1-15.まずは、打開すべき問題を見付けることから

 老人が消えて、俺は座り込んだ。


 朝にフィエが広場の片付けに向かったが、まだ戻ってくる様子はない。あれからあまり時間は経っていないはずなのに、凄く長い時間だったように感じた。


 要点を……あの長ったらしい演説の要点を、確認しよう。最初にはっきり決めておく、あれを本当のことだと考えよう。今更疑うのは無しだ。


 指輪を右手の人差し指に嵌める。大きさが調整されるのか、指輪はピタリと指にくっつく。外そうと試みると指輪が弛むのが分かった。


 じっと自分の手を見る。指を見る。指輪を見る。


 意識して手のひらを下に向ける。剣が現れる。軽く掴んでから放して消した。これは今までは出来なかったことだ。……そうだ、あれは白昼夢ではない。


 窓から見える太陽を指差した。力を、と念じると力が宿った感覚がした。


 そして月の力。……ちょっと、まだ使う気になれない。先ほどその機能の一部について怒ったばかりで、それをすぐに使うのは気が引けた。


 一度、指輪は外しておくことにして、上着のポケットに入れる。……不思議な感覚がする。『指輪がそこにある』ことが感じられる。落とし物防止機能みたいなものでもついているのだろうか。


 ともあれ、唐突な出来事だった。これを使って『守れ』と言われてすぐに何か思い付くわけでもない。あいつは結局、俺とフィエに襲い来る脅威に関して具体的には話してはいない。


 俺にとっては、フィエを失うことが『守れなかった』ことになるんだろう。これは凄く分かりやすい。ではフィエにとっては『俺を失うこと』なんだろうか。それだけじゃない気がする。


 俺はこの世界に迷い込んだ人間だが、フィエはここで生まれ育っている。村長が不幸な目に合えば悲しむだろう、村が焼けたら嘆くだろう、俺が裏切りをすれば傷付くだろう。フィエをそんな目に合わせることも、俺にとっても『守れなかった』のではないか。


 ……フィエを不幸からことごとく守る。それはフィエに対して過保護なのだろうか。彼女の心や人格、身体といったものを、自分の手の内で好きにできるという俺の思い上がりではないのか。……でも、今まで一度も見たことはないが、傷ついたフィエがする表情を見たときに俺は後悔しないでいられるだろうか。


 ……そんなのは嫌だ。俺のエゴで、押し付けでいい。俺の都合で、俺のために、フィエを守りたい。じゃあ、どうしたらいい?


 ……フィエの幸せな環境を守るためにまずは何かしてみよう。この村、もしくはフィエ自身に何か危機が差し迫っているのではないか、それへの対処が第一歩のはずだ。思い当たることはないが、当然かもしれない。俺はここでフィエと幸せでいられるのが当たり前だと思って、何も知ろうとしていなかったのだから。


 前の世界で取っていた態度、無気力、無関心、なるがままでいたら失うものがある。そう予言された……あの、うさん臭い神様に。


 失わないためには知らなければならない。フィエに関わることを、とにかくいろいろと聞かなくては。


 しかし、先ほどの異様な経験をフィエに話せるだろうか。……今は無理だ。俺自身まだ全然呑み込めていない。いずれ必ず話す。でも整理したい。時間が欲しい。


 ……もういい。フィエが心配だし、今すぐ会いたい。会って無事を確かめたい。


 あの老人は言っていた、フィエのことを『財』と。


 俺の恋人に対して礼儀の欠片もない無神経な言い方だが、神様の目線ではそんなものなのかもしれない。財だって恋人だって、どちらにせよ価値があるものだ。そして、目が届かないならば不安になることに変わりはないのだから。




 俺は家を出て、広場に向かった。広場の片付けはほとんど終わっているようで、立ち話をする寄合というのが今の実体のようだ。お喋りに夢中でろくに手を動かして作業している人もいない。フィエの姿を見つける。俺は名を呼び、手を振って駆け寄った。


