第3話 HOT! HOT! ストロー |終点《ピリオド》
ストローを使用し続けてから、一ヶ月ほどのときが流れた。ボクたちの仲で大きく変わったのは、なんと言っても
盛りのついた猿のように、二日に一回は必ず親が帰ってくるまでの放課後に致すようになり、それに伴って、日常生活に支障をきたすほどの賢者タイムに襲われた。
しかしそれに対して苦痛だと感じることはなかった。むしろ今は、かつて心音を好きでいたときよりもずっと、心音が愛おしくてたまらない。これもストローのお陰だ。
そんなある日の放課後、ボクは帰る準備をしていたとき、「少し時間良いッスか?」と声をかけられた。その人物は、自分の人生に関わってほしくないと思う存在だった。
「安心してほしいッス。早く済ませれば、十分もかからないッスから」
ツインテールに束ねた金髪の髪に、全体的に少しぽっちゃりとした体型。いい風に言えば、肉付きがいいとも言うのだが。
「そ、そう。ところで話ってなに?」
言いながらボクは、久しぶりにその声を聞いて、ゾクッと背筋に悪寒が走ったような気がした。
彼女の名前は薫。心音とは中学から親友関係で、ボクの知るところではないが、かなり仲のほうはいいらしい。とうぜん好印象を抱いているはずだが……自分は違う。
「ここじゃ難ですから、ちょっと場所を変えるッスよ〜」
「ちょ、ちょっと……!」
強引に手を引かれ連れてこられた場所は、人通りが少ない場所に位置する物置だった。扉が開け放たれると、とたんにホコリやカビの臭いが鼻をついた。
薫は心音に比べて顔は少しばかり劣るが、なんと言ってもスタイルが抜群にいい。少しムチッとした太ももや、制服の上からでもわかるほどの大きな胸がたまらない。
しかし逆にいうと、体以外での薫の印象は最悪だ。いつの日か、薫に告白されたことがあるのだが、断るやいなやその日を境に場所を選ばず、何度も告白してきた。
それが原因で心音と喧嘩になったこともある。それほどに薫という人物は、ボクにとって危険な存在なのだ。最近はなりを潜めていたのに、ここにきてまた告白か……?
「この写真を見てほしいんスけど……写ってる二人、誰かわかりますか?」
「? どれどれ――ッ!!」
その写真は、ある一軒家のリビングを庭から撮影したものだ。窓辺には折り重なるようにして、一組の男女が共に息を切らした顔で、全裸の状態で写っていた。
その顔には見覚えがあった。いや、見覚えしかなかった。毎日鏡で見ているからとうぜんだろう。相手の女性の乳房を美味しそうに貪っているのが……
「な、なんでその写真を……!!」
とっさに奪い取ろうとしたが、予測されていたのかさらりとかわされてしまった。不敵な笑みを浮かべる。
「おっと〜今この写真を奪っても意味ないッスよ〜。ウチの家には、いざというときのためにちゃーんとコピーを取ってるッス」
「な、なにが目的なんだ……!」
ボクがせめてもの抵抗で恨めしげに見つめるが、薫はまったく素知らぬ顔だ。ふんふ〜んと軽くハミングしながら自分に背を向けて、
「話が早くて助かるッス。二人の仲が冷めきっていることは、事前に心音に相談されて知っていたから、いつかなにかしらやらかすだろうと思って張り込んでたかいがあったってもんスよ〜」
「張り込みってお前……まさか……!」
「そうッス。写真を撮った日、ウチはいつも通りのルーティンとして経汰の家に侵入してたッス。そしたらびっくり! あの経汰と心音が
気がついたとき、私のスマホフォルダには、その写真がびっしりとあったんスよ。にしてもやらかす内容が、ウチの予想斜め上をいって驚いたッス」
「お前……イカれてるぞ……!!」
ボクの恨みのこもった
ちょうどいい肉つきの太ももが見え隠れし、ボクはこんな状況なのに少し興奮してしまう。そして直後に情けなくなる。でも生理現象までは止めようがない。
「あ、ああみっともないところ見せたッスね。ところで、本題に入るんスけど……」
ほんの五秒ほどだけ口を閉ざした薫だが、ボクにはそれがものすごく長く感じられた。
やっと
「――今ここで、ウチと
「は、ハァ!? なにを馬鹿なこと言っ……」
言い切ろうとした瞬間、ボクの目の前に押し出されたのは動画配信アプリ、チューチューブの画面。
動画を投稿するという選択の横には、心音とヤッたあの映像が表示されていた。
「まっ、待て! 早まるな!!」
「これで、ウチが本気ってことがわかったッスか? なら答えはもう出てるッスよね? け〜い〜た〜く〜ん?」
軽く抱擁して耳打ちする。おそらく、今ここでスマホを奪ったとしても、用意周到な薫のことだから、データのバックアップは取っているだろう。打つ手なしだ。
「ずっと……心音が憎かったッス……」
「……どうして」
「勉強も、人望も……好きな人も、全部アイツに奪われて、惨めったらありゃしないッスよ。
唯一勝っているのはスタイルの良さぐらいで……心音の親友をやっていた理由は、いつか弱い部分をウチに見せたとき、それをなんらかの脅しのネタに使ってやろうなんて考えていたからッス。
まぁ今後は……そんなことをする必要もなさそうッスね」
と、薫はいやらしい手つきで、ボクの尻を揉みしだいてきた。抵抗したかったが、それ以上の興奮が顔を出しはじめていた。
「オレを、心音から奪ったのは……せめてもの仕返し?」
「その通りッス。略奪愛というやつッスよ。ウチのこれからの楽しみは、一番の親友に裏切られる瞬間の……金森心音の顔を拝むことッス」
「あ、悪魔だ……。お前は悪魔――んぁぁ!!」
予測できない動きだったので、思わず気持ちの悪い声を出してしまった。いきなり薫が、ボクの股間にある第二の心臓を、片手でわしづかみにしてきたのだ!
