鍋ときょうだいと東南西北
はくすや
お鍋を囲んで和気あいあい
「鍋……か」
そういえばこの冬はまだ鍋ものを食べていない。
去年の今頃は週に一度は食べていたっけ。
あの頃はまだ血の繋がらない父と異父弟妹と母の五人暮らしで、母は家にいた。専業主婦をしていたから毎日手料理をふるまっていた。
父と別れた母は今、毎日いつ帰ってくるかもわからない仕事をしている。
夕食は明音と双子の弟妹と三人で食べることが多く、今日のようにファミレスのバイトで八時までシフトが入っていると小学二年生の弟妹が二人で食べることも珍しくなかった。
ただ今晩は弟妹は同じマンションの高層階に遊びに行っていてそこで夕食をごちそうになるようだ。そうしたことが週に一度はあった。
「ふーちゃんとこに行ってる」スマホにその連絡がある時はちょっと安心する。
あの連中に借りをつくるのにも慣れてしまったようだ。
六時を過ぎると店は忙しくなる。冬休みに入ったばかりだから家族連れも多く、明音は給仕に追われ、八時になった。
「お先に失礼します」遅番スタッフに挨拶し更衣室に入った。
スマホに妹の
「お鍋だよ」という文字の下に画像があった。
湯気で曇った寄せ鍋の画像、嬉しそうに箸とお椀を持つ弟
そうか、鍋をごちそうになったのか。見るだけでも心が温まる。
「おいしそう。良かったね」と送ったらすぐに返信があった。「ママいるよ」
え!?――と思ったらピースサインを向ける母親の顔が大写しになった。
先に帰ってきたのか。しかも、しっかりごちそうになっている。
明音は呆れた。そういうところがある母親なのだ。
「お姉ちゃんの分もある」と
「当たり前」と送り返す。
「うどん買ってきて」
「ん?」
「シメのうどんが足りないって。ふーちゃんが」
「わかった」
あの家はもともと四人いるのだ。そこにこども含むとはいえさらに四人加わるのだから足りないだろう。
鍋はどうしたのか。まさか二つあるわけではあるまい。しかし二つあっても不思議でない家だ。
もう何があっても驚かない。あの家はメゾネットになっていてマンション四部屋分あるのだ。
ファミレスを出た。マンションまでは徒歩圏内だ。
スーパーはまだ営業している。明音はうどんを買って行った。
駅近くの高層マンション。八時半を過ぎているからエレベーターで住人と乗り合わせることは少ない。
しかしいざエレベーターの待場に行くとコートを羽織った制服姿の女子高生がいた。
さらさらストレートの黒髪を背中まで垂らした彼女は明音を振り返った。「
「
「アルバイトの帰りかしら?」
「
「作業が残ってしまったから
「そうなんだ」
生徒会といえど下校時刻は六時半だ。その後役員宅で続きをこなしたのだろう。
「いつも双子がお世話になっていて助かる。本当にありがとう」
「もっぱら相手をしているのは
二人してエレベーターに乗った。四階で降りて住居部ロビーを通り高層階エレベーターに乗り換える。
「今日は母もお邪魔している。ごめん」
「賑やかで良いことよ」
「鍋をよく食べるの?」明音は訊いた。「泉月と鍋ってイメージが繋がらないんだけど」
「最近食べるようになったわ。一つの鍋をつつき合う習慣はなかったもの」
「だよね」
「お腹が空いていたことを思い出したわ」
「泉月がそんなことを言うなんて」明音は笑った。「頼まれてうどんを買ってきたから楽しみにして」
「最後に食べるのよね? その前にお腹がいっぱいになりそう」
二十九階に着いた。二人で泉月の部屋に向かう。
呼び鈴を押してから泉月は自分で鍵を開けた。
玄関まで出迎えに来たのは明音の妹
「お邪魔します」
泉月は自室に着替えに行き、明音は莉音に引かれてリビングへと移動した。
大きなテーブルの真ん中にカセットコンロと鍋が用意されていた。
すでにグツグツ煮たっている。その前にいるのが明音の母親だった。
「あら、お帰りー」
すでに莉音や玲音ら他の者は食べ終えていて、食べるために鍋の前にいるのは母親だけだった。しかも缶ビールを開けている。空き缶もあった。
