1-13.墓穴の目

 昨日に引き続き、今朝も満たされた気分で起きることが出来た。フィエは今日は広場の片付けをすると言う。手伝うためについていこうとしたが禁止された。


「片付けは女の仕事、っていうか片付けながらの社交場でお喋りの場なの。


 男の人を連れて行ったら大ヒンシュクなんだよ~。男は仕事回して貰えなくて、居場所がなくて隅っこで待機させられるんだから」


 あ、それ気まずい奴だ。


「待機させられるだけならまだマシかもね。いいオモチャにされるかも。


 場を仕切っているオバちゃんたちから、コバタが凄くからかわれても大丈夫って思えるなら来て。相当イジワルな度胸試しになっちゃうけど」


 行けない、そんなところには。生贄じゃん。


 わたしが帰るまで来ちゃダメだよ、と言い残してフィエは出かけた。俺は外に出ない方が良さそうなので、家の中でやりかけのままだった作業を開始する。


 しばらくリビングで作業をしていると、のそのそと奥から足音が聞こえてきた。村長かと一瞬思ったが、朝食を食べて出かけたのを見ていた。じゃあ誰だ?


 来たのは吟遊詩人の爺さんだった。そういえばここに泊ったんだっけな。……あれ、どこに寝たんだ。もしや酔っ払った村長とでも同衾したのか。


 爺さんには食卓に席を勧める。俺はもう勝手も分かっているから、朝食と飲み物を用意してお出しする。昨日村を盛り上げてくれた大切な客人だし留守を預ける身として対応しなくては。


「おお、これはこれは……有難うございまする。いやはや、わたくしめは宵っ張りでございましてな。どうにも昼の間は調子が悪い様子」


 昨日に比べて確かに弱々しい。酒もガンガン飲んでたしな、よく起きてこれたもんだ。俺なら多分無理だ。


 吟遊詩人の老人はぼそぼそと朝食を食べ始めた。


「昨日は見事な歌と演奏をありがとうございました。とても楽しかったです」


 昨夜は直接賛辞を述べる機会がなかったので、お食事中に失礼かな、と思いつつもあえて言っておく。


「いえいえ、わたくしめの歌や演奏で、若人の恋が深まるようであればそれが何よりのことです」


 ちょっと返答に窮してしまう。昨晩、俺とフィエが踊り(?)をしていたことを言っているのだろうか。


 こちらが答えあぐねていると、老人はさらに続けた。


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「そして『心が冷めるでもなく、終わる恋』の歌ほど悲しいものはございませぬ」


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 ……なんだいきなり。終わる恋の歌って、昨日そんなの歌ってたっけ?


 いや、そもそもなんか会話のつながりがおかしい……? この世界独特の表現、吟遊詩人としての詩的表現? そういうのだろうか。


「あなた様に申し上げております、迷い人様。……ええ、あなた様に」


 老人がこちらを仰ぎ見て、お前に言っているんだと意思表示する。『迷い人』とは俺のことだ。この老人はそれを誰かに聞いて知っているのか。単に見た目で察したのか。


 ……なんか、この場の雰囲気がおかしい。爽やかな朝だ。外は晴天、これから暑くなるだろう。なのにこの部屋だけ空っぽで寒々しい。曇天のような、秋の寂寥のような……。


 目の前にいるのは昨日、楽し気に歌っていた吟遊詩人と間違いなく同一人物だ。なのに、何でこの老人はこんな言葉を紡ぎ、不穏な雰囲気をまとうのか。


「ええと……それは昨日の歌の内容の話でしょうか?」


 俺は怯えた気持ちを誤魔化すように言う。そういう話じゃないと気付いてはいた。


 立ち尽くしたままの俺を、深い黒い目で老人は見上げ続ける。この老人はどこか異質だ。……その違和感の原因に気付く。


 俺を見ていない。こちらに顔も視線も向けているのに、まるで虚空を見つめているようだ。目を見ても視線が合った気がしない。フィエとの恋で浮かれて幸せな心に、サクッと冷たい刃が突きたてられた気がした。


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「わたくしめは、歌い奏でます。それが生きる糧でございますから。


