六 お転婆姫と婿河童、昔話
沼を出発して村まで帰ってきた時には、既に夜が訪れていた。もっともやはり雨模様で月も星も無い寂しい夜空。人は寝静まるも、雨音によって夜の静寂は打ち消されている。
食事を要求する永を抑え、信太郎が真っ先にすべきとしたのは顔役に会う事だった。
灯りが目立つ立派な家屋を訪問すれば、当然相手は渋い顔をしていた。
「夜分に申し訳ありません。河童についてお話を伺いたいのですが」
「河童? ……あんたら何者だ?」
遅い時間の怪しい訪問者への強い警戒が見える。同時に助けを求める不安も、また。
このままでは川が氾濫するか、河童との戦でこの村の若者が死ぬか、いずれにせよ悲劇が起きる。必死なのだ。
「私共は妖怪に纏わる問題を解決する者に御座います。見知らぬ余所者など信用出来ぬでしょうが、どうか御助力頂きたい」
「……わしの話が役に立つのか?」
「はい。教えて頂けたなら、必ずや私共が解決してみせましょう」
不満の大きかった目が、泳ぐ。顔役は明らかな狼狽を見せた。警戒心以上の理由があるのか。
玄関先に苦しい葛藤の空気。
信太郎はこれ以上の催促をせず、ただ、静かに見ている。それが彼の選択ならそれまでだと。
顔役は長く迷いながらも、やがて意を決した顔付きで奥を示した。
「……どうぞ、こちらへ」
丁重な態度で客間へ案内される。
永は丁寧かつ遠回しかつ同情を誘う言い方で食事を求めたところ快く応じられたので機嫌が良くなった。
対照的なのが顔役。重い溜め息を吐き、疲れたような表情で話し始める。
「あんたの言う通りだ。死人など少ない方がいい。出来る限りは協力しよう」
「有り難う御座います」
信太郎は永と揃って深く頭を下げる。人前での永に心配は無用のはずだが、それでも無礼でなくて安堵した。
そんな心境を恥じた上で隠し、真剣な面持ちで尋ねる。
「まずはお聞かせ下さい。この村のどなたかが雨乞いを河童に頼まれたので?」
「いや、困ってはいたが河童などに頼みはせんよ。向こうから勝手に来て手紙を渡してきたんだ。預かったのは娘でね。城には行商を通じて届けた」
「行商、ですか。しかし相手の立場が立場です。届かない可能性もあったのではないでしょうか」
「滝姫様ならば、受け取る。噂は何も聞いてないか?」
「常道に縛られない方のようですが……そうですね。未だどのような方なのか把握出来てはおりません」
「なら知っておいた方がいいだろう」
一息置き、顔役は昔語りを始めた。
いわく、ふらっとやって来ては畑仕事を手伝う事が日常茶飯事だった。
いわく、村の子供と仲良く遊び、意地の悪い子供とはしょっちゅう喧嘩して勝っていた。
いわく、病人怪我人が出れば町から医者を連れてきた。
いわく、道具を何度も壊してしまうが家の高価な物品で弁償した。
いわく、獣を追い払うのは朝飯前でやくざ者をふん縛るのは赤子の手を捻るようだった。
いわく、嵐の日に人や家や畑を守る為に奔走してくれた。
武家の娘としてあり得ない話の連続。
しかし滝姫を語る顔役は、終始楽しそうな表情と口調だった。大いに愛されている。間違いなく、他の村人からも。
「おっと、済まんね。無駄話をし過ぎたか」
「いえ、話を逸れたのは私の問いが原因ですし、それに貴重なお話でした」
「助かるよ。それで、ああ、何処まで話したかな」
「手紙を城へ届けたというところですね」
「そうだ。それで滝姫様はすぐに馬に乗ってこられて河童と話し、雨が降ったら河童を連れて帰っていかれた」
「求婚を受けられた、と聞きましたが?」
「提案したのは滝姫様のようだ。初めに要求されたのは馬だったらしい。あの日は我が家に宿泊されたのだが、その際に伺った」
「馬、ですか」
河童の長から聞いた話と違う。信太郎は目を細めて訝しむ。知っていたのは結果だけで、詳しい経緯までは知らなかったのだろうか。
しかし納得は出来る。
馬は河童の好物だ。人以上に馬を川へと引き摺りこもうとする話は多い。
更に言えば馬は水神への代表的な供物でもある。水神の要素を持つ河童にとっても重要なのかもしれない。
「ああ。だが、滝姫様は断られた。馬は刀や具足と並ぶ武家の命だとな。それで代わりに差し出せる物は自分自身ぐらいだと言われたようだ」
「河童も馬は諦めてその提案に乗った、と」
「馬で村中を駆けながら聞こえる声で宣言されたよ。『拙者は我が領地の恩人たる河童様を夫に迎える!』とな」
「……それを聞いた村の皆様はどうされたので?」
「勿論祝福したさ。その上でいつもの事だと笑ってたよ。お転婆姫様がまたえらい事を仕出かした、ってな」
やはり滝姫は愛されている。
確認するまでもない。目の前のはにかんだ顔は、この地の人間に共通するものなのだ。
滝姫はそれだけの信頼を築く事の出来る人間なのだ。
この信頼は、河童の事件を解決する上で必ず役に立つ。立たずとも必要である。そんな気がした。
