十五 晴れた日に行く、悪の道

「此度の助力、誠に感謝致す」


 信太郎と永に、滝姫が深い礼で思いを示した。普段の言動の印象とは異なる、整った美しい姿勢。それだけ強い感謝が伝わる。

 しかしそれ故に困るのが信太郎。畏れ多いと頭を下げ返し、偉そうに胸を張る永とも口喧嘩となってしまう。


 八幡宮の鳥居の外。力を借りた御礼参りに来て、その帰りがけの出来事である。

 鮮やかな新緑に包まれ、鳥や虫の声が聞こえる。自然も人の賑やかさに負けていない。これこそ戦いの結果に得た平穏である。


 河童騒動は一件落着。

 鬱々とした長雨は止み、太陽が天に輝く。久々の晴れ空に、ついつい眩しいのも構わず見上げてしまう。

 とはいえ各地の被害は大きい。救済は必要だが、領主の指揮の下に皆尽力している。復興は近いだろう。

 河童の長は討伐。祟られぬよう、神職を呼び丁重に弔った。

 そして新たな長となった酒丸に、人に危害を加えないと新たに誓わせた。強い力を持った契約であり、破れる事はまず無い。永もきつく言い聞かせていたので、心配は無用だろう。

 気がかりはやはり滝姫。来六の墓参りと河童達の様子を見る為に、沼へ定期的に訪れると言っているのだ。説得したところで無断で抜け出す。止められる者はいない。新たな火種を作りたい訳ではなく、彼女には必要な事なので仕方ないのである。

 旦那の仲間は自分にとっても友。無理矢理誓いを守らせるのではなく、真に友好を結びたいとの事だ。いつかはそんな日も訪れるだろう。


 陣屋に招かれての、領主直々の正式な挨拶はあった。報奨も勿論、長い議論の末に受け取っている。祝宴のご馳走を味わう永が実に満足そうだったのも信太郎はよく覚えていた。

 よってこれは滝姫の個人的な挨拶。勝手に抜け出しての、後で親族や家臣にも咎められる類いの行動だ。武家の娘としては不適格だが、お転婆姫なのだからこれもまた仕方ない。

 許され愛される彼女の人柄。やはりひと味違う。


 顔を上げ姿勢を正した滝姫は、一振りの刀を差し出してきた。飾りの無い、実用性を重視した武骨な物だ。


「さ、褒美だ」

「いいえ、光栄ですが受け取れませぬ」

「ほう、断るか。ならば叩っ斬る」

「……御冗談を」

「本気だとも。人の好意を無下にする甲斐性無しは叩き直さねばならぬのでな」


 そう言って永と顔を見合わせ、笑った。

 血の気の引く冗談。妙なところで気の合う二人に女傑の恐ろしさを見る。あくまでこの二人が特殊なだけのはずだが。

 大きな溜め息を一つ。観念し、受け取る。そしてその質を見定めて驚きに息を呑んだ。


「……これは、逸品ではありませぬか?」

「この地で一番の刀工の作だな。刀は使ってこそ。主のような男に使われるのなら本望だろうさ」

「しかし、私は大してお役に立てなかった身。番之助殿も居りませぬし」

「は。案ずるな。番之助殿は既に受け取っておる。それに……これはお永への贈り物だ」


 次に取り出したのはかんざし

 銀の平打ちで、丸い枠には花紋の透かし彫りが施されている。これまた見事な作りの代物だった。


「有り難うございます。ああ、可愛らしい細工でございますね」

「気に入ったか。質素な物が趣味かとも思ったが」

「いえ、これはつまらない男の趣味でございます。私としては華美な物も身に付けたいと思っておりましたので」

「なんと、嘆かわしい事だな」

「ええ、全く。質素と貧乏を履き違えた男でして」

「ははっ。苦労するな!」


 賑やかに楽しげに盛り上がる二人。

 いたたまれない。気まずい。信太郎はそれでも耐えて話を聞き続けた。それだけしか出来ずにいた。文句は言えない。


「さ、そろそろ話は仕舞いにするか。では、旅先の幸せを祈る」

「幸せなど不相応なこの身ですが、御心遣いに感謝します」

「申し訳ございません。後で叱りつけておきます」

「はっは! 話は聞いたがな。なに、坊主によれば地獄の罰は何千年も続くらしい。ならば十年や二十年幸せだろうと閻魔様は御目溢しくださるだろうさ」

「……そうでしょうか」

「そうでしょうね」

「うむ! まあ仲睦まじく旅するが良い!」


 明るい笑顔に見送られ、緑の道へと出発。

 良い出会いであったと心から思った。願わくば幸せであれと、こちらこそ心から祈る。






「ふうむ。客のようじゃな」

「ああ」


 短く答え、信太郎は警戒を高めた。

 目前の山道を、仁王立ちする人物が塞いでいたのだ。

 番之助である。厳めしい表情で、目に鮮やかな木々の中に緊張感を作り出している。信太郎と永を見る視線は、罪人を見る時のそれだ。

 理解している。滝姫の対応が異例なのであり、これが普通の対応なのだ。


「此度はこの地を救う為の尽力、感謝する。己も助けられた。主の功は余りに大きい。……だが。だが、しかしだ。人食いの山姥と刑から逃げた罪人が……よもや、お咎め無しとは思っておらぬよな?」

