1-14.墓穴の中。魔法の指輪。太陽の矢、地鞘の剣、月の力

 こいつを神だとは思いたくない。ただの気が触れた老人なのかもしれないが、そうは思わせない迫力を俺は感じている。……もしも悪魔の囁きだったとしても、言っていることに理がなくはない。


 俺は弱い。フィエに危機が及んで何かできるかと言われたら、自信を持って答えられない。恋に浮かれていて将来の危険など忘れ去っていた。自分の無力さでフィエを失いたくはない。そしてフィエと一緒にいるために俺も死ねない。


 悪魔に騙されているのかも知れない。でもそんな懸念よりも今、俺が弱いことがとても危険なことに思えて仕方ない。……仮にこいつが悪魔だとしたら、もっと甘い言葉で誘ってくるだろう。


 俺が今、こいつを嫌っているのは『図星を突かれ、自分の弱さを暴かれた』からでしかない。耳に痛い諫言からプライドを守ろうと反抗しただけ。俺のプライドより、フィエを守る力を得られるというなら、そちらが優先だ。


「……わかった、その力が欲しい。すぐにでも」


「ではコバタさま、あなた様にお預けする指輪についてお話いたします」


 老人が手のひらを閉じて開くと、そこには奇術か何かのように指輪があった。……これを聞いたら戻れない。そう思うとふっと言葉が漏れ出てしまった。


「……なにかの、罠じゃないだろうな」


「滅相もない。


 まぁ、ご信用頂けないのも致し方ないこと、少し唐突過ぎましたからな。


 ですが、か弱いあなた様を罠にはめるなんて歌を、誰が喜びましょうや?


 もしかしたら居るかも知れませぬが、わたくしめの趣味ではございませんな」


 要らぬ心配だ、と老人は言う。しかしながら俺の警戒を「ごもっとも」と認めるかのように薄く笑う。


「……さて、あなたにお預けするのはこの指輪。


 これら三つの石はそれぞれ、太陽、大地、月を象っております。


 まずは太陽。


 この石に秘められたるは『太陽の矢』の魔法でございます。


 今、この地上に魔法使いは数多かれど、この魔法を知る知恵者はおりません。


 あなた様のためだけにご用意した魔法でございます」


 俺は魔法についてはよく分かっていないが、少なくともララさんの『灯虫の魔法』はすぐに覚えられるようなものではないはずだ。


「俺は魔法の使い方すら知らない、それなりに訓練がいると聞いている」


「これに関しては、簡単なもので御座いまする。


 昨夜、灯虫の魔法は見られましたな?


 あれは資質によって得られ、訓練によって磨かれた魔法。


 しかしあなた様には『すぐにでも』この力を使えましょう。


 既に指輪に宿った魔法はわたくしめによって磨き終わっております。


 訓練と言うほどのものは御座いませぬ、やり方を知るだけ。


 あなた様にお預けする指輪の魔法は『あなた様の資質に関わらない』もの。


 つまりは太陽の力をお借りするのでございますな」


 言葉尻が気になるというか、相手の言葉を注意深く聞かないと騙されそうな気がして落ち着かない。俺はこの老人への『悪魔』の印象を消し去れない。


「指輪を『お預け』って言っているが、与えてくれるんじゃないのか。もしかして取り上げられたりするのか」


「おお、それはあなた様の命が尽きる時にお返し頂くということにございまする。


 不思議の力でございますからな。死してなお、所有やら相続されては困ります。


 それ以外の理由では、取り上げることなどございませぬ。


 ああ、加えて言えば『あなた様にお預けする』のでございまする。


 他の者がこれを使うことは決して出来ませぬ。指輪も嵌められませぬ。


 ……それでは使い方の説明に移りましょう。


 非常に単純明快、指輪を嵌めて太陽を指差して念じるのです。『力を』と。


 すると、あなた様の指に力が宿ります。あとは狙い定めて撃つだけ」


 ララさんに見せて貰った魔法を除けば、俺の魔法に関する知識はほぼゲームからだ。今こいつに説明を受けた魔法は……普通の攻撃魔法だ。特別なもののようには思えない。いや、そんな力をすぐに使えるようになること自体が異常ではあるのだけれど。……平凡過ぎて怪しい。これは何か、悪い作用があったりはしないか?