 世に溢るる歌に心焦がれ、やがて自分でも歌うようになりました。


 いくつもの楽器を学び、それを鳴らし、詩を書き、歌いました。


 ですが今、わたくしめの前にある詩……あなた様を歌う詩は……。


 これは、あまり喜ばしいものではござりませぬ。


 あまりにも呆気ないのです、終わる恋の歌であるにしても」


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 俺の問いかけを無視して、不吉な暗喩は続く。昨日幸せに踊っていた恋人の片割れに、その恋が呆気なく終わると老人は言っている。……無礼とかそんなレベルじゃない、喧嘩を売っているのか。


 昨日、村に娯楽をもたらしてくれた相手とは言え、これはあんまりだ。少し……いや、かなり不快を感じた。なのに、相手の挑発的な言葉に対して、俺は怒りを顕わにできない。俺はこんな時でさえ感情を出すのが下手なのか。


 俺には、ささやかに威嚇めいた言葉を返すのがやっとだった。


「……あなたの名前は? 歌うだけでなく、随分とお喋りがお得意なんですね」


「おお、わたくしめの名をお知りになりたいと。


 そうそう、前にも我が名を問われましたな。


 その時はお答えできず、申し訳ございませんでした」


「……?」


 昨日この老人に名前なんて尋ねたか? 覚えがない。この老人とは話が噛み合わない。それが俺をさらに不安にさせる。


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「ジエルテ、そう申します。


 世の大伽藍にも、これを称える声は尽きますまい。


 そこには『わたくしめ』の巨像が祀られ、香が焚かれております。


 ……コバタさまはこの村の外はよくご存じない御様子。


 一度、見聞を広められるもよろしいかと」


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 巨像を祀る……? そんなものが作られる対象って、英雄かもしくは……。


「……それは大したものですね。もしかして、神様なんですか」


 俺は皮肉めいた言い方をした。そうしないとすぐ気圧されそうだったからだ。


 この老人からは得体の知れない圧を感じる。人間ではない何者かが持つ雰囲気。子供の頃に静かなお寺とか神社とか、世俗とは違う雰囲気の場所に行ったときに感じたことがある。静かな圧力、見えない存在、何者かへの畏怖。


 いや……この老人は違う。静かなお寺や神社は怖さも感じるが、どこか清々しい。これはもっと粘着質で……かすかにイヤな気配のする何者か。神様のイメージではない。もっと別の、壮大な力を持った何者か。


 俺にはこの老人が、メフィストフィレス、ナイアルラトホテプ、そういう奴と類似の者のように思えた。神様というより、悪魔。


「あなた様は恋を実らせました。


 あなた様と愛する方は互いに誠実真摯。その愛はきっと途切れませぬ」


 老人は、自分が神であることを否定もせず言葉を続けた。そして、俺とフィエが愛し合っていることを『祝福ではなく、せせら笑っている』。


「それはどうも、神様のお墨付きということですか」


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「ええ、それには判をついておきましょうとも。


 ……ですがね、ですが。


 この世の中を下し見る者は、優しく心温かいとは限りませぬ。


 あなた様が弱いまま、ただ幸せだというのなら、蹴っ飛ばして壊してみたいと。


 あなた様の前でただ幸せな少女を、むさぼって壊してみたいと。


 美しき愛が壊れて腐り、匂い立つのが見たいと。


 ……そう思う者がいてもなんら不思議ではございませぬ。


 力なき者が打ち据えられ、踏み付けられ、奪われるのは世の理にございまする。


 新たに悲恋の歌が紡がれるのも、仕方のないことでございましょうな」


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 ……俺と、フィエのことを言っている。この悪趣味な言葉の意図はなんだ?


 悪意や嘲り、というか可笑しみを感じているようにしか見えない。昨夜見た口上と同じく、芝居がかっていて……。


「……俺はからかわれているのか、侮辱されているのか、脅されているのか?


