1-18.魔法の指輪、実験
村から少し離れた平原。
ララさんに周囲に人がいないか確認した。ララさんはいぶかしげながらも、この周辺は今の時期は人があまり来ないと教えてくれた。少し前までは家畜を放牧していた場所だが、今はもう食い尽くして他に移っているとのことだ。
「んで、何で人がいる場所じゃダメなの?
もしかして見せるって、キミのナニを? 室内の方が良かったんじゃないの?」
「違います」
初めて使う『太陽の矢』の実験。ララさんに立ち会って貰おうと思ったのは、自分が魔法についてあまりにも何も知らないと感じたからだ。自分で正当な評価ができるとは思えない、知らないことが多すぎる。
「えーと、ララさんは驚くかもしれないですが、事情は後で話します」
「驚く? コバタくんは自信あり?」
いつまで俺の下半身の話題を引っ張るんだ。ララさんは下ネタ好きなのか。
前に『太陽の矢』は力をチャージしてそのままだ。すでに撃てる状態だが、燃やしたいものなんてないな。派手に燃え広がっても困るし、あそこら辺の岩が多いところ……あの岩でいいか。
「じゃあララさん、あの岩を見ていて下さい……」
俺は幾つかある岩の内の一つを燃やすイメージをする。力が放たれる感覚と共に岩が燃え始める。ララさんが驚きの声をあげる。
「えぇっ?」
初めて使うので俺もビックリしたが、自分で力を使ったのだからそれを受け入れられている。でも、ララさんは呆気に取られていた。
……なんか、余裕を感じさせるタイプの人が驚いてる顔って興奮する。自分が凄いことやった感がある。
「……あれは、キミがやったんだね?」
ララさんの声が固い。さっき下ネタでふざけていた人と別人のようだ。
「そうです、ある人から『お前に預ける』と言われました。
実は俺もこれを使うの初めてです」
「……人? 神様じゃなくって?」
さっきまでの不信心者が神の存在を認め始めるほど、ヤバいことをやってしまったらしい。でも、これってそんなにヤバいか? ……普通の攻撃魔法では?
「神様かもしれません、そこはよく分からなくて。
……ジエルテと名乗っていました」
あれは雰囲気的に悪魔かも知れない、とはさすがに言えなかった。
『太陽の矢』の火は、岩を焼き尽くしたようだ。思っていたより炎の勢いは激しかったが、家畜に食いつくされて高い草はなく、周りに燃え広がる様子はない。
「あー、神かぁ……。神……ねぇ。そっかぁー。
ジエルテ神かぁ。デカいね、デカい神様だねぇ。古くからの蕃神だねぇ。
いたのか……。困った。困ったねぇ」
なんだろう。ここまでショックを受けられると、すごく申し訳がない。もっと適度な驚きだったらドヤ顔とかで応じられたかもしれないのに。凄い居心地が悪い。
「んーー、んーー、そうだねぇ。んんんー、……うん、そうだねぇ」
「えーと、これヤバい魔法なんですか」
「うん。キミが迷い人で……そうか、境目か。ジエルテ神、うん、多分、うん」
ララさんと会話が成立しなくなってしまった。どうしよう、壊れちゃったのか。とりあえず別方向に話題を振ってみよう。
「えーと、他の奴はまた今度にしますか。今日はこれくらいで」
「ほか? 他ってなぁに……? ……やめて、私に何かするんじゃないよね」
「大丈夫です大丈夫、何もしませんよ……!
俺は魔法のことよく分かっていないから、この力がどう使えるのか、ララさんに判定して貰おうと思っただけで……」
「んふっ、クハハ、へぇ? ちょっと待ってよ。私にィ?
……私かぁ、困ったなぁ」
ララさんにとってこの魔法がショックだったのは察せる。でもいつまでもこれでは困る。うーん、もうちょっと落ち着くのを待つか?
