1-42.【??????】死体を積んだ荷車
ギシリ、ギシリと木が重荷に擦れる。夕焼けを歩く。
今日もひどく疲れた。明日に目覚めても変わらぬことだろう。徒労という言葉を飲み込む。自分の務めを果たさねばならぬ。
このいくさには果てが有るのだろうか。
懸命に戦って果てた兵たちをこうして集め、火で清めて葬ることをいつしか自分の使命と思った。打ち捨てられて腐りゆく人の成れの果て。それを飢えた野犬が食らう様はあまりにも惨すぎる。
今日も朝に小規模な会戦が始まって、昼前には終わった。昼には死体漁りが湧き、彼らが去る頃になれば野犬が食いに来るのだ。
『荒れ地』であろうとも、最初は死を悼み弔う者たちがいただろう。しかし今ではそれにかける手間すら余裕がない。
折り重なった死体の中には、まだ細い腕も含まれている。十数人ほどの骨と肉の欠片を積んで、また葬り先まで運んでいく。
それは彼らにとって余計なお世話なのかもしれないが、文句は聞こえてこない。物言わぬ者はありがたい。
道の先に、黄昏にぼやけた人影がある。
「おうい、坊様。
毎度毎度、そんにまぁ臭せぇモン転がして来てどうなるんかね」
……相手に悪意はない。からかいでもない。本当にそう思っているのが悲しい。
「確かに、どうとなるものでもありません。
ですが、自分は彼らを哀れと思ってこのようにしているのです」
「しかし坊様。
あんたの方がもう保たんじゃろうに。道端で余計に死んでどうするね」
相手の言うことはもっともだ。自分の身体はもはやガタが来ている。戦場の死体だけでなく、いずれは道端に僧侶の死体が一つ増えるだけ。
「ご忠言、有難うございます。
そうですね。少し、休みの日を設けてみることにしましょう」
人影を行き過ぎる。久しく休みなど取っていない。頭の朦朧さはもはや取れぬままになりそうだ。死臭を嗅ぎ過ぎて、鼻からそれが頭の中に詰まったようだ。
どさり、と荷車から屍の一部が落ちた音がした。荷車を止めて積み直しに行く。無人の道に一本の腕が落ちている。ここまでの道のりで垂れた、腐った液が道に続いている。
しゃがんで拾おうとすると、自分の体の節々が固まっているのが分かった。肩の筋肉が固く重く、なかなか腕が伸ばせない。
拾い上げた腕を荷車に積み直して、ふと空を見る。朱の夕色がまだ残るのに、藍の夜色には星が輝いている。……これは良い空の景色だ。とてもきれいだ。
世界は神が作られたという。この風景の美しさはまさにそれだろう。
振り返って荷車を見て、自分は思わず小さく笑ってしまった。……我々は本当に、神に作られたものなのであろうか。このように汚く腐り果てるのに。
昨夜の務めを終えて、もう朝も近い。今日は崩れかけた廃屋で休む。
とうの昔に略奪は終わっており、がらくたすら少ない空っぽの家。寝台はない。そこの床隅に眠る。襤褸の外套でも、眠りを誘うだけの暖かさは用意してくれる。
しばし寝ていると、何者か二人組が踏み入ってきた。
「臭い、死体があるな」
「……ああ、そこの隅。行き倒れだろう。
どうする、気になるなら外に出しておくか?」
「出したいのはそうだけど。それよりきみ、きみが臭くなるだろう。やめてくれ」
まだ年若い少年の声と、低く響く壮年の声。自分は死体と思われたようだ。
「だが死体と一緒にいちゃあ、みんな臭くなるだろう」
「だとしてもきみ、これから来る他の奴らにやらせろよ。きみがとりわけ臭くなったら嫌じゃないか。これからぼくはきみと組んで見張るんだぞ」
自分が死体でないことを明かして、この場を立ち去るべきだろうか。しかし、近場にこれから先の昼の日差しを遮る建物などなさそうだった。
体がまだ、ひどく重いのだ。そこまで譲歩する必要もないだろう。
……地に耳を付けて寝ているせいか、次の者たちがやってきたのが分かる。
「おゥ、これで全部でいいか。軽く打ち合わせてすぐに散るぞゥ」
屈んで戸口から顔だけを突っ込んだであろう胴間声。大男だろう。
「ああ、あなたはそこの死体を出しておいてくれますか。会合中にニオイが付いては敵わない」
先ほどの少年は、横たわっている自分を外に放り出したいようだ。
「すぐ散る、ってんだろゥ。死体の匂いなんか少し付けとけばいいンだ。この辺りじゃあそっちの方が目立たねぇだろゥ」
「早く入って下さい。戸口が閊えています。これで6人、揃っているんですから早く始めましょう」
新しい声。取り澄ました女の声。続けて無言の誰かが二人入ってくる。
部屋の中には少年、壮年の男、大男、三十路ほどの女、無言の誰か二人、自分。
少年が演説のように始めた。
「さて、これより会合を始める。
久しく会うていなかったが、みな壮健のようで何よりだ。
各自、今回の議題以外に報告はあるか? 先に聞いておこう。
……なしか。それにしてもまったく、きみ達は口数が少なくて困るね。
結局お喋りなぼくが取りまとめ役だっていうんだから。
さて本題だ。
ジエルテの天啓とやらで告げられた不吉は既にして形を取り始めた。
脅威は早めに叩くが良しと思いがちだが、これに関しては弱るまで見守るも策のひとつと言える。拙速はこれにおいて有効とは言えない。
『火の口』に不用意に近づいて餌とならないように。より悪化するのは避けたい。各組、報告は密とし『火の口』を監視されたし。
定着することなく、飢えて消えてくれるのが有難いのだが楽観は禁物だ。根付く様子があったらあれは排除だ。埋め戻せない。
排除については功を焦らず、組同士で連携することを強く強く念を押しておく。きみ達はなかなかの手練れである以上、その辺の判断は大いに任せよう。これは、きみ達が愚かさを見せないであろうと言うぼくの信頼においてだ。
きみ達、ぼくの信頼を裏切ってくれるなよ?
