八 妖しきを斬る剣士

 蝉の鳴く夏空の下、眩しいばかりの緑が映える庭。常ならば美しく整えられた憩いの場が、今は生死を懸ける場であった。

 斬り合う刀の音と気合いの声が、暑い空気を壊し、響く。


「せいやぁ!」

「ふっ!」


 交わされた攻防は既に無数。

 両者共に傷はほぼ無く、実力は互角。端からみれば見事な剣劇にさえ見えるか。ただ、やはりこれは真剣勝負だ。

 手数多く攻めているのは用心棒、虎八。荒々しく強烈な太刀筋は、力任せでなく全てに筋が通っている。

 それにきっちり反応し、信太郎は手堅く守る。そして機を見極めては速く鋭い一撃。

 しかしどちらも当たらず、決め手に欠けていた。


 故に自然と苛烈さが増し、激しくぶつかる。ところが正面から鍔迫り合いになると、虎八は信太郎の刀に目を留めた。


「ほおう、名刀だな。幾らだ?」

「ある方から授けられた品でな。到底買える物ではない」

「そうか、残念だな」

「残念……何がだ?」

「この刀は俺が買った。俺が稼いだ金で。俺が、俺の力を売った金で。だから、より価値がある」


 大きく口元を歪めて笑うその顔には恍惚が満ちている。力と金。それらが自信の源、この男の理念を成しているらしい。


「よほど銭に執着があるらしいな」

「悪いか?」

「いや。おれより余程人らしい」

「だろう?」


 笑みとともに押し込んでくる力が増す。自信に裏打ちされた剛力。確かに認めざるを得ない。人の欲は力になる。

 立ち向かう信太郎の源は、己の信念。地獄へ落ちる前に、より多くを救う。


 改めて呼吸を意識し、こちらも力を込めて弾く。そして素早く後退。

 直後に矢が通り過ぎる。

 横槍。視線だけを動かしてみれば、手に武器を持った数人の荒くれ者が周りを囲んでいる。これまで手を出せずにいたのが、膠着したところて狙ってきたか。


「卑怯とは言わぬが、主は良いのか? 手柄が減るだろう」

「稼ぐ機会は皆平等。独り占めは悪人のやる事だぜ?」

「成る程。道理は弁えている」


 気配を探り、数と位置を確認。注意すべき箇所を素早く頭に叩き込む。

 とはいえ目前からも気を抜けない。矢よりも遥かに危険だ。

 それに、潮目屋の財力を考えれば、新手が、しかも弓矢だけでなく何丁もの銃が出てきてもおかしくないだろう。最悪の想定はしておいて間違いはない。

 よって警戒は全方位を浅く広く。深い集中力を要するが、苦難は日常。問題は無い。

 長く息を吐き、戦意を整える。


 戦闘の再開は矢によって強制的に決められた。

 それを避けたところに、虎八の刃。横から刀を当てて受け流すと、即座に切り返して連撃に繋げてきたので大きく距離をとる。

 飛来した矢を刀の腹で受け、そして数人の荒くれに出くわす。挟み撃ち。

 ならばと躊躇なく前進し、男の大振りな山刀を難なくかわして懐へ。柄を顎に食らわせればあっさり倒れた。そのまま流して峰打ちを隣の男の肩へ。膝から崩れて通り道が空いたところで払って、もう一人。

