八 鎌を研ぐ女傑達

「姫様ぁ!」

「滝姫様は何処かぁ!」


 どたばたと激しい、何人もの叫びと足音が響く。陣屋の内側がにわかに騒がしくなってきた。

 原因は聞こえる通り、姫の失踪。重大事件である。

 ただしそれは、普通の藩であるならば、の話。

 ここの下働き達は、なんだいつもの事か、といった様子で笑いながら平然と働いていた。いや探し回る武士達にも何処か真剣みが欠けている。

 心配に及ばない、すっかり恒例となった行事なのだろう。流石のお転婆ぶりだ。


 その一方で不都合な者もいた。難しい顔で頭を巡らせる男が、床下に一人。


「一度引いた方がよいか……?」


 忍び込み、気配を消して隠れ、あちこちで盗み聞きという形で情報収集を行っていた信太郎である。

 今までは見つからずに上手くいっていたのだが、こうなっては見つかる恐れが高まる。どう足掻いても無礼であり、許されない行為の真っ最中。重要な判断を迫られる危地だった。

 潜入は信太郎だけでない。番之助は堂々と訪問して直訴。永は別行動で探っているはず。連絡は取れないが心配無用だろう。

 問題は、未だ有用な情報は手に入っていない事。

 危険との天秤にかけた結果、続行を選んだ。より慎重な隠密行動をとろうと集中する。


 と、そこに、探し回る声とは別の騒がしさが近付いてきた。


「ほう! それはそれは、永殿も苦労しておられるな!」

「謙虚堅実を勘違いするのは結構ですが、付き合わされるこちらの身にもなってほしいものです」

「うむ。己の矜持は守るべきだが、他人を気遣えぬのは未熟者よな!」

「はい、全く。甲斐性のない旦那で困ったものです」

「拙者の旦那もそうであった。武家の婿ならば武芸が達者であるべきなのだが、拙者の稽古に最後までついてこれぬ有様でな。……いや良き思い出と言えばそうなのだが」

「ならばその思い出は大切に扱い下さいませ。例え不出来なところのある旦那だろうと、それ以上の良いところに溢れた良き旦那だったと胸を張るのも良き弔いでございましょう」

「……かたじけない、永殿。ようやく本調子を取り戻せそうだ」


 当の滝姫と永であった。

 探されている中、雨の降る室外を、傘を差した山姥と女武者がかしましいお喋りをしながら悠々とやって来る。

 姑や旦那の愚痴は嫁が集った際にする話題の定番の一つだが、それは特殊な彼女らでも不動らしい。

 そのおかげか、随分と親しくなっていた。本来なら手打ちにされてもおかしくないのだが、許されているのは滝姫だからだろうか。

 良い事なのだろうが嫌な予感もする。このまま隠れていたいような気分にすらなってくる。

 それでも逃げてはいけない。罪を咎められる覚悟をしつつ、信太郎は猿のような身のこなしで床下から速やかに出た。

 永に見下されながら、滝姫に対して身を低くする。


「滝姫様とお見受けします。私は信太郎と申す者。草薙衆の人間であります。この無礼はどうかお許しを」

「はは! よいよい。それよりここでは見つかると五月蝿い。場所を移そうではないか」


 もっともだと同意した信太郎だが、しかし次の瞬間に驚く。

 行き先が、上だったからだ。

 滝姫は超人的な足腰であっという間に屋根に跳び乗ってしまった。

 確かに見つからない場所なのだろうが。呆気にとられつつ、倣って信太郎も飛び乗る。永も隣に現れ、二人で一つの傘の内に収まった。


「さて、そなたが信太郎殿であるか。この度の尽力、父上に代わって感謝申し上げる!」

「有り難いお言葉です。しかし滝姫様、感謝は解決した後に受け取らせて頂きます」


 場所は気にせず、互いに礼を尽くして挨拶。高圧的な武士らしさはありながら懐の深さを感じさせる口調には不思議なものを感じる。

 そんな評価を他所に滝姫は、にやり、と人好きのする顔で笑った。


「ほほう。永殿から聞いた通りだ。仕事に妥協を許さぬ御仁であるようだな」

「ええ。融通の効かない、自己満足という言葉が魂を得て生きているようなお人でございます」

「はは! まあ、そう言ってやるな! 至らぬ夫を立てるのも妻の器量だろう!」


 信太郎はいたたまれなくて目を逸らす。

 永だけならともかく、更に一人増えるとどうにも分が悪い。例え滝姫が、カラっと晴れた夏空のような、暑く爽やかな性質であったとしても。

 だがこれでは未熟者だ。

 心頭滅却。一大事を解決すべく集中し、滝姫と真っ直ぐ向き合う。


「拙者は正直、考える事は不得手だ。指揮はお主に任せよう。さ、何から始めればよいのだ?」

「任せて頂き光栄に御座います。ではまず、件の河童の──」

「名は来六だ。短い間とはいえ、夫婦だったのでな」

「失礼致しました。来六殿を害した下手人、心当たりはありますでしょうか」

「残念だが、無い。あったらとうに斬り捨てておる。夫に敵意を向ける者などいなかった。……拙者の目が節穴だった、という事なのだろうがな」


 視線を落とし、後悔に顔を歪める滝姫。夫への深い思いが窺える。

 雨乞いの犠牲でなく、自ら受け入れた婚姻、という話は真実のようだ。

 だがそれも一瞬で、すぐに強い決意の顔付きと向き合った。その強さには、真摯に応えるしかない。


「来六殿の最期の様子をお聞きしても宜しいでしょうか」

「残念だが、夜に出掛けたのを見送ったのが最後だ。翌朝死んだと……河童が怒り狂いながら拙者を婿殺しだと糾弾している、と聞かされた」

「……それは、無念な事です」

「ああ。最期を看取る事も叶わなかった」


 毅然と答えてくれるその顔は、情に深いからこその、徹底的に殺した怜悧な表情。協力の為に、自らが出来る事を惜しまずにいてくれる。

 責任重大。

 手がかりは何処に有るのか。何が何でも突きとめなければ。

 覚悟に甘えて問いを重ねる。


「夜に出掛けられた理由は御存じでしょうか」

「それならば聞いた。結婚祝いの挨拶に行く、との手紙を沼から受け取り、陣屋近くの川辺に向かったのだ。拙者も仲間に挨拶しようと思うたが、水入らずで話がしたいと言われてな」


 川への呼び出し。その際に宝を贈ったのならば、沼で長から聞いた話と合致する。あの恐ろしい女怪も信用していいのか。

 河童の宝。河童の手紙。

 それらにまつわる話は多い。河童もまた、災いを与える化け物であると同時に、富をもたらす神でもある。

 ただし、悪さをこらしめた結果である事も多く、化け物退治により富を得るのもまた定番だ。

 やはり、これが今回の事件の原因だろうか。


「その川辺の調査は行ったのでしょうか」

「無論したとも。下手人の痕跡がないか、目を皿にしてな」

「では、贈られた宝はありましたか?」

「……宝? 何の話だ?」

「河童の長から結婚祝いに宝を贈った、と聞いたのです。その為の手紙だったのでは、と思いまして」

「……いいや、無かった。……まさか、その宝が原因か? そうだ、幾ら気に食わぬとしても、殺すまでするとは確かにおかしい。他に理由があると考えるべきだったか……不覚」

「卑下なさってはいけません。頭に血が上っていたのは一途で直情であるという証でございます。その気質はあなた様の持ち味でしょう」


 落ち着いた永の言葉に、顔を曇らせていた滝姫が強気な笑みを返した。言動も力も強い姫の、確かな支えとなっているらしい。

 早くも通じ合ったこの関係は、きっと喜ばしい縁だ。


「来六殿は、手紙を誰からどのように受け取ったのでしょう。河童から直接受け取ったのでしょうか」

「……いいや下働きから受け取ったようだ。川辺で河童に呼ばれて手紙を預かった、と言っていたらしいが」

「でしたら、他の者にも読む機会が御座いますね。例えば高い身分であれば下働きは従わない訳にも参りませんし」

「……残念だ。家臣に不届き者がいるなどと思いたくなかったのだがな。手っ取り早く問い質したいところだが、拙者は件の下働きを見ておらんのだ。しらみ潰しに探すか?」

「いいえ、それには及びませぬ。御話有り難う御座いました」


 質問を終え、信太郎は恭しく頭を下げた。

 情報は十分集まったと判断し、集中して考える。

 河童の宝が重要な手がかり。そう仮定し、手早く下手人へ辿り着く道筋を描いた。


「……一つ、試して頂きたい事があります」






 滝姫は陣屋の内をずんずんと歩く。少し前まで行方を探す者が声をあげていた廊下を何事も無かったかのように。朗らかに声をかける下働きの者達も、やはり何事も無かったかのように。この地において普段の光景であった。