ここ、ラートハイトにおいては不定期に戦端が開かれている。各自、現地勢力より身を潜める事を忘れず、厄介ごとに関わらないように。
……あ、そうそう。最近、規律緩んでない?
ぼく達は目立ってはならない。……人助け自体はいいけどさぁ。目立たない前提でやれって言ってるんだ。それが無理ならちゃんと切り捨てなくちゃ。
……ふぅ、叱る身にもなってくれ。
合図については過去のものを流用する。250年前の奴だ。まだ持ってるよな? 無くした奴はぼくか誰かにあとで聞いてくれ。
手筈は変わらず。だが過去と違う部分があるやもだから臨機応変に頼む。本来なら下がる許可も出したいところだが、ここは死守だ。
火の口を肥大させないように何としてでも使命を果たし、人々を守れ。そのためなら多少の人命など切り捨てろ。執行しろ。これは厳命だ。『やれ』。いいな?
それでは、良いように頼むよ。以上だ。解散」
不思議な会合はそこで終わり、彼らは外に出ていった。
まだ体は休まっていない。ギシギシと固まった肉は、まだ解れてくれないようだ。今しばし、この休息を。
表に出ると荷車は汚れてそのままにあった。こんな腐臭のするものが置いてあるのだから、彼らもこのあばら家には誰かいるのだと気付けばよいものを。
結局、休んだつもりだが休み切れていない。どうしたものか。
荷車をまた引こうとして気付く。腕が落ちている。昨日も荷車から落としたような気がする。あれも右腕だったか。
まさか、荷車のどこかに挟まったままだったのだろうか。……久しくと怪談じみた話は聞くことが無くなったな。子供の頃は好きだったが。
再び、死体を集めに行かなくてはならない。そうせねばならない。荷車がキィキィ音を立てている。夕焼けの中を歩いていく。
今日はあちらで人が死んだようだ。もう持って行っても問題あるまい。荷車は軽く、しかし足取りは重い。……また、重い荷を積んで帰るのか。
怠け心を起こすな。それは自分のやらなければならないことだ。あの火に死体を放り込まねばならない。それが弔いであり、使命なのだから。
そうせねばならない。
黄昏時には今日の使命を終えることが出来そうだ。今日は場所が近かった。
赤くぽっかりと大地に開いた穴。最初は小さかったがここまで広がった。
荷車を押し、丸ごとそれに放り込む。すると赤みが増してとても美しい。これは神の火だ。これに焼かれること以上の弔いがあろうか。
しばらくすると、その深い穴から荷車は自ずと戻ってくる。自分はそれまでその美しい神の火を眺めることを許される。神に与えられた悦楽。
「おうい、坊様。
これは大層美しいもんすなぁ。
しかし、こんなことをして、それでよろしいんで?」
「……ッ。何を言うか……ッ。これに勝る弔いがあろうものか。
この美しい、神の造りたもうた火……。
ああ……ジア……エ…ゼ……パ……イト」
朽ちかけた喉で切れ切れに、与えられた聖句を唱える。ああ、胸の内からあふれ出る悦びは増すばかりだ。
「坊様、坊様。
もうその体は使い物になりやしません。……そう、もう使えない。
どうぞ、一歩前に。お望みはそれでしょう?」
……この人影はよく、自分のことを分かっている。
火の口の監視者は、不明な方法によって火の口が拡大していることを確認した。過去の事例と異なるため、原因を特定する方向に方針転換した。
「きみ、問題だよこれは。
あれは明らかにぼく達の眼を誤魔化している。ぼく達を察知してそうしている可能性すらある。
近付いたら良い餌にされる危険がある。原因究明の際も気を付けるように。今ここで、ぼくらが将来の奴らの負担を軽くしてやらねばならんよ」
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