「あらあらフィエちゃん。恋人が我慢できなくて来ちゃったわよ」


 と周囲からニヤニヤと冷やかしの声をかけられ、フィエは赤面している。いつもだったら俺も赤面していただろうが今は少し余裕がない。


 フィエがこちらに小走りで近寄ってくる。


「ちょっと……早いよ、もう。……家でのんびりしてていいのに」


「ごめん、早く会いたくて。大体終わってるなら抜けさせて貰えないかな」


 俺はフィエの手を取った。周囲からまた冷やかしの声がする。


「もう終わってるから、行くよ。……ほんとにもう、仕方ないんだから」


 俺って束縛系とかそういう迷惑な恋人なのかもしれない。空気読めない感じなのかもしれない。これから何度もフィエを困らせるかもしれない。


 もっと、いい感じにできれば良いんだけど。今はこれくらいしか。




 家に戻って、フィエの近くで作業を行ないながらいろいろと話す。……今日のフィエはいつもよりもっと近い。さっき広場から連れ出したのが良かったんだろうか。結構迷惑なことをしてしまった気もするんだが。


 フィエとの距離が近いと気が散って、作業効率は落ちるけれどフィエを見る度に安心する。先ほどのゾッとする出来事で荒れた心に、温かい感情が染みる。


 先ほどの出来事と指輪の力については、フィエにはまだ言わないでおく。あの老人との会話はやはり異常事態だった。あんな変な状況をいきなり話せるわけがない。信じて貰えるかも怪しい。……今はただ、フィエの傍に居たい。


 そして、まずは何か不吉なことがフィエの近くで起きていないか探りを入れてみなければならない。とにかく知らないことには始まらない。


 どう問いかけようかと迷っていると、フィエが声をあげた。


「あッ、吟遊詩人さんまだ寝てるんだっけ?」


 フィエがちょっと体を放す。さすがに他人が来るかも知れないところで大っぴらにイチャイチャしたくはないらしい。……昨晩、俺と踊った時には気にしていなかったのに。あれは特別だったか。


「……さっき起き出してきて、朝食を食べたら出て行っちゃったよ」


「あ、帰っちゃったってこと?


 もう何日かいてほしいのに……やっぱりこの村だと稼げないと思ったのかな。すごく腕が良かったもの、街でならもっと稼げるよね」


 フィエは残念そうだ。確かに吟遊詩人としては最高だった。神様としては胡散臭過ぎたが。


「……できれば今日もまた、コバタと踊りたかったなぁ」


 フィエが心底残念そうに言う。……俺もそう思う。また、音楽に合わせてフィエと踊る機会があればいいのに。


「そうそう聞いてよ! せっかく吟遊詩人が来たから、今日はその歌の話題だと思ってたのに、半分はコバタとの踊りについてからかわれたんだよ……」


 やはり女性の集会だと恋愛系の話題は強いんだろうか。村長の孫娘と異世界人という特殊さも興味を引いた部分ではあるだろうが。


「それは……大変だったね。……さっきもごめんね、フィエ」


「謝らなくていいけど……コバタ、朝にわたしとした約束破ったね?


 約束破った罰に、吟遊詩人のお爺さん連れ戻して来て~。また踊りたい~」


 フィエはニコニコしながらこちらに甘えてくる。うれしい。かわいい。


 <失いたくない>


「……俺もフィエと踊りたい。何度でも。


 んー……吟遊詩人さんは街に行ったのかな。


 そういえば、街ってどんな感じなんだろう。ここの広場みたいに演奏ができるところって、やっぱり多いのかな」


 取り合えず、近場のことから話を広げて聞いていこう。近場に何かまずいことがあったとしたらそれを知っておきたい。


「んー。広い通りの脇とか、いつも市が立ってる広場のスペースに空きがあったらとか、酒場のステージとかじゃないかな。


 ……やっぱり周囲がガヤガヤしてるから、昨日みたいにあまり落ち着いた気分で音楽は聴けないと思うし、見付けるのも難しいかなぁ。


 あの吟遊詩人さんの腕前なら、劇場でだって……それはさすがに無理か。流しの人にはきっと貸してくれないよね」


 市が立つ広場や大通り、劇場まであるのか。思っていたより大きな街のように感じる。この村がのどか過ぎるせいか、余計に規模の差を感じてしまう。


「この村に比べて、住んでる人は結構多いの?」


「この村は80人程度だけど、街だと多分……1万5-6千くらいいるんじゃないかな。広いよ。街壁の外に下町もあって、大河の両岸、港から山裾の近くまであるから」


 ここの約200倍か。この世界でその人口が多いのかどうかわからない。元の世界基準、現代の基準だとあんまり多くない。


 現代社会だとハーバーボッシュ法で食糧確保がしやすくなって人口爆発したんだっけか。それ以前の街の規模は……分からんそんなの。昔の人口がどのくらいって授業とかでやったっけ? 憶えていない。