 しかしその前に、静かな怒気をたたえた男が立ちはだかる。


「滝。大人しく喪に服していたはずだが、また今度は何処へ行っていたのだ。この一大事、確かにお前の気持ちは──」

「兄上。お聞きしたい事があります」


 説教しかけたところに割り込みを受け、兄は面食らう。なにしろその真剣な視線は鋭い刃のようであり、怒気など容易く散らしてしまったからだ。

 最低限の威厳だけは意地で保つ兄に、滝姫は問う。


「夫の形見を知りませぬか」

「形見?」

「はい。河童の宝を持っていたはずなのですが、見当たりませぬ」

「……滝、お前は雑でそそっかしい。自分で失くしたのではないか。盗人が忍び込んだとは思えんのだが」

「下働きの者が間違えて持っていく事もありましょう。見た目は小さな入れ物なのですから」

「……分かった分かった。人を割いて探させる」

「有り難う御座います」

「だがその代わりにもう少し落ち着きという……あ、おい待て! 話はまだ終わって──」


 兄の悲痛な声を背に、滝姫はずかずかと進んでいった。

 流石に用件もないのに殺気めいた圧で解決はしない。かといって真面目に聞く気もないので逃げの一手あるのみである。


 そして今度は広々とした部屋に姿を見せた。

 家老と重臣が集まり戦支度について話し合っていた、正にその場所だ。

 驚きに固まる男達へ、無遠慮に尋ねる。

  

「少し時間をくれないか。聞きたい事がある」

「……はい。なんなりと」


 従った彼らにあるのは、領主の娘である以上の、恐れ。お転婆では誤魔化し切れない武勇をよく知っていたからこそ、一同は姿勢を正して向き合う。


「夫の形見を知らないか。見当たらぬのだが」

「形見、に御座いますか」

「いえ、心当たりは有りませぬが」

「……それは、どのような」


 戸惑いや強張る顔よりも、緊張が解けた顔が多い。予想していた一人で河童を説得に向かうだとか戦に参戦するだとか、とても認められない願いではなく、真っ当なものだったせいだ。

 そういった家臣の機微を敏感に感じつつ、滝姫は説明を重ねる。


「見た目は単なる古い壺だ。知らずに片付けた者がいるのやもしれぬと思うたのだが」

「いえ、下働きであろうとそのような無礼を働く事はないはずですが」

「……姫自ら保管していたのですね?」

「だから困っておるのだ。むざむざ死なせてしまった祟りなのではないかと思い始めている」

「あの来六殿が姫を祟るなど、それは有り得ぬ事でしょう」

「しかし壺ですか。河童が窯を持つなど聞いた事もありませんでしたが」

「ああ、済まぬ。中身が重要でな。河童秘伝の妙薬の作り方を記した手紙なのだ」

「それはそれは。来六殿も姫の健康を願っておられたのでしょうね」

「では早速人員を出して探させますか。戦支度は後回しになりますが、此方を優先すべきでしょう。ええ、貴重な品であり大切な形見の品です。来六殿の意に報いる為にも一刻も早く取り戻さねばなりませんから」


 速やかに話は纏まった。家臣達は礼儀を守りつつも、内面で災難を切り抜けた喜びに震える。

 しかし滝姫の顔は伏せられ、暗い。沈痛な、重い不吉さを備えた雰囲気が漂う。そして、ゆっくりと刀の柄に手を添えた。


「そうか、やはり薬そのものだったか」


 その言葉に、一人、ぎょっと目を見開いた者がいた。

 抜け目なく観察していた滝姫は、それをしかと捉える。


 閃く刃。

 目にも留まらぬ早業。瞬きの間に場が一変。

 気付けば重臣の一人、水増みなますの首筋に、ぴたりと抜き身の刀が添えられていた。


「な! 姫、一体何を……っ!」

「成る程、大いに分かりやすい。宝と聞いて身構え、手紙と聞いた途端に安堵して饒舌になった。これが、盗みの証左でなくてなんなのだ?」

「い、いえ、それ、はっ!」


 家臣の疑念に囲まれた中で、水増は見苦しく怯え、震え、一歩も動けない。蛇に睨まれた蛙のよう。ただ強者の心変わりを祈るだけの、ちっぽけな存在。

 当然それが通じる事はなく。

 刀が一度引かれ、大上段に構え直された。そして濃密な重さをもった殺気が、改めて叩き付けられる。


「さあ、御覚悟を!」

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