二 天高く蛇睨む秋

 紅葉に日が当たって眩しい。風も涼しく、過ごしやすい空気は美しい景色の見物を促してくれる。

 季節は秋となり、自然は姿を変えた。金色の稲穂が揺れ、収穫される作物は荷車を埋め、山中にも実りが溢れる。

 それは人里にも訪れていた。町中を歩けば屋台から香りが漂い、人が集まって繁盛。景気が良いのか、顔に笑顔を浮かべる者が多い。賑やかな喧騒は秋がもたらす豊かさの象徴とも言えた。


 その中を並んで行く夫婦は、しかし生憎と恩恵を受けられないでいた。


「永よ。そう難しい顔をするな。ほら、何か食べたらどうだ。欲しい物は買えるぞ」

「腹は減っておらん。機嫌を食い物で直そうとするのは愚か者の極みよ」

「済まぬ。次は気をつけよう」


 低い声と一睨み。常ならぬ冷たさであしらわれ、信太郎は大人しく引き下がるしかなかった。

 それだけの深い不機嫌。触れたくないような剣呑さは、最早敵意すら感じる。

 ただ、一応その見当はついていた。


 蛇である。

 賑わう町のそこかしこに蛇の置物や絵、文字があった。像には供え物があり、店の蛇にちなんだ商品は続々と買い求められ、住人は当然のものとして扱っている。かなりの人気だ。

 現在いるここは、川を用いた水運で栄えた町。川の流れを司る蛇神を奉るのは当然と言えば当然ではある。

 しかし余所者には、それも違う妖怪にとっては、話が変わる。


「主は他の妖怪を嫌っておるようだが、何故だ」

「ふん。嫌いではないわ。縄張りに敏感なだけよ」

「ならばそれは警戒故か? それとも相手から警戒されておるが故か?」

「どちらも違うておる。縄張り故の我が物顔が気に食わぬだけの話よ」

「そうか。危険はないのだな。ならばもう少しだけでも受け入れられぬものか」

「無理じゃな。わしは何者にも邪魔されたくないからの」


 断固な口調ではっきりと永は言った。強情。譲りそうもない。

 これはいち早く他の町に向かった方がいいのかもしれない。

 しかしそれで日没までに辿り着けずに野宿となればやはり不満だろう。

 どうすべきか悩む。考えに集中する。妻の問題は真剣に答えを出さねばならないと心血を注ぐ。


 そのせいで人にぶつかってしまった。


「っと、危ねえな! 前見て歩け!」

「申し訳ありません。お怪我などはありませんか」

「は! ある訳ねえだろ馬鹿にすんな!」

「失礼しました」


 乱暴な物言いにも、信太郎はあくまで丁寧な対応。

 ただし相手の中年の男は血走った目に荒い息の、尋常でない様子だった。大きく舌打ちすると、肩を揺らして去っていく。

 目に真剣な光を宿す信太郎。

 夫婦の問題から、意識を完全に切り替えた。中年男の後ろ姿を見据え、永に告げる。


「後を追うぞ。様子がおかしい」

「好きにせい。わしはここらで待っておるわい」


 しかし永はそばの川魚の屋台を真剣な目で見据えていた。

 いつの間にか資金もしっかり握っている。腹は減ってないと言っていたが気が変わったのか。それとも厄介事が嫌なのか。

 何にせよ時間は無い。説得は不可能。ならばすべきは一つだ。


「分かった。なるべくすぐに戻る」

「期待はせん。のんびりしておってもよいぞ」


 単独で人波をかき分け、素早く追いかける。

 件の彼はやはり他人に迷惑をかけながら進んでいく。足取りに迷いはない上に速く、目的はしっかり定まっているように見えた。追い付くのはさほど難しくないが、果たして目的はなんなのか。


