2-02.出発準備2nd・魔法特訓

 翌日になると、アーシェは完全にフィエの従僕となっていた。おっぱい星人であるフィエがいつ触って来ても逆らう権利を有さない。今や体の隅々まで触られてもアーシェは逆らえない。アーシェは顔を赤らめながらも、抵抗も口答えもできない。フィエに足を舐めろと言われたら、アーシェは笑顔で応えなければならない。


 そしてアーシェは新しい趣味に目覚めてしまった。というよりここまでやってしまえばそうなるだろう。屈服の趣味を持ってしまった。その暗い欲求は方向性を変えて昇華したようだ。


 かつての愚痴でアーシェは『愛玩動物扱いは嫌』とか言っていたが、それは相手によるらしい。フィエはアーシェにとってご主人様として充分だったようだ。


 フィエからアーシェへの呼び方は一時的に『アーシェ』とか『メス犬』とか『✕✕✕✕』だったが、『アーシェ様』に戻すようだ。さすがに対外的にはそうした方がいいからだ。全てにおいてではないが、呼び方には年功序列や社会的地位、公共性を考慮しなければならない。


「アーシェ様、今日はお仕事サボっちゃダメですよ?」


 サボらなきゃいけなくなったのは俺たちのせいなんだが、もはやアーシェはフィエには口答えできない。


「はい。……仕事が終わりましたらすぐに帰ります。フィエエルタをお待ちして待機します。私は幸福です。完璧で幸福なフィエエルタ」


 二人とも溢れんばかりの笑顔だ。何も知らない人が見れば美しい光景だろう。




 アーシェ邸、応接間。


「はーい。クィーセちゃんの魔法講座。始めますねぇ。


 今日は新たにコバタさんをお迎えできて嬉しいです! フィエちゃんも引き続き頑張りましょうね」


「クィー教官、よろしくおねがいします」


「フィエちゃん、ボクにコバタさん使用許可ください。アーシェルティ殿の捜索といろいろな準備をお手伝いしたご褒美に!」


 クィーセさんは昨日一昨日のあの狂った調教劇には直接参加こそしていないが、内容はよく知っているはずだ。なのに笑顔でそれを言えるのは凄いと思う。


「……クィー教官は相変わらず度胸ありますね。まぁ講座頑張ってくれたら考えますよ。あと通過儀礼覚悟できてます?」


 フィエは強くなった。笑顔で威圧している。


「フィエちゃん、ボクはそれでも強く頼んじゃいますよ~。だってその通過儀礼、人数増えるほどキツくなる奴ですもん。


 それにボクは盗む気ないですよ。フィエちゃんのコバタさん貸してくださいね。なんならフィエちゃんも一緒にいてくれるのもボク的にアリですから。フィエちゃん好きですし、もっと一緒にいたいってのはあるかも!」


 クィーセさんも強い。なんだか初回講座の時からいろいろ気を使ってくれているし、今の発言も割とウソという感じがしない。


 これが俺の自意識過剰でないとするなら……え、なんで俺モテてんの。浮気バレで怒られたようなクズだぞ。


「クィーセさん。俺もう無理なので。もう次フィエを裏切ったら腹を切るしかないと思っているので」


「コバタ、わたしの言葉忘れちゃった? 早いよ」


「『コバタは誰を好きになってもいい。でもわたしはコバタを誰にも渡さない』


 憶えています……ああ、フィエのものなのに勝手に腹切っちゃダメだよね。


 考え足りてなかったです」


「そっちもあるけど……どう? クィー教官好き?」


 フィエが何でもないことのように訊いてくる。……アーシェには凄い怒ったのに、クィーセさんには何でそういう感じなんだろう?


「よく俺たちを助けてくれる方です。好感はあります。ですがそういう意味のものではないです」


「えぇ~、ボク結構頑張ってるつもりですし、普段いい子にしてるのに~。


 仲間外れ状態続くんですか~。差別ですよこれは~。ラートハイト出身者差別してませんか~? ……それとも、ボクってブスですか? 性格クソですか?」


「クィーセ先生は魅力的で楽しい方です。やめてくださいよ自虐系の構っては」


 フィエはそんな俺たちの様子を見て微笑んでいる。……やめて、ご主人様の風格を見せられた後だと可愛いだけじゃない気がしちゃう。


「クィー教官。まだコバタの準備が出来ていないのでお預けです。


 今日は魔法講座お願いします」


 ……なんだ準備って。俺の準備が完了すると浮気するって思われてる?


「はーい。今回は個別指導になりますよ。その前に少し座学しますね。


 まずはコバタさんの『早駆け』。すごく良いのを貰いましたね」


「ララさんにも同様の評価はされましたけど、そこまで凄いんですか?」


「ボクの知ってる例としてキィエルタイザラ殿を挙げますね。


 あの方は『地の閉塞』と『早駆け』をひたすら磨かれて、陸地ではほぼ最強です。まぁ弱点もあるので全てにおいて最強ではありませんけどね」


 実力者だとは聞いていたが、そこまでなのか。


「教官、磨き上げるとどのようなことが出来るようになるのですか?」


「まず、地肌のある場所とか草原とか森で通常の何倍もの速度で移動できます。これだけで中~遠距離からの魔法はほぼ当たりません。十分な準備をして罠にかけた上で魔法を放つか、コバタさんの『太陽の矢』くらいしか無理でしょう。魔法は素早く相手に届きますが、それ以上の速さには勝てません。


 キィエルタイザラ殿はこれをすっごく頑張って育てています。あの方の熟練度だと余程の巨木でなければ木が避けてくれます。地母神バンザイ。


 あの速さで迫ってこられるとホント怖いと思いますよ。怖がらせて崖っ淵まで追い込めたり出来ます。もちろん秘かに忍び寄ることもできます。


 多分、ララトゥリ姉貴、アーシェルティ殿もあの方とは戦いたいとは言わないでしょう。もちろんボクだって敵対するべきではないと思いますよ。


 ボクも『早駆け』は使えるんですが、あそこまでの威圧感や混乱を誘う使い方は出来ません。やっぱ威圧感出すのは男性の方が向いてるからねー。きっとコバタさんにも鍛えれば鍛えるほど便利さ、強さが分かります」


 移動の他に威圧にも使えるのか。でも俺に威圧なんて難しいと思う。


「良い魔法貰ったんですね。頑張って俺も強くなります」


「んじゃ、座学もういいや。訓練しましょうか。


 フィエちゃん、許可は出ていると思っていいんだよね? じゃあフィエちゃんは『癒しの帯』維持訓練やっていてくださいね。


 ボクはコバタさんと訓練しながら、誘惑してきますんで」


「いってらっしゃい。……維持訓練だけでいいんですか? 治療の実践訓練は?」


「維持は大切ですよ、長期維持できるほど単なる治療以外の使い方増えますし。アーシェルティ殿とかは戦闘時、ほぼ常時展開できるそうです。


 あ、『魔法疲れ』が始まったらすぐやめること。回復まではララトゥリ姉貴とかに座学で指南を受けるとか、あるいはお昼寝して回復早めるのもアリです。


 何か、ながら仕事したりとか集中が難しい場面でも維持できるようにしてね。貴重な回復ですよ。他者を癒すだけでなく自衛に大いに役立ちます。優先してくださいね」




 俺はクィーセ先生に連れ出されて外に出た。クィーセ先生の誘惑宣言にフィエは動じなかった。信じられているのか、諦められてしまったのか。


「コバタさん。まずひとつ提案があります。


 一応ボク、魔法の発動体は用意していますけど、その指輪試してみませんか?その指輪、発動体として使えるなら割と『精度』期待できそうなんですよね」


「発動体……てのは分かりますけど『精度』って?」


「じゃあボク説明しますね。んー、ちょい詳しく話しましょう。講座ですしね。


 ……まず発動体の素材は幾つかあります。特定の木とか金属とか宝石ですね。これらを使って特定の動作をすることで、魔法が発動します。


 ララトゥリ姉貴はオーソドックスに杖ですね。取り回しが便利なんです。殴るための武器にもできますし、特定の位置に発動させるイメージがしっかり固まれば、杖にくっ付けての運用も出来ます。『灯虫』を杖に付けて殴るとかもできちゃうんです。それに魔法使いのシンボルとなってるだけあって魔法的な親和性が高く、精度も上等です。


 アーシェルティ殿は特殊な訓練受けてますね。眼球か心臓か頭の中のどこかあたりの重要器官をうまく媒体化して魔法を発動できるようです。だからあの方は本来なら発動体なしでも魔法を使える。ほぼ最高精度です。精鋭中の精鋭です。この方法はボクは無理。


