三 蛇と百足の対話

 蛇と百足の対立。蛇と百足を恨んでいたらしい人物の失踪。

 この二つに関わりがあるとの確信はあるが、そうでなくとも単純に他の手がかりがない。必然的にここから調査するしかなかった。なんにせよ町の重要な要素なのだから手始めに調べておくべきだろうが。蛇と百足の話し合いがあるのなら丁度いい。

 ただし、それにあたって一つ問題があった。


「永。やはり主の気配はあちらも勘づいておると考えた方がよいか?」

「当然じゃろう。力を持った妖怪ほど縄張りに敏感じゃからの。縄張りに居るだけならともかく、調べ回るとなれば宣戦布告と取られても仕方あるまい」

「ならばおれ一人で探るべきか」

「そうせい。わしは蛇の機嫌を損ねん程度に話を聞いておるわ。奴らでなく人間の方なら甘いじゃろう」


 あの傲岸不遜な蛇の気配は強く、今からでも辿るのは容易い。が、機嫌を損ねれば何があるか分からない。

 そんな危険を避ける為、単独行動の覚悟を決めていた信太郎。

 だから永の申し出を、意外に思って微笑んだ。


「有り難い。てっきりのんびり待つつもりだと思っておった」

「ほ。わしをなんだと思っておるのじゃ。妻を信じられんとは、旦那として失格ではないかえ?」

「全くもってその通りよ。済まぬ」


 素直に謝罪したところ、永にはつまらなそうな顔をされた。理不尽な発言だと反論してほしかったのだろうか。相変わらず難しい。

 ただ、その顔は束の間。溜め息を吐くと、真剣な目付きで見つめてきた。


「ま。せいぜい殺されんようにの」

「ああ勿論だとも。地獄へ行くにはまだ早い」


 軽く素っ気ない口調にも彼女なりの心配が窺える。嫌な予感があるのか、だとしたら一層気を引き締めなければ。

 熱いものを胸に、信太郎は力強く答えたのだ。




 そのやり取りからしばらく経った後。

 信太郎は慎重に気配を消しつつ急いで跡を追い、藪に隠れて蛇と百足が会談する場を観察していた。

 木々が開けて日が差す、大きな川のほとり。丁寧に整えられた岩場。色とりどりの葉が木を飾り河を流れる、景色の綺麗な空間だった。

 そこに、それぞれ白と黒の着物を着た貴族のような出で立ちの人間が二人、腰を下ろしている。しかし気配は確実に人でないそれ。蛇と百足の化生。

 互いの間に緊張感が張りつめ、辺りの鮮やかな色も褪せてしまう。

 恐らく百足であろう黒い着物の人物が、重々しく口を開いた。


「はて。会談相手が変わったようだが、こちらは聞いておらぬ。何故か」

「ああ。この度姉上に不幸があったが故、我が変わってお役目に就いた。よろしくお願いする」

「そうか。了承した」


 表面上は丁寧な対応で、穏やかな対談。

 だが、確かにこの時点でばちばちと敵意が弾けている。隙を見逃すまいと瞳が輝いている。正に一触即発。


 信太郎は五感を研ぎ澄ませた上で、気圧けおされないよう意識しなければならなかった。

 蛇は言った。

 姉上に不幸。その出来事に、男の失踪が関係しているだろうか。

 しかし会談は、考える間もなく進む。先手は蛇だ。


「早速本題に入らせてもらうが、そちらの人間のせいでこちらの人間が難儀している。直ぐ様改善して頂きたい」

「ほう。それが事実なら由々しき事態。詳しい説明をお願いする」

「なんでもそちらが金物の値を上げているのだとか。そのせいで生活に苦しんでいるようで」

「銭の問題と。しかしそれならば私も聞き及んでいる。荷運びの高い代金に困っている、とな」

「悪いがそれは正しい価値だ。流れによる運搬もまた川の恵み。利用するのなら払う物は払って頂きたい」

「ならばこちらも同じ事。山の恵みと職人の技には正しい代価を支払うべきだ」


 互いの誇りに、眼光が熱を宿す。

 会談の空気が早くも変わった。剣呑さを孕みつつも穏やかだった会話から、明らかな敵意をぶつける鉄火場へ。

 敵意の火花が、はぜる。


「なにが正しい代価か。そちらが人間から搾り取るせいでそうせざるを得なくなったのではないか」

「生活に困る程の要求はしていない。そちらこそどうなのか。河が氾濫すると脅して社を大きくさせたと聞いたが? それが蛇の行いとは、随分幼稚であるな?」

「我らを愚弄するか!」


 早々と我慢しきれず蛇が立ち上がった。牙と長い舌を剥き出しの怒りの形相。気配も荒々しく、瞳や鱗からも蛇の本性が漏れ出していた。


 そこに冷ややかな声が突き刺さる。


