七 海の姫は何に化ける

「ほう。人魚が蔵から消えた理由が分かったと。確かであろうな」

「はい。間違いはないかと」


 朝、まだ夏の暑さも緩い頃合い。趣味の悪い装飾と見栄が溢れる部屋で、信太郎は潮目屋と対面する。

 相変わらずの人の悪い笑み。用心棒の視線は鋭く、警戒心は強い。

 傍らの永はともかく、そわそわしている勺二郎は少なからず心配だった。


「ならば誰だ。誰がわしを裏切った。有助か。参兵衛か。それとも他の者か」


 凄む潮目屋からは裏切り者への怒りが否応なく感じられた。もし名前を答えたら何をするつもりなのか、想像に難くない。

 しかし裏切りを確信する潮目屋に対し、信太郎は首を横に振った。


「いいえ。誰も裏切ってはおりませぬ」

「何? ならばあれが一匹で逃げたと? そんな訳がなかろうが」


 潮目屋は眉根を寄せ、低い声で否定してくる。

 身内への疑いが強い。信用していないのは、それだけ己が後ろ暗い行いをしてきたからだろうか。

 感情を表に出さず、信太郎は問い返す。


「何故そう思うのです」

「何故も何も、手も足も無い人魚が、どうやってあれだけで逃げられるのだ」

「いいえ。そもそも人魚という認識が間違っているのです。彼女は海の妖怪、化け物なのです。化けるからこそ、化け物。故に、手も足もある人にも化けられるのでしょう」


 潮目屋に向けてあえて化け物と言ったが、正確な表現ではないだろう。

 化けるのはなにも化け物だけでない。多くの神も様々な姿で人の前に現れる。そして神と妖怪の区別は曖昧だ。

 人の姿で陸の神に嫁いだ海神の姫が、子を産む際に本来の姿へ戻ったという話もある。

 海坊主の話によれば、あの絵の人魚も海神に連なるモノの姫。永も、人の面影のない鮫の姿に化けたと言っていた。完全な人の姿に化ける事も有り得るはずだ。

 つまり、事は単純。


「人に化けた彼女はあらかじめ桶を出て入り口傍に隠れており、扉を開けた者が奥へ行った隙に逃げた、とそれが真実でしょう」

「ほう」


 潮目屋から険がとれた。顔にあるのは純粋な喜び。

 説明に納得してくれたのか。

 背を反らして大きく笑い、機嫌が良さそうに喋る。


「誰もわしを裏切っていない、とは喜ばしい事だな。いや、やはりその方らに任せたのは正しい判断であった」

「お分かり頂けましたか」

「で、今は、何処にいると?」


 雲行きが急激に怪しくなった。

 潮目屋は目を鋭く細める。声も低く、意図的に圧をかけているのだと分かる。

 未だ嫌疑は終わっていない。間違いが命取りになり得る。無論、その取られる命は人魚のものだ。

 気を引き締め直し、信太郎ははっきりと告げる。


「無論、もう海へ帰ったものと思われます」

「それは嘘だな」


 即座の否定。断定。確信を持った一突き。

 流石に予想してなかった信太郎は、不覚にも声に動揺を表してしまった。


「いいえ、嘘など申しませぬ。確かに海に帰った確認はしておりませぬが、屋敷に姿がない以上そう考える方が自然かと思われます」

「いや、知っておるはずだ。確認もしたな? 話もしたのではないか?」

「いいえ、滅相もございませぬ」

「んん? どれがいいえだ。居場所は知っておるが、話はしていないか?」


 厳しい疑念に、内心で冷や汗をかく信太郎。表面上は繕えていると思いたいが、それも見透かされているのかもしれない。

 これは商人のしての才、人を見る目だろうか。

 潮目屋は次に目を永に向けた。


「ならばそちらの女か。人魚と話しただろう?」

「いいえ。何処にいるかも知れない者と話をする事はできません」

「成る程。化け物同士、気が合うのだな」


 不意を突く言葉にも動じないよう、心身を抑える二人。油断ならないと舌を巻く。

 何が判断の基準となったのか。尻尾は出していないはずだが、何か見聞きされていたか、それとも勘か。この男はこの男で化け物なのか。

 勺二郎はもうはっきりと顔に出ている。混乱と焦燥の極致だ。

 場の支配を握るのは潮目屋。力を持った視線と言葉で、容赦なく攻め立ててくる。


「では……屋敷の中か、外か」

「……生憎、存じません」

「……ふん。流石は化け物か」


 面白くなさそうに吐き捨てた潮目屋。追及が緩んだのは永の方が上手だったのか。と、そんな油断は、まだ出来ない。

 警戒を続ける信太郎の前で、潮目屋は遠くを見るように視線を動かし、ゆったりと語り始めた。


「わしはな、実を言うと、人魚を扱ったのは初めてではないのだ。若い頃に浜に打ち上げられているのを見つけ、見世物小屋を開いたのが初めだ。助けてくれ海に帰してくれと喚かれたが、構わずにな。肉を切り分けて売りもした。その金を元手にして、この成功を果たしたのだ。分かるか。人魚は良い金に化ける。そしてわしにとって原点であり、幸運の証なのだ。故に、手離すつもりは、ない」