「随分差があるなぁ、そこまで栄えてるとは思っていなかったよ。


 街壁の中も広いの?」


「広いと言えばそうだけど、ごちゃごちゃしている感じ。いろいろ問屋さんとか行政のための建物とかがあるし、古くからの有力者の家とかもあるからね。


 ここから出稼ぎに行った子の部屋とかも壁内なんだけど8人部屋で、ベッドくらいしかなかったりで窮屈そうだったよ」


 やはり都会は便利かもしれないけど狭いのか。出稼ぎともなればお金を貯めるのがメインになるから、住環境は良くないのだろう。


「それって、仲の良い子のところにでも会いに行ったの?」


「半分はそうかな。街での用事があったから、そのついでに出稼ぎに行ってる近所のお姉さんに会いに行ってみたんだ。


 ……でも、わたしはあれ見て、街に行くのはヤダってなっちゃったな。


 人が沢山いて楽しいって思う人もいるんだろうけど、わたしからすると顔を憶えられないくらいの人が、ぎっしりといるのは怖い」


「それは俺もあんまり好きじゃないかも。


 そういえば、街とこの村ってどういう関係なの? えーっと、同じ領主さまみたいなのがいるの?」


「領主さまかぁ。あそこは少し複雑なんだよ」


 フィエの声が少し乾いた。何かあると直感した。フィエは基本的に俺に何か教えるときは楽しそうだから、こういう感じは初めてだ。気が進まなそうなことを聞くなんて普段はしない。でも今は無神経にでも、知らなければならない。


「興味あるな。フィエが知ってること、教えて貰える?」


「……あそこは周辺に力を持ってる地主や貴族が何人もいて、土着勢力が強いんだ。宗教の後ろ盾とかも影響が大きくて、複雑に思惑があるみたい。


 王様に任命された特別なまとめ役がいるわけじゃないの。昔はいたらしいんだけど、地主の力が強くて追い出されたとか帰っちゃったとかなんとか」


 ……なんか室町・戦国初期辺りみたいなカオス感があるな。人が多ければそれだけ利害関係も複雑なものになる。一言で語れるものではないのだろう。


「王様が任命した人を追い出しちゃって大丈夫なの」


「んん~、詳しいことまではわからないけど。


 地盤がなくて何もできないのに、周囲からやっかまれて嫌がらせされるだけの存在がいなくなったって大きく変わらないよ。


 王様としても、街からの税金が入るんなら文句は言い辛いだろうし」


 ひとつ、この村の危機として思い当たったものがある。内紛……というか権力争いで起きる小競り合い。どうやら王様の力はあまり絶大というわけではない。力が充分に及んでいないところでは小競り合いが起こるし、仲裁も難しいだろう。この村だってそれに巻き込まれる可能性は有りそうだ。


「あ、そういえばこの村が属している国の名前って?」


「シャールト王国だよ。


 結構歴史がある分、全盛期ほどじゃなくなってるみたい。だから街……メリンソルボグズも、王様にはあまり指図されたくないのかもね」


「メリンソル村と同じで、街の名前にもメリンソルが付くんだ?」


「この村がこの辺り一帯の定住の祖……らしいんだけど、説得力ないよね。


 入植者が海から上陸して山を越えて良さげな盆地があったのがここ、ってことみたい。一応、村にある石垣とかは大昔からのものらしいんだけど。


 こんな奥まったとこより交易で有利な大河の近くが栄えるのは当然の流れだよね。ここは暮らしよい所ではあると思うんだけど、交易の場所としては全然なんだよ。北や東にある山脈は大荷物を運ぶには厳しすぎて、河や海を使った方が都合がいいみたい」


