そして燃料タンクに直撃してしまった。バランスを崩すには十分過ぎた。
ぼくは、派手にクラッシュした。ぼくの身体は、掴めるものを失い数メートルほど地面を滑って、歩道に設けられていたガードレールにぶつかって、やっと停止した。バイクはというと、派手に炎上していた。おそらく、漏れ出ていたガソリンに引火したのであろう。ぼくは、痛みに耐えながらも立ち上がり、運よく近くにあった銃と予備の弾倉を回収した。そして、走り出す。目の前にある、閑散とした商店街へと。
その商店街に入るなり、目に入ったのは、無限の如くに連なるシャッターのベールであった。雨避け用のガラス張りの天井から注がれる月光が、それらを作劇的に照らす。ぼくは思った。数年前にできた複合型ショッピングセンターに顧客を盗られたのであろう。しかして、好都合である。人目がないことに、越したことはない。
ぼくは、走った。ヘルメットやプロテクターはつけたままである。銃弾を防ぎ切れるかどうかわかったものではなかったが、ないよりはマシである。気休めである。
角を曲がり、身を潜める。その際に、ポケットに押し込んでいた、拳銃の点検をした。どの部品がどう動作するのか、わからないが、これもやらないよりかはマシである。
発砲の仕方自体は知っていた。安全装置を解除し、スライドを引く。薬室に弾が込められた。両手で持ち、引き金に指をかける。
スッ、と顔を出した。その瞬間に銃声が響いた。ぼくは即座に顔を引っ込める。さっきまでぼくの頭があった空間を弾丸の軌跡が切り裂き、建物の壁面を掠め取った。再び顔を出してみると、黒ずくめの人影がこちらに近づいてくるのが見えた。サングラスをかけ、マスクで口元を隠している。手には、ぼくが持っているものとは違うタイプの拳銃を持っていた。箱を組み合わせた様な見た目のやつだ。
思案を巡らせる。この状況をどう打破したものか。相手は、ぼくが何某かの武器の一切を持っていないと考えているであろう。何せ、怪しいリュックサックを背負っていることに目を瞑れば、どう見たって、有象無象の一般人であるぼくを相手取っているのだから。
一か八かであったが、一つの作戦を思いついた。相手の油断をつく様な作戦である。しかして、相手はプロであろう。不意打ちであろうと、対処の方法は心得ているであろう。だが、そんな考えを真っ黒に塗りつぶし、自分に言い聞かせる。やらないよりかはマシである、と。
深く息を吐き、吸う。覚悟は決まった。手汗が止まらない。冷や汗が背筋を伝う感覚がする。
ぼくは歯を食いしばった。そして、地面を蹴り、相手の正面に踊り出る。それと同時に、ぼくは拳銃を構えた。あの追跡者が、ぼくに拳銃を向けるのを認識できた。死への恐怖を乗り越えて、ぼくは、引き金にかけた指に力を込めた。がちり、という極々小さな銃声が響いた。ぼくは引き金をもう一度引く。もう一度、もう一度……と。
ぼくは、立ち尽くしていた。目の前には生きている人間は一人としていない。
そして、ぼくは走り出した。逃げ出すように。
隣の駅に着くと、駅前の道路に一台の自動車が止まっていた。そのそばには、風越さんが立っている。
「お疲れ様」風越さんが、握っていた銃をポケットに詰め込んでいるぼくに声をかけた。「乗って。疲れたでしょ」
ぼくは、はい、と答えて、リュックサックを下ろしつつ、自動車に乗り込んだ。相当な距離を走り続けた故であろうか、身体が酸素を求める。ぼくは、ヘルメットを脱いだ。新鮮な空気が肺を満たすのを感じる。脱力感が、一気にぼくの身体を襲った。それに耐えながら、ぼくはシートベルトをつけた。
「なんとかできたのね」運転席に乗り込んだ風越さんが言う。ぼくは、力無く頷いた。
「ねえ」彼女は車を発進させた。エンジンの鈍く重い音が、腹の底に響く様な感覚がする。「妹の話、実は、嘘なんだ」
「……」そうなんだ、と思う。「薄々わかってはいました」