いや、待っている暇はない。さっさと正気に戻そう。声をかけても埒が明かない。俺はララさんの両肩を掴んで、目を合わせて言い聞かせた。普段なら女性に対しこんな行動はしないが、今は仕方ない。
「ララさん、こんなことで頼りにしてしまって申し訳ないです!
でも頼れるのがララさんだけだったんです、ララさんにお願いしたいんです」
「え、なに。……告白?」
「違います」
俺は手を離した。ララさんは取りあえず落ち着いたようだ。
「あー、よしわかった。私も慣れない経験したからちょっと、上手く教えられるか分からないけど、頑張ってみるよ」
少し直ってくれた。ここまでショックを受けるとは思っていなかった。頼れるお姉さんが一時的狂気に陥るとは思っていなかった。申し訳ない……。
「俺もさっきが初めてなんです。分からないことだらけです」
「私だって初めてだよ、こんなの。どうしてくれんのさ頭の中がブワーってなった感覚がしたよ。……よーし、いいか。説明するぞ、聞け」
ララさんは髪を掻きあげて、大きく息を吐いた。
「まずこれは、火。火だね。しかも石を焼いて、こんなんにした。しかもキミが使う際になんかおかしなことが起こっていた。
火がキミ周辺の魔力の流れから発せられたのではなく、ここに突然沸いた。魔力の流れの変化をそもそも感じなかった。つまりは魔力の方向がない。ちょっと普通の魔法ではないね。
えーと、えーと、次! コバタくんから何か情報あったら話して」
「俺ですか。
えーと、この魔法は『太陽の矢』と言います。こう……太陽を指差して『力を』って念じて……あっ今、俺の指に力が宿りました」
「ほう、私には見えないね。魔力の流れも感じないね。
普通の魔法なら何か感じるはずなんだけど。他の……隣の岩に撃ってみて」
「あ、はい。使いますね」
先ほどの岩の横にあった、やや小さいサイズの岩が燃え始める。大きさが小さいからか、さっきより早く火は消えた。
「あー、やっぱりだよ。魔力の方向がない。魔法使用時の動きしてないよ。これおかしいよ、こんなの狂ってるよ。
これは本当に魔法でいいのか? 流動なし、瞬間的に中距離へ発動……?
ああー、おかしいのは私の頭か眼か感覚か、この『何か』か。どっちだ?!」
「多分魔法の方がそうです。なんか太陽の力を借りるとか」
「どんなトンデモ理論だよ、世界の常識知らねぇのかよ。あ……コバタくんは知らないんだよな。それは仕方ないな。
……そんなん使うの、そんなもの神様ジエルテ様だよ……え、ほんと怖い」
やはり受け入れがたい何かなのだろう。取り合えず、いったんララさんの家に戻ろうと思った。ララさんは強く動揺している、この現場から一度離せば落ち着くかも知れない。それに人気のない場所とはいえ誰かが通りがかるかも知れないのだ、いつまでもここで目立つ行動をしたくない。
一度、魔法を撃った岩の方に行き、完全に火が消えていることを確認する。出来れば水を持ってきてかけておきたいが、用意はない以上は仕方ない。
「ララさん、火が消えているのを確認しましたから、一度戻りましょう。
ここでの立ち話より、まず一度座って落ち着いて話しましょう」
ララさんは酔ったようにふーらふーらとしている。何かブツブツ呟いてばかりでそこから動こうとしない。俺の話が耳に入っていない。
こうなれば、さっきやったように直接どうにかするしかない。酔っぱらいをエスコートするときみたいにララさんの両肩を横からホールドし、家の方に誘導する。