 ただそれは集中力がすっごくキツイんで、普段は幾つか見え辛い位置のアクセサリに分散して付けて使ってますね。精度の良い素材使ってます。お金持ちですね。財産ないとできないことです。あと予備アクセサリも含めて発動訓練しているとか努力と練習の鬼、化物です。


 フィエちゃんはアーシェルティ殿から発動体分けて貰ってますね。新しい腕輪、コバタさんも気付いて褒めてたでしょ、アレです。いい仕事してる高級品。


 ボクはここの骨を使っています。ボクの手、右の片方ないの知っていますよね。手首から先は骨もなくて、前腕の骨がそこそこ露出しています。まぁ向こうにいた時に無くなっちゃったんですけど。露出した骨ってイメージしやすいのか集中力そこそこでも反応いいんですよ。おかげで魔法が精度高く使える。


 それで精度なんですけれど、これが難しいんですよ。いろいろ試して、合うのを見付けたりしないといけません。ボクの場合の『露出した骨』は相性が優秀なんです。さすがに手があった方が便利だし、切ってまでやる人いませんから、これは事故った人とか限定ですけど。


 それでコバタさんの場合、その指輪はかなり魔法的なものだから精度高いんじゃないかなって思いました」


「……でも、この指輪には元からいろいろ魔法が込められているんですけど、大丈夫なんですか? 壊れたりしないでしょうか?」


「それで壊れるのなら、多分もう今までの色々で壊れています。


 コバタさん、魔法習得した後も魔力感知はかなり低いですか? 魔法に目覚めると感じたり見えたりするものです。分からない感じ?


 ……あー大丈夫大丈夫! 悪い事じゃないよ個性だから。見えないと気を取られないで済むから集中乱されにくかったり動揺しないって利点もあるからね。


 ……うん、それでね。今までたくさん魔法が方向出して流れている中で大丈夫だったなら、その指輪は問題ないですよ」


 うーん、電磁波とかそういうのと似た考えか? 電子レンジでチンしても壊れないなら、大丈夫とかそんな感じ? 目に見えないし感じ取れてもいないからイメージがかなりぼんやりだ。


「じゃあ『術式』を想起しながら『動作』ですね。


 そういえば俺、動作の方はまだ教わっていないですが」


「これからお教えします。


 『動作』の方は魔法の学校でも教団の教練所でも特定の形で教えています。


 ……ただ、機密ですよ?


 実は『基本、発動にはどんな動作でも良い。動きと印を関連づけることが大切』なんですよ。だから本当は自由にやっても良いんです。


 『異常な魔法発動行動を防ぐためにマニュアルが作成された』のですね。


 あとは


 『発動動作を揃えることで、複数人で魔法の一斉射撃を行いやすくする』


 同じ動きだと横と合わせて発動しやすいでしょう? 行進や踊りと同じ。加えて言えば他人の動きを見て学習できるからやりやすいって言うのもありますね。


 『発動動作を見ることで魔法を特定する』


 これは何と言うか、防御的な効果があるんですね。事前動作によって発動魔法を予測できる。……ん? 相手に使う魔法がバレちゃったら不利? ああ、それは織り込み済みですよ。魔法攻防による消耗戦って奴です。『相手に防御魔法を使わせて精神を消耗させ』たりするんですね。駆け引きですね。


 こんな感じなので、コバタさんが使いやすいやり方でいいです。


 ただ日常で偶然『術式』を思い浮かべた時にしていない動作にしてください。例えばそうだなー、頬杖ついて物思いにふけるクセがあるなら、ほっぺ触るのを発動動作にしちゃダメですね」


「クィーセ先生はどんな動作なんです? 参考にしていいですか」


「ボク? 『早駆け』に関しては『しゃがんで、腕の骨で足か靴を2回叩く』ってやり方ですよ。隠れているときとかしゃがむこと多いから、その時に使えるようにですね。ボクは逃走と奇襲を重視しています。


 反面、敵の目の前で使うのにはちょっと微妙なやり方かも知れませんね。『あっ、あいつ魔法の発動動作しやがった』ってバレますし」


 欠点はそれほど深刻なものに思えない……いい案かもしれない。普段偶然発動しない……よな、多分?


