十 海なる母と人の欲

 空気の暑さと砂や日射しの熱さ、ねばつく潮風、不快さを幾つも備えた砂浜なれど、広々と見渡す一面の青は爽快さを持つ。一仕事終えた永はおかめの面を付けたまま、気分を変えて景色を眺めていた。

 その前で進むやりとりに、最早興味は半分もない。

 仕える妖怪が声をかければ、人に化けた人魚は目を開く。


「お目覚めでございますかな、姫様」

「うひぃっ! ……ああ、なんだ青黒ね」

「気分の悪いお目覚めにして申し訳ありませんな」


 黒い体からは表情は読めない。それでも悲鳴をあげられた海坊主には気を落とした印象を受けた。当の姫も察してか、ばつが悪そうに謝る。

 その後元の様子に戻った海坊主は永の方に向き直った。


「改めて感謝致しますぞ」

「ほ。ならばとっとと礼を寄越して欲しいものよの」

「はい。勿論用意させて頂きまする。ところで、その者は?」


 困った顔で砂浜に座る勺二郎に目を向ける。警戒ではなく興味が強いのは、一仕事成した永への信頼故か。

 既に親子の事情を知る永は、探るように尋ね返す。


「覚えはないかの?」

「はて。人の顔など、どれも似たようなものばかりで覚えられませんで」

「ほ。まあ、海に住んでおれば仕方あるまいて。その小娘を見つけるよう、わしらに頼んだ男じゃ」

「はあ、成る程。それではそちらにも褒美が必要ですかな」


 どうやら本気で気付いていない。わざわざ教えてやるのも面倒なのでこのまま放置しておく。

 海坊主はそれで興味を失ったようで、姫を海へと促す。


「さ、姫様。帰りましょうぞ。皆気を揉んでいまする」

「……嫌。まだ帰れない」


 ぷいと顔を背ける。まるで子供の駄々めいた仕草。実際幼いのだから、妖怪だろうとこんなものか。

 そして勺二郎を期待するように見つめる。が、彼は知らん顔で離れていった。

 失望してうつむく姫に、海坊主は人間の親がするように言い含める。


「それはなりません。我々も隠すには限界なのです」

「嫌。無理」

「となれば母君を呼ぶしかありませんが」

「それだけは止めて!」


 大声を張って大人を困らせる。その様は見た目だけでなく中身も幼い少女なのだと主張してしまっている。だから保護者とは平行線にしかならない。

 海の妖怪達はやかましく言い争う。

 その原因は、複雑な顔で喧嘩を見ている人間にもあった。

 永は彼を見下し、冷ややかに苦言を呈する。


「そこまで気にするのならば明かしてしまえばよろしいのではないですか。あなたの一言で解決しますよ」

「いいえ、解決どころか余計にこじらせてしまいます」

「やれやれ。強情ですね。全くとんだ父も──」


 話の途中に、横槍。無粋な敵意を捉えて永は動いた。

 まず勺二郎を突き飛ばし、更には腕を振るい浜を抉って豪快に砂を巻き上げる。

 その意図に気付いたか、勺二郎は姫へ向かって飛びついた。


 そして、爆音。

 多数の殺意が降り注ぐ。砂の幕を抜け、無数の鉛玉が砂浜に突き刺さっていく。

 煙に、弾痕。わずかな時間の内に浜の景色は一変してしまった。


「姫様! ご無事でございまするか!?」

「え、ええ……わたしは。ですが……」

「あ、がはっ……」


 砂を巻き上げた事が功を奏したか。弾はあちこちへ散り、ほとんどは大外れ。とはいえ海坊主と勺二郎に命中してしまった弾があった。

 流れる血潮。ぐったりと力を失った体。

 海坊主は軽症で済んだようだが、勺二郎は咄嗟に娘を庇い、瀕死の重症を負っていた。人魚は青い顔で呆然と見ている。

 親としての責務を果たしたつもりだろうが、永としては認められない。きちんと違う形で果たすべきだ。


 数は力であり、道具もまた力。多くの銃火器は容易く達人との差を埋める。

 いかに妖怪といえど、下手を打てば命を落とすだろう。


 その首謀者が、高い位置から鷹揚に声をかけてくる。


「んふははは。これこの通り。金があれば化け物退治も楽にこなせるものよ」


 潮目屋交左衛門。

 多数の銃手を従え、馬に乗り、まるで乱世の戦場のよう。一端の将気取りか。

 しかし、肝心の化け物退治は、決して楽にこなせてなどいない。

 無傷の永は面の奥から侮蔑の眼差しを向ける。


「見る目がないようですね。これは商人にとって命取りです。廃業された方がよろしいのではありませんか」

「んはは。そうして人を侮るから、化け物は人に退治されるのだよ」

「それは否定しません。時に人は化け物を凌駕します。……ええ、重々承知していますとも」


 街中の逃走劇で永もまた人ではないと知られたか。潮目屋には侮蔑的な目を向けられた。

 しかし永はそんな彼から視線を外し、遠い目でしみじみと語る。思い出すのはかつての死闘。旦那が力と意思を示した、あの戦い。

 だからこそ、永は圧を強めて断言する。


「ですがあなたには不可能です。人を踏み外す者として相応しい覚悟も品位も足りません」

「化け物が吠えよる。金にならぬのだから引っ込んでおれ。無駄金など使いたくないわ」

「ええ、引っ込みますとも」

「んん? 何を企んでおる?」

「いいえ何も。単に、あなたに罰を下すに相応しい方が対応するという話です」

「んははは。下らん。罰などわしが受けるものではないわ」


