第三晶、森の王と番人
クォーツが森でユンゲと暮らすようになってから五日が経った。
ようやく傷の塞がったクォーツは、歩行訓練のためユンゲと森の中を歩いていた。
ユンゲは、灯りもないのに暗い森の中を迷うことなく進んで行く。時々クォーツを振り返りながら足を止めた。
その度、何匹もの宝石獣たちが暗がりからひょっこり顔を出す。額に
クォーツには、それがまるで声なき対話のように感じられた。
ある夜、クォーツは、誰かの視線を感じて上を見た。暗闇の中、樹の上から青白く光る幾つもの目がこちらを見下ろしている。
それは小さな猿だった。くりくりと丸い二つの目は、
「
ユンゲが、覚えたてのヴァルト語で説明してくれた。その言葉が指す意味に、クォーツはぞっとする。
「死んだ人間の霊ということか? 他の宝石獣たちもか?」
「そうだ。オレは、彼らが安心して暮らせるよう見守っている。密猟者から」
ユンゲは、少し言葉を考えてから「番人だ」と言った。
「何故、彼らは身体の一部が結晶化しているのだ? あれは宝石なのだろう?」
「わからない。でも、彼らは森の影から生まれる。木の股や、草の中、枝葉の隙間から……気付けばそこにいる。
「
クォーツの問いに、ユンゲは困った顔をした。言葉を探しているようだ。
その時、一匹のレムールが木の上から降りてきて、枝伝いにユンゲの肩へ跳び乗った。鼠ほどの大きさしかなく、クォーツの片手にすっぽりと収まりそうだ。ただ二つの目が顔の前側についていることと、手足の形が猿のそれだった。
そのレムールは、ユンゲの肩の上で
クォーツは、その光を見ながらユンゲと初めて出会った時のことを思い出していた。
「どうして俺のことは〝迷子〟だとわかったんだ?」
ユンゲが宝石獣たちの番人ならば、宝石狼を傷つけたクォーツを助けてくれたことが不思議であった。
ユンゲは、自分の懐から水晶の短剣を取り出して見せた。クォーツと初めて出会った時にかざしていたものだ。
「これは、狼の牙から作った。密猟者は、これを見ると目の色が変わる」
だからクォーツを助けた、とユンゲは誇らしげに笑った。
クォーツはそれを見て、胸をぎゅっと掴まれた気がした。言葉に詰まり、ユンゲの頭をわしゃわしゃと撫でる。
ユンゲは、少年らしい声を立てて笑った。
十日経ち、森の中を自由に歩けるようになったクォーツは、ユンゲに森の入口近くまで案内してもらった。一緒に街へ行こうと誘うクォーツに、ユンゲは首を縦には振らなかった。ただ案内をする間、始終無口であった。
クォーツは、久しぶりに頭上から差し込む日の光を目にして、安堵の溜め息を漏らした。
そして、ユンゲに礼を言おうと振り向いた時、そこに彼の姿はなく、ただ闇だけがあった。
💎✧💎✧💎
クォーツは、一度街へ戻って装備を整えてから、すぐに水晶の森を訪れようと考えていた。ザヒトを見つけるまでは捜索を続けなくてはいけない。一度結んだ契約を反故にすれば、信用を失い、次から仕事の依頼が入らなくなってしまう。
死んだと思われていたクォーツがひょっこり戻って来たので、依頼主である商人は驚いた。そして、クォーツから水晶の森であったことを聞き、更に驚愕した。他国の商人からしてみれば、宝石獣の存在は、夢見がちな息子の戯言としか思っていなかったからだ。
宝石獣の話は、商人の口から街中へ一気に広まった。特に、以前からずっと宝石獣を狙っていた狩人たちは、目の色を変えてクォーツに彼らの詳しい居場所を聞きたがった。
そして、その話は、ヴァルト国の王にまで伝わった。これまで幻を掴むような存在であった宝石獣の棲み処が判明したのだ。更に、彼らの番人と名乗る
(ユンゲは、あのまま森で暮らしていてはいけない。人間の世界で人間として生きるべきだ)
そう考えたクォーツは、ユンゲを街に迎え入れて、人間としての暮らしをさせてやりたいと申し出た。すると国王は、交換条件を出した。
宝石獣たちがいる場所へ、王の騎士団たちを案内しろという。
クォーツは、それを受諾した。ユンゲが街で子供らしく暮らしていくことを想像し、森へ向かうクォーツの足取りは軽かった。
💎✧💎✧💎
森が赤々と燃えている。暗く静寂な闇に包まれていた筈の水晶の森が、悲痛な叫び声をあげているようにクォーツには感じられた。
(こんな筈ではなかった)
クォーツは、目の前に広がる光景を見て愕然とした。
国王の騎士団は、水晶の森を焼き払い、宝石獣たちを炙り出そうとしているのだ。
樹々が燃える音、焼き焦げる臭い。獣たちの鳴き声がクォーツの耳に届く。辺りには煙が充満し、視界が悪い。
(ユンゲは無事だろうか)
正気を取り戻したクォーツは、水晶の森の中を駆け巡りながら彼の名を叫んだ。ユンゲが眠っていた木の洞、精霊がいるという泉、レムールを見た場所……思い付く限りの場所を巡り、ようやく目的のものを見つけた時には、全てが終わった後だった。
地べたに転がって動かないユンゲを見て、クォーツは血の気の引く思いがした。
ユンゲの身体は傷だらけで、手には折れた水晶の短剣が握られている。
果敢にも、たった一本の水晶の短剣だけで王国の騎士団に立ち向かった勇者は、傷だらけになりながら、最後まで宝石獣たちのために戦ったのだ。
「少年には手を出さない約束だ……」
そんなことを言ったところで、今更意味のないことだとクォーツにも解っている。
それでも、口にせずにはいられなかった。だが、誰かを恨むとしたら、騎士団をここへ案内した自分こそ恨まれるべきだろう。
近寄って抱き起したユンゲには、まだ僅かに息があった。それでも、胸に大きな剣傷があり、それが致命傷であることは明らかだ。
口の端から血を流しながら、ユンゲが呟く。
「宝石獣たちを……守って…………」
「わかった、約束するっ。だから死ぬなっ」
クォーツは、目を閉じたユンゲを抱きかかえて泉へ向かった。人間はもう誰も信用出来なかった。僅かな希望を泉の精霊に託そうと考えたのだ。
泉の淵で、精霊と思われる女が、紅く燃える空を見上げていた。金の髪に碧い目をした美しい女だ。膝に一匹の黒い蛙を乗せている。
「ユンゲを生き返らせてくれ、宝石獣でも何でもいい。お前は、人間を宝石獣に変えることが出来るのだろう」
「無理よ」
「なぜだ?!」
「私が宝石獣に変えられるのは、罪を抱えた者だけ。この子は、いつも優しく森のみんなを守ってくれていた。だから」
それを聞いたクォーツは、己のしでかした事の大きさを知った。罪のない純粋無垢な、正義感溢れる少年の尊き命を自分が奪ったのだ。打ちのめされてユンゲの冷たくなっていく身体にすがり、泣き崩れる。
でも、あなたなら……と精霊は、その静かな碧い瞳をクォーツに向けた。
クォーツが精霊の言葉にはっと顔を上げた。精霊が何を言おうとしているのかを察したのだ。
「……ユンゲを死なせたのは、俺の所為だ。俺の罪をユンゲにやる。それでは駄目か?」
精霊は、少しだけ考える素振りをして、ふふっと可笑しそうに笑った。
「やったことはないけど……面白そう。でも、出来るかどうか分からないわよ」
それでもいい、とクォーツは答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます