episode C-3 恋愛感情の力

 浄瑠璃が続けて口を開いた。

「それで現状の頭痛通信コンピューターは、桜の恋愛感情にだけ反応する」

「――え、何? 僕の恋愛感情?」

 驚いて鸚鵡返しに訊ねる僕。

「うん。さっき通信が途切れてたって言ったけど、通信は必ずそっちからで――、前はもっと多くのものに反応してロボットが痛くなってた。多様すぎて原因を特定できないくらい。ある日通信できなくなって、最後のデータ傾向を俺が解析して、まだ名前も知らない桜の恋愛感情が必要なんだろうって分かった」

 浄瑠璃は頬に無念の色を濃くする。

「時間が遅すぎた、どうしようもなかった。こっちからは通信できないから伝えられないし、今日までうまくいくことはなかった」

 僕は過去の出来事――頭を痛くしないロボットを前に茫然とする両親の顔を想像し、何のせいかも知らずに歯ぎしりした。彼は「でも良かった。桜と、つながって良かった」と哀しみにも喜びにもなる淋しげな表情を見せる。淋しいのは僕のほうだと思ったが、自分が恋する相手には何も言えなかった。

 しかし僕は、その〝恋〟に関して二つのことを思い出す。そうだ、頭痛を起こしたZTロボットは僕の恋を原因に挙げていた。そんなことはありえないと頭で一蹴したけど事実だったとは!

 そして以前の話、お父さんとともにこの地下室を訪れた僕がさせられたこと。あれは皆で様々な「提案」を突きつけ、ZTロボットの頭痛を引き起こそうとしていたのか。あのカチューシャ、他に笑顔のバリエーションには苦労させられたし、お父さんの得意料理をお供えして、お母さんと二人何度もカードを選んでは掲げ、選んでは――、

「そっか、そういうことだったんだね」

 僕はディスプレイの前から身体をそらし、浄瑠璃ではなく箱の中の動かないロボットに向かって声を投げた。お父さんもお母さんもまさか娘の恋愛感情が必要だとは知らず、何とかロボットを痛がらせられないか必死だったのだろう。家族がいたから別の世界とつながる必要はなかったかもしれないけれど、人間とは多分そういうもの。僕もたとえ両親がそばにいてくれたとしても、浄瑠璃との出会いは大歓迎だったと思う。

 姿勢を戻すと、その浄瑠璃が謝ってきた。

「桜、ごめん――、『良かった』なんて言って」

「ええ……?」

 僕は彼の唐突な謝罪から先ほどの台詞を思い出す、彼は僕とつながれて良かったと言っていた。何、そういうところ気にするんだ。

 だが、浄瑠璃は予想外の話に進む。

「言い訳だけど、俺もその、親が遠いところに行っちゃっててもうずっと会えなくて――、それで、桜のほうが何倍も……」

 ああ、だから淋しげな顔をしたのか。彼の言う「遠いところ」はどこか何を表しているか、違う世界に取り残された僕には見当もつかない。ただ二人とも、親の不在を淋しがる幼い同じ穴の狢だったということ。

 そんな僕と浄瑠璃の間がつながったのはロボットを頭痛にできたからで、僕はZTロボットという機械相手に恋愛感情を抱いた。おそらくその面前で恋に落ちる必要があったはずで、つまり僕は泣いて笑ってお供えした時もロボットの前にいたと考えられる。その場所がここ地下室だったのは間違いないものの、僕はロボットを覚えていない。当時の記憶を曖昧にしてしまったようだ。

 僕は斜めになり、複雑な金属の箱にたたずむ中性的な顔に再び目をやった。ZTロボットにありがとうの気持ちは持ててももう恋にはならない、それだけの差が浄瑠璃との間に生まれている。このロボットが二人の世界をつないでくれたというのにね、薄情な娘。

「――え、あれ?」

 先ほどと何かが入れ替わった気がした。

 椅子の上で姿勢を正す僕、ロボットよりディスプレイ――というかコンピューター本体に異変が起きている。浄瑠璃の姿と灰色の壁を僕に見せてきたふちまでの白さが特徴的なウインドウが消失し、そこには「桜へ」フォルダーやアイコンすなわちデスクトップが表示されている。

「浄瑠璃、いない……」

 この部屋を見回してどうする。これはZTコンピューターが壊れたのか起動していたアプリケーションの問題か、通信時間が終わった? もしかしてZTロボットから浄瑠璃に恋が移ったせい? そんな。

 がだっ、右の箱を確認した僕はマウスに伸ばした手をスピーカーにぶつける。ZTコンピューターはじじじともががががともいわず沈黙しており、僕は泳ぐマウスポインターと自分を止めてゆっくり息を吐いた。

 焦るな桜、冷静さが最速。

 上から喧嘩する鳥たちの悪わめきが聞こえ、僕は外に出たくなってきた。親を失ってあんなに怖がった外出を今どうして求めるのだろう、この身体の内側から来ている〝力〟だろうか。お母さんが書いた紙切れみたいな新たな証拠が待ってて?

 待った、今はこっちが先! 早く浄瑠璃に会いたいんだ。僕はまだ残していた「桜へ」フォルダーをまず開き、変化がないのを確かめる。予想通りだけど少なからず落胆し、記憶の中の汗っかきなお父さんを真似して右腕で額をこすった。続けてお母さんの美しい涙まで脳裏に浮かび、僕はつられて泣きそうになってしまう。

 泣くな馬鹿、大切なのは未来だ。浄瑠璃との通信はコンピューターが勝手に動いた「自動」だったから、僕には使われたアプリケーションが何かすら分からなかった。ただあの瞬間の全てがここZTコンピューター、彼の父親が開発した「頭痛通信コンピューター」で起きたのは間違いなく、その内側を隅々まで調べるしか道はない。

 やるぞ。僕はもはや邪魔な「桜へ」フォルダーを閉じ、削除せずにデスクトップに残す。次を始める前に一度仕切り直そうと、そして何かが切り替わったり問題が元に戻ったりする可能性を期待してコンピューターの電源を落とした。処理は淡々と進み、全くの無音ではなかった機械が静けさを立ち上がった僕に返してくれる。

 ここは牧野桜しかいない地下室、独り残され――遺された家、僕だけの退屈な世界。僕はほこりの多い空間に深くうなずいてみせた。

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