「確かにこの村は周りに高そうな山が多いし、近くに流れている川もあまり大きくないから……難しいんだろうね」


「そうそう、それなんだよ。


 あっちは昔から治水して便利にしたり、大河を船が通りやすいように整備してるし、大きな湾に面する港町でもあるから海に出て物を運んだりできるんだよ。


 内陸の街との道も広くてしっかりしているんだから」


 ……それで人口15,000人くらい? よく分からないが、話を聞くとそんな程度には思えない。そんなものなんだろうか。


 そのことを言うとフィエは答えてくれた。


「わたしが言った数字なんて大体でしかないよ。


 街の近くには幾つも農村だったり職人村や山村があるから、大きな括りで言えばもっと多いのかもね。


 街の壁内とその周辺の下町に定住しているのが多分そのくらいってだけで、交易とかで立ち寄っているだけの人も含めると……ちょっともう分からないかな」


 そんな大きな街の近くなのに、ここがこんなにのんびりしているってことは、街としてはこちら側に発展する余地がない、意味がないということだろうか。


「えーと、そんな街ならもっと食料とか材木とかが必要で、ここら辺から輸出とかしてそうなものだけど。


 ここって基本的に農業や牧畜しかしていなくない? あとは狩りくらい?


 この村と街って、普段あまり行き来がないんだよね?」


「あー、それはね。……もう迷信とは言えないよね。


 ……ほら、コバタが最初にいた『境目』があるからなの」


「あっ、そうなんだ」


 不意に、最初に来たとき大木の根元に小便をしたことを思い出した。あそこら辺に宗教的意味合いがあるとは思っていなかった。知らないままに聖地の神木かもしれない木に立小便してしまったのか、俺は。


「この辺一帯、見える範囲の土地は『境目』の影響下にあるって言われているんだ。『境目』は吉凶両方の性質を持っているものとされているの。


 ほら、村の前に川ってあるじゃない? あそこには祠があって『川の力で不幸を遮って、村には幸福だけを通してください』っていう願掛けがされてる。毎朝わたしが水汲みがてらお参りしてるのもそれなんだ。村の人はもっと近い所で水汲んでるのに、わたしだけ労力かけて遠くから水汲んでいるんだよ~。


 あっ……そのおかげでコバタがうちにいてくれるのか、ならほんとにご利益あるのかも。神様に感謝だね。


 ……それでね。ただの怪談かもしれないけど、この村から昔輸出した材木で作った船が消息不明になったとか、そういうので使いたがられないんだよ」


 船乗りってゲンを担ぐって言うのはこちらの世界も同じようだ。広い海原で、不吉かもしれない船には乗りたくないだろう。まさか、消えたその船って異次元ワープとかしていたりとかしないよな……。俺がこの世界にワープしたみたいに。


「この村が余裕あるのも、なんらかの産業が育つ見込みないのが逆に良い方向に作用してるみたいだね。


 そんな所から税を搾り取ってもたかが知れてるし、どうにも真面目に査定されていない感じがあるんだよね。畑広げて収獲上がっても気付かれないし。


 あとはこの周辺では最初の定住地だから、記念碑的な優遇、かな?」


 税金が安く、そのおかげで余裕を持って暮らせる土地か。それはいいな。でもその割に村への移住者がある雰囲気もないし、人口が少ないのはなんでだ。排他的な雰囲気は感じたことがないが……。


「税も安くて住み良いのに、なんで移住者とか来ないんだ?


 普通もっと人が来たりするものじゃない?」


「田舎ッ! これ以上の理由ある? わたしは地元好きではあるけど、それでも代わり映え無くてヒマなのはキツイよ。キツイ農作業すら逆に楽しんじゃうほどに」


 どうやら田舎のスローライフを求める人はこちらの世界では多くないみたいだな。まぁ元居た世界と違って、どこであってもそれなりに自然はあるのだろうし。のんびり暮らしも貴重でなければ重宝されないものなのだろうか。


 ヒマ……か。あの老人、神様にとってもそれは大きな問題のようだった。


 確かに退屈ほどキツいものはないのかも知れない。前の世界でスマホが手放せなかった理由でもあるしな。まぁ今の俺にはフィエがいるから、スマホがなくとも退屈などないが。


「今はどう、フィエはヒマ?」


「ヒマなんて一瞬だってないよ。今はコバタがいるもん。ここに、わたしの横に!