ララさんは触れられたときにビクッとしたが、以降は何か呟きながらも、誘導に従ってくれた。……本当に、申し訳ないことをしてしまった。
俺の手のひらに、ララさん震えが伝わってきた。
ララさんの家に帰ってから、俺はララさんを落ち着かせるため茶を淹れた。ダイニングテーブルの椅子に座り込んで呆然としていたララさんは茶を四杯飲んでから、やっとまともな言葉を発した。
「コバタくんの淹れた茶は美味いなぁ。……だが今夜はきっと眠れん。
キミさ、神に会ったんなら最初にそう言え。少し漏らしたんだぞ、匂わないか」
いきなりララさんから失禁宣言をされ、向かいで茶を飲んでいた俺は内心面食らったが、それに動じるわけにもいかない。
「匂いません、大丈夫です。香っているのは茶の匂いだけです」
「そっか、それは良かった。
……いいか、あれは絶対に逃がさず殺す奴に、相手が一人の時に使え。複数に使わざるを得ないなら全て殺せ。目撃者を生きて帰すな。
あれの普段使いは危険だ。あんな力の存在がバレたら、フィエの政治利用なんてレベルじゃない、キミが争点になってしまう。
……ちょっと待て、今の私はキミと二人きりか」
ララさんはギクリとして、不安げに俺の方を見る。
危険人物として目されてしまった。少し傷付く。……でも、ララさんから見ればよく分からない力を持っている奴が怖いのも当たり前だろう。仕方ない。
「大丈夫です殺しません。ララさんは俺の恩人でフィエの友人です」
「そうか、さっきからドキドキしてる。男女二人が狭い密室にいるのは良くない。これは私の責任だ。不用意にキミを連れ込んでしまった。警戒心の薄さというのは褒められたものではない」
「何もしません、害意はありません」
話せるようになったとはいえ、ララさんの動揺は続いている。やたらと軽口を叩くし、早口気味に話していないと不安になるようだ。
しかし、それでも先ほどよりはだいぶ落ち着いてきた。
「よし、他のも見せろ。もう頭バカになっちゃってるから、多分受け入れられる」
俺は椅子から立ち上がる。ララさんがちょっとビクッとする。……単に座ったままだとララさんから見え辛そうだから動いただけなんだが。
「えーと、次は剣です」
剣が出てくるよう意識しながら手のひらを下にかざすと、床板をすり抜けて剣が現れる。前回はすぐ消してしまったので、しっかりと見分するのはこれが初めてだ。剣がくっきりとした形に固定された。重みはほとんどない。
「……ほーぉ。これまた困らせてくれるなぁ。それ、持ってみていい?」
「えーと、俺にしか持てない剣だと聞きました。俺が放すと消えるみたいです」
「じゃキミが握ったままでいいよ。そうだな、刃を向けられるのは怖いし……柄とか触っていい?」
「どうぞ」
柄が触りやすいよう、剣を持ち換えてララさんの方に柄を向ける形にする。
「さっき、霧状から実体化したよね。それは異常だよ、そんなのフツーないからね。魔力が凄い下の方からグワッて集まって来て凝固した。何でそんなことが起こったか私には理屈を説明できない。未知の方法でそこにある物体だソレは。
かなり近場じゃないと魔力の流れは察知できないだろうな。集約した魔力の流れが意外な方向から上がってくるわけだから。
……へぇ、こんな風になってるんだ。柄の内部から魔力の脈動を感じる」
ララさんは熱心に剣を観察し、柄頭を指でなぞっている。