「ほおう? 約定を破るつもりか」

「ぐ……」


 効果は覿面てきめん

 蛇は敵意を引っ込め、悔しげな顔ですごすごと腰を下ろす。再び完全な人の姿だが、すっかり気勢が削がれてしまっている。

 見た限り、約定とは不戦の誓いか。だからこそ人の姿で会談を行っているのだろう。

 となれば破りかけた蛇は恥ずべき醜態。すかさず百足が蔑みの視線を浴びせた。


「やれやれ。この失態。そなたには荷が重いようだな。やはり姉上殿に任せるべきだったのではないか?」

「あれは我らの矜持を捨てた女だ! 我の方が相応しい!」

「……身内を罵るとは落ちぶれたものだな。いや、それは昔からか。かつて先祖も自らの力では勝てぬと、人に頼んで我らの祖を退治してもらったのだったな?」

「今の我らの力は先祖より勝っておる! 愚弄するならば見せてやろうか!」

「断る。ここは会合の場だ。何の為の約定か、忘れた訳ではあるまい」

「ぬぐ……」


 またも言葉に詰まる蛇。

 常に余裕を持つ百足とは対照的で、その後の人間の商売などの話でも主導権を握られ続けた。感情任せで交渉に向いていない。

 これでは百足の方が上手だと言わざるを得ない。今まで対等だったのならば、姉の蛇は上手くやっていたのだろうか。やはり何があったのか気にかかる。


 それともう一つ。

 途中で百足と目が合ったのだが、それは気のせいではないだろう。覗き見を見逃してくれたのも、優しさや気紛れではない思惑があるはずだ。

 薄ら寒さを感じながら、会談が終わるまでの全てを頭に叩き込もうと集中していた。




「ほほう。なんとも面白そうな連中じゃな。わしも近くで見たかったわい」

「不謹慎な口は止せ」

「じゃから面白いのじゃろうが。そもそも妖怪は人を化かすような、趣味の悪いものばかりじゃろ」

「ふむ。確かに間違っていたか。では訂正しよう。面白がるからには結果を出さねばならぬぞ」

「ほ。無論じゃとも」


 帰ってきた信太郎は依頼主の家で永と合流した。

 精神が消耗していたが、楽しげな永の前では多少は休まる。これでまだまだ励む事が出来ると、改めて為すべき仕事を意識した。


 得られた情報は幾つもあった。

 蛇の話の通じなさ。百足の厄介さ。不戦の約定。それぞれの町に住む人間の陳情。

 そして蛇の姉に起きた不幸。

 これが、行方知れずとなった太紋が引き起こした復讐の結果なのかもしれない。

 ただ、決めつけるには疑わしい。


「ただの人間があの蛇に危害を加えられると思うか?」

「ふむ。わしが聞いたところ、太紋という男は単なる芝居好きの魚売りだったようじゃ。主のように鍛えておった訳ではない」

「では無関係か?」

「さて、の。酔わせて寝ておる間に殺したのかもしれん。人がようやる手じゃろ?」

「ああ。その場合は有り得るな……」


 眉根を寄せて頷く信太郎。

 様々な伝説、伝承。確かに人は、相手が遥かな強者であろうと手段を選ばずに退治してきた。可能性だけなら幾らでも考えられるのだ。

 より深い調査が必要。周囲の山中の捜索もあるが、やはり蛇と直接話をしなければならない。

 しかし相手にされるかどうか。

 良くて門前払い、悪ければ問答無用の戦闘といったところだろうか。先が見えない。


「永。おれより主の方が話になるか」

「蛇次第じゃが厳しかろうな。こういう人の上に立った気になっておる輩は体面にこだわるからの。余所者の介入は嫌うじゃろう」

「では、おれが力を示して認められるか、あるいは相応の対価か……」

「いや、考える必要はないかもしれんぞ?」


 信太郎が悩む前で、永が面白くなさそうな顔を外に向けた。意識すれば町が騒がしくなってきている。

 新たな揉め事。目の前で起きたのなら見過ごす訳にはいかない。それも永が反応したからには普通ではない出来事か。

 素早く外に出て、手近な人に尋ねる。


「何事ですか?」

「殺されたんだよ!」


 不穏な言葉。息を呑み、しかし即座に平常心を整えて尋ね返す。


「どなたが」

「蛇様だよ! 末の子の呑流どんりゅう様だ!」


 信太郎は目を見張る。永も珍しく深刻な顔。

 喚き、混乱し、あわてふためく人の群れ。秋の恵みを享受していた町が、今や狂乱の只中にあった。


 支配者たる蛇の死。

 この町の事件は、果たしてどう転がっていくのか。

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