「これを使うことで何か副作用は? それと、どの程度の威力がある?」


「この『太陽の矢』にあなた様を害する作用など御座いませぬ。


 あなた様が定めた先を燃やし尽くす炎が現れるだけ。


 人なら人ひとりを、クマならクマ一匹を。まぁ、一塊のものですな。


 大きさには限度がございますが、この家ひとつなら燃やし尽くしましょう。


 あまり大き過ぎるものに対しては使えませぬ。それはご勘弁を。


 間違って燃やし過ぎるのも怖いことでございますから。


 太陽を指差して念じる限り、何度でも使えます。


 『魔法疲れ』で気を失うような心配などございませぬ。


 これは大いなる力を借りられる者、選ばれし者にしか出来ないことなのです」


「幾らでも使える魔法?


 ……なんだそれ、街や国を焼き尽くせとでも言うのか」


「あなた様がそれを望むのなら、できるやも知れませぬな。


 でもそれは『幸せな世界』では御座いませぬとも……ええ。


 愛する女性が、世界が焼け野原となるのをお喜びになると思うのですか?


 先ほども言ったでしょう? 財を……あなた様の幸せをお守りなさいませ」


「……」


 軽率な発言をした。こいつの言う通りだ。危険から身を守るためだからといっても許されない範囲はある。そのことで恨みを買い、危険を増やしてまた排除、と繰り返していけばそれこそ世界が灰になってしまう。


 恨まれ役になりたいわけじゃない、世界を燃やし尽くしたくなんてない。世界の片隅に幸せな場所を確保して、そこにフィエと一緒にいられればいいのだから。




「さてさて、次はこの通り」


 老人が座ったまま、手のひらを下に向ける。木の床板を、音もなくすり抜けて剣が現れた。やや薄ボンヤリとして、はっきりとした形を持っていない。


「これは大地から生まれた剣。この通り、鞘はございませぬ。


 あるいは地面そのものが鞘とお考え頂ければよろしいかと。


 あなた様が剣が必要と望んだ時、下に……正確には地面がある方ですな。


 手を向ければ、指輪を付けた手元にするりと現れるのですから。


 柄を握ればはっきりと形を持ち、剣の役目を果たすことでございましょう」


 老人がボンヤリとした形の剣の柄を握ると、それはクッキリとした形を持った剣に変わる。俺は突如現れた武器に少し怯えを感じたが、ここで無暗に怯えた態度を取っても仕方ない。心を抑えて、少しふてぶてしく相手に質問する。


「さっきの魔法みたいな……呪文のようなものは必要ないのか」


「この剣にそのようなものはいりませぬ。消す時は柄を放せば消え去ります。


 そうですな、この剣に限ってはあまり有り得ないことなのでございますが……。


 あなた様が剣を弾き飛ばされてしまった場合、すぐに消え去ることでしょう。


 それでも手を地面に向ければすぐ手に入ります」


「……あまり弾き飛ばされない?


 それは何でだ。俺はそんなに握力や腕力があるわけじゃない」


「これは不思議の剣でございますから、あなた様が持てば羽のように軽やか。


 しかしひとたび振るえば、大伽藍の鐘のように重く相手に当たるのです。


 巨漢が大剣で挑もうとも、ピタリと受けて跳ね返すことで御座いましょう。


 あなた様の細腕、それも片一方であろうとも」


 もしそれが本当なら、とんでもない剣だ。もちろん剣術の技量によっては、剣に触れずに俺の体に直接当ててくる相手もいるだろう。だが力押しで負けることがないというのは、とんでもないアドバンテージだ。


