四 蛇の死は災厄を前触れる

「山姥とその旦那でございますね」


 支配者たる蛇、その子が死んだ。

 災いたる報せに騒然となる町の中にあって、静かに声をかけてきた小男がいた。いつの間にか現れていた彼は、信太郎達の反応も気にせず一方的に喋る。


「どうぞこちらへ。主様がお呼びです」


 異様な気配。ぎょろりとした目にちろりと覗く舌。

 人に化けた蛇だ。

 警戒し身構える信太郎に代わり、動じていない永が不機嫌そうに応える。


「ほ。何故わしらがそんなものに応じねばならんのじゃ」

「主様がお呼びですから」

「話にならんの。下っ端でなくその主様とやらが直接来んか」

「それは主様のなさる事ではありません」

「これはわしらのする事ではないんじゃがの」

「永、その辺にしておけ。承知しました。伺いましょう」


 不穏になってきた話の仲裁に入り、進めようとする信太郎。

 しかし蛇は困ったように首を傾げた。


「いえ旦那が来ても構いませんが、主様がお呼びしているのは山姥です」

「ほれ見い。下手に出ん方がよかったじゃろうが」

「まあそう言うな。行かねば始まらぬだろう」


 冷えた目を向けてくる永。その強い視線は己の正しさを主張するよう。

 しかし信太郎は気にしていない。妖怪の道理とはこんなものだと、只人である己の立場を改めて弁える。




 蛇の案内に連れられ、町を行く。未だ喧騒に包まれる中でもするすると難なく進んでいくのは蛇である故か。永はともかく、信太郎は少しばかり苦労した。

 ただ、それも町を抜けるまで。人の領域との境界である橋を渡れば、その先は妖怪の道理が通る異界だった。

 鬱蒼と茂る自然の道。あちこちに潜む魑魅魍魎が影から覗く。歓迎する声は友好的とは限らない。

 そして大きく切り開かれた空間に、社。町で見たどの建物よりも大きく立派な造りは、それだけ力の大きさを表している。

 案内の蛇と別れて先に進めば、そこに蛇神はいた。

 とぐろを巻く白い大蛇。迫力ある巨躯が畏敬を生じさせる。鱗は堅牢な石垣のよう。瞳は爛々と小さき者を見下ろす。

 この地の主は堂々と、傲岸不遜な態度で話を切り出した。


「山姥よ。力持つ余所者よ。我が子が殺された。罰を下さねばならぬ。此度の無礼は不問に付す故、百足に罰を与えよ」


 単刀直入に、命令。自身が頂点だと信じる者の圧力が場を震わせた。

 ただ、そこはやはりと言うべきか。永は圧にも負けず、真っ直ぐ見据えて言い返す。


「ほ。傲慢もここまで来ると清々しいの。せめて説明ぐらいはせんか」

「傲慢とな。山姥が笑わせおる。我は正当な支配者である」

「蛇の戯れ言は笑えんの。主がここの支配者だとて、わしらは支配されとらんわ」

「この地にいるのならば従え。山姥は道理も分からぬか」

「お断りじゃ。好かんものに誰が従う」


 火花散る、大妖同士の口喧嘩。

 安全に収めたいが、信太郎は口を挟めない。只の人間が割って入っても無視されるどころか、更に機嫌を損ねる恐れがあったからだ。

 ただ、どちらも口だけで手が出ないのは頭に血が上っていない証拠か。

 出したが最後、大惨事になってしまう。それを両者も分かっているのだろう。

 やがて睨み合いつつも引き下がった。大蛇は圧を緩め、敵意の薄まった声で問いかけてくる。


「……やれやれ、だ。背に腹は変えられぬか。言え。何の説明が欲しい」

「憎き仇を何故わしらに任せようとするのじゃ。自身で出来ぬ事情があるのかえ?」

「古い不戦の約定がある。我らが争えば何者も住めぬ不毛の地になってしまうが故にな」


 だからこその代理。先程のように、敵意はあっても理性は強いようだ。支配者たる自覚が土地を守る意識に繋がっているのだろう。


 対立はしていても、争いを避ける仕組みがある。

 だとしたら、何故蛇の子は殺されたのか。今まで避けられていた殺し合いが、起こるに至った経緯とはなんなのか。

 あるいは、そもそも前提から間違っているのか。


 それを踏まえて、次の疑問をぶつける。


「百足に罰を与えろと言ったが、そもそも殺したのは本当に百足なのかえ? 不戦の約定があるのじゃろう」

「だからこその罰だ。疑う余地は無い。まさか山姥、貴様が殺したとでも?」

「何故わしがそんな事をせねばならんのじゃ」

「ならば話は終わりだ。この地には我らと百足の他に力持つ者はいない。よって百足の仕業だ」


 大蛇の論理は乱暴だが、納得するしかない。

 害せるモノがいないからこそ、彼らは支配者足り得ているのだ。

 だとしても疑念は拭い切れない。信太郎は永に耳打ちし、代わりに尋ねてもらう。