「やっぱりこれって、変わった剣なんですね」
「そりゃそうだろう、キミの常識では剣は下からぴょこんって出てくるものか?」
「違いますね」
「……これは暗殺向きかもな、武器の所持チェックが意味を成さなくなる。
あんまり人前で使うな。……特に大切なのは『地面から出すのを見られてはならない』という部分だな。有効に使えなくなる、警戒される。
さっきのアレと同じだ。これの目撃者を生きて帰すな」
確かにこんなものを持っている奴は危険だ。もし知られたら、警戒されるし行動を制限されるだろう。この機能を知られないことは大切だ。
「次はなんだ……まだいける。まだいけるから。余裕余裕」
俺は剣を消して、次の能力の説明を始める。
「次は……月の力です。四つ機能がありますが、ひとつずつしか使えません」
「さっきの剣も下から出てくる、握ると実体化する、不可思議な魔力を内在させて脈動しているといろいろ機能はあったぞ」
それはまぁそうなんだが微妙にウザい絡み方をされた。いや、不安がらせてしまっているのは俺だ。俺が悪いんだから相手にどうこう言える立場にない。
「……とりあえず、満月と念じると魔法を跳ね返し、新月だと身を隠せると」
「魔法を跳ね返し?! 『相殺・消滅・妨害』じゃなくて?」
「跳ね返す……と言ってたと思います。
……やってみますか? ララさんにも灯虫を使って貰えれば……」
「ちょっと待って、興味はあるけど怖い。そんな滅茶苦茶なの聞いたことない。
基本的に今、『相殺・消滅・妨害』以外で魔法をどうこうする方法なんて知られてないから」
魔法反射になぜかララさんが怯えている。割とゲームではメジャーな感じの能力に思えるのだが、この世界では異常の部類のようだ。
「隠れる方も、まだやったことないんですが……ここでやってみますか」
「うん、やってみて」
新月、と念じる。するとかすかな膜が自分にかかった気がした。ララさんのを驚きの声を聞くに、どうやら隠密は成功したらしい。
「…………ッ、ヤッバいこれ。スッゴい……見えないじゃんキミ!」
自分の目からは自分の体は見えている。ララさんには見えないらしい。きょろきょろと辺りを見回している。
「どうします? 解除しますか?」
「お、声がした。声がしたのに場所がうまく認識できない。どこから聞こえたのか分からない。でも囁かれたかのようにハッキリ聞こえている。
……魔法が声の位置すら隠蔽しているのか? キミは多分、さっきの場所から動いていないんだよね」
ララさんがこちらに手のひらを向けて触ろうとしてくる。俺の胸板を触られる。
「……あ、いるんだね。実体は触覚で確認できるのか。じゃあ、音の聞こえた位置が特定しにくいのはなぜだ? そういう機能?
触れられるのもキミの側からアクションを起こすために必要か。暗殺用か?」
ララさんは俺の胸をずっと弄ってくる。かなり遠慮なく両手で揉みしだかれる。美人の女性に体を触られているとはいえ、今は困惑の感情の方が強い。
「ララさん……。俺の胸を触るの、そろそろやめて貰えますか……困ります」
「ああ、すまない。キミの胸だったか。触り心地は良かったぞ。
私からは触れる……逆にそっちからの接触はどういう感じになるんだろうな。……よーし、透明のままで私のおっぱいを触れ」
なんかアホなことを言い出した。やっぱこの人、壊れているんじゃないか。それか正気を保つために、わざと変なことを言っているのか? もともと奇人なのか?
「嫌ですよ、他の場所にしてください」
「同じ所だから公平だと思ったんだがな。
じゃあ、上半身のどこか、おっぱいでもいいぞ!」
なんだろう、この人との会話をフィエには絶対聞かれたくない。仕方ないので肩辺りに触る。
「アッ……!」
変な声出さないでほしい。なんかやましい事をしている気分だ。
「……終わりです、解除しました」
「なんだもう終わりか、もうちょっと実験を期待してたのに」
実験、実験かぁ……。俺もそう思えればいいんだろうけど。ララさんは真面目な説明もしてくれるが、ふざけたことを言ったりもするので俺はちょっと対応に困ってしまっている。
「残りは、弓張月と下弓張月です」
「ほう、どんな機能だ」
「弓張月は俺の分身を、下弓張月は……フィエの分身を作れるそうです」
「えっち機能だな。キミ二人でフィエを責めたり、二人のフィエを楽しめそうだ」
なんだその発想……。でもなんか、ちょっといいことを聞けた気がしてしまった。左右どっちを向いてもフィエがいる状態にできるのか。ロマンを感じる。
「そのえっち機能については、フィエに良く話してから使え。突然よく分からない道具を使われると行為自体が破綻する危険がある。
サプライズとか考えて説明しないでやると最悪の場合、関係に亀裂が入るぞ」
なんだそのアドバイスは……。明らかに俺がエロ目的で使うと決め付けられている。確かにちょっと使ってみたくはあるけど……。
「いや、エッチ機能ではないと思います……」
「コバタくんは他に用途が思いつくのか?」
「俺の分身を使って戦うとか」
「……弱いキミの分身で何ができるって言うんだ」
正論だけど、なんでそんな傷付くこと言うの……。リアルでざぁこざぁこって煽られたら俺は傷付く。その煽りが許容できるのはエロマンガ限定だ。
「あ、分身を何かのおとりに使うとか……」
「でもキミ。それ、使いどころが少なそうだぞ。そんな限定的な……」
続けて否定されると、正論とはいえ俺もちょっとムッとする。
「でもエッチ機能とか言うよりはまともでしょう?」
何で囮に使うという真っ当な意見が、大して使えないみたいな扱いなんだ。確かに使う状況は限られるけど。
「そういえばもう一つの方、何でフィエなんだ? どういった理由でフィエが魔法に関係してくるんだ? さっきなんか言い淀んでいたけど」
「えっと、その……契りを結んだ相手限定で分身が作れるとか言ってました」
「なんだ、そういう条件があるのか……じゃあキミ、やらないか」
「やりません、何でそうなるんですか」
ララさんは、え、やりたくないの……とちょっと悲しそうな顔でこちらを見た。確かにララさんは雰囲気ある美人さんだし、誘われて断る奴は少ないだろう。でも断ったことを非難されても困る。倫理的にダメだろ。
「あのっ、俺はフィエの恋人ですよ。それでララさんはフィエの友人! フィエを傷つけるような真似をするべきじゃないでしょう?」
「そうだな。……コバタくんはフィエの恋人で、フィエは私の友人。それは良く知っているよ。非常識を分かった上で言っている。
……問題なのは、これがジエルテ神に関わるって点だ」
ララさんは少し重苦しい雰囲気を出しながら言った。……しかしなんだそれは。言っている意味が分からない。
「あ、コバタくんは分かんないか。……いいか、説明するぞ。
ジエルテ神という存在は、信仰が成立したのは少なくとも1,300年以上前だ。学者連中からは、砂漠向こうから訪れた商人的存在ではないかと推定されている。
『財の授け神』『歌い歩く神』『塩と薬の神』と……いろいろだ。基本的にはご利益をくれる神だ。死後ではなく現世利益な。だからこそ民間信仰では強い。
だがマイナス側面も存在する。『拐かしの神』『不吉の先触れ』『人憑き』とか危険な神様でもあるんだ。人を連れ去ったり、不吉の予兆として現れたり、人に憑いたりすると言われている。
『拐かし』の部分はこの辺一帯の『境目』とかキミ、『迷い人』を連想させる。
例えば、キミをここに誘拐して連れてきたのもジエルテ神かも知れない。今まで関連付けられはしなかったが、この土地に縁がある神なのかもな」
つまりあの老人が俺をこの世界に招いた? もしかしたらと思っていたが、そういう神様であるとララさんから説明され、確信のようなものに変わる。
「いいか、キミは『こっちの世界に来た』から結果が分かっている。
だがこの世界から『拐かされた者はどこに行ったか分からない』んだ。……それって怖くないか?
細かく説明するのは本当に長くなるから要点だけ言うぞ。
ジエルテ神降臨の伝承は近い所で140年前と250年前だ。それらジエルテ神の逸話……伝説を記した文書には共通項があるんだ。
……やたらとたくさんの削り取りがされているんだ。主に人物の固有名詞が。他の神の伝承でも同様の事例はあるが、ジエルテ神は飛び抜けて多い。それが行方不明になった人間、つまりは『連れ去られた奴』だと言われる。
私は今までそれを、学者センセイが生徒に話す怪談、ジョークだと思っていた。学者の冗談で済むのなら、ただの伝承でしかないのなら、それは些事だ。
でもジエルテ神が本当にいるんなら、もう……意味合いが違うんだよ」
いきなり捲し立てられたので言っている意味がよく呑み込めないが……。ララさんは、起こり得る不利益、神による連れ去りを恐れているようだ。
「でも、それでその……。つまりは俺と関係を持てば神に誘拐されないと?
……ララさんはなんでそんな風に思うんです?」
「これもジエルテ神伝承の共通項なんだが、残る名前がある。
まずはその叙事詩の主人公と言える人物。私はそれをキミと仮定した。
次に、その主人公と強く関わった人物。主に配偶者や恋人や愛人やらだ。つまりはロマンスの相手だな。何故かこれの名前は残る。
……でもさ、ちょっと関わっただけの奴は勿論のこと、そこそこの重要人物であっても名前が削られちゃってたりするんだよ、ロマンスがないと」
……なんだそれ。ちょっとぶっ飛んだ解釈じゃないか? 冷静に考えればそんなこと有り得るわけがない。どういう理屈で神が誘拐すると言うんだ。
「でも……それって本当に起こり得ることなんですか?
それで俺と関係を持つって……フィエにそんなの説明できますか?」
「できる。フィエに許可取ればいいのか」
「なんでそういう発想になるんですか。おかしいですよ、ララさん!」
「キミはそう言うが、未知の道具と魔法を見せられたんだぞ、私は。
不信心者だったから余計に怖いんだよ、神がいるなんて! 気紛れで何をするか分からない絶対権力者だ。こんなモンを用意できる者にとって、私なんか何の障害にもならない。
私の安全保障もそうだが……とにかく実験が必要だ。検証したい。こんな訳の分からないものを、そのままにしておくのはとても怖い。
というか、こんな訳の分からない状態に私を放り込んでおいて、よくそんな冷たいことが言えるな? これまでの人生の半分かけて得た知識と経験が、キミによって蹴り壊されたんだぞ。今にも天が崩れ落ちてこないかと怖いんだぞ。
少しでも不安を解消したいんだ。……怖いんだ、怖いんだよ」
ララさんは少し泣いていた。決して冗談を言っているわけではなさそうだ。
……よく考えてみるとララさんの恐怖はもっともだ。自分の目の前に突然、青いタヌキ型ロボットが現れて不思議な道具を使われたら、嬉しいというよりビックリして怖くなるのかも知れない。あれは『物語の中にいる存在で、自分が俯瞰してそれを見る』から怖さより便利さに目が行くのだ。
正直なところ、ララさんとこのまま二人でいることは避けたい。俺ではララさんを上手に落ち着かせることはできないし、錯乱したララさんに押し倒されでもしたらフィエに申し訳が立たない。
かといって、不安がっている女性を置いて去ってしまうのは、さすがにひどい。怖がる原因を作ったのはお前だろ、と言われれば返す言葉がない。
「わかりました。えーと、ララさん。一緒にフィエのところに行きましょう」
「3人でするのか」
「違います。……動揺しているララさんを置いていくのも良くないと思ったんです。そして時間的に俺もそろそろ戻りたいんです」
「……そうだな、私も一人は嫌だ。今は一人は嫌だ。
キミの言っていた神が、部屋の隅にニュッと表れて、邪魔っけな私を連れ去りそうで怖いんだよ。キミが近くにいるうちは手出しは出来ないだろう。キミがいると安心なんだ。
……連れて行って貰いたい」
結局、ララさんは家までついてきた。服の裾を掴まれていた。こういう状況でなければ止めさせただろうが、さすがに今は俺が全面的に悪かった。
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