「……相手からすれば、本当に不条理だろうな。


 奪えない、俺の攻撃を防げない、この剣で防御されれば切り伏せられない」


「ご理解が早くて助かります。……そう、まさに不条理な剣でございます。


 そうですな、不条理の剣……いや『地鞘の剣』と呼びましょうか。


 ですが先ほどお預けした魔法とて、世の魔法学者どもが大慌てしましょう。


 ひっくり返って泡を吹きかねない代物なので御座いますよ」


「……ここまで聞いただけでも、それらの力はとんでもないモノみたいだ。


 これがあっても守り切れるか怪しいって、相手は一体……なんなんだ。


 ……魔王か、邪神か、ドラゴンか……? ……そんなものでもいるのか」


「例えばあなた様の住まう場所に悪意ある竜が舞い降りたとしましょう。


 どうです、何もせぬわけにも参らぬのではございませんか。


 『そんなもの』はどんなものであれ、あなた様の財を損なうものです」


 それもそうだ。俺がこの世界を良く知らない以上、そんなものが存在するのならそれは脅威の内の一つでしかない。


 フィエとの幸せを守るなら、脅威が何であれ、俺は戦わなくてはならない。




「さて、次はこちら……。


 まずは太陽、お次は大地、そしてこれは月の力にございまする。


 月は満ちて欠けるもの。様々な力を併せ持っておりまする。


 満月と念じれば、あらゆる魔法を跳ね返すことでしょう。


 あるいは新月と念じれば、あなた様の身を隠すことができましょうぞ。


 ああ、これには一つ注意がございまして『一度に一つの力しか使えませぬ』


 月の力は4つございますが、一度にどれか、一つだけ。


 『身を隠しながら』『魔法を跳ね返す』ことはできないわけございますな」


「月の満ち欠け……。


 これも『太陽の矢』ように月を指差す必要があるのか?


