五 糸を切った人魚

 城下町には、その規模を誇る立派な館があった。周辺の海産物を始めとした様々な特産品を一手に扱う大商人の館である。この地においては武士、城主でさえ影響を無視出来ない程の規模であり、さながら支配者の住まいだ。


 門から屈強な番人が控え、庭も木から池まで入念に手入れされ、廊下も艶やかに磨かれ、通された客間も広かった。

 金や銀で飾り付けられた調度品、職人の傑作、高価な品々がとにかく数を誇るように並べられている。一つ一つは良くても全体的に趣味の悪い部屋に見えた。

 主は人の良さそうな笑いを浮かべるが、どうしても表面だけの雰囲気がある。警戒心からか、裏に隠された暗い色を探してしまう。邪推ならばいいのだが。


「いやはや。急なお呼び立て申し訳ない。しかし必要な事でしてな。承諾してくれてなにより」


 潮目屋しおめや交左衛門こうざえもん。でっぷりとした体型に厳めしい顔付きの、貫禄に満ちた商人である。

 信太郎達を呼んだ荒くれ者達の雇い主だけある。今も傍には眼光鋭い用心棒が控えている。佇まいからして恐らく達人。単純に自衛しているというより、恨みを買う心当たりがあるが故の対応のように思えた。


 警戒はしつつも、態度はあくまで穏和に柔和に。話し合いの基本を守りたいが、永と勺二郎は言動の予想がつかない。

 信太郎が代表して問う。


「私共への用とはなんなのでしょう。人魚の絵を広める事は、お怒りに触れる事でしたでしょうか」

「いえいえ。そのような事は。ただ、あの人魚は私が先に取り扱うはず、というだけでして」

「何を言う! そんな権利がある訳──」

「失礼」


 怒りに声を荒らげた勺二郎を手で制する。

 が、信太郎も内心は同じ気持ちだ。やはりこの商人が失踪の原因であるらしい。言葉の選び方からも悪質さが窺えた。

 場の緊張感が増す。空気がひりつく。

 相手の用心棒も腰の刀に触れた。ただ潮目屋だけは、相変わらずのふてぶてしい愛想笑いで話を続ける。


「ああ、お気になさらず。お客の反発はよくあることなので。それより、私はあなた方の目的を承知しておるのです。故に、探してほしいのですな」

「……探す、とは」

「消えてしまったのですよ」


 思わぬ展開に意表を突かれた。

 逃げられたか。逃がした者がいるのか。

 二人とも顔を見合わせ、視線で意見を交わす。戸惑いや疑いも強いが、まずは信用して話を聞くべきだ。連れて逃げるには苦労するだろうが、こちらも神社姫を探す手がかりは欲しい。


「ええ、それがお呼び立てした理由ですな。あなた方は人魚についてよく知っているようなので、お手伝いしてもらおうと思いました訳でして」

「……確かに私共は人魚について、よく知っております。捜索を引き受けましょう」

「信太郎殿!?」

「ただし。その前に一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


 勺二郎の動揺は永がなだめてくれた。

 怒気は抑えながらも威圧する鋭い視線を向け、信太郎は問いかける。


「見つかった人魚は、どうされるおつもりなのでしょうか」

「ええ、それでしたら、見世物小屋の目玉にしようかと。まあ、町人に飽きが来たら、不老不死の妙薬としての販売を試してみるのも悪くないと思いますがね」

「……成る程。分かりました」


 至って平静に。感じたものを全て隠した答えを返す。

 神社姫と名乗っていたはずだが、見た目から人魚と同じだと思っている。そして慣れた様子は、過去にも同じ事をしてきたと察せられた。

 妖怪相手では人の法の外とはいえ、認め難い。


 勺二郎でさえ怒りの余りに無言。赤い顔が強烈な敵意を叩きつけるように発していた。

 どれだけ鈍くても分かるはず。

 なのに余裕の笑みでいられるのは、用心棒をそれだけ高く評価しているからか。他にも何か理由があるのか。


「それでは、早速捜索を始めさせて頂きます」

「うむ。よろしく頼んだぞ」


 気掛かりを心に留め、一行は退室した。

 最後に見た潮目屋の顔は、やはり薄気味悪い笑顔だった。




「それでは、これより私が案内させて頂きます」


 客間の外に待っていたのは、固い顔に線の細い青年。生真面目そうな印象の彼は有介ありすけと名乗った。

 当然監視の役目もあるだろう。丁寧な物腰ながらも時折抜け目無い視線が刺さるのを感じる。


 道中、この様子では望みは薄いかもしれないと思いつつ、人魚についての詳しい経緯を尋ねてみる。すると意外にあっさりと教えてくれた。捜索への協力は惜しまないらしい。後に問題は残るが、今は遠慮しないでおく事にした。


