1-39.クィーセリアとのお話

 次の日の午後、トティツ師匠との訓練を終え帰ってきたアーシェ邸の中で、クィーセリアさんに出会った。


 彼女とは顔を合わせてはいけない。そういう文化の人だから、尊重してあげないといけない。……しかし向こうから話しかけられたら、どうすればいいんだ。


「コバタさん、『今は』顔を逸らす必要ありませんです。


 ララトゥリ姉貴がいませんし、フィエちゃんもアーシェルティ殿もいないので。今なら大丈夫。大丈夫。危険はないです」


「………………え、答えて良いのこれ。ダメなら無視して」


「問題ありませんよ。あれ、ララトゥリ姉貴のデマ情報ですから。


 文化的に問題はございませんです。お話しいただいて大丈夫ですよー」


 なんかよく分からんけど、ララさんが原因か。あの人何考えてそんなウソ吐いたんだ。また何かイタズラ的なやつか。


「……ええと、そういうことでしたら一応自己紹介を。


 すでにご存じのこともあるとは思いますが、今まで出来ていませんでしたし。


 コバタと申します。夏ごろにメリンソル村近くに現れた『迷い人』です」


「ボクはクィーセリア。クィーセって呼んでくださいね。


 お会いできて、今こうしてお話しできるのを嬉しく思っています」


 …………ボクっ娘?! 俺は衝撃を受ける。実際いるかも知れん範囲だが少なくとも俺の人生の中では初遭遇だ。単に俺の交遊範囲が狭かったせいかもしれんが。


 過去に「~っす」っぽい口調の女の子は何度か見たことがあったが、それとセットになりがちなボクっ娘とは会ったことがなかった。


「……つかぬことをお伺いしますが、一人称ボクなんですね」


「ボクの職業では公的な場面で使う一人称ですね。お気に召さないようでしたならコバタさんと話す時は変えますよ」


「そのままを維持して頂きたい。是非ともです。その文化は大事です」


 貴重なボクっ娘を俺の一存で無くすのは良くない。


 今まであまり見ないようにしてきたクィーセリアさんの方を見る。俺はその瞬間に、彼女が近過ぎることに気付いた。


「ご挨拶です。よろしくお願いしますね」


 ……ララさん、あなたの気持ちが分かりました。あなたはこれを阻止したかったんですね。俺は頬に残る熱い感触が消えるまで、呆然としていた。




 クィーセリア、クィーセさんは俺をアーシェ宅の書庫に引っ張り込んだ。そのまま何やら他人の書庫を漁っている。


 んーどれかなーと言いつつ丸メガネを取り出してかける。メガネっ娘属性も持っているのか。ええと、ボクっ娘・褐色・白系の髪・異文化系・距離感近い系……こうしてみると健康的な長い脚と尻を備えている。


「えーと、目が悪いんですか?」


「あーこれですか、これだけ近くの文字は見え辛いので。普通に生活は出来るし、遠くは良く見えるんですけどね」


「何を探しているんです? 俺はこちらの字が読めないので手伝うの難しいんですが、出来ることがありましたら」


「あー大丈夫です、ありましたありました」


 クィーセさんは本のページを開いたまま俺に見せた。


「地図……ですか? そういえば見たことなかったですね」


「これは『世界八分一』と言われる地図ですね。大砂漠以北の近場の地図です」


「全世界の地図じゃないんですね」


「そりゃ、ここらの宗教圏以外は正確なの持ち出せませんし。渡航も難しいから断絶していて情報が曖昧なんですよ。普段関わりないとこはボクも知りませんし」


「そうなんですか……。


 でも、それ見てみたいですね。興味があります。……でも、どうして地図を?」


「仲良くなるには話題の共有。雑談の種がいるじゃないですか。


 皆さんが話してるとき、ボクは横から聞いていて感じたんですけど、コバタさんって話を合わせてはいるけど、この辺の地理よく分かってないですよね?」


 実を言うとそうだ。いちいち会話の流れを止めるのがイヤなので地理についてはスルーしてそのままだ。村にいた頃、フィエからいろいろ聞いた内容にも地理の要素はあったが、フィエ自身、広い範囲の地図は見たことがないようだった。


「ですので! クィーセちゃんの世界解説講座!