「やめてよね、他所のうちでビール飲むのは」明音は眉をひそめた。
「良いのよ」とほろ酔いの相手ができるのはやはり
「楓胡ちゃん、優しいね」母親は感激している。
エプロン姿の楓胡は何となくメイドに見える。学校にいる時と違い眼鏡を外していて、下ろした髪を一つにまとめただけの格好で、こう見るとやはり泉月と瓜二つだ。
表情が全然違うから間違えることはないが、楓胡がその気になれば泉月になりきるのは訳はない。
莉音と玲音はいつものように少し離れたところで
「今日は健全ね」明音は言った。
先日は麻雀をしていたのだ。うちの子に変なことは教えないで欲しい。
テーブルについた。いつもはテーブルを高くしてソファに腰かけるのだが、今日は座卓だ。
「やっぱり鍋は床でしょ」楓胡が言う。
床暖房は暖かい。トランプをしている四人は床に座り込んでいた。
「泉月ちゃん、冬休みなのに生徒会ご苦労様」母親の呂律が少し怪しい。
「畏れ入ります。お正月に千葉の祖父を訪ねることになっておりますからその前に仕事を終えるつもりです」
「良いわねえ、四人揃って田舎の正月」
「近所の神社で巫女を体験させていただきますのよ」
「それって、泉月ちゃん、
「お母さん!」明音は恥ずかしくなった。まるでおやじではないか。
専業主婦から突然やり手の弁護士に復業した母親は全く家事をしなくなり家に帰ってこない仕事人間になったのだ。おやじ化したといっても差し支えない。
「まあそれは名案だわ、さすがお母さま」
「ほのかちゃんに女装させるのも良い手だわ」乗り気になっている。
「だよねー」と笑う母親に聞こえない声で泉月が言った。「冗談に決まっているわ」
ボソッと呟く一言に明音は笑みを取り戻した。
「お肉たくさん食べてね。
「早く食べなきゃ」明音と泉月は追い立てられるように食べることになった。
「うどんを待っている連中がいるから」楓胡が笑う。
「あんたもでしょ?」明音が言うと楓胡は目を細めた。
ふだん悠然と構えている泉月が必死になって食べているのを見るのは新鮮だ。
「見てないで食べるのに集中なさい」泉月は頬をほんのりと赤くして言った。
「ご飯、おかわりは?」楓胡が訊く。
「うどんがあるのでしょ」
「でも
「太るわよ」
「まあひどい」
泉月と同じ顔でもキャラは楓胡だった。
やがて鍋は一旦空になり、うどんパーティーが始まった。
トランプをしていた四人も集まってきた。ぽん酢を使うかどうかでもめている。
「鍋の汁と塩だけで良いんだよ」と
「えええ、ポンちゃんは?」可愛い子ぶるな、楓胡。
「ラーメンなら醤油もアリだな。ラーメンなかったか?」火花が言う。
「鍋が濁って煮詰まるよ」
みんな好き勝手言い始めた。
「ボク、ラーメン食べたい」玲音が言った。
「まだ食べるの?」
「私も食べたい」莉音まで言い出した。
「お腹がいっぱいになって動けなくなるよ」
「「良いもん」」
「明音ちゃん、今晩泊まっていったら?」楓胡が言った。
「「やったー!!」」
「いやいや、帰るよ、ねえお母さん」と母親の方を向いたら母親はテーブルに
「お布団、用意しなきゃ」楓胡が立ち上がった。
やれやれ。
じゃらじゃらという音が聞こえたと思ったら、奥に別卓が用意され、その上に麻雀牌がぶちまけられていた。
「
「ラーメンは?」
「いらない」
もはや収拾はつかない。
玲音と莉音はこのきょうだいに
母親は朝まで起きないだろう。明日の仕事は大丈夫なのか。
泉月が毎朝四時起きしてジョギングをする習慣があるから母親は起こしてもらえるだろう。
しかし、良いのか? この家に取り込まれてしまって。
「私、十二時半には寝るから、その後よろしくね」泉月が言った。
「え、それって……」
「上海ですむわけないでしょう」
あの泉月が含み笑いをしている。
そして明音もまたそれに巻き込まれつつある。
これは
明音は覚悟を決め、鍋のうどんを食らった。
鍋ときょうだいと東南西北 はくすや @hakusuya
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