第三章 人魚と尋ね人

一 人でなしの旅路、夏の日

「のう旦那様よ。美しい妻に涼を味わわせたいとは思わんか」


 永が気だるげにぼやいた。着崩し、汗が日を浴びて輝く、見る人によっては見惚れるような艶姿だが、いかなる妖術か人々には察知されない。隣の信太郎もまた、至極平然と歩いている。暑さにも、永に対しても。それにも妻は不満そうだ。


 旅の途中、宿場町。昼を過ぎ、雑多な人々で賑わう。山から来た者も海から来た者も混ざる大きな町だ。

 季節はすっかり夏となり、蒸し暑い日々が続く。蝉もそこかしこで鳴き、蚊が生き血を狙って飛び回る。ただし、本能が危険を報せるのか、虫も永だけは避けていた。代わりに信太郎が多く刺される。その痒さも当然の如く耐えていた。


「ふむ。山姥とて暑さには弱いか」

「当然じゃろう。同類は煮られ焼かれて殺されておるのじゃ。主が知らん訳あるまい」

「それもそうだ。何が欲しい」

「ほ? これは珍しい。夏の暑さと山姥を殺す熱は別だと言わんのか」

「必要なのだろう? 無粋な指摘は控えるとも」

「ほお。少々気味が悪いが、まあ甘えるとするかの。ならば……あれじゃ」


 永がすっと指したのは、心太ところてんの屋台。

 人だかりが出来ており、期待する顔と喜ぶ顔が並んでいる。人気の品らしい。

 信太郎は頷き、歩き出す。心太の屋台を素通りして道の先へ。


「承知した。ならば行こうか」

「何処へじゃ。阿呆」

「無論銭を稼ぎに、だが。手持ちが無いのだから仕方あるまい」

「はあ。これはわしの方が考え無しの阿呆じゃった。悪かったの。さて、どうすれば食えるかの」

「下手な事は考えるな。盗みは止めるぞ」

「分かっておるわい」


 真顔のままずんずんと進む信太郎に対し、永は深々と溜め息を吐いて続いた。


 怪奇事件の解決、あるいは用心棒。

 信太郎が得意とするそれらは高額な報酬が期待出来るが、そうそう転がってはいない。太平の世なのだ。

 地元の寺社に行けば草薙衆としての情報網はあるだろうが、手配を警戒すれば気軽に利用出来ない。

 人里に隠れて暮らす妖怪の気配があっても、特に事件がなければ乱したくはなかった。


 これまでの道中でも路銀については苦労していた。だが仕事が見つからなければ、山で食糧を確保して、信太郎だけは満足だった。

 それは罰や償いを求めていたせいもあったのだろうし、当然の責務として永にも強いていた。


 だが。

 罰を受ける事や償う事と、幸せになるという事は、別に分けて考えてもいいのかもしれない。と、そんな心境の変化が、河童と滝姫の一件の後から少しずつ起きている。

 罪と共に添い遂げると決めた相手。積極的に永の望みを叶えるのだ。


 だから今は、人の集まる場へ赴いて噂話を尋ねる。地道な活動こそ近道と信じて。

 困っている人間は顔色を見れば分かる。観察眼は鍛えたつもりだ。それに、場所も重要だ。例え相手にされずとも困れば武家を頼る。故に奉行所の前を見張っていれば現れる可能性は高い。

