2-01.出発準備
今、この世界では水面下に様々な危機がある。ジエルテ神の予言する『災厄』に加え、『砂漠向こう』や『対岸』からの侵攻、そしてそれに乗じようとするクーデター組織……。世の中ってどうなってるんだ。
取り合えずは、手掛かりが明白なクーデター組織の撲滅が今の第一目標だ。
ララちゃん騒動から3日後の朝。アーシェ邸。今日から始まるクィーセ先生との魔法訓練に出かけようとするとアーシェに声をかけられた。
「いいですか、コバタ。
出発前にあなたがすべきことは二つ。魔法の実用と、旅の仲間たちとの関係強化です。よろしくお願いします。
……憂いを残して旅立つというのは出来ません。
フィエエルタ! 話したいことがあります。こちらへ」
……ん? なんかアーシェの様子がおかしい。なんだか後ろめたそうな落ち着きのなさを感じる。
「どうしました、アーシェ様。
何かお手伝いですか、一緒に行きますか?」
フィエはニコニコとアーシェに応対する。
「フィエエルタ。私はコバタと不貞をしました。何度も交合したのです。
初めはあなたとライラトゥリアが魔法の訓練合宿に出かけた日でした。しばらく戻らぬことを機と見て私はコバタを罠にかけ、私室に誘い込み、強引に関係を迫ったのです。そしてコバタはその日、私の抱える悩みを余さず受け入れてくれました。
その次の日はコバタから、私のまだ癒えぬ心を満たしてくれました。それから互いは次の日、また次の日と幾度となく身体を重ねたのです。
ときに私の部屋で、湯屋で、居間で、応接室で、執務室で、書庫で、客間で、食堂で、台所で、クローゼットの中で、礼拝室で、地下貯蔵庫で、洗濯室で、使用人控室で、大客間で、廊下で、階段で、階段の踊り場で、玄関ホールで、化粧室で、物置部屋で、薪小屋で交合し、その都度、情けを深くに受けました。
その時々で衣装も変えました。今着ている公務服で、寝間着で、湯浴み衣で、私服で、『守り巫女』の衣装で、パーティドレスで、武術の修練着で、武装で、使用人用の服を借用して、私が新しく仕入れてきた服で睦み合ったのです。
ある時は湯屋でコバタの身体を揉み解しながら、またある時はコバタに『守り巫女』が任務中持ち場を動けないことを教えてそれを真似た状況を遊びもしました。晩餐会を真似た食事を用意して着飾り、襲って貰ったこともあります。武装をし、戦闘に敗北したという形で犯しても貰いました。コバタに私を使用人として扱って貰った時間はなんとも楽しいものでした。コバタは庭や東屋での交合は嫌がりましたが、室内ということで連れ出した先、薪小屋での情事は激しいものとなりました。
あ! あなた達の服に手を付けるのはコバタが嫌がったのでやっていません。大客間での交合も渋りましたが、私が家主ですので文句は言わせませんでした。
あなたが戻って来てからも4日間、私がコバタに強制して密やかに関係を続けました。私の部屋で、薪小屋で、地下貯蔵庫で、執務室で、短い時間ながらも交わりました。
最後に交合したのは、あなたとコバタが外泊した次の日です。
あの時は、前日にあなたとコバタがデートしたのが妬ましくて、私もコバタを宿に連れ込みました。変装しましたが、誰かに見られてはいないかと随分とハラハラしたものでした。……それ以降関係は持っていません。
……フィエエルタ、私はコバタと不貞をしました。申し開きは致しません。その責任の多くは私にあります。コバタは不義に心を痛めながらも、私の傷心を癒やすため尽くしてくれたのです。
…………。
それでは今日は公務がありますので、私は出かけます」
アーシェは長々と詳細に不貞の様子を告白し、さっさと離脱した。なぜなら今、このアーシェ邸にはあまりにも不穏な空気が漂っているからだ。
俺とアーシェが不義を働いたことを、俺の婚約者フィエが怒っている。それはそうだ。怒るのは当たり前だ。不貞なんだから。
「コバタ。そこ、座って」
アーシェ邸、大部屋。いつも俺たちが仲良くしているはずの部屋。恐らくはこれからお説教の時間が始まる。俺が全面的に悪い。ならやることは一つだ。
「許してください、もうしません」
俺は直立不動でまずは頭を下げた。土下座はこれからでもできる。
「わかったわかった。早く座りなさい。頭を下げるより座りなさい。
コバタ、わたしは『アーシェ様と仲良くすべき』とは言った。でもとっくに仲良くなってるとか分かってなかったなぁ……。
なんか、アーシェ様が言ってた内容って、わたしにはまだしてくれてない内容もたくさんあったよね。コバタも随分楽しんでたように感じたんだけど?