「そっか。お見通しだったわけだ。やっぱり、素人の三文芝居じゃ無理があったか」はは、と乾いた笑いが聞こえた。「あとさ」と、風越さんは続けた。
「はい?」
「後輩くんを襲ったやつについてだけど、なんとなく予想はつくんだよね」
ぼくは、そうですか、と答えた。
「私の雇い主が──とどのつまり、そのリュックを持ってこい、って命令してきたやつが、差し向けてきたと思うの」
ぼくは黙ってそれを聴いた。
「信用ならなかったんだと思う、多分。ほら、こういう後ろめたいことをやっている人って、人間不信の人が多いからさ。それで、保険として雇ってたやつだと思う。私がしくじった時のためにね」
「……それなら」ぼくは、重い瞼を閉じながら訊いた。「その人はどうしてぼくを襲ったんでしょうね?」
「多分、その雇い主の人も、私が孫請けに仕事を投げるとは、思ってなかったんでしょ」彼女は、それに、と付け加えた。
「それに、ってなんです?」
「ううん」と彼女は首を横に振った。「なんでもない。しょうもないこと」
なら、ぼくは、そのしょうもないことで、命を落としかけたんですか、という言葉は飲み込んだ。
静寂がつづく。その静寂に囚われていないのは、重く轟く自動車のエンジンの音と、タイヤが地面を滑る音だけであった。
「後輩くん」
「……はい?」
「名前、なんていうの」
「今更聞きます? それ」
彼女の、うん、と頷く声が聞こえた。
「磐座です。磐座結一」
「そっか」案外、あっけない返事だった。結一くんね、と噛み締めるように言うと、風越さんは、「ごめんね、結一くん。私の面倒ごとに巻き込んで」
「いいですよ。もう」ぼくは、答えた。眠気に耐えながら続ける。「火に飛び込んで、焼かれた後ですから」
「……そっか……。そうなんだ」
彼女がぼくの方を向いたときには、ぼくは眠りについていたという。
目が覚めた。窓から注がれる朝日が、ぼくの眠気を追い払う。
ふと、ズボンに目を向けてみた。なかった。拳銃と弾倉二個がなくなっていた。それに加えて、ぼくが苦心して持ってきたリュックサックもだ。
ぼくは、シートベルトを外して、自分の身の回りを探す。ない。どこに行ったのだろうのか。
「おはよう」車の扉が開けられ、陽の光が一気に差し込んできた。
ぼくは、声の主の方を見た。風越さんだ。手にはビニール袋を持っている。着ている上着には何かが飛び散って付着したような染みがあり、履いているズボンのポケットには、拳銃が雑に突っ込まれていた。
「はい」風越さんが、ぼくにビニール袋を渡してきた。ぼくはそれを受け取る。ずっしりと重い。「それ、お土産ね」
袋の中身をのぞいてみた。何故か、一万円札の束が、何十ダースも入っていた。何処から湧いて出てきたのかは、粗方の予想はついた。やはり、あのリュックサックは、かなり後ろめたい代物であったようである。
「これ」ぼくは、隣でハンドルを握っている風越さんに訊く。「これ、一体──」
「お礼金ね。結一くんを殺しかけちゃったし」
「はぁ」ため息が出る。それが感嘆の表れか、呆れの表れかは、ぼく自身にもわからなかった。
「家まで送っていくよ」
そんな、風越さんの提案を、断る気はなかった。
アパートにつき、扉を開ける。ふと、振り返ると、ぼくが乗っていた自動車はすでにいなかった。幻だったのかな? そう自問する。ナンセンスだなぁ、と自分に呆れる。
ぼくは、自室に入るなり、ベッドに倒れ込んだ。ぎし、とベッドのスプリングが軋む音が聞こえた。
ぼくは、ゆっくりと目を閉じた。
先ほどの出来事が、夢ならば覚めておくれ、と祈りながら。
先ほどの出来事が、現実ならば心地の良い夢へと誘っておくれ、と祈りながら。
普通な彼は火に飛び込むか? 伊村修二 @ShuImura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます