六 人喰いは里に潜む
「……悪いが、簡単には信用出来ぬな」
もう一人の山姥が里にいる、という信太郎の主張を、清蔵の第一声は否定した。睨みながら淡々と、少しの迷いも無いように。
それも当然だった。
根拠としては薄く、信太郎には見逃した前科がある。自らの罪から逃れる為のでっち上げだと思われても仕方がない。
信じられない事は落胆に値せず、素直に受け入れてしかるべきなのだ。
だから次の清蔵の発言には、かえって戸惑いすら覚えた。
「だが、もし事実であるなら一大事。考えを詳しく聴かせて貰おうか」
「よろしいので?」
「我らには妖怪の知識など無い。だからこその貴様達なのだろうが。簡単には信用せぬが、納得出来る話であれば信用するしかあるまい」
声は苦々しく、視線は刺々しい。苛立ちを隠そうともしない。それでも、使う。
使わなければ、何も守れないから。彼もまた、信念を持っている。
そうだ、草薙衆は妖怪に対する、唯一の集団だ。
快く思っていなくとも、疑わしくとも、奉行所は頼らざるを得ない。これは寛大な処置でもなく、信頼でもなく、単に代わりがいないだけなのだ。
重大な、最後まで抱えるべき責任がある。己の罪深さを改めて刻み、信太郎は語り始める。
「……かしこまりました。ではまず、近い伝承からお話致しましょう」
山姥は基本的に山に住まうモノ。例外となれば数は限られる。
その中からまず信太郎が導きだしたのは、食わず女房だった。
食わず女房。
伝わる地域によっては、山姥だけでなく化け狸や化け蜘蛛など、様々なモノが正体として語られる存在である。だが話の流れ自体はほとんど共通する。
要は、欲が深い男と、彼を騙して食おうとした女怪の話だ。
あるところに欲張りな男がいた。
よく働き、多くの財産を持っていたが、財産が減るという理由で嫁をとりたがらなかった。
だから、働き者で、飯を食わぬ嫁ならば欲しい。そう周囲に言っていた。
そして、その条件通りの女が現れ、男は結婚する。
結婚生活は順調だった。嫁は旦那の希望通り、よく働いたし、飯も食わなかった。
だが、米は日に日に減っていった。旦那は嫁が隠れて食っているのではないかと疑い、隠れて見張る事にした。
すると実際に嫁が姿を現し、米を炊いて、後頭部にあるもう一つの口から食べるのを見てしまった。化け物としての正体を顕したのだ。
それを糾弾したところで襲われるのだが、退治、あるいは逃げ出して助かる、という結末だ。
あまりに欲張れば身を滅ぼす。そう戒める話である。
「貴様」
話し終えた途端、空気が変わった事に気付く。清蔵の目付きが一段と鋭くなっていた。
「まさか、奥方を疑っているのか?」
静かな、されど強い詰問。
強者の気迫。その根にあるのは深い信用か、被害者へ鞭打つ悪逆への怒りか。確かに義があるのは清蔵の方だ。
ただ、その信用は信太郎も同様だ。
「いえ、それはありませぬ。身分が確かでありますので」
圧に劣らぬよう、意識してキッパリと断言。
顛末からでは、そう受け取るのも当然だが、伝えたかった事柄ではない。
食わず女房は外部からの余所者である。この地に来歴を持たぬ、何処の誰とも知れぬ来訪者が疑わしいのだ。
説明を聞くなり、間髪を入れず清蔵は核心を突いてくる。
「ならばおかしいではないか。食わず女房は、旦那を襲うのだろう? 奥方以外の何者かが食わず女房だとしたら、何故三宅殿が襲われたのだ」
「ご指摘ごもっとも。ですから食わず女房は、あくまで人里に潜む山姥の一例。今回の件と同じ話は聞いた覚えがなく、近い話でここまで違いがあるのです。故に私は、今までの伝承にない、新たな山姥像を考えております」
「……そんなモノが本当にいるのか?」
「私も疑問に思っております」
