五 百足の歓迎

 暗い森の中、男は牙を研ぎ澄ませる。

 彼は、彼から奪った存在を許さない。既に一度裁きを下した。

 しかしまだ足りない。燃えたぎる憎悪は次なる罪人を求める。

 復讐。

 芝居や物語であれば美談にもなるが、彼の現実はただただ醜悪な罪の連鎖でしかない。奪われた尊いものは決して戻らない、故にこれは無意味な罪。

 それでも、成し遂げねば死んでも死にきれない。

 あまりの強い情念に姿は歪み、既に異形と化している。それは鬼。人は、容易く人でなくなるのだ。


 さあ、次なる仇は。






 百足の里へ向かう為、信太郎と永はなだらかな山道を行く。

 空は秋晴れ。美しい紅葉。清々しい空気。

 目的は蛇の殺害の調査だが、自然はそんな物々しさとは無縁に、ただ在る。小物の妖怪、魑魅魍魎がざわつく様子はあるが、蛇か百足を恐れているのか邪魔にならない。永の好むところだ。


「嫌な気配も薄まってきたの。ようやく景色を楽しめるわい」

「楽しむのはいいが、薄まったという事は気配をもう追えぬのか?」

「難しいのう。意欲が湧くような物でもあれば話は別なのじゃが」


 難しい顔で残念がる永は、儚く憂いを帯びているようにも見える。並みの男ならあっさり骨抜きにされてしまう美貌だろうか。

 ただ、要は事態にかこつけた催促。重要な仕事を抱えた身だが、いつも通りのやり取りである。緊張感や使命感など感じられない。

 そんな永に、信太郎は口元を緩めた。自分達はこれでいい、と思う。気紛れな妖怪の理こそが相応しいのだ。


「そうか。何があれば意欲が湧く?」

「むう、そうじゃのう。この季節であれば山の幸が豊富じゃろうが、やはり人の手が……」


 楽しげな言葉が途中で切れた。じろりと不機嫌そうに前を睨んでいる。

 理由は信太郎もすぐに理解。間もなく前方から数人が歩いてくるのを見つけた。

 しかも彼らは普通ではない出で立ちだった。

 旅装ではなく、神官のような儀礼的な飾りの多い格好。列の真ん中には貴族めいた豪奢な服装の男。どう考えても山歩きに適していない。

 そして人ではなかった。かといって永に確認すると、探している荒神でもない。ならば人に化けた百足か。


 今のところ危険は感じられない。それでも念の為、警戒。

 十分な距離を保って立ち止まり、姿勢を整えて声をかける。


「百足の使者とお見受けします。少々話を聞かせて頂けませぬか」


 百足達も止まり、仲間内で言葉を交わした後、前に進み出てきたのは一行の代表らしき貴族めいた男。昨日会談で見た百足とは違うが、よく似ている。

 彼は不機嫌そうな声音で応えた。


「何用か。人間」

「蛇の使いで参りました。百足の長に紹介して頂ければ、と」

「ほう。蛇の。それは助かる。こちらも蛇には用があったところだ」


 蛇と聞いた途端、朗らかな顔となって返答。友好的な青年めいた態度もあり、話の分かる相手だと信太郎は警戒を緩める。

 しかしそれが、突然変貌。瞬く間に姿が百足の本性に切り替わった。


 一瞬にして、危地。

 大百足の牙による奇襲。殺気を肌で感じた信太郎は、なんとか大きく横っ飛びして避けた。風を切る突撃は、まともに食らっていれば容易く命を奪っただろう。


 敵対。荒事に空気が緊張する。

 しかしまだ刀は抜かない。臨戦態勢の意識はしつつ、穏やかに問いかける。


「何故争うのでしょうか」

「知れた事。蛇の使いならば我らが敵ではないか」

「あなた方の間には約定があるはずではありませぬか」

「かはっ。人間に頼る等という抜け道を使っておいて、蛇に文句を言う筋があるとでも?」

「私共への依頼は、確かに正しいとは言い切れぬでしょう。しかしこれはいささか乱暴に過ぎるのではありませぬか」

「かかか。お目出度い人間だ。争い以外に手があるとでも思っているのか」


 発されるのは強烈な敵意。酷薄な笑みが殺気を彩る。

 背後の数人も全員百足の本性を表した。殺気を纏い、信太郎達を取り囲もうと動く。

 問答無用。最早戦闘は避けられない。


 後ろで永が心底面倒そうに溜め息を吐いた。既におかめの面を被り、戦闘に備えている。


「ほれ、旦那様。とっとと刀を抜かんか。他に道はないぞ?」

「そのようだな。背中を任せてもよいか?」

「心得た。このわしが守るのじゃ。安心してよいぞ」

「助かる。これが済んだら町で美味いものでも探そう」

「ほ。ようやく分かってきたようじゃな。その言葉、決して忘れるでないぞ?」


 現状に似つかわしくない嬉しげな笑みを浮かべる永。信太郎も楽しみを想像して微笑む。

 軽口は緊張と余分な悪意を緩める。今必要なのは、あくまで飛んでくる火の粉をあしらうだけの闘志。これぞ人を化かす妖怪に相応しい事前準備だと胸を張る。


 そして戦闘の火蓋が切られた。

 まずは周囲四方から四体の百足が襲いくる。連携がとれているのは厄介。警戒を強めた。

 かといって尻込みは厳禁。

 故に夫婦は走った。鋭い牙を恐れずにこちらから進み、迎え撃つ。

 信太郎は刃を返し、峰打ち。風切りの音が鳴る。硬い甲殻に手が痺れるも、強引に振り抜いて叩き伏せた。

 永はまず下からの掬うような拳で顎を閉じさせ、空いた腹に手刀。百足は体が折れながら、後方へ綺麗に吹っ飛んでいった。

 百足は毒を持つ。常に警戒し、先手と防御を強く意識しなければならない。

 信太郎はもう一体が追ってきたので、時を見極めてしゃがんだ。頭上を通り過ぎたところで、腹を柄で打ち上げる。勢いを殺して浮かせると脚を掴み、力任せに投げた。

 轟音を立てて木に激突し、ひっくり返った百足。追いかけ、その側頭部を打ち払う。様子を見るに戦闘不能か。

 息つく暇もなく、背後に殺気。

 振り返り様、その勢いを活かした横薙ぎで払い飛ばす。その後ろからの二体目にも反応し、手首を返して袈裟斬り。

 しかし、受け止められる。頭に強烈な一撃を食らっても微動だにせず逆に押し返そうとしてきて、鍔迫り合いのような形に収まった。

 相手は、頭目。流石に他の百足とは違うようだ。


「嗚呼。憎らしきは人の不遜よな。弱き生き物は弱いままでいれば良いものを」

「生憎、弱き人とて出来得る限りは生きたいのです。その為ならば苦労も惜しみませぬ」

「それが憎らしいと言っている」


 語気と共に力が強くなった。負けじと踏ん張るも、このままでは押し込まれる。牙までの距離が徐々に近付いてくる。そうなれば終わりだ。


 だとしても、信太郎には他の事が気にかかった。戦闘中に危険ではあるが、力を維持しつつ尋ねる。

 この強い憎悪には思い当たる節があった。


「もしや百足のどなたかも亡くなりましたか」

「かは。蛇の使いが白々しい」


 吐き捨てた百足の言葉に、やはり、と歯噛みする。

 間に合わなかったのだ。

 いやそれとも、百足の方が先だったのか。となれば事件はまた違う姿を見せる。


 ひとまず考えるのは後と、落ち着いて語りかける。


「蛇からも死者が出ました。そして下手人はあなた方の地に逃げたようなのです」

「ががかかか。成る程、宣戦布告の使者ならば初めからそう言えばよかろう!」

「いいえ、違います。解決の手助けをして頂きたいのです」

「薄汚い人間がほざく。いい加減に口を閉じよ」


 殺意と力が増した。徐々に押し込まれる。やはり話し合いは不可能か。

 牙はもう、肌のすぐ傍。突き破り毒を打ち込まれる間際。

 仕方がないか。

 無力を恥じつつ、信太郎は祈りを捧げる。


「南無八幡大菩薩」


 剛力を得て、一押し。百足の巨体を大きく弾く。それから後退して距離を稼いだ。


 が、またすぐに毒牙を剥き出した突進。再度弾き、されど勢いは止まらず、連撃に繋げてきた。四方から噛みつきが迫る。

 更には長い体を巻き付けようとしてきた。弾くだけでなく足も動かさねばならない。

 速い。手数が多い。

 ひとまず脚に力を込め、一気に樹上へ跳ぶ。

 そして息を吐き、戦場を見下ろす。


 上から状況を確認。

 永は百足を踏みつけて動きを封じ。突進には、横っ面を叩いて打ち勝っている。まるで虫の百足を相手にするかのような、余裕ある戦い振り。心配無用らしい。

 伸びている百足は、既に動いている者より多い。戦況はこちらに大きく傾いていた。

 それでも、百足の頭目は果敢に攻めてくる。樹上の信太郎に、下から殺意を纏う大口。


「永」


 妻に呼びかけ、返事を待たずに行動。

 迫る牙の横から飛び降りれば、鞭のようにしなる胴体が追ってきた。

 刀で受け止め、殺傷力を殺したところで脚を掴む。そして長い体を登っていく。その様は猿のように滑らかで素早い。

 が、やはり大人しくしてはくれない。無理矢理な体勢だろうに、曲げてきてまで頭が迫る。

 それが、止まった。

 原因は永の打撃。蹴りが大木のような胴を揺らしていた。信太郎にも影響はあるが、しっかりと堪える。


 そうして無事頭まで登りきれば、今度は暴れて木へ叩きつけようとしてくる。

 そのまま衝突。強かに挟まれ、圧が全身を潰し、内まで衝撃が響く。

 しかしそれを利用。木に差した刀と掴んだ百足の頭、両手に剛力を込めて、態勢を固定。びくともしない。引きたくとも引けない百足が苦しげに呻く。

 ここらが頃合い。

 刀から手を離し、幹を足場に蹴って落下。百足の引っ張る力も合わせて空中で下に向けて突き進む。

 その速度を十全に乗せ、頭を豪快に地面へと叩き付けた。

 土煙。振動。山に決着の報せが轟く。

 もう戦えない様子の頭目の前に信太郎は膝をついた。戦意と警戒を維持しつつ、声だけは礼儀を意識する。


「失礼しました。どうか静かに話を聞いて頂けませぬか」

「……がかか、か。どこまでも傲慢。我らが誇りを捨てるとでも思うたか」


 心は未だ諦めていない。今にも強引に暴れ出さんばかりの気迫がある。


 と、その時。


「そこまでだ!」


 強い声が場に割り込んだ。

 見れば、新たに現れたのは貴族然とした男。

 彼は伏せる百足に厳しい目を向けた。


深留しんりゅう。勝手な真似をするな」

「あ、兄上……しかしこ奴らは蛇の使いで……」

「黙れ」


 ぴしゃりと一言。それだけで弟は沈黙した。相手への怯えさえ見える服従。力関係は明白だ。

 兄百足は丁寧に頭を下げる。


「弟が失礼しました。しかしこれは未熟故の不始末、どうかご容赦頂きたい。私はあなた方使者を歓迎します」


 好ましい対応にも、信太郎は気を緩める事が出来ない。

 彼は蛇との対談で見かけた、厄介そうな百足だったからだ。

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