「もう、
「そ、そんなんじゃ……ううっ……」
ああボクは、これからどうなってしまうのだろう。すまない心音。ボクはもうダメかもしれない。だって……だって今、ボクは猛烈に……!
おそらく自分は、これからブラックホールよりも深い快楽の穴に堕ちてしまうだろう。そこから這い上がることは、赤子が井戸の底から地上を目指すよりも困難だ。
「これから長いお付き合い、よろしくッス。
その後のできごとは、物置と二人のみぞ知るところ――
……おかしい。最近、彼がすごくおかしい。私の名前は金森心音。時期は一週間前の放課後から、唐突に変わってしまった。
おかしい部分は二つある。一つ目は、行為の激しさが以前と比べて明らかに劣ったことだ。つい昨日シた際は、たったの一回戦で疲れたとか言う始末。どうしたのだろう?
二つめは、放課後に決まってフラッとどこかへ消えてしまうことだ。ここのところ毎日だ。一緒に帰ろうと約束しても、さりげなく断られてしまう。
「ごめん、ちょっと用事があるんだ」
「そ、そう……」
他にも大きな変化が。今までは黒髪のどこにでもいる男子高校生って感じだったが、いきなり美容や外見に気を使うようになり、今の髪型は金髪のマッシュパーマだ。
イメチェンした理由を聞くと、必ずはぐらかされてしまう。私の彼氏のはずなのに、まったく釣り合っていない感じがする。芸能人のように遠い存在に思えてしまう。
なにかある。絶対になにかある。たしか男性に比べて女性の勘は、
もしかしたらという事態は信じたくないが、一応不安要素は取り除いたほうがいいだろう。なので今私は――経汰を尾行している。放課後、今は昇降口を出たところだ。
「…………」
経汰は無言で校門へと足を運ぶ……ことなく、なぜかぐるっと校舎の脇道を歩き出した。この先にあるのはグラウンドくらいなので、ひょっとして走る練習?
でも別にそれは、後ろめたいことはではないはずだ。せめて私に一言伝えることが筋であり、相手を心配させないための配慮ではないだろうか。これはわがまま?
「待った?」
「全然! 今来たばっかッス!」
「――ッ!! ど、どうして……二人が……!!」
あまり人目につかない脇道の中間地点あたりで、経汰に元気よく手を振っているのは、私の一番の親友である薫だ。なんでここに!?
そういえばいつの間に、薫とは交流がすっかり薄くなっていたことに気づく。しかも薄くなり始めたタイミングが、経汰が変わってしまったときと一致するではないか。
「早くない? 普通アニメやドラマって、彼氏のほうが待ち合わせの時間よりも早く来て、彼女を待ったりするじゃん?」
「ここは現実ッスよ。それにウチは、待つことも楽しみの一つに、入るんス……んちゅっ」
「んぅ……うぅん……」
「……!」
今、私はいったいなにを見せられているんだ? まるで映画館で接吻のシーンを観ているような、とても
たっぷり十五秒ほど濃厚なキッスを堪能したあと、二人は恋人つなぎをして向かった先は……
「そ、そうだ。グラウンド以外に、ここが……!」
旧校舎――私が入学するよりずっと前にはすでに使われなくなっており、現在はとうぜん新校舎が、職員にとっての活動拠点であり、生徒にとっての学び舎である。
いかにも古めかしさを感じる木造建築で、いたるところが傷だらけだ。いつの時代のヤンキーなのか、窓ガラスが割れている箇所がある。台風でもきたらおしまいだ。
「え、ええ!? ちょっと……」
旧校舎の周りには、侵入を拒むにはあまりにも頼りない規制線が張られている。それを二人はひょいと超えると、旧校舎の脇道へと歩いていった。
途中、割られている窓ガラスを見つけた。まず最初に経汰が入り、次に薫が入る。その際ちゃんと入れるようにと手を差し出す様は、紳士顔負けのエスコートだ。
「私のときより、ちゃんとやってる……」
隣の芝生は青く見える。内部はおおかた予想していた通り、泥棒に入られたあとのように荒れていた。二人が行ったのを確認し、私も中に入っていく。
ギィィ と、床板が踏み抜いた瞬間、重さで悲鳴をあげてきた。バレたかと思ったが、どうやらお喋りに夢中で気づいていないようだ。二人は角に曲がった。
「ま、マズい……」
姿が見えなくなるということは、必然的に行方を見失ってしまう。だが変に加速しようとすると、さっきのように床板が音を立ててしまい、今度こそバレてしまうだろう。
近づきたい気持ちがあっても、抜き足差し足のテンポを崩すわけにはいかない。やっとの思いで同じ角を曲がったときには、すでに長い廊下には誰もいなかった。
「どうして……私は……」
急に自分のやっていることが、なんだか無意味に思えてきた。さっきのキスでほぼ百パーセント裏切られたと答えは出ているのに、いったいなにをしているんだ?
まだ経汰を信じたい気持ちが残っているから? 都合の良い言い訳を探しているから? だとしたら私は、とんだエゴイストだろう。体は依然として動き続けている。
「どこに行ったんだろう……」
出ていった? いや、それはない。それに暗いわけでもないのに、二人仲良く肝試しというわけでもないだろう。フラッと教室に立ち寄る。
きっと使われていたころは木の匂いがして居心地がよかったのに、今はホコリとカビの温床に成り果てていて不愉快だ。さっさと出てしまおうと思った瞬間、
「はぁ〜疲れたぁ〜」
「――ッ!!」
「ちょっとケイチャン、トイレ長すぎないッスか? ウチは一階を一通り巡っちゃったッスよ〜」
「仕方ないだろ、ここ水道止められてんだから。新校舎で済ませて、急いでダッシュで戻ってきたんだ」
今この瞬間まで、二人がこちらに向かっている事実に気がつくことができなかった。どうして!? と考えてすぐにわかった。開いている窓から吹き込む風のせいだと。
私はあたりをきょろきょろとして――目にとまったロッカーに入ることにした。よりホコリとカビの臭いが強くなり、鼻が車輪のように回りそうだ。
「ちょっと変な臭いしないッスか〜? 場所を変え――んぅ!?」
いきなり後ろから抱きしめた経汰が、薫の首を動かし接吻をする。苦しげな彼女に対してもお構えなしなのか、容赦なく舌を入れ、いやらしく絡ませていた。
気になっただろうが、どうして私に外の光景が見えているのかというと、ちょうど目の位置に通気孔のような隙間ができており、そこから観察できるのだ。
「け、ケイチャン! 別にここじゃなくて――あぁっ!!」
「もう限界なんだよ……探索してたとき、ずっとスカートの中チラ見せしてきたり、腕絡めて胸当ててきたり、しまいにはライムであんな……あんな破廉恥なしゃ……!!」
「そんなこと言って、本音は?」
「大好きに決まってるだろうがアアアアアア!!!!!!」
「……………………」
――コレデ、ヨカッタンダロ?
誰かの声が聞こえる。反抗すべきだろうか。だけど今の私はあいにく、なにもしたくなかった。
――コレデラクニナッタジャナイカ。カイホウサレタジャナイカ。
なにも、なにも感じなかった。至って冷静に、自分の彼氏が、他の女と
あるのは、底なし沼のように無限に続く虚無だけだ。しばらく二人の喘ぎ声をBGMとして聴き続けると、また謎の声が頭に降りてきた。
――ツラカッタロ? クルシカッタロ? ラクニナリナヨ。アナタハガンバッタホウダ。
…………そう、だ。そうだ私は――
それからのできごとは、おおかた想像がつくだろう。私は終始無言で、その光景を見届けた。二人の心底幸せそうな表情が、まるで写真を撮ったように焼き付いていた。
二人は雑談をしながら教室をあとにした。ピシャッという引き戸のドアを閉める音が、やけに大きく響いた。ロッカーから出られない。というより……出たくない。
「いっそこのまま、ツタンカーメンみたいに、ミイラにでもなろうかな……」
馬鹿みたいな冗談をつぶやく。私は何度も呪いのように、心のなかで言い聞かせる。今見た景色は、光景は、情景は、すべて望んでいたことだと。
今まで経汰と送ってきた約一ヶ月間は長い夢で、私はたったさっき覚めたのだと言い聞かせる。何度でも何度でも何度でも、言い聞かせる。惰性でも構わないから。
と、その瞬間、ずっと立っていたのが原因か、急に足に力が入らなくなったのと同時に、転がるようにしてロッカーから出てしまった。
床に勢いよく額を打ちつける。触れてみるとヌルっとした赤い液体が流れ出ているが、幸い大事にはならない程度だった。痛いが問題ない。これくらいどうってこと――
「ぁ、あれ……なん、で……?」
ぽろぽろぽろぽろと、なんだこれは? 目に雨雲でも入ったのか? 止まらない、止まらない。目を閉じても、隙間から決壊するように溢れてしまう。どうして、私は……
「泣いて、るのよ……」
ゆっくりと床に手をつく。ふと窓の外を見ると、とうに日は沈み、ぼんやりとブルームーンが夜空を照らしていた。
それはとてもとても美しく綺麗で、まるで私を慰めているように感じた。ん? 慰め? 慰められているということは……私は、私の心は、もしかして……
…………ッ!! ダメだ。言ってはいけない。口に出してはいけない。言語化してはいけない。それをしてしまったら、私の……私の心のダムが……もう……!!
やめろ
いうな
こわれ
てしま
うまえ
にくち
をと
「やっぱり……悲しいよぉぉ……!!」
プツリと、理性の糸が、二つに離れた。
「ウワアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンン!!!!!!!!」
怪獣のような慟哭が、教室を超えて校舎中に響き渡った――
「ただいま……」
「どうしたの!? こんなに夜遅く帰ってきて!? それにその頭の傷、なにかトラブ……ってちょっと待ちなさい!」
私は背中で母の
すべての生命を維持する体の器官が、鬱陶しくて仕方なかった。そんなことを考えながら、ふらふらと自分の部屋のドアを開けると、
「――やぁやぁ、夜分に失礼。顔を合わせるのは初めてだよね?」
「…………」
なんか部屋に黒いシルクハットを被った人がいたが、構わず学習椅子に座った。虚をつかれたのか、しばらくぽかんとした表情を浮かべたあと、一方的に喋り続ける。
しばらく無視を決め込んでいたのだが、あまりにしつこいのでついにはこっちがおれてしまった。
「……なんですか?」
素っ気ない口調で言ったのに対し、黒いシルクハットを被った人はいかにもな呆れ口調で、
「ちょっとちょっと、なんで君は怒らないんだい? 自分の彼氏と親友が、知らず知らずのうちにデキてたんだヨ?
なんかこう……噴火して溢れ出るマグマみたいに、怒りとか湧かないのかい?」
なんで知らない人が今日のできごとを知っているのか、そんなこと今はどうでもよかった。
「溢れ出る悲しみならあるんですけど……ちょっと聞いてくれませんか? 誰でもいいから、今の気持ちを話してしまいたくて……」
「…………僕でよければ」
カルアは床のカーペットに腰を下ろした。私は話した。なぜ二人の
一か月ほど前、経汰が私を強引に体育館裏に連れて行って言った
――ボクたちの間に、トキメキがなくなって、ドキドキがなくなって、一緒にいるのが当たり前になって……飽きちゃったんだよね?
まったくもってその通りだった。一ミリのズレもない、大正解だった。私が別れを切り出した瞬間、ずっと肩や背中にのしかかっていた重荷が、とたんに空気になった。
ああ、やっと私は、経汰を愛することから解放される。これで、自由になれるのだと。
少し話はズレるが、その日の夜経汰は私の家にやってきて独り言を言ったのを覚えているだろうか。一通り話を聞き終えたとき、確信した。
これは――
――ようやく、気づいたんだ。やっぱりボクは――心音が好きだ。他の人に取られたくなんかない。
失ってはじめて、大切さに気づくなんてすごく自分勝手だけど、お願いだ。ボクともう一度――
私も失ってはじめて、経汰の大切さに気づくなんてすごく自分勝手だと思う。だってなんか、後出しジャンケンみたいでさ……かっこ悪いじゃん?
経汰と同様、私も他の女に経汰を取られたくない。そう思っていたのに……旧校舎のときは、あのできごとをきっかけに自然消滅できるのではないかと、黒い私が囁いた。
自分はその口車に乗った――哀れな存在だと。
話を聞き終えたあと、カルアは首を傾げながら腕を組み、
「…………聞きたいんだけど、君はこれから、どうしたいのかな?」
「……わかん、ないです。でも確かなのは……怒ることはちょっと違うかなと」
「なんでそう思うんだい?」
「簡単に言えば私って……経汰に飽きられたってことですよね? 例えばですけど、もし自分が経汰にゾッコンだとしたら、間違いなく今回の一件に対してブチ切れるじゃないですか。
たしかにここ一か月は、経汰のことが大好きだったのは事実ですけど、最近はほとんど相手にされなくなって、氷点下のような気持ちがもどりはじめていた。
愛の
現状を変えようと頭では思っていても、体がついていかなかったんです。そんな、ひどい状態だったのに、手のひら返して急に彼女面して怒るなんて……虫がよすぎるんですよ!!」
バシンッ! と勢いよく机を叩く。もしかしたら下の階にいる親を、びっくりさせてしまったかもしれない。カルアは俯いており、より表情が見えないようになっている。
しばらく黒いシルクハットを見つめていると、どっこいしょと言わんばかりにゆっくりと、カルアが腰を上げた。
「言いたいことはわかったヨ」
カルアはビシッと初めて会ったときのように人差し指を突きつけ、
「僕から言えることは一つ、裸の感情をさらに剥き出しにして、真正面から彼氏に気持ちを伝えること! それに尽きるヨ」
「は、はぁ!? あの……ちゃんと、私の話聞いてました? 私が怒るのは虫がよすぎるからって――」
「どんなに理論武装をしても、相手から逃げてる事実は変わらないヨ。
それに君は、最初のとき言ったじゃないか。溢れ出る悲しみならあるって。ならその気持ちに正直にならないと、絶対に後悔するヨ?」
「あ……」
「大丈夫、安心してほしい。僕が君を……
カチャッ
「えっ?」
――ドンッ!!
「最狂の勇気と、最高の
「……ったく、薫のやつどこいったんだよ……」
学校が終わり、オレはいつもの至福の時間がないことに憤りを感じていた。一人でする気にもなれず、気だるげにベッドに横になっている。
溜まっている。どうしようもないほどに。すっかり今は、あの体でないとと満たされないように改造されてしまった。でも全然いやじゃない。むしろ薫には感謝している。
あの物置でのできごと以降、薫との青春――いや、性春が始まったのだ。最初は一日に一回だけだったが、今は一日に四回から五回が当たり前となっていた。
場所は主にオレの家が
「薫の家に行こうと思ったけど……そもそもオレ、場所知らないからな。急に姿くらましやがって……家出か?」
イライラする、上も下も。そのとき心音の顔が浮かび上がって……すぐにかぶりを振って消した。ダメだダメだ、あんな幼児体型、触るだけ虚しくなるだけだ。
ストローを使う前の
やっぱり薫、お前が、お前だけなんだ。やはりエロだ。エロだけがすべてを解決する。倦怠期なんて微塵も感じさせない、人類がもたらした究極の悦楽であり快楽。
おそらくだが、心音に対して飽きてしまったと感じてしまった理由の一つは、体の関係を築いていなかったからだと思う。
「……ん? なんだ?」
ピロロン! と、スマホの通知音がする。オレはポケットから取り出して画面を開く。ライムからのメールで、相手は……心音だった。
――今日の深夜、私の家にアソビに来ませんか? 両親は仕事でおらず、薫も来るそうです。鍵を開けときますから、いい返事待ってます。
薫も来るそうです――この一文だけを、オレは目玉が飛び出るほどに凝視していた。よかった。てっきり自分専用の性処……間違えた、大切な人になにかあったのかと。
しかし心音もいるということは、少なくとも
「深夜になるのが、待ち遠しいや……」
その後は家で夕飯を食べたり、学校の宿題をやったりと適当に過ごし、あっという間に時間は深夜を迎えた。楽しみで、ずっと目がギンギンだった。
ゆっくりと物音を立てずに部屋を出て、階段を降りる。一階では両親が寝ているので、より慎重に行動しないといけない。そ〜っと玄関のドアを開ける。
「寒っ……」
深夜らしく底冷えするような大気が、オレを襲ってきた。心音の家は、歩いてだいたい十分ほど距離なので、走ればより早くつけるだろう。
深夜の街を、自分だけの足音だけが響いている。たまに遠くで車の走行音が聞こえるていどだ。五分ほどで家に到着する。玄関のレバーハンドルを握ろうとした瞬間、
「……ちょっと待て」
なにかがおかしい。どうして心音は、深夜にオレを誘ったんだ?