 興味無さそうに事実を告げるが、潮目屋は勝ち誇ったようにほくそ笑んだ。

 鈍重な輩はこれだから救いが無い。心底呆れる永。

 此処には既に、強きモノの気配が満ちているというのに。


 それが、徐々に誰にでも分かりやすくなる。

 うねる波。響く潮騒。

 晴れた空に似つかわしくない、嵐のような荒れよう。海が不吉さを伴い、ざわめく。

 銃を構える配下に動揺が広がり、それは人魚と海坊主も同様。震えながら海に目が引き付けられている。


 そんな彼らの、前で。

 海面を割り、影が姿を現す。巨大な、海を司るモノの影が。


「……全く心配ばかりかけて、立場の自覚がない子です。波花、青黒。帰ったらお説教ですからね」


 影は空を覆い、浜辺を支配する。

 人魚。だが身の丈が姫とは桁違い。人間とは比べるまでもなく、そこらの木ややぐらよりも高く、まるで丘を見上げるかのよう。

 怒りの表情ではあるが、あくまで不機嫌という印象。恐怖を抱かせるものではない。あくまで娘──波花を叱る母の顔つきだった。


 それでも、異質で強大な存在感は、それだけで場を圧する。

 恐れおののく人の群れ。次々腰を抜かし、ぼろぼろ銃を取り落とす。圧倒的な優位は消え去ってしまった。

 その中で、唯一。潮目屋だけは怖いもの知らずの振る舞いを見せた。


「おお、おお! おお見よあれだ! さあ撃て! 撃て! 撃て! あれだけの大物を仕入れられるのならば、報酬は十倍にしてやるぞ!」


 気前の良い号令により、我を取り戻す手下達。次々と顔つきが変わり、自棄を起こしたように構える。恐れを上回ってしまうのが人の欲の強さか。

 弾ける破裂音。無数の弾丸が放たれ、襲いかかる。


 しかし相手は、海の大妖。既に応手を打っていた。

 海原から不吉な音が轟き、やがて視界を埋め尽くす程の大波が発生。

 海水が弾丸を食らい、そのまま浜の全てを呑み込んだ。

 人をさらい、砂を流し、地を覆う。水が引くと、数多くいたはずの銃手はすっかり消え去っていた。

 そしてたった一人残る、潮目屋。

 充血した目で松の木にしがみついていた。ひとえに執念。欲望一つで波の圧に抗ったのだ。

 余裕はすっかり剥がれ、みっともなく喚く。


「おい貴様ら! 金なら幾らでもやるぞ! あの大人魚を狩れ!」

「ふうん。私に幾らの値をつけるので?」


 遥かな高みから、楽しげな声。顔はにこにこと笑っているが、異様に迫力がある。状況を踏まえてもどう考えても楽しんではいない。

 ただ、既に正気でないのか。潮目屋は真っ向から叫ぶ。


「安心せい! 安くは扱わん! いかようにも値は吊り上げてやるぞ! 望むなら雇ってやってもいい!」

「では、娘には?」


 今度こそはっきりと凄みを効かせた顔で問う。強大な妖怪としての、恐怖を与える為のそれだ。

 ただしその威圧も、欲に眩みきった瞳には映っていない。


「ふむ。値はどうしても落ちるな。それは仕方ないが、だとしても本物の人魚。そこらの美術品には負けぬ値が付こう!」

「……いっそ清々しいですね。これが大物なのかもしれません。波花、これが人の業です。よく見ておきなさい」


 呆れたように息を吐き、厳しい母の顔で忠告。

 そして浜に手をついて体勢を低くし、顔を下げて小さな相手に視線を合わせると、潮目屋に力ある言葉をぶつけた。


「あなたはいずれ病に罹るでしょう。あなただけでなく、関わる人間も、町全体も苦しみます。そして、それは、金では解決しません」

「ふざけた事を抜かすな! 私の金ならば出来ぬ事など何一つない!」

「ではなんとかしてみるといいでしょう」


 言うが早いか、潮目屋は苦しみだした。顔にはようやくの、恐れ。ようやく立場を理解して、それでも濁った瞳で海の主を見据えている。

 海神のたたり。

 いずれ、は今となった。聞き分けの無い愚か者へ、罰を下す。


「治す手段は一つ」


 狂乱の男に、海の主は淡々と告げる。


「あなたが、この海を、敬う事です。決して欲を持って手を出さないように。わたしは常に見ています。福も罰も、あなたの行動次第である事を理解しなさい」

「な、わた、しのか──」


 反論も出来ず、泡を吹いて倒れた男。息はあるようだが、今後の生活には不自由がつきまとうだろう。海に住むモノ達にも安全が保証されたはずだ。

 これにて問題は解決。そう断言していい。


 あとに残るのは、


「懐かしい顔ですね。息災でなにより」


 体を起こして海に戻り、再び高みから語りかける。その相手は今やこの場唯一の、人間。


「……ああ。姫のおかげだ。いやもう姫ではないのか」


 気まずげに俯いていたが、意を決して向き合い勺二郎は答えた。

 彼はいつの間にか綺麗に傷が塞がっている。重症がまるで幻だったかのように、無傷。


「え!? あっ、やっぱり!? 本当に!?」


 それに驚くのが波花。

 治った体に加えて母と知り合いである事実。母を恐れ呑まれていた娘の人魚は、今やその代わりに混乱と興奮の極みにあった。

 事態を全く呑み込めない娘を優しく見つめ、海の主は柔らかく微笑んだ。


「さ、家族水入らずでお話しましょうか」

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