 んー……ここ、ちゃんと掃除やってありますけどちょっと本の匂い強いんで他に行きましょうか」




 部屋を移して俺は講座を受けることになった。応接室を借りる。


 ギザギザな海岸線をした地図を正確に言い表すのは難しいが、陸地部分はおおまかに凹のような形だ。へこんだ部分には幾つか大きな島がある。


「先生、お聞きしたいのですがメリンソルボグズはどの辺りでしょう」


「質問承りましたー。質問してくれる熱心な生徒は先生スキですよー」


 ちょっとふざけて『先生』と呼んでみたら、クィーセさんはすぐにクィーセ先生になってくれた。


「はい、メリンソルボグズは~ここです! この海岸線近くをとても高い山とかが連なってる中にある貴重な交易中継拠点なんですね。西南航路の重要拠点です。加えて内陸部への河川や道も整備されていて、豊かで安全な土地と言えますね。


 ちなみに初期から入植された土地でして、港町として発展したのはちょっと時間経ってからです。船とか魔法の技術が発達して無かったからですね。


 でもこの周辺って山ばかりでしょ? 陸路だとなかなかお辛いし量も運べないので海と河は重要なんですよ。この街は交易が盛んだけど、造船業においても伸びている感じですかね。


 ここがないと西南航路はちょっと大回りになっちゃって儲けが減るんですねぇ、これが。だから運河の整備とかしっかりやってるんですよー。


 何か質問ある~? ないなら興味あるところを指してみてくださいね~」


 なるほど、より具体的なイメージが固まった。今までなんとなしにしか分かってなかったことがぐっとクリアになった。


「……ここ、下側の広い空白部、さっき言っていた大砂漠ですよね。


 ジエルテ神は『砂漠向こうから来た神』だと聞くんですが、この砂漠ですか」


 地図の下部、そこに記されただけでも広そうな砂漠を俺は指した。


「お、いいとこ指してきますねー。そうですよー。


 あとこの辺りの歴史において重要なのはこの砂漠です。渡り切るのが非常に難しいから左右の行き来は船が必須で、加えて南と分断されているわけでしてね」


 凹の字の下側あたりはほぼ砂漠。これを渡れないから左右の出っ張り同士も行き来に船がいるのか。すごく邪魔な砂漠だな。


「先生、地理も知りたいですが歴史についてもお教え願えますか。この砂漠は昔からあったんですか。ずっと分断されているんですか」


「はいよー。


 まずこの砂漠が出来た理由です。これは伝説、神話の類いだから話半分にねー。


 まずこの砂漠は、かつては鳥の鳴く豊かで広大な森だったと言います。そこに悪い人たちがやってきたんですね。三人の蛮族王です!


 一人はジェーラと呼ばれる王。若く美しき少年を愛したと伝えられます。内政に優れた王でしたが、好むのは軍拡と威圧外交そして戦争。戦意が足りない相手を見ると宣戦せずにはいられない存在でした。近くにはいて欲しくないですね。


 次の一人は王マギャレ。融和的な態度で周囲を油断させ、突如挙兵して襲い掛かる戦上手の王でした。堅固な城を作り、防戦にも優れたとか。この王は着飾りて傍らに寵姫を侍らせ、戦を行なったと伝えられます。


 最後はリルミ女王。指令文を素早く伝達し、将兵を手足の如く操ることで敵を討ち破ったとされます。特に戦争では素早く的確に指令を出すというのは簡単なことではありません。秘密主義で、謎めいた存在でもあるんですよね。


 ……それで、この3人の王は相争って、森を全て戦道具とそれを作る金槌に変えてしまったというのが砂漠のできた理由とされています。


 そんな馬鹿なと思うでしょうが、なんかホントっぽいんですよね。金槌を作り過ぎて、余ったそれを通貨代わりにしていたとか言う冗談みたいな話が残っています。こんなバカバカしい冗談を作る理由はないので、案外真実なのでは、と。


 あとは大昔の文書に、彼ら三人が相争うのをやめて連合を組み、その周辺国家に迷惑をかけたと記録が残ってるんですよ。最終的にはこちらの周辺諸国で連合を呼びかけて対処したといいます。その時に討ち取った騎兵が乗っていた象という生き物の骨や牙とかが今も伝えられていたりするんですよ。何かすっごくデッカイ……熱帯雨林あたりに住むという巨獣です」


「あ、ゾウなら俺の世界にもいましたから分かりますよ」


 ゾウの騎兵か、ハンニバルとかが使ってたって聞いたことがあるな……なんか伝説っぽくはあるけど、事実も含まれていそうだ。シュメールのあたりとか人為的な原因で砂漠化することはあるわけだし。