別に遊ぶ用事なら、なにもわざわざこの時間帯を選ぶ理由はないはずだ。深夜にしかできないアソビ?
「それって……ハッ!!」
オレは閃いてしまった。そうか、そうゆうことだったのか。急いでレバーハンドルをひねって玄関を開け、心音の部屋に猪突猛進。しかしそこには、誰もいなかった。
おかしいなと思い首をかしげていると、隣の部屋からここだよと心音の声がした。オレはすぐに考えを改める。そうだった。
「やっぱり、そうか……。ハハッ」
「…………」
「…………」
両親の寝室は、心音の部屋よりずっと広い。なにより目に入るのが、ベッドの中でも特に大きい部類に入るキングサイズのベッド。そこに二人はいた。
下半身は布団で隠していて見えないが、上半身はブラしか付けておらず下着姿だ。窓からはわずかに月光が入るだけで、詳しい表情はうかがいしれない。
「一回試してみたかったんだ……睡眠レイってやつを……ジュルリ」
思わず舌なめずりをしてしまう。オレはまたも獣になった。しかも今日は嬉しいことに、メインディッシュと前菜という贅沢に二品も食べられるなんて、夢みたいだ。
オレは体を覆っている邪魔な衣服を脱ぎ捨てようとした手をかけたそのとき、心音の待って! という強い語気の
「先にシャワー……浴びてくれない?」
言われてハッとした。別に薫は汚れていても全然気にしない、むしろ興奮の材料にする変態(かくいう自分もそう)なのだが、心音は違う。最初のときは不可抗力だった。
以降はちゃんとシャワーを浴び、汚れを落としてからじゃないとシてくれない、まるで曲のサビに入る直前に一旦CMが入ってくるような、煩わしさを感じてならない。
「わ、わかったよ。ちょっと待ってて」
オレは脱ごうとする手を止め、部屋をあとにする。ぶつくさ文句を言っても仕方ないので、カラスの行水よろしくシャワーを浴びた。
サッと体を拭いて服を……着なかった。どうせ全裸になるんだ、こんなものは邪魔でしかない。でもぶらぶらさせるのはなんかいやなので、パンツは履いた。
「準備……できたってわけか……」
二人は布団で体全体を覆っている。オレはベッドに、まるで獲物を捕捉したライオンのように飛びかかりたい衝動を抑えて、なるべく紳士に対応しようと思う。
そうじゃないと心音が怒るからだ。前に乱暴に行為したことに対して、ものすごく怒ってきたことがある。あのときは謝ってやったが、それくらい我慢しろよと思う。
とは言っても、薫がいる前で心音が前のように怒ったりしたら、それはそれでめんどくさい。
いつも薫と
「失礼……」
いかにも紳士らしく、一声かけてからベッドに入っていく。布団に潜ると、とうぜん月の光など入る隙間もなく、眼下には暗黒だけの視界が広がっていた。
手探りで目先にあった体を、ゆっくりと抱擁する。この胸の大きさは――薫か! やっぱり巨乳は正義だな。しばらくモミモミと相変わらずの柔らかさを堪能していると、
「…………薫?」
つい興奮していたせいで気づくのが遅れた。いつもなら揉まれた時点でいやらしく喘ぎ声を上げ、オレの性欲を
それどころか、オレが最初に部屋に入ってきてから今まで……薫は声を発していない。恥ずかしがっているのか? いやいや、もうそんな間柄じゃないだろ。
「どうしたんだよ。お楽しみはこれ、か…………?」
気づくのが遅れたのが、もう二つあった。一つは薫の体温が――
具合でも悪いのか? だったら無理に来ることなかったのに。もしかして音信不通の原因は、体調不良で病院にいたせいなのか? そうだよな? そうだと言ってくれよ!
そうだとしたら、薫がさっきからずっと――
「――ッ!!」
力いっぱいに布団をめくり上げる。薫はオレに背中を向けている体勢なのだが、その背中を見て絶句した。
腰の下あたりには、薄く赤い打撲のような跡が大きくついている。心音に乱暴されたのか? なんて考えは、次の瞬間思いついた恐ろしい可能性の前に消えた。
「こ、これは……!
刑事ドラマで見たことがある。死斑とは、人間の死体に起こる死後変化であり、まずとうぜんだが、人間は死亡すると心臓が止まる。
そして必然的に血液の流れも止まり、血液は体の地面に近い部分へと溜まっていく。 この血液が皮膚から透けて見えるものが死斑なのだ。それが、薫に……!!
「おい! 薫――ワアアアァァァ!!!!」
肩に触れてオレのほうへと向き直らせる。するとどうだろう。だらしなく舌を出し、目玉はあと少しでこぼれそうなほどに飛び出した状態で白目を剥いていた。
首には掻きむしったのか、赤く痛々しい皮膚と、くっきりと残されたロープ痕。言わずもがな、すでに薫の体には魂がなく、ただの肉塊に成り果てていた。
「薫は、仕方なかったんだよ?」
「ヒイイイイ――ッッッ!!」
ベッドから転がり出たあと、オレは尻もちをつきながら後退した。ムクリと上半身を起き上がらせる者の正体は……心音だ。月の光が強く輝き、表情がはっきり見える。
心音は――
手には包丁が握られており、反射した月光がオレの股間を光らせている。ぐるりとベッドを迂回して、ゆっくりとオレに近づいてくる。ゆっくりと、ゆっくりと。
「ねぇ、なんで私に飽きちゃったの? 薫に比べておっぱいが小さいから? 少しわがままなところがあったから?
心音の声は普段と比べて、まるで童心に戻ったようにあどけない口調だった。それがなおさら、この場にはふさわしくない笑顔を不気味たらしめていた。
「こ、心音……! 早まるな……早まるなァ!」
オレの必死の問いかけ虚しく、死へのリミットダウンが始まっていた。いくら相手は女の子だとしても、包丁があるというだけで、こちらは一気に不利だ。
しかもオレは、よりにもよってパンツ一丁である。まるで体全体に、赤い弱点をさらしたゲームボスのような状態だ。マズい。非常にマズい。ぱくぱくと口が動いている。
「ねぇねぇ? 質問してるのはこっちなんだよ? なんで答えてくれないの? その口ってただの飾りなの? だったら……
「――ッ!!」
カッと目が見開かれたと同時に、オレに飛びかかってきた心音。間一髪のところで身をかわして避けると、そのまま両親の寝室の部屋をあとにした。
服を着る時間なんてあるわけがないので、パンツ一丁のまま逃げるしかないだろう。玄関の扉を開けて外に出る。寒さなんて関係ない。こちとら命がかかっているんだ。
「待てエエエエエエエ――ッ!! その口えぐり出してやるゥゥゥゥゥウ!!!!!!」
真夜中の住宅街を、一人の変態と一匹の狂犬が走り抜けている。後ろからは、先ほどの笑顔なんてかけらも残っていない、怒りの形相をした心音の姿があった。
どこへ逃げようか? と冷静に選択できるほど、オレの脳みそは優秀じゃない。足が赴くままに走り続けて約七分。着いた場所は街で一番広い自然公園だった。
「どこだァァァアアア――ッ!! どこだァァァアアアアアアアアア――ッ!!」
いい加減真夜中をこんな大声で叫び散らかしていたら、だれかしらの近隣住民が警察に通報するだろう。それまでの辛抱だ。必ず逃げ切ってやる。必ず。
だいたい、なんで心音が怒っているんだ? それは筋違いというやつだ。さっき自分で悪いところを言ってたじゃないか。そうだよ、その通りだよ!
自覚しているならなんで襲ってくる! それって本心では、悪いところをを否定してるってことじゃねぇか。あろうことか薫まで殺しやがって……悪の権化のような女だ。
オレは悪くない。オレは悪くない。悪いのは全部アイツだ。なのにこの状況はなんだ? これじゃまるで、オレが悪人みたいじゃねぇか。ふざけるな。ふざけるな。
「隠れるのに最適な場所は……」
だから選択している時間はないのに、なぜか首はきょろきょろと呑気に探していた。心と体が別々の生き物にでもなったようだ。
だんだんと心音の声が近づいてきた。オレは考えた結果、公衆トイレの裏側の、木や雑草が生い茂っている場所を選んだ。体を丸めながら、急いで飛び込んだ。
「頼む……早く来てくれ……!!」
来てくれというのはもちろん心音のことではなく、通報現場に駆けつけた警察官だ。しかし不運なことに、まったくサイレンの音などは聞こえてこない。
こんなときに職務怠慢とか、どれだけオレはついていないんだ。しかも薄々わかっていたが、肌に直接雑草が当たったり、虫が体を上ってきたりとふんだりけったりだ。
「…………静かに、なったな」
隠れ初めて三分ほどが経過した。夜風も吹かない凪のような時間が訪れる。オレがわずかに動くと、さらさらと雑草と雑草が擦れ合って音がした。
他にもアリなどの虫たちが移動している音も聞こえてきた。以前として、心音の声は聞こえない。オレは……勝ったのか?
「はは……ははは……ははははは……」
思いっきり高笑いしたいところを、最小限の音量でこらえる。とりあえずすぐ家に帰ろう。そしてすぐに百十番通報だ。クレームの一つでも入れないと気がすまない。
これで……これで終わりだ金森心音! 恨むならオレでなく、お前を幼児体型でしかも貧乳に産んだ母親を恨め! せいぜい刑務所の臭い飯でも楽しみにしてるんだなァ!
「ヒヒッ、ヒヒヒ、ヒヒヒヒ――」
ムニッ
「え?」
頬に当てられた人差し指。それはとてもきめ細やかで、触られていて気持ちがいい。いったい誰の……
「そんなに――これから死んじゃうのが嬉しいの?」
「こっ、心音……ッ!!」
ブシュッ と目の前に赤い水が舞う。これはなんだろうと考えた直後、右肩にかけて焼け付くような耐えがたい痛みが襲ってきた。
とっさに押さえるが、指の隙間からぽたぽたと鮮血が垂れ、土を紅く染めていく。痛い。まるで線状に焼印を押されてしまったようで、それがずっとつきまとってくる。
「アッ……ガァァァ……」
「あっ! 嬉しい理由がわかったよ! さては……もし死んだら、薫に逢えるだなんて考えてない?」
「な、なにいって……」
「残念だけど、それは難しいと思うよ? だって薫は首を絞めて殺したけど、経汰はこれから血をたくさん噴き出して、体中穴だらけ傷だらけになって死んじゃうんだからっ」
心音はどうやら、本当にオレの命を奪う気でいるらしい。実際に傷をつけられて、その気持ちを身近に感じた。オレはよろけながらも、ふらふらと歩きだす。
もう相手の逃げる気力がないだろうと高をくくっているのか、トドメを刺してこない心音。実際その読みは当たっている。なるべく遠くへと逃げようとした瞬間、
「ワッ! アギャアッ!!」
今まで走って逃げてきたことによる足の負担と、パンツ一丁による寒さがピークに達してしまい、体のバランスが崩れて、公衆トイレに転がるようにして入ってしまった。
入口には心音が、ゆっくりとオレに向かって歩を進めている。オレは四つん這いで逃げるも、すぐに壁際まで追い詰められてしまった。アンモニアの悪臭が鼻をつく。
「ご、ごめんなざい……。悪かっだ、です。私が、悪がった、です。だが、ら……」
オレに残された延命の方法はただ一つだった。正座をした状態で、黒ずみが蔓延る床タイルに手と額をつけて、ひたすらに土下座で謝り続ける。
何度も何度も何度も、途中頭を下げすぎたせいで唇が床タイルに当たり、なんとも言えない苦々しい味で吐き気がした。でも構わない。少しでも許してもらう可能性を……
「ねぇ、答えてよ」
「…………え?」
さっきまで新品の玩具に戯れるような子どもの声質だった心音は、なんの前触れもなくいつもの調子に戻った。オレの決死の土下座が効いたのだろうか。
「私たちって……どこから
今にも消え入りそうな声で呟いたあと、ガキーンッ!! とけたたましく金属が床タイルに落ちたような音がした。目線を上げると、心音の手には包丁がなかった。
許してもらえた!? なんてそんなわけがないだろう。じゃあどうしてそんな真似を……と考えながらさらに目線を上げたとき――視界に映る心音は、泣いていた。
「……わからない」
と、言った直後、心音が被せるように私もだよ! と大声で叫ぶ。そのまま、堰を切ったように話し始めた。
「あんなに好きだったのに……あんなに愛していたのに……気づけば、前に経汰が話してくれたみたいに、鬱陶しくなって、好きじゃなくなって、一人のほうが居心地がいいなんて思っちゃったんだよ!!」
「……心音、も……?」
信じられない。まさかオレと同じく、倦怠期に苦しめられていたなんて。
「本当は私ね、別れを切り出したとき、すごく後悔したの。でも言い出した手前、とてもじゃないけど復縁なんて迫れるわけがなかった。
だけど……ずっとやり直したい、やり直したいって
「……最後の思い出作りを、断ったのは……そのため?」
「そう。だってそんな誘いに乗ったら、新しい思い出、また新しい思い出、またまた新しい思い出って欲しくなるの、わかってたから。
だからメロンソーダを二人で飲み終えたとき、サヨナラって言うのがすごく苦しかった。まるで心をえぐり出すようで……
ほんとにバカみたい。好きになったり嫌いになったり、どっちつかずが一番ダメだってこと、わかってるのに……」
「…………」
「神様はどうして、人が人を好きになる気持ちなんて与えたんだろうね。別に死ぬわけじゃないんだし、他人同士でいいじゃん? そっちのほうが気楽じゃん?」
「……わからない」
「手持ち花火のように一瞬で、幸せなのはほんのいっとき。悩んで……苦しんで……裏切られ……残るのは、使い終えた火薬の臭いだけ。いつかはそれすら忘れる。あんまりだよ、こんなの……」
心音はひとしきり喋り終えると、ゆっくりとした手つきで再度包丁を拾う。そして一歩前へと近づいてきた。
オレたちの間にある距離は、目測にして一メートル。ただでさえ近いのに、縮まっていく距離。
「まっ、待ってくれ! 話せば、話し合えば絶対分かり合えるから!」
「…………その
心音は唇を血が出るほどに噛みながら、力のかぎり包丁を振り下ろす。それがオレの胸に吸い込まれるまさにその瞬間、
「――納得いかないなぁ」
「「――ッ!!」」
突然個室から聞き覚えのある声がした。いや、聞き覚えしかない。キィ……と扉は静かに開かれ、ヤツは正体をさらした。
「カ、カルア!」
薄暗い公衆トイレの中では、まるで浮き彫りになっているように、真っ白のショートトレンチコートは目立っていた。
相変わらずの黒いシルクハットは深々と被っておるが、今のカルアはニヒルな笑顔ではなく、腕を組み、口元はへの字に曲がっていた。明らかに不満げだ。
「え? あの変な人、カルアって名前なの?」
「まぁまぁ、名前のことは一旦置いておいて。僕はてっきり、怒り狂った心音君が公衆トイレまで追い詰めて、最後は無残に刺し殺す展開だと思っていたし、内心僕はそれに期待してたんだけどなー。がっかりだヨ。
たしかにちゃんと、弾は撃ち込んだはずなんだけどねぇ……」
「なにをぶつくさと……とにかく私は、今から経汰を殺して、自分も死ぬつもりです」
「ちょっ、ちょっと! なんで!」
「だって私は……感情に流されるように薫を殺しちゃって、もう真っ当な人生なんて送れるわけがない。でもそれは、一番の理由じゃないの」
「……一番の理由は」
「きっと……私は地獄行きで、ついでに経汰も、地獄行きだろうから……一緒に行って、二人でやり直そう? 今度は、間違えないように。飽きて、しまわないように…………ね?」
「心音……」
心音の顔は、鬼のような怒りの形相でもなく、ベッドのときのこの上ない笑顔でもなく、本当に爽やかで穏やかな、草原のような笑顔だった。
なぜかオレは、これから死ぬというのに不思議と冷静だ。どうしてだろう?
死んでからも、目標ができたからか?
いいな……本当に。そんなことに、なったら――
「非常に心苦しいことだけど、経汰君の
と、言って、カルアが懐から取り出した物を見るのは二度目だ。黒光りした銃身の長いリボルバー銃。それをオレに向けて構えた瞬間、その間を心音が割り込んできた。
「待ってください! せめて、私もその銃で撃ってください! お願いします!」
「そうゆうわけにはいかないヨ。だって君は同じ臭いがしないから。それになにより、経汰君は僕との約束を破ったからね。罰を与えないと」
「同じ臭いって、いったいな――」
心音が喋っている途中、急に糸が切れた人形のように、その場にドサッと倒れてしまった。大丈夫か! ととっさにオレが近寄ろうとすると、
「恐ろしく速い手刀、僕だけ見逃しちゃうねぇ〜。やっと邪魔者がいなくなったヨ。これで……」
「ヒィ!!」
額に冷たい銃口を押し付けられ、恐怖で身動き一つ取れない。カチャリと安全装置が外された音がした。
「
「や、やめっ」
その
一回目のときと大きく違うのは、まるでろうそくの火が吹かれて消えるように、刹那の瞬きで意識がなくなってしまったことだ――
「ここ、は……」
目を覚まして気づいたのは、体の違和感だった。まったく動かない。指先一つですらだ。体勢としては椅子のようなものに座らせられ、手足を固定され動けないでいる。
どうなっているか目線を動かそうにも、なぜか正面に広がる暗闇以外見ることができない。いったいここはどこなんだと思ったそのとき、背後から聞こえた声に戦慄した。
「あっ、ようやく来たッスか。遅いッスよ〜」
「――ッ!! お、お前、は……!!」
特徴的な喋り方から、すぐに誰かわかった。薫だ。でもそんなはずがない。だって……だって彼女は……!