 満月の時にしか満月の力は使えないとかあるのか?」


「おお、いろいろ気が回ることで大変結構にございます。


 ……これに関しては、月を指差す必要はございませぬ。


 そして実際の月の満ち欠けとは、この指輪の力は関係ございませぬ。


 フフ、さすがに使い難うございましょう、それでは」


「……わかった。残り2つは」


「それは弓張月、下弓張月と申します。


 弓張月と心の中で唱えれば、あなた様の分身が現れます」


 よく知らないが半月のことだろうか。どちらかが欠けたの月のことだろう。


「分身? それは一体どういう……」


「あなた様と意思を同じくする、そっくりの実体ある影でございます。


 あなたが大火の中に身を投じることを躊躇うのなら、影を作り出し命じなされ。


 影は『自分が影であることを承知したうえで』あなた様に従うでしょう。


 影ごときが『我こそが本体だ』と勘違いすることはございませぬ。


 死ぬほどのことをさせれば消え去りますし、傷つけば動きは鈍ります。


 影が傷付いてもご本人に支障は出ませんのでご安心を。


 命令の取り間違えもございませぬ、なにせご本人と瓜二つなのですから」


 ……何でも命令できる分身にしても、それを火の中に飛び込ませたいとは思えない。自分そっくりなものが火に巻かれるのは見たくはない。


「……俺のことがよく分かる分身か。背中を掻くのにも役に立ちそうだな」


「クフフ、フフ、フフ! ……よく分かって頂けたようで何よりでございます」


 俺は少し、この状況に慣れてきたのか思考に余裕が出てきた。一つ思いついたことを聞いてみる。


「…………待て、一つ質問がある。


 影は『太陽の矢』や、さっきの剣を使うことはできるのか」


「使えませぬ。影は影に過ぎませぬ。


 あなた様にお預けする力は、それなりに尊きものなのです。


 影ごときに使われて……いや、使わせてなるものですか」


「わかった、最後の一つは?」


「下弓張月は、あなたと契った娘の分身を作り出すことができます。


 今は、フィエエルタ嬢ただ一人で御座いますな。


 こちらも、命ずればあなた様によく従うことでしょう」


 能力としては、先ほどの対象が自分から他者に変わっただけものだ。……でも、『契った相手』ということはつまり……。


 こちらの表情を読み取ったのか、老人は言葉を続けた。


「無論のこと、ただ一人に限ったものではございませぬ。


 ええ、『あなた様が交わし事をなさった娘』というのが条件ございまする。


 さすれば、フィエエルタ嬢以外にも分身を作り出すことができましょう」


 思わず顔を顰める。……なんでそうなる。フィエを守るための能力じゃないのか、これは。


「ちょっと待て、先ほど言ったばかりだろう。『愛する者を守れ』って。


 つまりフィエを守る、傷付けないのための能力じゃないのか」


「……さてはて? おかしなことを仰られる。


 それは『あなた様の目的』であって『下弓張の魔法』とは関係ございませぬ。


 お一人しか愛せぬというのなら、それも良いでしょう。


 あなた様を心から愛する、器量良しで気立て良く、家事に優れて怜悧な娘。


 ですが大それた力をお持ちかと言うと……さほどでは御座いませぬ。


 作り出される影もまた、それと変わらぬのです」


「確かにフィエは、アンタから見て大それた力なんてないかもしれない。


 だとしても……俺は、フィエ以外は……」


「ええ、別によう御座りますとも。


 使い方はあなた様の望むまま、あえて他の娘に用いないのもいいでしょう。


 それにわたくしめは使い方を強制しているわけではございませぬ。


 単にその下弓張の魔法が『そういった能力であるだけ』でございまする」


 老人はこちらに同調して理解を示した……ように見えたが、次の言葉はそれを裏切った。


「ですが財というものは『集め増やすもの』でもあるのです。


 『奪い』『ただ単に利用するため』にも使って悪いものではありません」


 ……なんだコイツは。やっぱり悪魔がその……堕落させるために用意した罠か何かじゃないのか。


「どうです? 財は『守り、増やせば』より安泰とは思いませんか。


 守るばかりではゆっくり擦り減っていくでしょう」


 単に財産の話をしているというのなら、こいつの言いたいことは分かる。だが先ほどから示唆されているように、それは単なる財の意味ではない。……嫌悪感が強い。


「……だからなんだ、あんたの言う『歌』ってのはそう言うのが必要なのか。


 だからわざわざこんな力を……」


「おやおや、『下弓張月の魔法』の前までは、冷静に聞かれておられたのに。


 そんなに激するほどのことでは御座いませぬとも」


 老人は心外とばかりにお道化て見せた。……そうだ、俺が使わなければいい。それ以上のものではないのだから。




「これにて、ご説明を終わりましょう。


 わたくしめから見れば、これは随分とささやかなもので御座いまする。


 ……最後に、よいことを教えいたしましょう。


 指輪の力を上手に使えば多くの者を屈服させ、叩き伏せることもできましょう。


 ですが、ですがね。


 力が強ければすべて難題が解決し、世が治まるわけでは御座いませぬ。


 ……今、この世の中には古今無類の益荒男が存在いたします。


 剣を薙げば武者が鎧ごと切り伏せられ、矢はことごとく叩き落とされる。


 仕組んだ罠や魔法すらも碌々効かないという有り様です。


 その威をもって声を発したならば、味方は奮い立ち、敵は怯える。


 そんな男が戦場にいるというのに、続く戦は終わりを迎えませぬ。


 ……この世の中とは、そういうところなのです。


 力があれば道理すら引っ込ませることができると思いがちですが、ハハハ。


 『この世に生み出されたものが、この世を力で捻じ伏せる』などと、ハハハ。


 ……そう簡単にいくわけではないのですよ。


 周囲から仰ぎ見られ尊敬を集める者であっても、その多くが儚く消える。


 史書を読み、そこに記されぬ英雄がなんと多き事かと、わたくしめは嘆きます。


 あなた様はそんな名も無き英雄に及びませぬ。


 ええ、ちっぽけです。お預けした力を含めてもなお、ちっぽけなのです」


 世の中は単純ではないから、力が強くてもうまくいくわけではない、か。それはそうだが……それなら尚更に、自分がこれから『出会うと予言された脅威』に対処できるか不安になってくる。


「……ちっぽけな人間なのは知ってるよ。


 なんでこんな力を預けられるのか分からないくらいには」


「生まれからして力を持つ者や、賢しく答えを過たぬ者……。


 そういった英雄たちの歌は確かに魅力的でございます。


 ですが……わたくしめは今、そういう歌が欲しいのではございませぬ。


 私が今欲しいのは、苦しさや儘ならなさ、そういった歌が欲しいのです」


 さっきから、歌、歌、歌と。俺が悲嘆に暮れたり苦しもうとも、こいつにとっては『歌』でしかないのか。


「わかったよ。……あんたは結局、歌が、新しい歌が欲しいだけなんだな。


 ちっぽけな奴の方が、面白くなるかもしれないって」


 老人はしたり顔をした。理解されたと。自分の要望は通ったのだという表情。


「ええ、歌が足りません……足りないのですよ。


 世に自然と湧いてくる歌を待つばかりでは、待ちくたびれるのです。


 新しい歌がなかなか見つからないから、歌を作りたくなるのです。


 歌……新しい歌! もう……待ちきれませんとも!


 この消えない倦怠をただ一つ、誤魔化してくれる歌が欲しいのです。


 息をするたび増える憂鬱の靄を晴らす歌が欲しいのです。


 夢中になれるものが欲しいのです……長く時を忘れさせるものが!


 ああ、筆の赴くままにすれば、考えもしなかったことが現れるかもしれない。


 この退屈に病む胸の内が、安らぐやもしれない。


 最後……最後に! 御頼み申し上げます、御頼み申し上げますとも!


 ……どうぞ、この哀れな老人に、歌を」


 言葉を終えると老人の姿は虚空に掻き消えた。人間ではないことを、最後にはっきり証明していった。


 最後の言葉は悲痛であり、激情を感じた。


 あんな奴のために何故俺が、と思う気持ちはまだ消えないが、あの狂気の目はひどく哀れなもののように思えた。

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