「じゃあ……俺は『指輪を付けた指を、足付近で力を込めて曲げる』にします。


 場合によっては指輪を足の指に付けることもあると思うので」


「ふーむ。ちゃんとイメージと関連付けが行なえるなら悪くないですね。変な発動は避けるように気を付けて下さいね。人生が不便になっちゃうから。


 ……というか本当に想定大丈夫ですか? コバタさんってアクロバティックにえっちなことしてたりしません? その時に手と足が近いと発動しますよ?


 まぁ、そういう時には発動体を外すのもありですが」


「大丈夫……だと思います、多分。……っていうかそういう時に『術式』なんて思い浮かべるとは思えません!


 ララさんみたいに下ネタ言うのやめて下さいよ……」


「ボク、下ネタのつもりないですよ。


 訓練初期とか特に変なタイミングで頭に浮かぶ危険有りますからね」


「っていうか、よく考えたら『早駆け』って地面のある場所でしか発動しない奴じゃないですか!


 なんでエッチに関係あるんですか」


「コバタさんは外でされたりはしない、と。ボクとしてみますー?」


「しませんよ! 俺そういうマナー悪い行為には抵抗あるんです。土地の所有者や管理者とか、通りがかった人とかご近所さんに迷惑でしょう。やっていいのは創作物の中だけです」


「それはコバタさん、元の世界での話ですよね?


 ……見回してごらんなさい。こちらの世界は可能性に満ちているんですよ。まだ誰のものでもない大地が広がっていますし、誰も見ていない場所があります。


 ボクはコバタさんを受け入れますよ~。どこでもお気に召すままです」


 クィーセ先生は本気なのか冗談なのか分からない。俺は正直言ってこの態度で誘われても困る。もしクィーセ先生が本気でなかったら『冗談でした』で終わらされそうな範囲だ。


「……それが誘惑だとしたら趣味合わないです。無理です」


「そんなー」


 そんなわけで発動訓練は始まった。結果を言えばあっという間に終わった。俺は『術式』の想起訓練は上手くいっていたし、指輪も優れた発動体だったようだ。発動に問題がないのであれば、とすぐに実地訓練となった。


「んじゃ、最初はあまり喋らず。物や人にぶつからないよう訓練しますね。


 あー、人とかウマとか建物にぶつかると結構事件なので、少ない方に行きましょうか。まずは木とかそういうのを的確に避けること。


 砂利道、河原くらいなら魔法効果がありますけど、『市街や街道における石畳』は地系列の魔法対策されていますから、そこだけ気を付けてね。


 あ、そこだけじゃないや。うっかり。あとは『砂漠や海浜などの砂地』でも上手く発動しません。地母神様の加護の範囲外なのかなー?


 慣れないと事故るので感覚掴むまではホント真面目にね。ボクなんて躓いて大地、つまりは地母神様と熱いキスをしてしまったことがあるんです。唇が切れて鼻血が出て、頭がクラクラするほどステキなキスでしたよ。


 ボクが先導しますから着いて来てください。無理のない速さなら初心者であっても長時間使えるはずです。維持が自然にできるようになるまで特訓です。


 フィエちゃんが講義中は『教官』って呼ぶみたいに、コバタさんにはボクを『先生』と呼ぶようお願いしますねー。立場、関係性を認識すると指導が受け入れやすくなるっていうから意外とこういうの大事なんですよー」


「分かりました。クィーセ先生」


「よーし。頑張りましょうね。コバタさん……ボクの生徒さん」




 それから準備体操を行ない、歩いたり走ったりした。『早駆け』は速度調整できるものの、最初は歩くのに対して2倍の速度とかで前に進むので混乱した。


 自動車教習を始めたばかりの頃のような、体の感覚と目の前の移動速度が一致しない危うさを感じた。


「ハイ、走ってー。よしよしちゃんと脚は鍛えてるね。思ったよりいい感じだー。よーし、それじゃあゆっくり速度落としていくよー、今度は忍び足を意識してみてねー。


 よーし、いい感じだぞー。自分の足ばかりに気を取られず、前にも気を付けてねー。この辺は石ころ多いからコケたら悲惨だぞー。もしコケたら『癒しの帯』の治療練習に切り替えだねー。