コバタはさぁ、今はアーシェ様のおっぱい好きなの」
俺が以前言った『俺が好きなおっぱいは、好きな人のおっぱい』という発言を引用して、フィエは俺を詰めている。俺は床に正座して座り、発言した。
「……そう、ですね。今は好きです。
でも俺はフィエが……」
「ぃ今はわたしの名前は関係ないッ!」
フィエからこういう叱責を受けたのは初めてだった。俺の発言を遮って一刀両断した。以前も叱られたことはあったが、優しさか可愛らしさが主成分だった。
「コバタ。わたしはね、この際アーシェ様はどうでもいい。
でもコバタはさぁ。……なに? 可愛く思った女の子なら手を出しちゃうの? 普段真面目ぶってるのは羊のフリをした狼だから?」
返す言葉がない。言葉が返ってこないことにフィエは不満なようだが、本当に返す言葉が見当たらない。
「コバタはわたしを好きだって言うけど、わたしの思ってた『好き』とは違ったみたいだね。勘違いしていてごめんね」
フィエの突き放す言葉に、俺は縋りつきたくなる気持ちを抑えて答えた。
「フィエ、意味は合ってる。最初の意味で間違ってない」
「……わたしがビックリしたのはさ。
クィーさんの特訓からわたしが帰ってくるまでの毎日、それからも隙を見てっていうところなんだ。この言いわけ、何かできる?」
……正直に言ってしまっていいのだろうか。いや、アーシェは正直過ぎるほどに全てを告白している。言うしかないのか。
「俺はアーシェが困っているのを感じて、解決するには他に方法がないと思って……そうしました」
「コバタ、言葉はよく考えてから口に出しなさい。
それが理由になると思ってるの? つまり、わたしも困っている男の人を見かけたら解決するためにそうしていいって言っているわけ? おかしくない? わたしはしないよ、そんなこと。コバタを好きだって思っているからさぁ。
最初に誘ったのはアーシェ様だっていうのは分かった。アーシェ様が強引に、脅迫めいたことをしたんだって言うのは分かった。でもコバタは一度だけならまだしも、何度も場所や衣装や方法を変えて関係を続けているよね。これはアーシェ様の心を救うためだったの? そんなにしなきゃ足らなかったの?」
なんであんな多彩なこととなったかと言えば、俺が性的に再起するのに衣装や場所を変えることが有効だとアーシェが察し、実際にそうしたからだ。
……最初の一週間ほどのアーシェは尽きぬ不満を抱えていたように思う。愚痴をたくさん聞いたし、その時々に強く求められた。アーシェの満たされぬ気持ちを救うために必要だと思っていた。
でもそんなの、俺の主観が、俺に都合の良いように世界を見せていただけなのかも知れない。俺は単なる性欲の塊に過ぎないのかも知れない。
そのとき、廊下までフィエの怒声が聞こえていそうなのに、空気を無視して扉が開いた。入ってきたのはララさんだ。
「おー、コバタくん。やっちまったなぁ。
お、地に伏せて許しを乞うか。ついでに服も脱いでみようか」
ララさんは全裸土下座を要求してきた。ララさんの言葉に非難の色はなく、単なる悪ふざけのようだ。フィエからのオーダーではないので無視する。フィエにふざけていると思われたら謝意が伝わらない。
「……コバタ、ララさんの言葉聞えなかった? 脱いで」
フィエの冷たい言葉が刺さる。……前はこんなことを言わなかった。俺がフィエを怒らせて歪めてしまった。俺が悪い。言う通りに脱ごう。
俺は服を脱いで畳んで綺麗にまとめ、再度土下座した。
「おぉぅ……コバタくん……マジでやるのか」
それを最初に促した張本人、ララさんがドン引きしながら言う。そして俺のそんな姿を見てもなお、フィエの声は怒りに震えていた。
「……コバタ。それをしたからって、何になると思う?
