十一 化け物斬りと河童の戦

「南無八幡大菩薩」


 信太郎と番之助は強く真摯に、祈りを捧げる。

 神の力が身体に満ちた。人を超えた戦いに必要な儀式を終え、その先は、戦場。


「はあっ!」

「クワエェッ!」

「せいやあ!」

「ギュイエェッ!」


 沼地の浮島に力のみなぎる声が響いた。水面が震える。風が荒れる。

 体当たりで体勢を崩して投げ飛ばし、低い突進を蹴飛ばして追い払う。手首を叩いて攻撃を止め、すかさず腹を突いて沼へと落とす。

 信太郎が先手を切って陣形を乱せば、番之助も仕掛けてきた相手を的確に打ち払っていった。


 乱戦。

 数え切れない河童の軍団。対するはたったの三人。

 劣勢に挑む同志だからこそ、背中合わせに足る人物だとの信頼が深まっていく。


「助かる、番之助殿。名だたる武者にも劣らぬ強者だ」

「ふふは! 主こそ猛者であるな! 是非とも手合わせしたいところよ!」

「有難い評価だ、が今は抑えられよ」

「無論承知しておる! こは意地でも負けられぬわ!」


 会話しつつも、戦闘に停滞は皆無。集中し、攻防の見極めも冴えている。磨かれた技が繰り出されていく。

 滝姫から預かっていた刀は返したので信太郎は素手。河童も同様だが力試しの相撲とはいかず、命懸けの戦い。掴まれれば土俵の外ではなく、川に叩き込まれ溺れ死ぬ。

 だから、常に警戒して駆け回る。

 先を取った張り手で目の前の相手を後退させると、その隙を狙ってきた右の河童の手を取って投げ、激しく衝突させた。背後の気配に振り向く事なくしゃがみ、立ち上がりながら掲げた腕で頭を掴み、背負って真下へ叩きつけた。

 走って掌打。跳んで蹴足。道が塞がれても飛び越え、皿を踏んで逃げる。袖を掴まれれば、逆に引っ張り返して強引に投げ、肉壁をこじ開ける武器とした。

 激流を沈まずに行く木葉のように、河童の波を乗りこなす。


 番之助は六尺棒を得物としていた。

 払い、突き、打つ。常に間合いを保ち、その内には一寸たりとも近付けさせない。

 腰の入った振り下ろしが河童の肩を砕き、横に滑らせ払いに変化。もう一匹の顔を張りつつ振り抜いて、即座に返しのもう一撃で意識を刈る。左右同時に襲われても、同時に見える速度の二打で撃退。更には残った回転の勢いを増しつつ、前進。縦方向に回転を変えると、沼から上がった直後の河童を狙って強打。沼の底へ叩き返した。

 武具を体の一部のように、見事に使いこなしている。趣味への入れ込みように難はあれど、一流の武人である事に間違いはない。

 どちらの戦闘も、雨を止ませる為に殺害は最小限にすべきだろうとの判断の上にある。元凶たる長だけが標的だ。

 難度は高い。それでも武士団と協力する手を選ばなかったのは、思惑を叶えさせない為、被害を少なくする為、それ以上に滝姫の意思だ。


 仇はこの手で討つ。それが、姫の強固な願い。本来なら不意打ちが失敗した以上は、二人で河童を引き付けて一騎討ちをさせるつもりだった。

 だが、長は向き合おうとしない。配下の河童任せにしている。

 浮島の反対側で、互いに仇と憎悪する、滝姫と長。睨み合ってはいても、沼の中程に立っていて手出しは出来ない。代わりに出すのは口だけだ。

 目の前の戦いに信太郎が集中していても、罵りは甲高く響く。


「粗暴で野蛮。品の無いお方ですね」

「はっは! 応とも! 拙者は荒武者、野蛮な戦いもいといはせぬわ!」

「残念です。やはり人間とは、道理の通じる輩ではないのですね」


 滝姫も男二人と同様に、いや、それ以上の勇猛さで戦っていた。

 風が巻き、水が跳ね、殺気が踊る。

 常人ならざる身のこなしが単騎でも互角の戦いを可能にしていた。


 河童が前傾姿勢になり、突進。滝姫の目の前から腰に手を回そうとしていた。虚を突く奇襲。もし許せば、その先は水の底。

 滝姫は既に反応していた。後ろへ引きながら刀を振り下ろす。峰打ち。難しい体勢にも乱れない美しい太刀筋は美しい音も鳴らし、相手の意識を刈り取った。

 その横から来た河童の手は、身をひねってかわす。そのまま進みつつ、柄を首筋に食い込ませた。

 と、次は足元。裾を掴まれ、引かれる。しかし力は弱く、投げられはせず滝姫の体も微動だにしない。そこで強引に引き摺りながら前に進んだ。

 満足に力を振るうのが無理な状況。

 そのはずだったが、滝姫の刃は雨の中に煌めいた。峰打ちが脱落者を次々と生む。引き摺られる河童も堪えきれずに転がった。強引で無茶な力業でありながら、しかし剣士を魅了する技の冴えも確かにあった。