 ほらほら、足元気を付けてねー。グラついたときも慌てずにねー。よーし急停止! よし! 反応いいねー、ちゃんとボクの声聞こえてるねー。


 よしまた歩いてー、少しづつ速度上げていくよー。付いて来てねー。んー、ちょっと歩き乱れているねー。ボクの足の動かし方見て真似てみてねー。


 学ぶことは真似することからー。動きをしっかり体に染みつけてねー」


 クィーセ先生は良い先生だと思う。声掛けや指示を惜しみなく行なってくれる。最初はどうなることかと思っていたが、真面目に先生してくれている。


 魔法を使っているとはいえ、身体を動かして運動しているのには変わりない。おおよそ一時間ほどだろうか。血行が良くなったおかげか、どことなく気持ちの調子も上がってくる。


「よーし、そろそろいったん小休止だー。もう少しだぞー。がんばれがんばれー。そうだねー、あそこの木陰とかで休もうかー」


 ……ただ、一点だけ気になる部分がある。俺の邪念だ。


 クィーセ先生が『足元注意』や『足の運びを見ろ』という指示をくれる度に目に入る健康的な脚や、お尻に気が向いてしまう。……俺は心底クズの性欲男になってしまったのだろうか。なんで真面目に教えてくれている先生に対して邪念を抱くのか。


「よし、よく頑張ったねー。上出来だよー。


 ほら、水はちゃんと飲んでね。……あ、汗ブワって出たね。水足りてなかったかー。もうちょっとこまめに休むべきだったかー。ごめんねー。


 ほら、これ使ってください」


 先生は汗ダラダラの俺に手ぬぐいを貸してくれる。受け取って額の汗を拭こうとすると……これ、クィーセ先生の匂いがする。


 ……俺、やっぱもう邪心と一体化してる気がする。最初は愛だ恋だとこだわっていた割に、今は視覚、嗅覚と刺激に弱くなり過ぎでは?


「いやー疲れたねー。普段しない動きというか、いろいろ試したからボクもちょっと疲れたよー」


 クィーセ先生の笑顔が眩しくて罪悪感がある。俺の視線が先生を汚さぬように逸らした。先生は熱心に指導してくれたのに、俺は……。


 フィエにも申し訳が立たない。無反省と言われても仕方ない。


「ん、ちょっとご飯食べようか。休みの度に分けて少量ずつ食べようね」


 クィーセ先生は背負ったポシェットから携行食を出すと俺に渡し、自分も食べ始める。包装でギチギチに巻き固めた、塩味の強い肉や野菜を具を巻いたパン。収納に嵩張らないこと重視で見栄えは微妙。味はおいしいが、なんか潰れちゃったサンドイッチみたい。遠足っぽい。


「……ここら辺は見晴らしが良くて、風も気持ちいいですね」


「そーだね。最近暑さが引きつつあるけど、まだ冷えるって程じゃないから運動にはいい季節なのかもねー」


「ですねぇ。でもまだまだ秋とは言いにくい感じじゃないですか? 紅葉も少ない感じですし夏が終わったとはあまり思えないかも。


 あー、でももう収穫の時期は始まってるんですね。ここまで来る途中で結構見ましたよ」


「んー、そだねー。……風がいい感じだねぇ。ふぃー。


 こういう季節の特権だよねー。あー、気持ちいい。


 いい景色っていうのはほんとだねぇ……」


「そうですね」


 ふと先生の方に目をやると、クィーセ先生は木に寄りかかり眠たげなトロンとした目をしている。……まさかまだ疲れたわけでもあるまいし、食後眠くなりやすいタイプ? それとも夜更かしでもしてたのか。


 俺の講義のために無茶させていたりしないよな? えっとどうしよう。声掛けして目を覚まさせた方がいいのかな。


 あ、先生の瞼がゆらりと閉じる。木の葉が落ちるような、花びらが舞い落ちるような眠りの瞬間を見て、俺は起こすに起こせない。


 今の、疲れていて寝落ちした感じだよな。……しばし待って、休ませてあげよう。……クィーセ先生っていつも冗談めかしていて、明るい雰囲気にしてくれる人だからな。結構気遣いの人で疲れてるとかも言いにくかったのかもしれない。


 俺はしばらく待つと決めて風景を見やる。そう言えば、この世界に初めて来たときも、雄大な風景を見た。あの時は余裕なくて楽しめなかったけど。


 俺は自然風景を見るのが好きなわけではない。なぜかというと、気楽に楽しめないから。風景を見てボケっとしていていい場所って、俺の基準だと少ないからだ。


 観光地とかは周りの人が気になって楽しめない、何気なく空を見上げた時に綺麗だと思っても、ボケっとそれを見ている自分が変に見えるのではないかと気になる。そもそも時間や人込みに追われているから立ち止まれない。