結局はそれで済ませるつもりで、したんだよね? そんなの何度でも出来そうじゃない?」
恥ずかしくはあるが、全裸土下座は再現性のある行為だ。これから俺が不祥事を仕出かす度にできることではある。つまり意味が薄い。
俺はひたすらに頭を下げたまま、床を見続けるしかなかった。長く、長く感じられる沈黙の時間。ほんの十数秒であるはずなのに、後悔と自責の念によって引き延ばされた懺悔の静寂。
こちらへの足音、近くに気配。フィエの匂い。俺の横まで来たフィエはしゃがみこんで後ろから、顔を伏せたままの俺の両肩に手を当てる。そして耳元で囁かれる。
「コバタ、わたしを嫌いになった? それともわたしに飽きた?」
「フィエが好きです。嫌いになりません。飽きるなんてことありません」
「……コバタ、一つ。この言葉を忘れないでね。
これを忘れるなら、言葉と一緒にわたしのことは忘れていいよ」
「忘れません。しっかり心に刻みます」
「『コバタは誰を好きになってもいい。でもわたしはコバタを誰にも渡さない』
あなたと婚約しているのは、わたしなんだから。
よく憶えておいてね。……よく憶えておいてね?」
「忘れません。憶えておきます。俺は一生フィエのものです」
首筋にキスされる。背中を舌が伝う。背中の真ん中まで行って舌は離れた。
舌とは違う温かさが、俺の背中に落ちる。涙だ。フィエは涙を流しているが、鼻を啜ったりしゃくり上げもしない。静かに泣いている。
「フィエ……」
起き上がろうとした俺を、フィエが制した。
「動くな、見るな」
フィエの声は、少しだけ揺れていた。フィエは俺の両肩に手を当てたまま、俺の背中の真ん中あたりで、しばらく声も出さずに泣いていた。
やがて、フィエは語った。声は少し震えているが、泣きながらの声とは思えないほどしっかりしていた。
「あのね、おこってるんじゃないの、不安なの、わたし。
わたし、好きでいてもらえるか、わからなくて。
コバタはいつも言うよね。『俺のことすきか』って。
……こういう気持ちなんだね。もっと……わかってあげるから。
すきでいてね、きらいにならないでね」
「……わかった。俺も、フィエを好きでいることを、分かるようにしていく」
俺はフィエを抱き締めようと起き上がりかけたが、フィエに止められた。
「まだダメ。ぜったいダメ」
……フィエはきっと、泣き顔だけは見せたくないのだろう。俺たちはしばらくそのままにしていた。
数分の後、フィエの手が肩から離れたので俺は顔を上げた。振り返ってフィエの顔を見る。目が少し赤い以外はいつものフィエだ。そっと抱き締める。
フィエを不安にさせてしまった。もっと俺がしっかりと、フィエが好きなことを伝えていかなければならない。
……フィエの肩越しに前を見ると、この場から離脱するタイミングを失い、困って窓の外を眺めているララさんがいた。
俺たちはしばらく抱き締め合っていたが、フィエはふと気付いてララさんを振り返って言った。
「ララさん。アイツやっちまいましょうよ。
アイツ逃げましたよ? 謝罪まだ全部終わってないのに。許せませんよね? 一度分からせてやりましょうよ。なんだアイツ、人に何の確認も取らずにわたしのコバタ持っていこうとしやがって……礼儀知らずですよね? 本人、割と礼儀にうるさいくせして。しかも言い捨てていきやがった言葉でそれとなく自慢してるんじゃねぇよ、あの✕✕✕。……アイツ、シツケが終わってないまま、あの年齢になってますね。これ良くないですよ。良くないことですよ。ララさん、ちゃんとシツケをしてやりましょう。あのメス犬」
「おーぅ。一度ちゃんと分からせてやるか。
……私はちゃんと理解しているからな。コバタはフィエのもの。
……たまに、ちょっと貸してね?」
「いいでしょう。許しましょうララさんなら」
……これは、出発前にアーシェはシメられるのか。
「アーシェどうなる感じなの……?」
「コバタもやるんだよォ? アイツを一度、徹底的にシツケ直すの手伝ってね」
アーシェは、その日は帰らず行方をくらませた。俺に打ち明けた愚痴の中で、臆病を自称しただけはある。その潜伏先は前もって用意していたのか、発見することは叶わなかった。
アーシェは謝罪したとはいえ、その後の行動が悪かった。それはフィエの怒りを煽るものでしかなかった。
次の日の黄昏時、こそこそとアーシェは帰宅した。ほとぼりが冷めた、そう思ったのだろう。だが、それが更に俺の婚約者の逆鱗に触れたとは気づいていなかった。
アーシェを出迎えた俺は、無言のまま彼女の手を取り大部屋へ誘導した。
締め切られたカーテン。妖しく揺れる蝋燭の火。異様な雰囲気。
アーシェは逃げられなかった。
(詳細は伏す)
アーシェは、無尽蔵の体力を誇るはずだった。しかし、次の日はさすがに起きてこられないようだった。
「ララさん、コバタ。朝ご飯食べ終わったら、アーシェのところ行こうね。
アーシェに朝ご飯食べさせたら、またやるよ」
フィエは事も無げに言った。今日のアーシェの予定を気にする様子もない。……確かに昨日の時点で格付けは終わっている。従僕の予定を気にするなど、アーシェのご主人様にとってはあってはならないことだ。
「「わかりました」」
「うん。次は何してあげようか。昨日も楽しそうだったし。もっとしてあげよう。アーシェならすぐ回復するから大丈夫だよね」
その頃、クィーセリアは自分の寝床で目覚めた。昨日の彼らの狂態はこっそり確認したが、混ぜてと言える雰囲気ではなかった。
クィーセリアは思った。……フィエはあまり怒らせてはいけない、と。
……あの、閉ざされた大部屋からまたも何やら声がする。
……やーっと稟議が通ったから昨日今日とコバタさんに魔法を教える予定だったんだけどなぁ。まぁ、午後くらいには終わる……と良いんだけど。
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