回避性パーソナリティ障害性人生

祥一

1 病というか、この呪いの名

 この実録エッセイを書こうか書くまいか、もう一か月も悩み続けてきた。

 それでいて、心の中では答えを知っていたのだ。書かないわけがない。治療の助けにもなるし、社会的意義もある。

 この病気は、世の中であまり知られていない。四十三年も生きていて、十三歳のときにおそらく発症して、全く世間でその名を聞いたことがなかった。本で調べて勉強しようとしても、これについて書かれた書籍は日本に一冊しかない。だから気づくのにずいぶん遅れてしまった。

 それは書くよ。書くのが当たり前だ。

 なのに一か月も逡巡し続ける。異常なことだ。

 そしてそれこそが、この病の大きな特徴といえる。

 回避性パーソナリティ障害。この病、この呪いの名だ。

 やはりまずは、病の特徴から説明せねばならない。病気というか、障害?その違いを何かの本で読んだはずだが、忘れてしまい、うまく説明できない。

 インターネットにすら、大して情報が載っていない。ただ一応、ウィキペディアには項目がある。

 簡単にいえば、人や社会、その他のことを避けまくる病気だ。

 けれど決して人間嫌いではない。むしろ好きなのに、嫌われることが恐ろしくて、仕方なく孤独を選んでしまう。

 自尊感情が低く、他人を信じられない。批判されることを極度に恐れている。自意識過剰、自分を責めやすい。職業に就くのが難しい。新しいことに取りかかれない。できることをできないと思い込んでしまう。

 これでは社会生活を営むことが困難になりがちだ。

 僕もよく感じていた。自分は社会から拒絶されているのではないか。あるいは僕自身が社会を拒絶しているのか。たぶん、両方なのだろう。

 これでも必死で努力してきたのだ。たくさんの仕事を経験し、もういやだ、と泣きたくなる局面に直面すると、逃げたくなってしまう。そもそも短期のアルバイトばかり選ぶ傾向もある。

 人に会わないですむだろうと考え、中国語の翻訳に長いこと従事した。けれど結局は人と関わらないのは不可能で、だまされ、怒りを抱え、絶望して現在休職中。

 僕の自意識は、読書だけが支えだった。今まで二万二千冊を読んできたのだ。それしかすることがなかったから。

 文学、この美しい響き。僕は文学者になりたい。けれどあの恐ろしい編集者、と呼ばれる人たちの目に留まり、話をしなくては不可能なのが辛い。能力?はわからない。

 人が恋しい。友達が欲しい。特に僕の書くものに興味を持ってくれる人が好ましい。

 できれば女性がいいなどというと、たたかれるだろうか。ただそれには理由がある。少年時代のある出来事によって、男性が苦手になってしまった。

 文学仲間を募集中。それも切実に。

 心を病んでいるといえば、怖いイメージを持たれるかもしれない。

 けれど僕は非常に善良な性格なのだ。絶対に人を能動的に傷つけることはない。むしろ傷つけることを恐れている。仲よくなりさえすれば、なんてことのない普通の人だとわかってもらえるはず。

 まあ、それは本当にお願いしますということで、今後も回避性に悩まされながら、病気にからめたエッセイをつづっていきたい。

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