オレはこの目でしっかりと、惨たらしい死に様を見たのだから。だからこの声は幻聴。罪悪感が生み出した、無意識の――
「なんか、黒いシルクハットを被った女の人に、気づけばここに案内されてたんスよ。にしても嬉しいッス。これで……経汰を
その
よかった……と思うのも束の間、オレは瞬時に、見てはいけないものを見てしまった。
「な、なんじゃこりゃァァァアアアアアアアアアアアア――ッ!!!!!!」
松田◯作よりも大音量の叫び声を上げた理由は――オレの体のいたるところに、
手の甲、腕、お腹、脇腹など、計二十九本のストローがオレに刺さっていた。しかし不思議なことに、痛みなどはまったくない。
「今の自分の姿、わかったッスか〜? 傑作ッスよね〜! 初めて見たとき、腹がよじれるほど笑ったッス」
「い、いったいこれは……」
「あそうだ。これはケイチャンには見えない位置ッスか。ちょっと待ってるッス」
と、言った直後、右の視界から当たり前のように手を振って登場したのは、まるで生きていたころのように、なに食わぬ顔で体を動かしている薫だ。
彼女は懐から手鏡を取り出すと、それをオレに見せ、少しずつ頭上が見えるように上へ傾けていった。やがて見えたものに対して理解するのを、脳みそが強く拒んだ。
「な、なんでこんなに……
頭上には、口をめいっぱい開けてようやく咥えられるほど、大きな飲み口のストローが深々と刺さっていた。
長さからして、すでに自分の腹部を貫通して肛門から突き出ているはずなのに、その感覚はまったくない。オレの体は……どうなってしまったんだ!?
「ここはメインディッシュッス。主にウチがチュウチュウするとこなんスけど、いや〜楽しみッスね〜!」
「チュ、チュウチュウって、まさか……!!」
はむっ
オレが止めるより先に、サッと薫が口にストローを咥えると、まるで深呼吸をするような動作で、勢いよく吸い上げた。その瞬間、
「ギギャアアアアアアアアアガガッアアアアアアアアアアアアアアグ゛アグ゛ッアアアアアアアパッアアアアアアアアアガ゛ガガ゛ガッガガ゛アアアアアアアギギギアアアアアアアアア――――ッッッ!!!!!!」
吸われてる、吸われてる。オレの一番大事ななにかが、チュウチュウチュウチュウチュウチュウと音を立てながら薫の口に入り、ゴキュッと飲み込む音がする。
とても
それほどの事態が起こっているにも関わらず、なぜか意識は、一日中寝たあとのようにはっきりしたままだ。なんで? なんで? 死なせろよクソッ!!
プハーッ! と仕事帰りにビールを飲んだおっさんのように、恍惚の表情をしている薫。口の端からはぽたぽたと、液体状になったなにかが垂れている。
「びっくりッス! まさかケイチャンの●●●が、こんなに美味しかったなんて! 味が気になったら、口移しで飲ませてあげてもいいッスよ」
「や……ぇ……」
口をぱくぱくさせるだけで、
それでも、意識はハッキリしている。それでも、オレは生きている。悪夢だ。地獄だ。
「ちょっとケイチャン。こんなんでへばってたら、ウチたちの
「あ……の…………しょう?」
そのとき、どこからともなく不快にさせる泣き声と笑い声が、大群をなして聞こえてきた。それが津波のように、徐々に近づいてくる。
やがてあーとかうーしか喋ることができず、四足歩行でしか移動することができない生物――赤ちゃんが体をハイハイと伝っていることは確かだった。
「あ……あ……ぁ……ぁあ」
「いや〜にしても、赤ちゃんってどうしてこんなに可愛んスかね〜? それが我が子ならなおさら、ずっと見てられるッス!!」
「な……で……」
赤子はそれぞれ、ある者はわんわんと泣きながら、またある者はキャッキャッキャッキャッと笑いながら、全員が一人一本のストローを口に咥える。
微笑ましげな表情をしながら、再度オレの視界に表れた薫。だがさっきの姿とは違い、お腹が大きく膨れていた。宝物に触れるように優しくさすっている。
「やめ……やっ……て……やっ……め…………」
「家族サービスは、既婚者の義務ッスよ? 今までウチとシてきた数だけの赤ちゃん、たーんと可愛がってくださいね?
かぷっ
かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ
かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ
かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ
かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ
かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ
かぷっ かぷっ かぷっ かぷっ
すべての赤ちゃんが、ストローを口に咥えた。薫も当初の位置である頭上の一番大きいストローに向かい合った。
「それじゃみんな! おててとおててをあわせて、いたーーだきーーーまぁぁぁーーーーーす!!!!!!」
「やめろォォォオオオオオオオオオオオオオ――――ッッッ!!!!!!」
チュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウチュウ…………………………………………………………ゴキュッ――
(.)
HOT! HOT! ストロー(孤独のカルアシリーズ) @usunoromausu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。HOT! HOT! ストロー(孤独のカルアシリーズ)の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます