四 夢砕く惨劇

「山姥は退治致しました」


 信太郎は奉行所にて嘘を吐いた。

 あの山に住む山姥は子を守り育てる母であり、人を食う悪鬼ではないと判断した。と、そう正直に報告したところで聞き入れられない事は目に見えていたからだ。

 白々しく、真顔で。真剣でありながら不誠実。ただ己の信念に従って真っ直ぐに。彼はままならぬ迷いへの答えとして、己の使命にこそ殉じる決意をしたのだ。


 外は夕暮れ、肌寒い。烏が鳴く下を人々が行き交っている。山から急いで降りて、その足ですぐさま報告に来ていた。

 応対した与力はあの三宅直勝。

 成功報告にも笑みは無い。相変わらずの不機嫌な顔で、疑念と嫌悪を顕にする。


「証はあるのか。首があれば話は早いが?」

「ありませぬ。祟りを避けるべく、簡易ですが塚を造り丁重に葬りました。これにての山は安全な場となりましょう」


 すらすらと淀みなく説明。熱弁に力が入る。嘘を通すには説得力が肝心だと解っているからこそ労力を傾けた。

 内容は守る為の方便だが、数々の伝承に基づいた妖怪退治の後始末の方法だ。決して出鱈目ではない。中身の無い塚も実際に造った。


 しかし、直勝は未だ不機嫌。なんなら先程よりも更に皺が深くなっている。

 余程嫌われているのか。嘘を見破られたか。話し合いにおいては、山姥以上の難敵。されど諦めずに嘘を重ねゆく。


 しかし。それに対し直勝は、ただ、一言。


「暴け」

「……はい?」


 信太郎の表情が固まる。言葉に詰まる。今までの説得が無駄だった事を理解して、時が止まった。

 そして今度は直勝が流暢に語る番だった。


「何を呆けておるか。当然であろう? 拙者が命じたのは退治のみ。勝手な事をするでない。化け物の塚など許容出来ぬ。即刻暴いて首を持って参れ」

「しかし、山神に連なる存在故、守り神としても大いに人の助けとなりましょう」

「その土地は我々、人の物だ。化け物など知らぬ。人の力で切り開けば良い」


 絶対的な拒絶。絶望的な溝。

 嘘を見抜かれたか。それとも信じた上で認めないのか。どちらにせよ、相互理解は出来そうもない。

 浅はか過ぎた考えに、今更ながら虫酸が走る。


「お主は信用ならぬな。次は他の者、拙者の直々の部下に任せよう。今からでは危険故、明日の早朝に発たせるとしよう。そうすると今夜の内に人員を決めねばなるまい」

「御待ちください! せめて、案内は私めに──」

「ああ、お主は下がってよいぞ」


 ぴしゃり。冷たく突き放される。

 それが最後。直勝は人を呼び、議論を始めた。時折同情的な視線は向けられるが、信太郎は抜きにして話が纏まっていく。

 言葉も、手も、届かなかった。

 静かに帰路へ着く。それしか、彼にはなかったのだ。







「永。済まない」


 信太郎は帰るなり頭を下げた。信頼に応えられなかった罪悪感がそうさせる。妻が謝罪を求めていないとしても、彼自身の気が済まなかったのだ。

 苦悩。挫折。不満。理解を得られない無力感。悪手を打ってしまった後悔。内に抱える淀みは多い。

 しかして心は折れてはいなかった。


 直勝にも立場があるのは分かっている。威厳や権威は単なる飾りではないし、危険性は捨て置けない。

 だとしても信太郎にも譲れないものはある。腰を下ろし、前向きに、解決策を考える。


「私に謝る必要などありませんよ。そのお気持ちは他の場所に向けて下さいませ」

「ああ、違いない」

「わたしは、お力になれませんか?」


 問いかけてくる永の顔は眉が下がっており、心配が透けて見えた。だから、傍にいてくれて有り難いと思う。

 信太郎は半人前の小僧で、永は賢く頼りになる女性だ。素直に打ち明ける。


「むしろこちらから頼みたい。考えを整理させてくれ。一人では難しい」

「はい」

「あの山の山姥は人を食わない。だから退治すべきではない。退治したと嘘の報告をしたが納得されず、山へ部下を派遣するという話になった。問題はおれには止める権限などないという事だ」


 言い進めれば進める程、重く苦しい事実がのしかかる。

 簡単に思い付く手は論外だ。

 実力行使。山に派遣される部下達、あるいは直勝本人を打ちのめしてしまう。不可能ではないだろう。だが、それでは根本的な解決とはならない。次の人物が空いた地位に収まるだけだ。