「あの人魚の絵と噂がこの町に届いたのは、五日程前でしたか。主はすぐに指示を出されました。どんな手段を使ってでも手に入れてくるように、と。それであの漁村まで店の者が向かいました」

「強引に連れてきたのか!?」

「いえ、交渉しましたとも。人魚は自分の絵を広めてくれるのなら、小さな漁村よりも城下町の方が多くの人に広まるのなら、と喜んで付いてきました」

「喜んで!? そんなもの嘘にきまっている!」

「落ち着きなさいませ。あなた様はただ心配しているだけの、他に何も知らない人間でしょう。そう決めつけで否定しても良いものなのでしょうか」


 憤る勺二郎を永が止める。冷ややかな瞳は沈黙を強制させ、すごすごと下がらせた。

 確かに有介の話の真偽は分からない。そして人魚の思惑も分からないのだ。それだけ己の絵を広める事が重大なのかもしれない。不審な申し出にもすがりたくなる程に重要な使命だったのかもしれない。


 ただ、あくまでその時点での承諾、という所が問題になる。


「潮目屋殿はどのようなお考えなのでしょう。人魚が自ら逃げたのか、何者かが逃がしたのか」

「……主は内部の者を疑っておられます。私も含めて」


 有介の沈んだ声に本音が見えた。息苦しさに参っている。

 言葉の通り、屋敷の中は刺々しい雰囲気だった。

 廊下を進んでいても、会うのは暗い顔ばかり。すれ違う人々は疑心暗鬼に取りつかれているように見えた。


 自業自得とも言い切れない。と同情を抱くが、一時の感傷だと切り捨てる。あくまで優先するのは神社姫なのだ。

 速やかに母屋を離れ、整った庭を通り、幾つか並ぶ蔵の前に立った。


「ここが、人魚のいた蔵です」


 流石は大商人の蔵。立派な造りは素人目にも違いが分かる。だがそんな蔵も、紹介された内容で妖しげな印象を受けてしまった。

 そして番の男が棒を手に立っていた。


「こちらが参兵衛。私と共に人魚が消えている場面を発見した者です」


 有介よりやや年上の男である。三白眼に、鍛えられた筋肉、そして刺青が覗く。町で呼び出した荒くれ者の手下か、その縁で雇われたのかもしれない。

 相手が相手でも、信太郎は頭を下げて丁寧に話す。


「よろしくお願いします。早速ですが、人魚が消えた際の状況をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「……言える事なんざ大してありませんがね」


 ぶっきらぼうに言いつつ、参兵衛は中へと歩いていく。

 桐の箱がずらりと並ぶ棚よりも興味を引くのが、奥に置いてある大きな木桶。水で満たされている上に鱗も落ちていて、そこに神社姫が居たのだと分かる。

 ここだけが異質さを放つ。


「こういう風に二人で普通に入ってあの中を見たら、居なくなっていた。それだけなんで」

「錠があり、貴方も見張っています。誰にも気取られずに蔵へ入る手段はあるのでしょうか」

「無い、はずだが、そうなるとおれ達が疑われる。だから知りてえのはこっちの方だ」

「成る程。ちなみに中へ入った理由はなんだったのでしょうか」

「飯だよ。弱られても困る。何食うか分からねえって難儀してたが、魚と貝なら食ってたぜ」


 扱いは最悪の想像よりは良かったらしい。

 だとしても納得には及ばない。閉じ込めている時点で気分の良い話にはならない。救い出すべき事態だ。

 例え人魚本人に、譲れない望みがあったもしても。


「この中を調べさせてもらいますが、よろしいでしょうか」

「はい。こちらからもよろしくお願いします」


 有介と参兵衛は入り口に戻って陣取る。監視に余念はない。

 そのようにして始まった蔵の調査だが、勺二郎の動きが早かった。まずは床に這いつくばって、鱗や水の跡を探す事にしたらしい。必死な思いが溢れている。

 信太郎と永も続こうとしゃがんだ。

 その直後。有介と参兵衛、それから勺二郎にも聞こえないよう、永が小声で言ってきた。


「のう旦那様。どう逃げたか、当てはもうついておるのじゃろ」

「ああ。ついている。ただ普通に出ていっただけだ。証左はまだ見つけていないがまず間違いないだろう」


 信太郎は自信に満ちた発言を返す。他の者らには聞かせられないが、既に消えた謎は解けていた。いや謎ですらなかった。

 しかし顔は曇ったまま。床の手がかりを探す振りをしながら、真剣に考え続けていた。

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