 そして、彼以外にも気になる点が。


「……これは」


 不可思議な圧力に、信太郎は息を呑んだ。

 妖怪、それも強い気配だ。

 ここは蛇神を奉る町。実際に本物がいるという事か。

 男も気配の濃い方へ向かっている。

 これでは永が嫌がるはずだ。納得しつつ足を速める。


 と、件の彼は既に道の真ん中で止まっていた。


「お願いします! どうか話をお聞き下され!」


 地面にひれ伏し、懸命に乞う。乱暴さは消えてすっかり様変わりしていた。

 その乞われた相手は貴族のような高貴な印象の顔立ちと豪華な服装の男だった。いや、人でない存在だった。

 それは高圧的に人間を見下す。


「邪魔をするでない。ね」

「そこをどうか!」

「聞こえなんだか」


 瞬時に出現する大きな蛇の尻尾。

 それが唸り、強烈に叩きつけられ、男が飛んだ。宙を舞って壁に激突し、白目を剥いて地に落ち、崩れる。

 それで終わり。何事もなかったかのように、人へと化けた蛇は悠々と歩む。

 周囲の人々は何も言わず、ただ畏怖をもって受け入れている。蛇の方が立場は上で、礼を失した男が罰を受けるのは事実当然の結末なのだろう。

 倒れた男に駆け寄ったのは信太郎だけだ。


「今助けます!」


 声をかけ素早く状態を確認。

 息はあるが、何本も骨が折れている酷い怪我だ。相手を考えるとこれでも好運の部類か。命に別状が無いのは、殺意のない、単なるあしらいだったせいだろう。


「あ……う……あんた……」

「手当てをします。今はどうか安静に」


 気を失った彼に、処置を手早く済ませる。

 それはそれとして、予想と大幅に異なる結果に、信太郎は更なる波乱の気配を感じていた。




 人に場所を尋ねて向かった先は男の家。

 布団に眠らせていた彼が目を覚ましたのは、気温も冷えてきた夕暮れ時だった。


「助けられたな。その前にぶつかった時も、悪かった」

「いえ、お気になさらず」


 穏やかなやりとり。憑き物が落ちたかのように男は落ち着いて喋っている。これが彼本来の性格だろうか。

 合流した永は部屋の隅で戦利品を並べていた。焼き魚や餅といった食べ物だけでなく、雑貨類も買っていたようだ。人の家でもお構い無しの自由さである。


 気にしても仕方がないので、本題を切り出す。


「それより、何があったのです?」


 重い空気。痛い沈黙。

 ややあって、男は辛そうに語り始める。


「……息子がな、いなくなっちまったんだ」


 とつとつと語るその様は、悲しみと嘆きに満ちていた。年の頃は四十から五十といったところだが、一気に老け込んだように見える。


「息子は太紋たもんというんだが、十日前に嫁を亡くしてな。それから見てらんねえくらいに取り乱して、憔悴して、心配してたら、夜中の内に消えちまってた」

「お悔やみ申し上げます。しかし何故蛇に直談判をしたのです。どのような関係があるのですか?」

「太紋が何度も言ってたんだよ。あいつらのせいだ、蛇のせいだ百足のせいだ、ってな」


 そう言い残して消えたのなら、復讐の為に姿を消したとも考えられる。あるいは返り討ちにあったとも。

 蛇が知っていると思い、直談判するのも頷ける。

 が、もう一つの要素も見逃せない。


「蛇だけでなく、百足ですか」

「ああ。山ん中にある鉱山の町じゃ百足を崇めてんだ。そのせいで、昔っから町同士で喧嘩ばかりよ」


 大蛇と大百足の対立。

 それは藤原秀郷の逸話にもある、歴史の深いものである。両者の因縁は根深いが、未だ残っていたとは驚きだ。

 それが、嫁の死とどう繋がるのか。今はまだ見当もつかない。


「今日はな、百足との話し合いがあるってんで、蛇様が出てくるのは分かってた。だから狙ったんだが、この様よ。せめて、生きてるかどうかぐらいは知りたかったんだが……」


 うつむき、悔しげに顔が歪む。声も弱々しい。見てるこちらも辛くなる程、ひたすらに無力さを嘆いている。

 根拠の弱い手がかりに懸けて、この結果。確かに、か弱い人間には残念ながら限界がある。

 しかし親子の情。尊い行動理念。それ自体に恥じるところはないのだ。


 こういう時こそ、信太郎は力になりたいと願う。


「分かりました。私が太紋殿の行方を突きとめましょう」

「い、いやしかし、難しいんじゃあ……」

「お任せ下さい。このような分野が私の専門ですから」


 励ますように笑い、信太郎は胸を張って請け負う。

 永の面倒そうな溜め息が響いた。これ見よがしの主張は、しかし本気の嫌悪ではないように思える。

 多少は気に入らないのだろうが、買い食いの分ぐらいは支えてもらいたい。


 人を助ける。これこそが信太郎の罪滅ぼしであり望みであり、唯一幸せになれる道なのだから。

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