 そもそも信太郎の望みは妖怪の優先ではない。両者の共存。人を傷つけては解決策足り得ない。

 他の案も幾つか思い付いたが、何かと問題があった。


 行き詰まる中に、永の新たな考えを取り入れる。それが最善だろう。


「塚を暴けば済むのでしょう? そのままさせてしまっても良いのではないですか」

「壊そうと掘ろうと首が出てこんのだ。なれば生きている山姥を探すだろう」

「では首の偽物も用意してはどうでしょう」

「人形の首では騙せまい。騙せるとすれば……見世物小屋の木乃伊ミイラか? 猿の死骸を河童や妖怪らしく加工する者がいると聞くが……」

「この町には見世物小屋はありませんね。しかし他の分野の職人に無理を言って依頼するという手も」

「引き受けてくれる職人を探すだけでも難題だ。明朝に間に合うとも思えぬ」

「この手は使えませんか。ただ、他の方にも協力を仰ぐ事はよい案ではないですか? 与力殿の説得は難しくとも、他の方ならあるいは」

「む。確かに直勝殿の評判は悪いようだったが……」


 しばし会話を止め、案を検討する。

 去り際に見た、同情的な視線を思い返す。これ程草薙衆を敵対視しているのは一人のみ。一枚岩でないのなら、可能性はある。


「しかし確実な保証は無い。失敗すればもう後戻り出来ぬ事態になってしまう」

「確実に味方となってくれるお方はいないのでしょうか。今までのお仕事において付き合いのあったお方などは」

「残念だが、いない。あくまで職務上の付き合いしかなかった」

「人との縁は大事にするべきでしたね。いついつも一人で背負うばかりではいけません」

「返す言葉も無い」

「では新たなる縁……例の山姥は?」


 はっ、と気付く。

 そうだ。彼女は山神。守らなければならない弱い存在ではない。

 信太郎は半人前なのだ。存分に頼ればいい。協力し、人との間に立てばいい。

 また、視野を狭めてしまっていた。やはり支えは必要性不可欠だ。


「やはり難しいのでしょうか」

「いや。まだ考える必要はあるが、これまでで一番可能性が高い」

「ではわたしは、お役に立てたのですね」

「無論だ。真に感謝している」

「わたし達は夫婦です。少しお堅くはありませんか」

「全く敵わぬな……永、ありがとう」

「どういたしまして」


 希望を見出だして、笑う。信太郎はふっと細やかに、永は上品に口元に手を当てて。二人、笑い合う。


 全ては明日。夜明け前から動き出し、勝負をかける。

 だから今夜は英気を養う為に食事をし、床につく。休養もまた鍛練の一部であり、必要な行動。重要性は深く理解している。


 しかし、すんなりと眠りに入れず、考えてしまう。

 三宅直勝。武士の間でも評判は良くない男。しかし力と権威はある。そして害の無い山姥を殺す為に大した労力を費やそうとしている。

 この判断さえなければ、労力を他に有効活用でき、世の為人の為になったはずだ。


 そう、あの与力さえいなければ──


 布団の中、信太郎は己の肌をつねり、暗くなりかけた思考を断ち切った。

 微睡みの狭間とはいえ、人として間違いだ。不覚。未熟。

 完全に寝入るまで反省を続けたのだった。










 月明かりが優しく支配する、静かな深夜。闇の恐ろしさは、里であっても、そこを人ならざるモノの領域に変える。しかし一方で人の眠りを見守る優しい一面もあった。

 そんな夜を、無粋な訪問者が乱す。

 信太郎は戸が叩かれる音で目が覚めた。


「永?」


 寝惚けた頭で呼びかけるが、返事は無い。代わりに外から打音が鳴らされる。

 辺りの暗さを、強制された覚醒により把握する。夜明けより遥かに前の、普段から早起きして心身を鍛える信太郎でも眠っている時間。

 ならばこれは、急ぎの事態だ。

 それだけを理解して、飛び起きる。

 未だ眠っているらしい妻を起こさないよう、静かに行動。

 速やかに最低限の身だしなみを整え、戸を開ける。

 来訪者は息を切らせた同心だった。


「みっ、三宅殿が殺害された!」


 鈍い衝撃に、目を見張り息を詰まらせる信太郎。

 事実上敵対していた相手とはいえ、死を喜びなどしない。むしろ悪感情を持つからこそ動揺が走った。

 しかし意識して心を静める。

 これは、根の深い案件だ。頭は冷やす。自分を呼びに来た理由を察して、話を促す。


「此方に来られたからには……下手人は、人ではないのですね?」

「ああ……山姥だ」

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