 あっちは農業を行ない過ぎて土壌が衰えたのが原因と言われているが……そうか、戦争をするためには人口を維持する食糧生産が必要だから、この砂漠化も無理な農業をしたせいなのかも知れない。


「……でも、この砂漠相当に広いですよね。ここを全て砂漠に……?」


「奴隷を酷使して戦争をするひどい王たちではありましたが、みな為政の能力はとても優秀だったと伝えられています。むしろ内政能力が高いからこそ大戦争が出来ちゃったのかもです。


 優秀な王が3人。全員が戦争を好むのならば、悲劇が起きないはずもなく」


「……その歴史が事実でないことを祈るばかりですね」 


「まぁ、そんなわけで南部との連絡がほぼ制限されてしまったわけですよ。


 これは凄い昔の話なので、いつ頃からかはもう分からないです。現在は技術の発展により交易を行なえる可能性も出て来ましたが、寸断状態には変わりませんよ。


 そして、1300年ほど前に砂漠を超えて現れたのがジエルテ神です。


 戦で荒廃した土地に、薬と塩をもたらして多くの人を救った。恵みの神です。当時は製塩技術が低かったのと、焦土戦が行なわれて製塩施設も荒れ果てていて品不足だったんですね。塩は生命線ですから、凄い困った状況だったわけです。


 昔の商人なのかなとも言われていましたが本当に神だったわけで。だって元から記録上おかしかったですもん。馬車何万台分だよって量を各地を回って恵んで頂けたわけですからね。およそ人間ではこれは出来まいって量なんです」


「……先生は俺の事情知っている人なんだよね?」


「ジエルテ神と会った方という意味ですか? それならある程度の概要はね。


 神様に失礼はしませんでしたか? ここら辺では一番人気ある蕃神なんですよ。


 ちなみにどれくらい人気かって言うと、600年前に火・水・風・土・光の教団で利用しようとしたけど地元人気デカ過ぎて利用できなかった神様ですから」


 ……確かに失礼はしてしまった。ド偉い神様に対して結構暴言吐いたかも。それと同時に一つの疑問が沸き上がる。


「えっ……じゃあなんでその五教団は立ち上げと存続できたんです? ジエルテ神信仰が強かったのでは?」


「ジエルテ神が降臨されて、お墨付きをくれたらしいですよ。


 その後人気が分散するようになって、昔みたいに一強じゃなくなったとか」


 ……あの神様、気軽に降臨し過ぎだろ。なんか今までの話を聞くに人類の味方っぽい善い神様にしか……。


「でも、あまり良くない側面もあるんだよね?」


「……それは大っぴらに言っちゃダメです。でも割と、それって真実味あるんですよね。具体的なんですよ不利益。不敬ですしあんま語りませんけど。


 だから教団内でもジエルテ神を是とするか非とするかの考えは別れるわけで」


「宗教的対立になるんですか」


「ん~。教団としては外部の神様ですからね。多神教的な寛容といいますか、『あいつ悪い神様じゃね?』『余所の神様悪く言うの良くないよ』くらいの温度だとは思うんですけど」


 ……個人の考え方の範疇ということか。大きくは争っていないようだ。


「じゃあ、次いいですか。


 先生が来たって言うラートハイトって、どの辺りなんです?」


「さっき話した通り、こっちの左側の左下にあるのがメリンソルボグズ。そしてこっち側の右側の真ん中あたりがラートハイト。こっち側は『対岸』とか呼ばれていますね。船でそれなりに航海しないと来れません。ここから遠い、遠いところ。いろんな意味で」


 クィーセ先生は懐かしむというよりは、無表情な声で言った。


 ……あ、玄関の扉の音がした。


 応接間の窓からクィーセ先生が離脱する。先生なんかやってる場合じゃねえ事態が起きたようだ。


「コラァ! クィーセッ! 舎弟ィッ! 誰の許可得て姿くらましやがったァ! 今夜飯抜きにするぞコラァ!」


 ララさんが怒っている。そうか、クィーセさんはララさんに舎弟化されていたのか。俺は黙っていてあげようと思ったが、応接室に残ったクィーセさんの残り香をララさんは察知するだろう。


 俺は我関せずを決め込むことにして風呂に向かった。クィーセさんとの挨拶や講義で、入りそびれていたからだ。汗を流したい。


 ……廊下の先でアーシェが手招きをしている。また『秘密』を増やしたいようだ。

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