 こうして二人で作業しているときだって、いつも心が忙しいから好き。


 街の劇場やお芝居小屋だって、今いるこの部屋よりは面白くはないもの」


 フィエの言葉は感情表現が豊かで、聞いていて楽しい。俺と同じことを思ってくれているというのも嬉しい。……でもひとつ、違うと感じた。


「……フィエは街、割と好きだったんじゃない?


 何で今は行かなくなったの?」


 俺の言葉にびくりとフィエは反応した。こんな質問をするのは嫌いだ。せっかくの幸せな時間に、相手の言葉から違和感を見付けて、そこを突くなんて。


 でも、今の楽しい時間のためにフィエを守る準備が疎かになるのは違う。


「……さっき言ったでしょ。ごみごみしてるしてるのが嫌になったの」


 フィエは一度言葉を切ったが、俺の目を見て、諦めたように言った。


「……それと、街の情勢的に行きたくないんだ」


「言い辛そうだけど、押して頼むよ。フィエのことを知りたい」


 フィエは俺の目をじっと見て、そしてまた逸らしてから言った。


「……昔はさ、お父さんとお母さんがいた。いい両親だったと思うよ。わたしのことを大切に思っていてくれた。


 フィエエルタって名前を付けて、良いところにお嫁さんにいけるよう画策した。わたしが将来、街に行ってより良く暮らしていけるようにしたかったのかな」


 亡くなったフィエの両親が、街の人間相手にフィエを婚約させようとしていた。それは全くの初耳だった。さっきの様子を見るに、フィエ自身は俺にそれを隠していたように思える。


「……でも今は、俺といるんだよね」


「うん、今はコバタといたい。


 そんな利得だけの関係より、わたしは好きな人といたい。わたしの近くにずっといてくれて、こうしてお喋りしていてくれるコバタと一緒にいたい。……でも、親がそれを決めたのは、わたしがそう思えるようになるよりずっと前。


 つまりはわたしが小っちゃい頃の話だよ。両親からすれば早い段階から売り込んで相手を確保しちゃいたかったみたいだし。


 ……売り込みという点では、うちの親はうまくやったと言えるんじゃないかな。わたしを価値を付けて宣伝してそれを吊り上げた」


「じゃあ……今も街の人に求婚されていたり、特別な何かがあるの」


「……んー。そんなのより今はコバタの特別がいいなぁ。


 いや、あはは。そういう事じゃないよね。


 さっき言った『価値』っていうのはつまり、政治の駒としての価値」


 珍しく、フィエが言葉を吐き捨てた。フィエにとって嫌なことを聞いてしまったが、ここは大切なところであるのは間違いない。中途半端に止めていいものではない。最後まで聞いておく必要がある。


「俺はフィエとずっと一緒にいるつもりだから、話し辛そうなことでも知りたい」


 フィエは、先ほど言葉を吐き捨てたのを恥じるように、ちょっと誤魔化し笑いをしながら話し始めた。


「……わたしに何か、政治的な実行力があるわけじゃないよ。


 でも象徴的意味合いがあるって思ってる人はいるみたいなんだよ。たくさんの人を従わせる……この場合は街、メリンソルボグズのことね。そういうところで支持を得るには、合理的じゃない力も要るみたい。


 政治力とか、財力とか武力とか、現実的な力はとても重要ではあるけれど……、それだけじゃ人が従ってくれるとは限らない。従ってるふりだけして納得はしていないかも知れない。


 それで、人気取りの材料に『もっと漠然とした力』が必要とされたの。そういうのを必要とする人たちにアピールするために、親が上手く理由付けしてわたしの価値を上げた。


 ……わたしは『この地の開拓の祖、その一族の末裔』なんだってさ。


 言ったもん勝ちみたいないい加減な売り文句だと思わない? わたしにはその要素がそれほどの価値があるとは思えない。けど、それを重視する層の支持を取り込むために、わたしとの婚姻なり交流を望む人は、両親がいなくなった今でもいる。


 わたしがよく知らない人。わたしのことを『宣伝材料』としか思っていない人。どこからわたしを見ているのか分からない人。……だから街が、苦手になった」


 これまでの日々でいろいろ話してきたはずなのに、今まで全然気付いていなかった。フィエは俺の近くにいて、親切で笑顔が可愛くて、意外とえっちな所のある女の子で、俺の大切な人。それ以外の認識が新たに出てきてしまった。