顔をしかめて問われた疑念に、返せるのはそれだけだった。
伝えるべき事柄は、不明であるという一点。
分からない。謎が多い。有り得ないはずの事が起きている。否、もしかしたらこの状況と符合する伝承はあるが、知らないだけなのかもしれない。
草薙衆としては恥ずべき無知。この賢明な男の問いにも失礼な答え。ただただ未熟を悔やむ。
清蔵は大きな溜め息を吐き、首を横に振る。それは失望の気配を伴っていた。
「矢張り貴様の推測には乗れぬ。だが……明朝、山に出立するまでなら好きに調べても構わん。間に合わなければ諦めるんだな」
「有り難う御座います」
苛立ち混じりの指示に、深々と頭を下げる。猶予を与えられたからには、未熟なりにも解明せねばなるまい。
清蔵に声をかけられた部下が二人、背後から信太郎を見張る位置に付いた。監視の為だろうが、当然の待遇だ。
さて、里に潜む山姥を探すとして、何から始めるべきか。
「里見殿、町人の帳簿を見せて頂く事は可能で御座いますか」
「……余所者探しか。悪いが、出来ぬ相談だ。そこの二人に町内の噂話を聞く程度なら許そう」
「かしこまりました。……では、早速頼みたい事があるのですが」
許可を得たところで振り返り、監視の岡っ引きに向き合う。
顔を見合わせた二人は、一様に救いを求めるような情けない表情をしていた。余程嫌われたか、恐れられたか。それとも、身内に化け物が居るかもしれない事、疑い指摘する事が恐ろしいのか。
彼らは武士ではなく町人。しかも事件の度に話を聞き回っているので、顔も広い。信太郎は妖怪の調査の為に遠出しているか、書物を読み込んでいるか、鍛えているか、なので町の噂話には
彼らに重い口を開いて貰うのが近道だ。
「汚れ仕事を押し付けてしまう事は重々承知しております。ですがこれも下手人を捕らえる為。『他所から来た嫁』を知っていれば、紙に記して頂きたいのです」
二人はまたも顔を見合わせ、小声で相談。更には清蔵の方を見やるが、あちらはあちらで指示に忙しいようだ。残念ながら助けはない。
助力は諦め、彼らは自らの力で抵抗する。
「何故『他所から来た嫁』なんです。嫁に飯を食わせないような欲深い旦那の方を調べるのが早いんじゃないですか」
「悪いですが、そんな奴の噂は聞いた事が無いんですがね」
「伝承と今回の違いはその点だと思っているが故です」
今までの伝承に無い、新たな山姥像。その仮説を唱える。
食わず女房が飯を食わぬ女怪なのは、旦那がそうと願ったからである。ただの働き者の嫁を願ったならば、飯を食う普通の嫁に化けていたはずだ。
故に、旦那の欲深さは重要ではない。旦那がどんな人間であれ、余所者の嫁ならば可能性があるのだ。
反論に言葉を詰まらせる二人の岡っ引き。
迷いを見た信太郎はもう一度言葉にし、頭を下げる。礼を尽くす。強く頼る。
そこで踏ん切りがついたのか、彼らはゆっくりと筆を手にとった。
「……八百屋のお竹がそうだったか?」
「麻五郎の所のお琴は……いや、親戚が川縁の村にいると聞いたか……」
二人は順調に書き出していく。いや、それは形だけだ。空気は固く、重い。知人を疑わなければならないこの状況への嫌悪感だ。
本意ではない。それでも彼らは仕事を全うしてくれている。
信太郎は感謝の思いを持って、山姥の考察をしながら、待つ。
と、そんな時。一人がふと、何かに気付いて顔を上げた。
「ああ、そうだ」
その顔は歪んでおり、酷く怯えたような、あるいは暗い喜びを見出だしたようなものだった。
その口から出た言葉を耳にして、信太郎は肝が冷える。
「アンタの妻も余所者じゃなかったか?」
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