 語りは静かな熱を帯び、揺るがぬ欲で締め括られた。

 執着。狂気。潮目屋の存在を規定する全てが、人魚を欲している。

 睨む目に宿るのは強烈な意思。低い、ドスの効いた声で、命令を投げかけてきた。


「答えろ。答えぬと言うのであれば」

「済みませぬが、我々はこれにて失礼させて頂きます」


 潮目屋を遮り、信太郎は立ち上がった。

 礼儀を捨て、強い拒絶を示す。

 これは負けを認めたも同然。話し合いで解決出来ぬ未熟を恥じる。

 永も促す前に立ち、あとはまだ戸惑いの中にいる勺二郎を強引にでも立たせればいい。その後は荒事になってしまうだろうが、それは想定済みだ。


「残念だ。良い商売になったかもしれぬのに」


 頭を振る潮目屋。溜め息を吐き、本気で残念がっているような表情をしている。


 と、次の瞬間。

 甲高い金属音が響いた。

 室内を荒らす烈風。ぶつかり合う気迫。信太郎と用心棒が、鍔迫り合い。瞬く間に室内は戦場へと一変していた。


「永、やはり強行突破だ。頼む」

「かしこまりました、旦那様」


 目の前の相手から意識を外さず、手短に次善の手を確認。勺二郎を軽々と脇に抱え、瞬く間に永は消えた。

 不可思議な現象にも全く動じる事なく、潮目屋は指示を出す。


「それは斬って良い。女の方に吐かせる」

「承知!」


 命に応え、用心棒は気炎をあげた。

 四方八方からの素早い連撃。唸る風より速く、体に響くほど重い。単なる力自慢などではなく、しっかりと剣術を身に付けている動き。それも達人級である。

 全てが命を取りに来る殺気を纏っており、目にも留まらぬような早業。実に手強い。

 ただし信太郎も譲らない。妖怪相手に戦ってきたのは伊達ではないのだ。どれだけ速かろうと、しっかり見えている。

 火花を散らし、激しく渡り合った。


 その横を、潮目屋はまるで平穏な場であるかのようにゆったりと歩いていく。


「早く終わらせよ。わしは他に用がある」

「委細承知!」


 それを有言実行するように、用心棒は気迫を増して構え直す。

 そして大上段からの強烈な打ち下ろしが放たれた。

 耳をつんざく金属音。

 なんとか斜めに逸らして防いだが、それでも重い。腕がびりびりと痺れる。顔が歪む。名刀でなければ折れていただろう一撃。

 用心棒は戦意の熱い、好戦的な顔つきで笑った。追撃が来る。

 そう思った信太郎は集中し、後の先を意識した。

 がしかし、用心棒は突然刀を引き、だらりと隙だらけの姿勢で下げた。


「……強えな。場所を変えるか。物を壊さねえように斬り合ってちゃ、早く終わらせらんねえや」

「そうだな。ここでは事が為せない」

「お、分かってくれたかい?」


 相手の言葉に乗って、信太郎は庭の方へ体を向ける。用心棒も同様に庭へ。

 そこで信太郎は一歩目を、反対側の潮目屋が出ていった襖の方へと出した。そのまま一息に駆けようと足を動かす。騙し討ちの一手。

 そこに、高速の突きが伸びてきた。

 危なげなく体を反らして避けるが、やはり無視する事は難しいか。反転し、構え直す。


「ったく。油断も隙も無えな!」

「失礼。おれは人でなし故にな」

「へっ。俺も似たようなモンよ。人を斬るしか能が無え」


 剣の冴えに加え、口がよく回る用心棒。しかし彼はこれまで、常に無言で控えていたはず。

 印象の変化に、浮かぶ違和感。好奇心に気をとられては情けないが、解消すべく口を開いた。


「よく喋る。それが主の素なのか? 行儀良くしていたのは辛かったろう」

「おう。息が詰まってしょうがねえ」

「ならば何故あの男に雇われている」

「そりゃあ金よ。他に何がある?」


 単純で俗な理由。剣の業を極めるには不釣り合いと思われるが、他人がとやかく言うものでもないか。

 とにかく強敵。それだけは間違いないのだ。


 話に気をとられている内に手近な壺を掴み、力任せに投げた。

 目を見開く用心棒。しかしすぐに切り替えて刀を振るう。ただし今までの殺意のあった刃と違い、柔らかい流線の軌道だ。

 的確に勢いを殺し、壺を割る事なく無事に床へと下ろしてみせた。正しく技の極致。


「ふう、危ねえな。幾らするか分かったもんじゃねえ」

「見事。……主よ、名は?」

「虎八。そっちは」

「信太郎」

「そうかい。覚えたぜ」


 互いに相手を見据えつつ歩き、障子を開け、縁側から降り、履き物を履く。それまで両者手は出さない。

 そうして堂々と庭で対峙。砂利を踏みしめ、愛刀を構えた。


 そして男達は、斬り結ぶ。


「いざ、参る」

「おう、参る!」

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