四 陸に人魚を求むる
相変わらず暑い、夏の日。
朝早くに漁村を出発し、街道を歩く。まだ涼しい木陰を選んでいても、暑いものは暑い。海沿いなので風もべたべたと不愉快。信太郎は平然としているが、永の顔は見るからに不機嫌となっていた。愚痴を溢す気力も無いのか長らく無言である。
そんな彼らの道中には、もう一人。
「いやあ、お二方! 随分と歩くのが速いですね!」
「ああ、済みません。気が付きませんでした。少し休憩にしますか?」
「いいえ結構です! 神社姫を助けるのが第一ですからね!」
神社姫捜索の依頼人、勺二郎。汗だくで疲れも見えるのに懸命に後ろをついてくる。
昨日から言葉遣いと態度が少々丁寧になっていた。必死さは相変わらずだが、顔の印象も柔らかい。
それが妙に気にかかった信太郎は単刀直入に尋ねた。
「昨日とは違いますね。私共に安心して下さったというのなら、光栄な話なのですが」
「いやいや、当然の事でしょう。こちらがお願いしている身。お手伝い出来る事なら幾らでもするつもりですよ」
「お言葉に甘える訳にはいきません。私としても矜持がありますから」
「いやあ、やはり立派な方です。見習いたいものですな」
勺二郎は人好きのする笑顔で誉めてきた。ただし意図して作ったような笑顔だ。
違和感の残る信太郎だったが、これ以上は失礼だと無理矢理頭から振り払った。単純に頼みの綱を逃がしたくないと、機嫌をとっているだけかもしれないのだ。
永の正体を隠している上に、荒事も予想される。よって当初は二人だけで行くつもりだったが、この依頼人が自ら道中の案内を申し出たのである。
行き先は城下町。神社姫を連れ去った者の狙いが何であろうと、人と金と情報が集まる大きな町なのだから拠点としている可能性は高い。例え推測が外れていても痕跡や噂、手がかりは得られやすい。行く価値はある。
当然二人に土地勘は無い。危険はあれど案内の申し出自体は有り難い。そこで秤にかけた。
多少の不都合や危険があろうと、この申し出は受ける。その方が解決まで速やかに進むだろう。
そう判断した。
しかし、この選択、永に不満があるのは重々承知の上で決めていたのだ。
だから、これも予想はしていた。
勺二郎との会話が途切れたところで、永が距離をつめてくる。顔を寄せ、もう一人に漏れないように、こそこそと話を切り出した。
「のう。あやつは本当に必要かえ? 知らぬ土地だろうと道を辿れば着くじゃろうに」
「必要な理由は案内だけではない。あれだけの熱意がある人間だ。事件解決の場に居合わせられるように努力するのが人情だろう」
「はん。つまらん優しさじゃの。それでわしらが苦労しては世話無いわ」
「それにもう一つ。おれ達は甲斐性無しと山姥だ。普通の市井の人間の知恵や感覚が必要となる事もあるだろう」
「自らはともかく、わしまで一緒に馬鹿にするでないわ。甲斐性無しと自覚するのはいいが改める努力もすべきじゃろうに」
「それは済まぬ。しかしそれならば、普通の手を考える頭があるのか?」
「妖怪に何を期待しておる。じゃが、少なくとも主よりは自信があるわい」
「例えばなんだ? どうやって探す?」
「匂いを辿れば良かろ。人魚など磯臭いに決まっておる」
「では今も辿っているのか? ならば話は早いのだが」
「……風で散っておるわ。遠いしの。匂いはせん。じゃが町に着いたら分かるじゃろう」
「そうか。では着いたら頼もう」
顔を逸らし、悔しげに認める永。今は頼りにならない。
鼻を鳴らして切り上げ、無言の行進に戻ったのだった。
周囲を見回し、鼻を動かす。少し移動して、再び鼻を動かす。何度も同じ行動を繰り返し、長い時間を消費する。その間、ずっと顔は不機嫌なまま。
それは、一つの事実を意味していた。
「どうだ? 追えるか?」
「そこら中が磯臭いの」
「まあ、海が近いからな。海産物はこの辺りの名物だ」