「のう。子の体を調べさせてはくれんか」

「ならん。我が子を辱しめるつもりか」

「百足を追い詰める為じゃ。言い逃れられんよう証左を押さえる。百足を罰する役に立ったとなれば死んだ子も報われるじゃろう」

「……いいだろう。だが代わりに、必ず成し遂げてみせよ。よいか、必ずだ」

「ほ。見くびられては困るの。言われんでも成し遂げてみせるわい」


 絶対の自信をもって宣言。

 永は強気に、妖艶に笑った。他者が支配する空間であっても、変わりなく己を保つ。

 彼女が隣にいる、その事実を信太郎は改めて頼もしく思った。




 大蛇の下から辞し、事件現場へ向かう。発見から時間も浅く、子の遺体は未だ残っているとの事だ。

 社まで案内してくれた蛇に再び案内してもらうのだが、この時間も無駄にせず情報を集める。


「あなたもあの長の子ですか?」

「いえ、とんでもない。わたしは一介の蛇にございます」

「では跡継ぎは……」

「亡くなられた呑流様は弟君です。跡継ぎには源長げんちょう様がおられます」


 蛇の兄弟について聞く。亡くなった呑流とは、百足と対話していたあの蛇らしい。

 ただ、その対話で信太郎は気になる話を聞いている。

 違和感を疑い、鎌をかけた。


「兄と弟、二人兄弟でしたか」

「はい」


 即答。動揺も迷いもなく淡々と嘘を吐いた。こちらも真剣な顔で内面をひた隠す。

 何故姉の存在を隠すのか。

 考えられるのは、「我らの矜持を捨てた」が故に一族から追放された、という場合だろうか。

 少しきな臭いものを感じる。今回の一件と無関係とは思えない。

 信太郎は集中して思考を巡らせなければならなかった。


 遺体がある現場は、町から少し離れた森の中の湖のほとりだった。湖面に陽光が反射し、赤や黄色が更に輝く明るい景色。

 そこに息絶えた大蛇が暗い影を添える。人に化けた姿を見た、あの蛇だ。

 手を合わせ、それから詳しく確認。

 見たところ大きな外傷は無く、苦しげな顔で泡を吹いてもいる。


「確かにこれは……百足の毒、と見るのが自然か」


 百足が持つ特徴は多い。

 その代表的なものが、毒。虫としての百足と妖怪としての大百足に違いはあれど、やはり強い毒を備えている。

 信太郎の知識は、両者の対立の果てに起きた死だという可能性を示している。


 しかし、もう一つの問題も忘れてはならない。


「となれば、太紋殿は無関係か? いや百足と手を組んだ場合も考えられるが……」

「ほ? 奴は蛇だけでなく百足も恨んでおるのじゃろ。手を組むのかえ?」

「復讐の為ならばこそ、あり得る。この線は消せぬだろう」

「関係があると決めつけてもいかんぞ?」

「ああ。分かっている」


 一旦思考を止め、周辺の様子も探る。

 辺りは大蛇の体躯に抉れ潰され無惨な荒れ地となってしまっている。毒の苦しみで暴れたせいか。

 大百足、あるいは人の痕跡があればと期待する。が、破壊の結果により、見つけられない。

 手がかり探しを続けながら、人ならざる感覚にも頼る。


「永よ。なにか気付いた事はあるか?」

「嫌な気配の残り香があるの。気分が悪いわい」

「それはどんな具合だ? 堪えられぬと言うのなら離れていてもいいが」

「わしを見くびるでないわ。もうちっと妻を信用せい」

「それは済まぬ」

「それよりも、じゃ。これは覚えがある。豹変した河童の長に近いものじゃ」


 言われ、信太郎は豹変した河童の主を思い出す。殺意と憎悪に満ちた禍々しい姿を。

 ぞくりと寒気が走った。


「……つまり荒神、鬼に変じたものが下手人だと?」

「さて、断言は出来んの」


 妻を亡くし、蛇と百足を恨む男の失踪。

 蛇の死。消された姉蛇。

 鬼神。荒神。


 事態は複雑。そして凶悪。急がなければ、次の犠牲者が出てしまう恐れがあった。


「永、気配を追えるか」

「ふむ。向こうの方じゃな」

「……これは、百足の縄張りの方角ではないか?」

「そのようじゃな」


 これはつまり、荒神の正体は百足だと示すのか。

 それとも下手人は次の犠牲者を百足に定めたのか。

 どちらにせよ、止めるにはその場に居合わせなければならない。


「急ぐぞ。引き続き頼む」

「任せておけ」


 信頼の一声を、強気に笑む口が発した。頼もしさに気が引き締まる。

 準備万端。覚悟は既に。

 信太郎と永は、悪意が潜む山中へと駆け出していく。

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