また、キンモクセイの咲くときに

しきしま

第1話

冷え込む11月の曇り空。

佑は廊下で古語の単語帳を読んでいた。

今日はこの後塾に寄り、自習室で勉強をする予定だった。ただ、何となく「まだ行きたくない」という心持ちで、掃除が終わるのを待つかのように立っていた。

いつの間に掃除が終わり、当番が帰り始める頃。

「あれ、佑、まだ帰らんの?」

別のクラスの佐々田が声をかけてきた。佐々田とは話はするが、いつも一緒にいるという程ではない。

「なんとなくまだ帰りたくないから」

「ほーん。じゃあ寄り道してかね? 駅の方」

「おう、まあ、いいけど」

たまにこのように話しかけてくる佐々田の緩さが、ものぐさな日にはちょうど心地よかった。

揃って学校を出て、駅の裏まで駄弁りながら歩く。

やや古い、しかししっかりしたガラス張りの建物の前に二人は辿り着いた。佐々田が口を開く。

「ここだったよなー、小学生の頃の塾」

「そうだなぁ。佐々田お前、テストの時脱走しようとしてなかったか?」

「いやしてな……したな! 岩井先生がマジこえぇから逃げるしかなかったわ」

「言うて俺も授業サボったことあったな。……そうだ、ここだ。」

塾から歩いて程近く、小さな公園が見えた。

「ここでお前と一度だけサボったの覚えてるか?模試がやばい、先生達が鬼だってさ」

佑はそう言いながら、公園の中のベンチに座る。つられて佐々田も隣へ。

中学受験の世界は戦乱だった。10歳ちょっとの子供達が人生を賭けて争う、そんな重圧に耐えきれなくなったあの日。

『サボっちゃおうぜ』

佐々田が誘ってきたのだ。

その日は、少ないお小遣いでジュースを買い、ベンチで日が暮れるまで喋り続けた。家族からのプレッシャー、いけすかないライバルなど、遠慮なく愚痴り倒した。

その後、無断欠席として親に連絡が行き叱られたが──確かに救われていたのだ、佐々田に。

というのを思い出しながら、会話を続ける。

「あったなーそんなこと。佑お前よく覚えてんな……ほぼ忘れてたんだけど」

「ははっ、そうだよなあ。『女子ばっかの中学入ってモテモテになる!』とか言ってたよな」

「うわー、結局モテなかったなぁ、俺」

「大学生活に期待だな」

あの日と変わらず情けなく笑う佐々田に顔が綻ぶ。

「なぁ、本屋寄ってかね?欲しい漫画あんだけど」

「ごめん、もう少しこうしていたい」

「……そっか」

次の受験も眼前に迫っている。本当は、こうしている場合ではない。


ただ、お前と何気ない話をする時間を、もう少しだけ。

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また、キンモクセイの咲くときに しきしま @shikishimaichika

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