 実際困っている人は多かった。

 しかし他人の色恋沙汰や仕事の愚痴ばかり。稼ぎ話とは簡単には出会えない。それでも折れずに話を聞いていく。

 そしてあくせく働いた。ちょっとした荷運びの手伝いや失せ物の捜索などだ。

 代わりに握り飯や漬け物を貰う。目的とは違っても要求はせず、断らず、喜んで受け取る。全てが有り難い事だと理解しているからだ。


 銭は、遠い。


「いや何をしておるのじゃ阿呆。本気で銭を稼ぐ気があるのかえ」


 一休みしていたところを、呆れ顔の永に見下された。心底がっかりしたような冷たい顔でだ。そういえば途中からいなかったと遅ればせながら気付く。

 注意不足配慮不足は恥じるばかりだが、この言葉には納得出来ない。立ち上がり真面目に反論する。


「無論あるに決まっている。だからこうして探しておるのだろう」

「ならば外れの話をいつまでも聞くでないわ。とっとと次へ次へと行くべきじゃろう」

「それは話をしてくれた方に失礼だ。それに、心当たりのある人を紹介してくれるかもしれんだろう」

「じゃから必要無いわ。わしの手をよく見てみい」

「なんと」


 目を見開いて、間抜け面で信太郎は驚く。

 永は既に心太の器を持っているではないか。

 姿を見ていなかった間に、一体何をしでかしたのか。様々な推測を考える難しい顔に、呆れた風な声が投げられる。


「全く、甲斐性の無い旦那を持つと苦労するの」

「どうやって手に入れたのだ」

「わしの顔をよう見てみい」

「顔がどうした?」

「甲斐性無しには勿体無い程の美人なのじゃぞ」


 雑踏を見渡せば、成る程周りの男達の目が熱い。信太郎への妬みの悪意も感じられる。

 本性が山姥だろうと、化けてしまえば関係無い。むしろそれこそが化かすという事だ。

 信太郎が理解したと確認した永は勝ち誇った顔で離れると、心太を一口すすり、そして大袈裟な態度で誉めた。


「嗚呼。これは美味しゅうございます。冷たく、つるりと喉ごしも楽しく、素晴らしい逸品ですね」

「お姉さん、気に入ったのならもう一杯どうだい?」

「宜しいのですか? はい。ありがとうございます」


 表情、仕草、作り込まれた色気。幸せそうな笑顔の永に、店主が再び奢る。見事に鼻の下が緩い。他の男も同様だ。

 確かにすっかり見慣れて忘れていたが、美人はそれだけで色々と得するものだ。いや、よく観察すれば普段より美人に化けている気もする。得をする為に。


 そう、これは当たり前の話。

 永はもしかしたら信太郎よりもずっと町に慣れているかもしれない。いや間違いなく馴染んでいる。

 それは、非常に良い傾向だ。人と妖怪の境界はそれほど高くないという、共に生きていけるという証明にもなる。

 喜ばしいと、信太郎は一人微笑み頷く。


 が、それに文句を言いたげな永。余所事を考えていると見透かされているからだろうか。この場面はやはり、男達に人気の妻を心配か嫉妬かするべきだったかもしれない。

 と、これもまた分かりやすかったのか。

 やれやれと溜め息を吐き、美しき妻は器を差し出してくれる。


「ほうら、あなたもどうです?」


 素直に受け取り、一口。自然と口元が緩む。

 確かにつるりとした食感が心地よい。この暑さにも適している。永の美食を見る目は正しかったようだ。


「美味い」

「ええ。そうでしょう」


 簡単なやりとりでも、途端に周りが騒がしくなる。嫉妬で騒動にでも発展しそうな荒々しい気配。しかし永が笑顔でお願いすれば、面白いように黙った。一件落着。


 心太を食べ終えた二人は揃って歩き出す。

 その行き先は定まっていない。困り事を抱えた人間を、何かしらの仕事を探して歩いている。満足した永には悪いが、銭は、やはり必要なのだ。


「なあ、永。宿賃は無いままなのだが、流石におれの分まで只にならぬだろうし、してはならぬぞ」

「甲斐性無しめ。いやこれはわしも抜けておったな。不甲斐ない」

「野宿も手ではあるな。この季節なら問題無かろう」

「阿呆。人間らしくあれと言っておるじゃろうが」


 二人は賑やかに語らいながら仕事を探す。文句や愚痴、その苦労すら、端から見れば楽しげで仲の良い夫婦でしかなかった。

 人の町での、人でなしと妖怪。夏の日の穏やかな一幕である。

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