「さあ! 手下では相手にならんぞ。主が出張るのはまだか? 随分と弱腰なのだな」

「人間ごときがわたくしの相手になるなど、思い上がりもはなはだしい」


 滝姫が熱くなろうと、長は悠然と嗤うばかり。ただ、乱戦の眺めを妖しく楽しむ。


 滝姫は余裕を見せつつも、警戒は怠っていない。河童の中にも当然手強い者はいるだろう。

 河童達は浮島に立つばかりでなく、沼を泳ぎ、潜る。濁り、水中を見通せない沼を活かしている。

 荒々しく踏み込んできた河童を軽くあしらったところ、突然沼から手が伸びてきた。

 水飛沫、波、瞬きの衝動を殺し目を見開いて迎える。横にかわし、逆手に持ち替え真下の水面へ突き刺した。

 が、あったのは影の揺らめき。無数の波紋が騒がしく踊るのみ。

 その一瞬後に来る危機。刀を水中から強く引かれ、負けないよう足を踏ん張る。手応えは重い。拮抗。

 長が優越の自信に満ちた顔で口を出してきた。


「沈みなさい。そして私の偉大さを知りなさい」

「はっは、断る!」


 高らかに笑う滝姫。危機にも焦らず逆に押し、刺した。水中からの叫びと共に力が緩み、引く。

 そして背後の敵を打ち払った。

 しかし一匹にかわされ、懐に入ろうと詰めてきたので手首を返して顔面に柄打ち。わずかな怯みを逃さず、腹を蹴って間合いを確保。

 そこに忍び寄る、沼からの再攻撃。わずかに間に合わず、足を掴まれる。

 沼に引きずり込もうと下へ沈む力がかかるも、今度は剛力で解決。足を振り上げ陸地へ釣り上げた。そのまま踏みつけて行動を封じる。


 一騎当千。危なげなく戦いを繰り広げつつ、視線は長を睨む事を止めない。


 それが、ふと。嗤っていた長の顔が、ぴたりと固まった。


「……何をしたのです」

「はっ、何を言うか。殺し合いの最中であろう。他にする事があるものか!」


 滝姫はとぼけているが、確かに沼に異変はあった。

 水位が下がっている。雨は止まずに降り込んでいるが、それ以上の見て分かる速度で水が減っていく。

 不利な条件の緩和であり、当然事前の打ち合わせにあった信太郎達の策である。


 が、予想以上の反応に少し驚いた。

 圧が沼全体を覆い、息苦しくさせる。憤怒の形相の長。内に秘める静かな怒りだったが、激しい感情を燃やしている。

 周囲の河童が怯え、震える。戦いすら忘れて平伏する。濃厚な殺気と激情による、肌を刺すような存在感が、確かにかつて妖怪以上のモノであったと示す。


「……一体何をしてくれたのですか。私の沼に、私の川に、私の水に!」

「厚化粧が剥がれおったな。まあ、拙者ではない。それだけは教えてやろうぞ!」


 強大な力を持って荒れ狂うモノにも、女武者は怯まない。むしろ猛々しく笑う。

 熱い怒声に、涼しい疾風。河童が怯んでいる今を好機と見て、迅速に行動を起こした。


「信太郎殿」


 戦意に呼応。開けた道を駆け抜け、信太郎は土台となるべく腰を据えた。

 その上を足場にして、滝姫は飛んだ。高く速く軽やかに。番之助が義経公のようだと子供のように目を輝かせた。

 沼を越え、いざ仇敵。

 重く、激しい衝撃。澄んだ音が甲高く鳴る。刀が真下の長の皿へと、上空から叩きつけられた。


 しかし、硬い。刃が通らない。

 滝姫は仕方なく頭を足場にして再び跳び、水位の下がった川底へ着地。そして振り返ると、切っ先を長へ突き付けて吼えた。


「さあ! 見るばかりでなく、直接刃を交えようではないか!」

「……野蛮な」


 憎悪、憤怒、強烈な敵意の視線。女傑の間で火花が散る。

 ただ、沼の異変も忘れてはいない。長は滝姫から目を離さず、冷徹に一言。


「酒丸」


 雨と戦闘の音が満ちていても、命令は的確に届いた。

 控えていた巨漢は呼ばれた途端に飛び込み、川をざぶざぶと遡っていった。


 女傑同士の一騎討ち。そして移動する酒丸。

 ここに仇討ちは新たな局面を迎える。

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