九 宝に導かれる

「さあ、御覚悟を!」


 走る剣風。裂帛の気合い。積み上げた技術に裏打ちされた太刀筋。

 両断を約束された刃は、しかし目的の頭蓋へ届く前に止まる。

 柄を握る手ごと抑え、畳との間でつっかえ棒となった第三者によって。


「ほう。止められるとは思わなんだ」

「少々御待ち下さい、滝姫様」


 熱い殺気に、静かで涼しい顔が対抗する。

 永が突如現れ、割り込んでいた。山姥としての本性ではなく美人に化けた姿である。女同士が流血沙汰の中心となっている様には、絵になる華麗さと妖しさがあった。


「な、何奴だ!?」

「一体、いつ……?」


 大きな動作で驚き、目を白黒させて戸惑う重臣達。常ならぬ事態の連続で、すっかり置いてけぼり。情けないと評するのは酷な話か。唯一混乱していないのは腰を抜かして震える、絶望一色の水増だけだ。

 まだ難を逃れたとは言えない彼の処遇は、女傑の会話にかかっている。


「退け。拙者は其奴を斬らねばならぬ」

「どうか落ち着き下さい。いくら仇とはいえ、ここで斬れば河童は納得しないでしょう」

「それならば問題無い。拙者も首を差し出して詫びる」


 あっさりと言われた返答は、その口調に反し覚悟の上の決断だった。永も黙り、問い返すような無粋はしない。ただ意思を覆す困難さに、心中で頭を抱える。

 代わりに狼狽えたのは家老だ。


「は、なあ、いや! 御待ち下さい滝姫様! どうか、どうか撤回を!」

「私も同意致します。このような男の為に身を捧げる必要は御座いません」

「わ! 私は殺していない!」


 裏返った必死な叫びがこだまする。

 しかし彼を見下ろす視線は寒々しい。

 滝姫。永。無言の圧力は苛烈で、精神的に物理的に発言を妨げる。

 しかし水増も武士の端くれだったか。圧力に抗い、頭を低くしたまま絞り出すように喋った。


「た、確かに宝──妙薬は、私が川辺で盗みました。しかし! 私が見つけた時、既に来六殿は亡くなっていたのです!」


 自白と否定。同情に値するような悲愴を備えた主張だが、相手は敵意の塊。疑惑を晴らすには及ばない。

 殺気を緩めないまま、刀を引かないまま、滝姫は思案するような素振りだけを見せる。


「ふむ。どう思う? 拙者はやはり斬ろうと思うが」

「……一度場所を移してもよろしいでしょうか」

「構わぬ」

「では失礼致します」


 そう言った声が先か、後か。瞬きの間に永は消えた。水増と共に。

 残されたのは再び混乱の只中に突き落とされた重臣達と、静かに納刀する滝姫であった。




 陣屋から下っていく道を行くと、緑に包まれた清流がある。

 生活用水としても欠かせない、土地の人間にとって馴染み深い川だ。勿論河童や他の妖怪にとってもそう。夜は人を引き込む危険な場所であり、奇怪な音や気配に満ち、川沿いには幾つもの祠や道祖神が並ぶ。