「お話有り難う御座いました」
「ああ、村の者を戦の兵に出さずに済むなら安い。全く百姓には辛い世の中だよ」
「何を仰いますやら。実のところ、河童を根絶やしにしてくれるのなら、戦にも喜んで協力したいとお思いだったのではありませんか?」
終わりかけに、永の冷酷な一撃。
信太郎は慌てて訂正させようとするものの、顔役を見て冷めた。
何故それを。
はっきり顔に書いてあったからだ。つくづく永は恐ろしく、頼りになる。
「畑を見ました。そして沼にて舟を見ました。
「……ああ」
たったの一言。しかし顔役の雄弁な表情で信太郎は察する。
「わしのおやじが童の時分だから、六、七十年は前になるかね。旅の御坊様がこらしめて話をつけたお陰で大人しくなった。だがね、それより前は酷かったと散々聞かされたよ」
それは村の歴史。
過去において、多くの犠牲があったのだ。
河童は妖怪。恐ろしいモノだと忘れてはいけない。
かつて旅の僧侶は狼藉三昧の河童をこらしめ、二度と人に害をなさないよう誓わせた。だとしても、更には雨乞いへ感謝しても、かつての恨み憎しみが消える訳が無い。
「もう奴らは悪さをしないとしても、化け物には滅んでほしい。この思いは悪なのかね」
「いいえ、当然の感情でしょう。悪だなどと非難は出来ませぬ」
「あんた、話が分かる人だね。まあでも今はあいつらも大人しい。なるべく死人が出ないこと。それが一番だよ。わしの我が儘よりも」
「お気持ちは受け取りました。全力を尽くす事を約束しましょう」
また雨の中で夜が明けた。朝日が隠れたまま新しい一日が始まる。
顔役の家に宿泊し、翌朝早く村を出て、永の愚痴に付き合いながら帰り道を行き、帰って番之助と合流。
互いの収穫を持ち寄っての話し合いである。
「うむ、そうか。やはり難しいな」
信太郎も番之助も低く唸る。永だけは口元を隠して笑っている。人の苦悩を楽しむのは妖怪の性なのか。
信太郎は予想以上に情報を見知った。
河童の沼の現状。長の意思。誓いの内容。滝姫の人となり。過去の犠牲。馬の代わりの婚姻。
だが、どの情報も断片的で独立していて、繋がりに欠ける。未だに全容は掴めていない。何かが隠されていた。
そして番之助は頭を下げる。
「済まぬ。領主に話を聞きたいが門前払いだった」
「相手が相手だ。仕方あるまい」
「かたじけない。そこで城下で探ってみたがな、ここ数日滝姫様の姿を見ぬらしいのだ。これまでは毎日のように騒ぎを起こしておられたのだがな」
「喪に服しているのではないか? 滝姫様ならあり得るだろう」
「否。滝姫様が大人しく出来るはずがない」
「では領主が軟禁しているとでも?」
「河童から守る為、仇探しを制限する為、理由は幾らでもある」
既に問答無用で襲われかけた。ならば命を優先したいと思うのは当然。
その理由も真実ではあるのだろう。ただ、理由が一つとは限らない。疑わしければ、疑わざるをえない。嫌な仕事だ。
互いに険しい顔付きを更に深めて、議論は進む。
「河童を殺したのは滝姫だと思うか?」
「違うであろうな。誰にでも裏の顔はあるだろうが、姫は例外だ」
意見は一致。根拠はあくまで印象と信頼しかないが、それでも確かに信じられた。
他に、婿となった河童を殺した者がいる。
雨を止ませる為だとしても、無実の姫を差し出す事は出来ない。
正しき罪人に正しい罰を。裁かれるべき罪人が何者なのかを暴いて、裁く。
方針は決まっているのだ。
「とすると、まず怪しいのは領主か。娘と河童の婚姻など許せぬだろう。同じ理由で兄弟や家臣も有り得る」
「確かにそれが真っ先に思い付く。が、他の動機もある」
「なんだ?」
「沼で聞いたが、結婚祝いに宝を贈ったらしい」
「……だとしたら嘆かわしいな。地位ある者が強盗など」
恩返し、あるいは悪行の詫びとして、河童は様々な物を人間に差し出す。
魚、薬、財宝。河童の宝には価値がある。動機として成り立ちうる要因なのだ。
番之助は即座に理解してくれた。武者好きだが、草薙衆として最低限の妖怪の知識はあるようだ。
がっくりと肩を落としているのは、武者好きとしての理想とかけ離れているせいだろうか。まだ疑いの段階だというのに、余程理想が高いらしい。
情報共有の結果は、とにかくまだ情報が足りない、という事。情けなさに顔が歪む。
外の雨は降り続き、川は溢れかねない。時間が迫る、不味い状況。
ならば、危険を負ってでも。無礼を働く事になろうとも。手段は選ばない。
信太郎は迷わず躊躇わずに提案する。
「門前払いなら仕方あるまい。強引な手を打とう」
「まさか討ち入るのか?」
「まだ早い。まずは諜報だ。武者ばかりでなく、忍に興味はないか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます