第4話 梅雨莉文

ふみぃ、ただいま……やっと、家だぁ」


 親友とシェアハウス(マンションだからシェアルームだと言われたが、僕達はそう言ってる)をしている、マンション最上階の角部屋。


 動画配信の為の防音設備を完備している、お高めの部屋で帰ってこない親友が心配でソワソワとうろついていた僕は、扉を開ける音と待っていた声が聞こえて、思わず玄関へと駆け出した。


「碧、おかえり!! ……よく頑張ったね」


 明らかに疲弊ひへいした顔で帰って来れたことを安堵あんどしたように笑う親友を、ぎゅっと抱きしめて出迎える。


 アメリカと日本のハーフの僕はよく握手したりハグしたりして、どうも少し距離感がおかしいらしいのだが……長い付き合いで慣れている碧はそのまま僕を濡らさないように遠慮がちにハグを返しながら話してくれた。


「ああ……うん。ありがと。文が送ってくれたメッセージのおかげで、なんとか冷静に話せた」


「……あんなのでも、力になれたんだ」


 出先からちょうど帰るところだった僕が、碧から『元カノと話してくるし遅くなるから、当番変わってくれると助かる。ごめん』という連絡を受けて送ったのは……気が利いたとも言えない、たった一文。


『映画のお茶けに、金平糖こんぺいとうも用意して待ってるから』


 たったそれだけだったけど。


「俺、金平糖好きじゃん? なんかさ……メッセージ見て、文がちゃんと俺のことを考えて待ってるんだって思うと……ちゃんと過去にケジメを付けて帰らないとなぁと思えたんだよ」


 冷静に話して、俺が今幸せだってことをわかってもらおうと思えたんだ。


 碧は、そう言って笑いながら僕から離れて濡れた靴下を履き替えた。


「そっか……良かった」


 僕が、それほどの力になれたとは思ないけど。

 それでも、碧が力になったと言うのならそうなのだろう。

 そう考えて、素直にお礼を受け取った。


 人気Vtuber「梅雨リーフ」として活動する僕が、フリーの経営コンサルタントをしながら僕を支えてくれている碧の力になれるのは珍しいから……とても嬉しい。


「家事当番とか、色々と変わってもらって悪かったな。……来週、一日だけ文の分を俺がやるし」


「いつも言ってるけど、別に良いのに……」


「逆にいつも言ってるが、それだと俺の気がすまねぇんだよ」


「それは知ってるけどさぁ……あ、傘干してくるね」


「ん、助かる。シャワー浴びてくるわ。そしたら映画見始めようぜ」


「オッケー!! お菓子とご飯はもう準備してるから、ゆっくり待ってるね」


 高身長で金髪の僕と、少し小柄で黒髪の碧だけど、その性格はそれぞれ見た目とは正反対だ。

 我を強く持った結果トラブルに巻き込まれた僕と、流されて生きていた結果心に傷を負った碧……それぞれ、ある日をさかいに生き方を変えた者同士。

 性格も見た目も似てない僕達だけど、案外気は合って居心地のいい同居人兼親友となっていると思う。


 僕に傘を預けて体を温める為にシャワーを浴びに行った碧が、そんなに嫌な感情を引きずっているわけではなさそうで安心した僕は、そのまま傘を干す為に出たベランダでゆっくりと下に広がる景色を眺めた。


「あ、真っ赤な傘。……薔薇バラみたいだ」


 普段は人の往来が激しいばかりでなんの面白味もない景色でも、雨の日は色とりどりの傘が花のように咲き誇り、世界を色付ける。僕は、雨の日はあまり好きではないけど……そういう雨の日特有の景色は大好きだった。


 湿気の混じった生ぬるい風を頬に受けつつ、珍しい色の傘を見つけたりして、のんびりと流れる時間を楽しんでいると……すぅっと何の音もなくベランダに出て来た碧が隣に並んだ。


「虹、見てたのか?」


「ん〜ん……。虹出てるのも今気づいたよ」


「ん……そうか」


 もう今日は美味しい日本酒を呑みながら映画を観ると決めているらしく、白いTシャツに黒いラフなパンツという完全部屋着スタイルの碧が何か言いたそうにしていて……あえて「中に入る?」とは訊かずに彼が話し出すのを待つ。


「実はさ……俺が虹見るのって、七年ぶりなんだよ。ただ、その日はあんまし楽しい日じゃなくて……虹を喜べなかったんだ」


 俺がこんな目に遭ってるのに、なんで虹は呑気にかかってるんだよって……むしろ恨んだ。


「……」


 今碧が遠い目で眺める先は、きっと僕がよく知らない碧の過去だ。

 それでも、いいと思う。ただの同居人で親友という関係で、言えることだけ言えばいい。人間誰しも秘密はあるのだから、無理してまで話そうとする必要はないのだ。


 だから僕は、深く訊くことなく黙って頷いた。


「でもさ、今日は素直に綺麗だなって思えたわ。あの日空にかかった虹も、認めてやってもいいかなって思えた。これも文のおかげだ……ありがとな」


「いや……僕は何もしてないよ。過去とどんな風に折り合いをつけたかは知らないけど、ちゃんと折り合いをつけて自分の中で整理した碧自身の力だから」


 だから……誇って。


 最後の言葉はあえて口にせず、僕は口を閉じた。


 不思議と居心地が悪いわけではない沈黙が間に流れる中、僕達二人は雨を超えた向こう側に広がる青空にかかった大きな虹を……明るい未来へと続いている架け橋のような景色を、消えるまでの間ずっと肩を並べて眺め続けた。

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あの雨の日に虹をかけよう 風宮 翠霞 @7320

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