 それから落ちた山刀を拾い、投げる。迫る凶器に慌てて射手は散った。ひとまずは一掃。

 一呼吸おいて、間近にあった虎八の殺気と向き合う。甲高い金属音が野次のように鳴った。


 荒くれ達の動きは、連携というには雑。あくまで個々が勝手に動いて、勝手に合わせているのだろう。ならばやりようは無数にある。


 まずは位置取り。

 確認した射手との間に虎八や他の者がくるように調整すれば、まず飛んでこない。

 奇襲のつもりだろうが足音で丸分かりなので後ろを見ずに対応。斬り合いの最中に急に横っ飛びすれば、代わりに食らいかけた虎八が棍棒を切ってくれた。

 が、その切れ端が、回転しながら信太郎へ向かって飛んでくる。攻防兼ね備える、狙い澄ました一手。

 感嘆しつつ、しゃがんで避ける。その間に距離を詰められ、振り下ろされるは必殺の刃だ。

 立つのを諦めて低い姿勢のまま横に転がる。次々に周囲へ突き刺さる矢。そしてすぐ先には男の影。

 ここは先手を取る。勢いをつけて跳ね起き、体当たりで体勢を浮かし、そのまま盾として持ち上げて射手へ突き進む。情けなく慌てる小男に鉄火場の覚悟は見えない。

 そして衝突。射手は肉体と塀に挟まれ、もう一人は頭を打って気絶する。人の立てる音が減り、蝉の声がよく響いていた。


 これで虎八以外は全員片付いたか。再び一対一。改めて対峙する。


 両者静かに気迫を高める。

 構えを変えた。刀を立て、上段。一撃に懸ける意思表示。虎八も同じく上段に構えを揃えた。

 そして駆ける。息つく間もなく間合いの内へ至る。

 瞬間、気炎の雄叫び。虎八は真っ直ぐ脳天へ向けて振り下ろした。空気が悲鳴のように唸る。

 目にも留まらぬ一撃は、しかし額の皮と鼻だけを切った。先読みしていた信太郎は、後ろに下がって紙一重でかわす。

 更に足を使い間合いを調整。一歩遅れて、引きながらも華麗に振り抜いた。

 痛打を叩き込んだ先は、手首。


「ぐ、うあ!」


 苦悶の呻きと、嫌な鈍い音。

 骨を折ったのだ。もう握れない刀を取り落とし、虎八は地にうずくまる。


「手当ては後でしてもらうんだな」

「これで終わりだと? 冗談じゃねえ。それじゃあ、金が貰えねえじゃねえか……」


 怨嗟の声。執着に満ちた無念は痛々しく、おぞましい。

 それでも信太郎は動じない。呼吸を整え、刀を鞘に納めた。戦意を切り替える。

 念を入れて他の相手を警戒しつつ、潮目屋を探すべく歩を進めていく。人の気配はところどころに感じる。見つけるのは時間の問題だろう。


 が、背後から、重い殺気。

 機敏に振り返り、練達の速さで抜刀して迫る一刀を防ぐ。


「あの手で何故動く?」

「へっ。驚いてやがんな」


 勝ち誇った顔の虎八。

 確かに折れたはずの手が治っていた。痣すらもない綺麗な肌だ。鍔迫り合いにも問題なく力を発揮している。


 回復。再生。

 異常事態だが、この戦いの発端を考えれば思い当たる節は、ある。


「……まさか、人魚の肉か?」

「おう。旦那が売ってくれたぜ。ほんの欠片でも馬鹿みてえにぼったくられたがな」


 人魚の肉は不老不死の妙薬。

 潮目屋は語っていた通りに人魚との関わりが深かったようだ。下手すると他の妖怪に纏わる品も扱っているのかもしれない。


 気になるが、ただ今は戦いに集中。

 無力化するには下手な怪我程度では駄目らしい。

 欠片故の不完全な不死を期待しての持久戦。あるいは拘束。普通に戦うよりも当然難しい。


 しかし、良い点もある。

 信太郎は目付き鋭く、気を引き締め直す。


「これからは妖怪相手のつもりで戦わせてもらう」

「光栄だな」


 虎八は好戦的に笑い、殺気が漏れる。

 刃を滑らせ、切っ先を信太郎の顔面へ伸ばしてきた。視界には鋼が煌めく。

 真横で風鳴り。顔を逸らして避けると、次は片手を離した虎八に刀を掴まれた。無理矢理に引っ張り防御をこじ開けられる。

 空いた隙間に、袈裟斬り。

 回避は間に合ったものの、二の腕がざくりとやられた。繋がってはいるが力が入りにくい。痛みを噛み殺し、追撃を受けとめる。傷に響いても耐えるしかない。耐えられる。

 二太刀三太刀、その間隙を見定め、的確な反撃の払いを見舞う。

 しかし俊敏に避けられてしまった。きっちりと間合い寸前までの後退。既に見極められている。

 そこから、片手での鋭い突きが脇腹に放たれた。肉を穿ち、血が伝う。薙がれると腹が裂ける。抉られる。

 だから前進。筋肉で絞め、深々と刺さる刀を閉じ込めた。体の隅々までもが己の武具であるが故の安全策。

 そしてここは絶好の機会でもある。


 真っ直ぐに、一閃。

 虎八の腕が刀ごと体から離れた。血飛沫が力強い枝振りの松を汚す。


「あ、ぐうあ!?」


 絶叫。しかし斬られた断面が既に不気味に蠢いている。再生するようだが時間はかかるらしい。

 だからその前に叩く。

 峰で顔を殴り、柄で頭を殴り、間を与えない一方的な連続攻撃。

 治る前の痣だらけの体で、尚も殺気は衰えない。しっかりと重い拳や足が反撃に飛んでくる。

 しかし、流石に無駄な足掻きだ。


「ぐ、てめっ!」


 連打の果てに地面へと倒す。それから腕が握ったままの虎八の刀を抜いて、一息に突き刺した。首の横、襟元を貫き、縫い止める。念を入れ、体重をかけて踏んでより深く、鍔まで押し込んだ。山刀も拾ってきて同じようにし、動きを封じる。

 暴れ、もがく虎八だが、その成果は無い。ただ負傷が治っていくばかりで、それが余計に矜持に傷をつけるのか。渋い顔で憎々しげに毒づく。


「……糞。容赦ねえな」

「いやまだ甘い。妖怪相手のつもりだと言ったはずだが、この程度では河童も斬れぬよ。やはり人は勝手が違う」


 無念そうに首を振る。真剣な反省。仕事が片付いたのなら、戦いの中の行動を一つ一つ振り返りたいところだ。

 ただ、今はやるべき事を優先させなければ。


「さ、今度こそ次へ行かせてもらおうか。妻達も心配なのでな」

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