「まさか。己の悪事は己がよく知っているとも」

「ならば大人しくお縄につけい。山姥諸ともにな。さすれば、恩情は己からも進言しよう」

「それは出来ぬ」


 強く、キッパリと拒否する信太郎。罪人と自認して尚、その瞳に後ろ暗い色は無い。


 一度は追い付いてきたこの機会に、今度こそ罰を受けるべきとも思った。

 だが滝姫の仇討ちを傍で見ていて、改めて考えたのだ。

 かつて罪人として牢に捕まっていた時、永もこんな顔をしていたのか。これだけの思いで助け出してくれたのだろうか。と。

 きっと、あるのだろう。今も、強い思いと理由が。

 だとしたら、無下に出来ない。人の道から逸れた恩返しだが、だとしたら足りぬ恩を返すにはこちらも逸れねばならない。

 勝手な思い込みかもしれないが、そうであればいいと思ってしまっている。手遅れなのだ。もう。


 だから逃げる。

 一度決めた選択を貫くには、開き直りと言われようと、自己肯定し続ける必要がある。否定する者を踏みにじる必要が、ある。


「おれは、我が儘な人でなしだ。地獄に行く迄は、妻の為に生きる」


 永は愉快げに声をあげて笑う。信太郎は真顔で、あくまで真剣な態度を崩さない。

 一方的な、非難も承知の宣言。しかし番之助に反論は無く、むしろ分かっていた、という風に頷いた。ただ、大人しく認める気も無いようだが。


「ならば、致し方無し」

「ああ、致し方無し」


 問答無用。ならば武力解決。

 双方刀を抜き、構える。

 授かったばかりの刀を使うのは忍びないが、祈られた幸せの為であると言い訳する。それにどうやら相手の刀も滝姫からの報奨らしい。名刀に対抗するには名刀しかないか。


 信太郎は切っ先を右後方に向けた脇構え、番之助は切っ先を上に向けた八相の構え。

 永は小馬鹿にしたような笑みで両者を眺めているが、向かい合う二人の目には入っていない。ただ、剣のみの世界に没入している。

 空気が、硬く渇く。斬り合いの環境を形成する。神聖な、暴力の気配が高まっていく。


「いざ、尋常に」

「参る」


 踏み込みは同時。

 瞬きの後に疾風と音がごうと駆け抜けた。遅れて、空気が緩みを取り戻す。


 決着は一太刀。

 片方の刃は横に大きく逸れ、もう片方の峰が相手の即頭部を打ち据えている。番之助の振り下ろしに、信太郎が低い姿勢から放った打撃が勝ったのだ。

 敗者の体が、ゆっくりと崩れ落ちる。その直前の顔にあったのは、勝者を称える輝き。


 納刀し、一礼する信太郎。そして振り返ると塞がれていた道を堂々と歩いてゆく。

 その後ろから、永が薄く笑いながらついてきた。


「ほう。戦友に躊躇無しとは。全く酷い男じゃの」

「ああ、おれは酷い。だが、化け物の妻と釣り合おうとすれば、まだ足りぬさ」

「わしは酷い女かえ? 確かに違いないが、優しい嘘は夫婦円満の秘訣じゃぞ?」

「酷いとは思っておらぬ。主はただ、化け物なだけだろう」

「ふむ。ま、及第点じゃな。どうせなら良い妻だと誉めるべきじゃろうが」


 いつまでも続きそうな、説教じみた永の要求。これも悪くはない。むしろこの時間が好ましくすらある。

 とはいえ話を区切り、信太郎は顔を向けて問う。


「この先はどうする? 幸せを祈られておるのだ。良い行き先を探さねばならぬ」

「そうじゃな。山にはちと飽いた。海でも見物してみるのはどうじゃ?」

「山姥も山に飽きるのか」

「可笑しいかえ?」

「いや、主がそう言うのならそうなのだろう。勉強になった。おれに異論は無い」

「ふふっ。決まりじゃな」


 楽しげに、真面目に。流れるようなお喋りが山中を彩る。


 かくして河童騒動の解決に助力した二人は山を下りる。

 勝手に人を助け、勝手に罰から逃げる。我が儘な人でなしの夫婦は、木漏れ日の眩しさに目を細めつつ、地獄に落ちるまでの一時の幸せを目指すのだ。





第二章 河童と仇討ち 了

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