「慰めは要らんぞ。存分に嘲笑うがいいわ」
そう言いつつ、再び悔しげに歯噛みする永。あまりの悔しさにそれはそれは恐ろしい形相になっている。信太郎はそっとしておく事にした。
城下町には昼前には着いた。
勺二郎と手分けして神社姫を探したが、とりあえず見世物小屋にはいなかった。
やはり簡単なところに手がかりは無い。
「さて、となれば片っ端から聞いて回るか」
「阿呆。手間がかかり過ぎるわ。荒くれ者を探して殴り込めば良い」
「乱暴な手に過ぎる。苛立ちは分かるが、八つ当たりは止めた方が良い」
図星なのか、永は拗ねたようにそっぽを向いた。当分はこうなのだろうか。
夫婦だけでは話が進まない。そこで勺二郎に意見を求めた。
「絵を広めましょう! 興味を引いて人々に情報を募るのですよ!」
神社姫の絵。漁村で当の人魚が広めようとしたもの。
少し考え、信太郎は賛同する。
「……ふむ、確かに。人の興味を引けますし、神社姫を連れ去った人間も、これだけ都合の悪い事をしている怪しい人間を放っておきはしないでしょう」
情報は集まりやすく、相手の方から接触してくる可能性も高い。有効な手だ。
ただし実行には問題がある。
すぐに理解したらしく、永が不機嫌なままに言った。
「資金はあるのでしょうか。残念ですが私共はその日暮らしの日々でして、金銭の余裕はありません」
絵師に注文するにしても、版画で刷るにしても、無一文では相手にしてくれない。
生き生きしていた勺二郎も顔を曇らせてしまった。
「……一応、これくらいなら……」
「足りないでしょうな」
「いえ、ですが! 紙と筆と墨なら用意できましょう!」
要は自分達で描く、というのだ。確かにそれしかないのか。
顔を見合わせ、三者は頷いた。
となれば早い。早速宿を取り、道具を準備し、一時絵に励んだ。
その結果、夫婦は絵の分野については似た者同士だという事が判明した。
「それは萎びた大根かえ?」
「そちらは人でも魚でもなく鳥に見えるが」
「……」
「……」
「止めじゃ。わしらの争いなど不毛でしか無いわ」
「ああ、全くだ」
「……あ、あー、誰にでも向き不向きはありますし、仕方のないですよ」
なだめる勺二郎は見事に美しい顔の人魚を描き上げていた。二人は完敗である。
そういう訳なので一人で頑張ってもらった。同じものを何枚も何枚も。苦しそうには見えなかったが手は痛めていたかもしれない。
次の試練は広める事。
興味を引きやすいと判断した。だが怪しい人間による怪しい絵だと、警戒される場合だって考えられたのだ。
「これなるは海神様の姫のお姿。飾るだけで有り難い御利益のある代物にございます。さあさ、あなたも飾ってみてはいかがですか」
これには永が全力で愛嬌を振り撒く事によって解決した。
化けた姿は、とにかく目を見張る程の美人なのだ。それだけでもう話は順調に進む。
艶やかに笑み、甘く声をかけ、ちやほやされる。
以前嫉妬を期待されたが、こちらに見向きもしない妻を長らく見続けるのは確かに良い気はしなかった。だが解決の為には仕方ないと割り切る。
永を目当てにした乱暴者に絡まれる騒動はあれど、永自らが赤子の手を捻るようにあっさり撃退。その爽快な一幕が更に人を呼んだ。
首尾は上々。あとは目的が釣れるかどうか。
町並みに目を光らせながら永を見守り続けていると、その時は、不意に訪れた。
ドスの効いた声が人垣を割る。
「人魚の絵を広めてんなぁ、あんた達だな? ちっと付いてきちゃくれねえか」
禿頭に傷が目立つ顔、着崩した着物から刺青が覗く。更には背後に似たような荒くれ者を数人従えていた。
声をかけてきたのは見るからに善良な町人とは言えない人物だった。
無事、獲物が餌に食いついたのである。
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