 ここは人がいないし、とても風景が綺麗だし、そこまで時間に追われているわけでもない。しばらくこうしているのもいいかも知れない。




 少し風景に癒されていると、すぅーすぅーという寝息が聞こえてくる。あ、クィーセ先生本格的に寝ちゃったか、と思って振り返る。


 …………俺は自分が邪念と性欲と煩悩の塊だと再認識した。


 クィーセ先生は起きているときより幼く見える無垢な寝顔をしている。寝息に合わせて上下する豊満な胸。アーシェほど大きくはないが、ララさんより一回り大きい感じ。


 ……何考えてるんだ俺。乳比べを頭の中で行なうな。今日熱心に指導してくれた相手をそういう風に見るな。……そうだ、フィエを想え。


 …………。よし、邪念は消えた。落ち着いた。ちゃんと消えたことを確認するため、もう一度視線を向ける。……大丈夫、耐性出来たわ。おっぱい問題ナシ。


 視線を風景に戻そうとしたとき、もう一人の俺が語りかけてくる。<……やっぱクィーセ先生は脚だよな。滑らかそうな肌の中に、目立たないが細かな傷跡が見える。なんかいいよね。あとさバランスがいいと思うんだよなぁ。クィーセ先生の足はやや太い感じで、それが褐色の肌、収縮色と合わさってバランスがいい。そういえば、クィーセ先生って短ブーツ履いているけど、蒸れないんだろうか。要は長靴というか、水を通しにくい目的で作られているけど蒸れないんだろうか。涼しくなってきたとはいえ……蒸れないんだろうか>


 ……消えろ、邪念。これ以上はさすがにクィーセ先生に失礼だ。


 俺は自然の風景に目を戻した。……いやぁ、自然って本当に良いものですね。




「ふあ、……あ、やべボク寝てた。


 あーコバタさんごめんね。寝ちゃってたの気を遣わせちゃったかな」


 クィーセ先生はしばらくして目覚めると、可愛らしく欠伸しながら言った。


「いえ、俺も疲れてたのでちょっとズルしようかなと放っといただけです」


「お、サボりかー。悪い生徒だねー。……あはは、居眠りしてた先生が言うセリフじゃないねー」


 先生の顔がまともに見れない。俺はどうすればいいんだ。


「よーっし。遅れちゃった分、また歩きましょうか。


 軽く準備運動して下さいね。訓練中に異常や不調を感じたらすぐに言うこと! 先生との約束ですよー。変だと感じたら止まっていいからね」


「分かりました、いつでもいけます」


 また訓練が始まる。眩しい笑顔の先生の顔を長く見ないで済んだ。ただ先ほどの邪念が尾を引いている。


 先ほどまでは、尻と脚だった。だが今は先生が着ていたローブを脱いで腰に巻き付けているので、それは少し隠された。


 ……助かった。神は味方した。と思ったのは最初だけだった。


 ……今日はアップにしているポニーテイルがうなじをちらちらと掠める。細い肩、後ろからでも見えるおっぱい。なにか前を行くクィーセ先生の匂いが感じられるような…………俺ちょっと、ダメな人間過ぎないか。


 そこで、クィーセ先生が立ち止まるように指示を出してくる。俺は邪念が先生に届いてしまったか、視線を感じられてしまったのかと、ドキリとした。


「もう平地は大丈夫っぽいかな。呑み込み早いみたいですし、基本ばかりやり過ぎるより多角的に急造してあげたほうがいいかも。


 よし、ボクと森や山コース行ってみましょうか。……ちょっとハードだから、自分の足が弱って来て危ないとか疲れたは早めに言うこと。


 『魔法疲れ』の経験は? ……うん、ちゃんとやってるね。ヨシ! そっちの疲れは感じたらすぐに止まるんだよ。先生はちゃんと生徒さんに気付くからね。


 いい? くれぐれも言うけど『異常を感じたら止まる』ようにね」


 クィーセ先生は優しい。まだ俺に余裕はあるし、ちゃんと期待に応えよう。先ほどまでの邪念を払拭できるようにしよう。


「了解です、先生。……最初はちょっと手加減してくださいね」


「ちゃんと生徒を想って指導していますので、ご安心くださいなー。


 それじゃ、がんばるのだよー」

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