「そんな権威付けのために……?」


「アハハ、意外とモテるんだぞー。


 ……また街から返事の催促が来るんだろうな。ここのところ増えてるってことは、街の政治情勢が緊迫しているのかも知れない。


 でも、そんなのに関わり合いたくない。婚姻の対価がより豊かな暮らしだと言うならいらない。わたしは普通でいいのに」


 フィエは悲しそうに笑った。求婚の返事を催促される、それにプレッシャーや嫌悪を感じていたことが分かる。……でも俺は、そんなフィエの傷心に寄り添いたいと思いつつ、別のことが気になってしまった。


 なんか納得がいったような……理由が付いた気がした。フィエが俺に好意的なわけ。理由はいろいろあるんだろうけど……俺は、政治的なしがらみがない相手だからというのはあったのかも知れない。フィエは政治的な思惑に晒されているのを明らかに嫌がっている。


 つまり、そこが俺の利点なのか? ……そんなのが?


 俺はイケメンでもないし、性格がいいとか力が強いとか特技があるとか他より背が高いとかお金持ちとか、そんな魅力は自分自身持っていないと思っている。だから俺は、フィエが何で俺なんかを好きなのかが分かっていなかった。


 ……悲しいことに理由が付いてしまった。俺は立場が良かっただけ。フィエにとって俺は、ウンザリする求婚の催促からの逃げ場所……なのだろうか。


 フィエが、少し俯いて考え事をしていた俺を心配するような眼をしている。なんにせよ、黙っていたら良くない。


「……俺はフィエに誰かがちょっかい出してきたら怒るし、追い払ってでも守る。以前からそういうのがあったとして、今は俺といるんだから。


 ……でも、それはフィエに不利になったり、迷惑……だったりしないか?」


 少し虚勢を張ってみたが、尻すぼみになってしまった。フィエはこちらを見ていたが俺はうまく目を合わせられなかった。目を合わせる自信が揺らいでいた。……本当に俺でいいのかという不安、それを拭い去れなかった。


 少しの沈黙のあと、俺の頬にフィエの細い指が触れた。逸らしてしまった目をそちらに向ける。フィエの優しい目、穏やかな訴えの声。


「よく聞いてコバタ。……いい? わたしは、あなたが好きなんだよ。


 だから、わたしがここにいるのに、そんな風に自信なさげにしないで。


 ……わたしを迷惑をかけちゃいけない相手だなんて、思わないで。


 わたしが、あなたを、好きなんだから。……わかるよね?


 傍に居てくれる。いろいろ話を聞いてくれる。わたしを見つめてくれる。


 いろんなとこに触れてくれる。そうして、わたしを好きだって伝えてくれる。


 あなたがしてくれることが、わたしは嬉しいと感じる。だから、好きなんだよ。


 だから、そのくらいのことで、わたしに嫌われるかも、なんて怯えないで。


 大好きな人だから、全部全部、わたしの都合で動く人になんてならないで。


 ほら、今日だってそうじゃない。……広場に迎えに来てくれたの、嬉しかった。


 冷やかされて恥ずかしかったのはそう、迷惑だったかもだけど、嬉しかった。


 わたしに言われたこと守ってないけど、嬉しかったんだ。


 あなたがしてくれたことだから。


 あなただから。


 わたしが言いたいこと、わかるよね?」


 フィエの言葉は温かかった。俺が卑屈になってたのはバレバレだったようだ。


「わかった。……フィエが好きでいてくれるなら、俺は自信を持つよ」


 抱き締められたフィエは、安心したように笑った。


 俺は、魔法の指輪の力がなければ『追い払う』なんて空っぽの言葉でしかなかったのに気付いて、その恩恵に感謝した。そして俺には恋人に寄ってくるハエを満足に払う力すらなかった、ということにゾッとした。


 ……フィエを守るのは確かに大変そうだ。あの爺さんの言葉を借りるなら、それだけの価値がある『財』だけど。


 俺はフィエを抱き締める腕を少し強めた。フィエの吐息、体温。今、フィエは確かにここにいる。誰かに奪われるなんて、奪われて嘆くなんてあってはならない。

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