episode B-3 あなたのためになりたい
ががっ、ばたん!
上階で自分のパーソナルコンピューターが落ちたような音――不思議とそう思った――が轟き、僕はロボットの箱から離れて天井を見上げる。何だろう、ここにいて分かるはずもない。
「――ごめん、見てくるね」
僕は地下室を出て、先ほどから二度も機械に謝っている事実をかみしめながら階段を上った。意思表示できるロボット、そのためになりたい。川面で邂逅した石もまっすぐ会話できれば「人間」なのだ。絶望の淵から数歩安全圏に近づいた。ほら、地下室に下りる前は灰色だった空が黄色く晴れ渡っている。
「独り言じゃなくなるだけですごい進歩だもん。これは……、独り言だけど」
聞いた音が鳴りそうな場所かどうかにはこだわらなかった。僕は両親がよく談笑していた椅子の下に始まり各自の部屋も確認、最後は床の鞄の裏まで調べて回った。異変は何もない。落下音第一候補の僕のパーソナルコンピューターだって、一番最初にソファーに囲まれた机の上で無事発見されている。
「ねえねえっ、あなたのこと、これから何て呼べばいい?」
地下室に駆け戻り、ZTコンピューター内のZTロボット――こう呼ぶととにかく長い――に跳ねながら手を振る僕。ほんのわずか同じ建物内で離れていただけなのに、さして美形でもないこの中性的な顔を見たくてたまらなかった。誰かのためになりたい、痛いくらいの想いは自分に残る「人工物を許していいのか」という葛藤を乗り越えつつあり、僕は背の高い〝誰か〟の前に着地して満面の笑みをつくる。
ZTロボットはそんな僕を見下ろし、返答の前に『それより音の原因は何だね?』と訊き返してきた。
「ああ、それが何にもなくて。僕のコンピューターも無事だったし、水槽も割れてなかった……」
『何だ、そうか。俺も動ければ見にいったところだがね』
僕がうんうんうなずくと、『呼び名はだね――』と天井を見るロボット。僕はその頬に手を伸ばしてそっとふれ、この「人」のためになるにはどうしたらいいだろうと考える。動けない機械を移動させることはできないし、そもそも外や地上に出たくないかもしれない。僕にとって幸せでも本人が不快感を覚えるようではだめ。
『呼び名は何だっていいね』
わわっ。ZTロボットが答えると同時に僕の指を嫌がるように顔をしかめ、ひゃっとなった僕は思わず右手を引いてしまう。これこそ不快感。
「ご、ごめん……」
些細なことでうなだれる僕、今どういう表情をしているだろう。ロボットに拒絶されて落胆し、呼び名のことも何だっていいと放り出され、僕は両親の喪失だけじゃない新たな哀しみに包まれていた。ああ僕が余計な感情を持ったばっかりに――、
『桜、聞いているね?』
ロボットの台詞が聞こえる。僕は顔を上げ、その余計な感情を吐露するのだった。
「僕、あなたのためになりたいのに」
『え? どうしたんだ』
聞き慣れつつある男声が疲れた頭の中を泳ぐ。見えない荒波が僕たちを優しく包み、この世界は美しい〝音の海〟となった。
『――ら、くら、桜、大丈夫かね?』
あ……、え?
うそっ。いつの間にか金属の箱に飛び込みロボットのシャツの胸に抱きついていた僕は、自分を呼ぶ声で正気に戻り慌てて飛びのいた。
「ごっ、ごめん! 何してんだ僕……」
箱の前でまたもや僕が謝ると、ZTロボットは『桜、何もしてないよね』と笑って返してくれる。だからといってその優しさに甘えるようでは、いずれ二人をつなぐ糸も切れてしまうに違いない。
「だめだよ。僕はわがままの悪い子で、迷惑かけて――」
『何も迷惑なんてかけられてない! 気にしないで、桜』
懺悔する僕の頭に素敵な声が響き渡り、そうっと視線を上げればロボットがいる。声の出どころは左のスピーカーだが、正面の機械の瞳から僕は逃げられない。そんな不思議な感情にもがいて早口で訴えた。
「僕、僕はあなたのためになりたい。なりたいよ!」
僕のロボットは無言で驚きの表情を見せ、代わりにZTコンピューター本体がかすかに音をたてた。何を考えてるの? 僕はコンピューターいやロボットの心の声を聴こうと息を止め、上――外のけたたましい鳥の騒ぎが邪魔をする。何だよ鬱陶しい奴らめ!
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