 そして来六が殺害されたと疑わしき現場である。

 永と滝姫に陣屋での調査を任せた信太郎は、ここで事件の手がかりを探していた。

 その背後、道と川の境界付近に、唐突に人の気配が生まれる。


「がふ、ごほっ……は? な、はあ!?」


 地面に投げ出されて慌てふためく武士らしき男と、人の悪い笑みを浮かべる永。明らかに人間離れした移動は、正体が人間ではないと明かすようなものだろう。

 山姥である事を隠す気が無いのか、怪しまれても構わないと思っているのか。

 なんにせよ打ち合わせと異なる展開に信太郎は眉をひそめた。


「……また身分が高そうなお人だが、何者だ?」

「河童の宝を盗んだ、水増という名の罪人にございます。しかし殺しはしてないと証言されたので、旦那様の判断を仰ごうかと思い連れて参りました」

「……目星をつけるだけに留めておいてくれ、と言ったはずだが?」

「姫様は直情的な方ですので」

「分かった。姫の御心を計り損ねた俺が悪いな」


 信太郎は少ない言葉でも顛末を察して反省。それから永に感謝する。

 姫がその場で斬ろうとしたので止めざるをえなかったのだ。耐え難きを耐えろ、とはとても言えない。ただ未熟を恥じるばかり。


 だからこそ今後の失態は許されない。

 目の前の男を冷静に見定め、行動。水増が起き上がるのに手を貸し、正しく一礼する。


「妻が失礼致しました。よろしければお話して頂けませぬか。疑いを晴らす為にも必要かと存じます」

「……主は信じてくれるのか?」

「はい。見知った全てを御教え下さるのなら、無実の証明も可能となるでしょう」


 恭しい態度で接すると、水増の顔色が分かりやすく良くなった。

 後ろでは永が、やれやれ礼儀を払う必要もあるまい、と言いたそうな顔をしていたが、そういう訳にもいかない。こういう男は下手に出た方が話が早く進むのだから。

 嘘かどうか、決めるのは後だ。まずは全てを引き出さねばならない。


「水増様は来六殿の手紙を読まれたのですね?」

「……ああ。やはり河童は簡単に信用出来ぬ。必要な事であった」

「それにより宝の受け取りを知って、来六殿の跡を付けられた?」

「…………必要な事であった」


 顔を伏せ、細い声で告げてきた。罪悪感はあるのだろうが、この期に及んでも薄いようだ。無論胸の内を正確には知れないが、それでも断定してしまう。

 後ろでは永が、やはり礼儀は要らぬのではないか、と信太郎にだけ聞こえるように言ってきたが、そういう訳にもいかない。感情のままに追い詰め過ぎても利は無いなのだから。


「しかし川辺では、来六殿が既に亡くなっており、残されていた宝を持ち帰った、という顛末で間違いありませんか」

「ああそうだ」

「来六殿の遺体は川を流れていったようですが、水増様が流されたので?」

「いや、私は知らぬ。壺を持ち帰っただけだ」

「では、来六殿はどのような状態でしたか」

「……頭の皿が割れていた。刀傷は無かった」

「では、宝は持ったまま亡くなっていたのですか」

「……いや、来六殿の傍に落ちていた。……違うな。置いてあった、という方が近いか」


 妙な答えに、信太郎も流石に目を細めた。疑念がじわじわと膨らんでいく。

 後ろでは永が、もっと手っ取り早い方法があるだろうに、と木々の中に棲むモノを見ながら囁いたが、そういう訳にもいかない。力技は最後の手段なのだから。

 まずは問答に全力を尽くす。


「置いてあった、とはどのような意味なのですか」

「真っ直ぐ口が上になっていた上に、蓋もしっかりはまっていたのだ。しかも傷一つ無い状態で……そうだ、張り付いた水草もそのままだった。落としたのではなく、丁寧に置いたような状態であった」

「……間違いありませんか?」

「ああ、しかと覚えておる」


 自信に満ちた顔で都合が良過ぎる状況を証言され、信太郎は判断に悩む。

 やはり罪を逃れる為の嘘なのかと思うが、嘘ならばもっと真実らしい話をするとも思う。非常に疑わしいが、決め手に欠ける。


 だから、この言葉が本当だとしたら。まずはそう考える。

 来六は宝を持っていたところを殺されたのではなく、河童仲間から受け取った宝を一度自ら置いてその後に殺されたという事になる。しかも宝は持ち去られていない。

 何があればこの状況になるだろうか。


 宝を渡せば命は助けると脅され、置いたところを殺された。

 これは違うだろう。

 宝目当てならば置いて逃げる訳が無い。例え水増が来る気配に気付いたとしても、拾うだけの時間はあるはずだ。


 しかし、殺害そのものが目的ならば有り得るだろうか。脅して宝を置かせ、殺して逃げる。宝を残したのは盗んだ人間に疑いを向けさせる為。

 これも考え難い。

 藩を巻き込んだ戦と宝では釣り合わない。ここまで話が大きくなっているのに、今まで水増が疑われる事はなかった。折角疑いを向けさせる工作をしたのだから、使わない手は無いはずだ。


 いや。

 目的は殺害でなく、戦を起こす事そのものだったとしたら。それならば、有り得るだろうか。

 戦によって得られる利点と言えば、出世の為の手柄。それから河童への憎悪があれば、根絶やしに出来る大義名分も利となるか。


 だとしても問題はある。

 下手人は水増も見た手紙を読んで宝の受け取りを知り、水増に先回りして宝を受け取った来六を殺害し、水増に見られる前に離れた。という事になる。

 これでは無理がないだろうか。事前に企みがあったとしても、急に訪れた好機を完璧に活かし過ぎている。宝を贈りに来た河童が去ってから、水増が来るまでのわずかな時間で痕跡を残さず犯行を為す、果たしてそんな事が可能な人物がいるだろうか。


 いや、もしかすると順番が違うのか。

 先に来六を殺害。仲間の遺体を確認した河童が宝を置いて住処へ帰る。最後に水増が宝を持って帰る。これで状況は成立する。

 しかし今度は河童の行動が不確定要素だろう。宝を持ち帰る可能性も、一人で城に乗り込んでくる可能性も、人の常識で測れない行動を起こす可能性もあった。人と河童の対立が生じさえすればそれでよかったのか。それではあまりに考え無しだ。これまで一切の痕跡を残していない下手人らしくない。

 なにか、あるはずだ。河童の行動を正確に知るような何かが──


「…………まさか」


 己の閃きに、大きな動揺。

 念の為、この地で見聞きした記憶を全て辿って精査する。

 長い、集中した沈思黙考。その末に、信太郎は真実へと手をかけた。


「……水増様。宝を見せて頂けませぬか。確かめたい事がありまする」


 願うその顔は青い。導きだした結論に、信太郎は身震いしていた。


 もし推測が正しければ、この一件、戦は最初から避けられないものだったのだ。

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