 何であんたに、そんなことを言われなくちゃならない」


 威圧するような俺の態度を意に介さず、老人はニタァと笑って答えた。


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「あなた様はね、もっと色々しなくちゃア、駄目なんです。


 あなた様の欲したものは、もう手の中、腕の中。


 ほら、あなた様は女の愛に埋もれたまま、外を見ようとなさっていない。


 このまま幸せが続き、老いて身罷られるまで終わらないと思っておられる。


 嗚呼、何と考えの足らない楽観でございましょうや。


 ……赤子と同じです、か弱き赤子ですぐに死んでしまう。


 きっと最期の時さえ、ご自分に何が起こったかも分からないまま。


 『心が冷めるでもなく終わる恋』の歌はあっけなく完成となるでしょう」


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 老人の放った言葉は、俺に刺さった。


 この老人は俺の欲したものを知っている。俺の現状をよく言い当てている。そしてこのままでは俺とフィエの恋は裂かれる、お前は死ぬと予告している。


 なんでそんなことが分かる……神、神様だから? いや、そんな馬鹿な。


 そうだ、何かの魔法……この世界の魔法には『予言』とか『読心』みたいなものがあったりするのか? こいつは魔法使いなのか?


 ……駄目だ、分からない。なんなんだ、これは。


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「……ねぇ、金持ちが吝嗇であるかのように、あなた様は守らなくではならない。


 そう、財を。


 おや……ヒトを、愛する女性を『財』と呼ぶのは失礼でございますかね?


 でもあの娘はこう想っておりますよ、『わたしはあなた様のもの』とね。


 フフ、ウフフフフ、……本当でございますって。怒った顔はおやめ下さいな。


 あなた様にとって嬉しいことではございませぬか、そうでございましょう?


 ……あんな美しい娘の心も、身体も手に入れたのですから。


 でも、そうなってからが恋の大変なところ、歌の面白きところなのです。


 どうです、あなた様。


 もう……あの娘の、足の指先ですら他の男に舐められたくはないでしょう?


 叶うなら片時も離れず、懐深くに隠してしまいたいのでしょう?


 ……ほぉら、あなた様もケチなんです。大切な『財』を守りたいのでしょう?


 ならば金持ち、物持ち、人脈持ちと、様々な力持ちになる才覚がございます。


 ええ……どうぞ、どうぞ、大切な『財』を守ってみて下さいまし」


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 長々と老人が話す間、俺は言葉が返せなかった。圧倒されていたというのもあるが、大切なフィエ、あるいは俺の命が失われるという内容に聞き入ってしまった。


 言い知れぬ不安。不吉な想像。大切なものが壊されるということへの恐れ。美しいものが壊れ去る、フィエが損なわれる。それを防げない俺の無力。早く何とかしなければ、不安の種を除かねばという焦り。


 今朝まで俺は幸せの只中にいた。身を寄せてくれるフィエがいるからこその幸せ。それは宝物で、失われないと思っていた。でも、そうじゃないかも知れない。この吟遊詩人の言葉が俺の幸せを壊していく感覚。


 半ば呆然となった頭の中で老人の言葉を整理していると、自分の口から勝手に言葉が零れ落ちた。


「……それは今、ここであんたを刺して、終わることじゃないのか」


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「ククッ、フフ……ウフフ……あなた様は何か、勘違いをなさっておられる。


 わたくしめは、あなた様にご忠告申し上げているだけなのです。


 あなた様と、美しき娘の恋を害するのは、断じてこの爺ではございませぬ。


 ……わたくしめを、刺して殺せばそれで終わりですって?


 あなた様の敵は、そんな分かりやすいものでは御座いませぬ。


 まぁ……それが、何であるにせよ。


 あなた様は手にした幸せを、失うことに怯えなくてはなりませぬ。


 怯えて、それでも守るために戦わなくてはならないので御座いまする。


 そうでなくちゃア、歌は面白くならない」




「力とは奪うためだけでなく、財を守るためのものでも御座いまする。


 これから、あなた様から財を奪わんとする輩と力比べもございましょう。


 僭越ながら、あなた様にわたくしめから、守るための力をお預けしましょう。


 今のあなた様ではか弱すぎて、何をするにも打つ手がございませぬ。


 森の中でクマに出会えばそこで終わり、どっとはらい。


 ……そんなことで終わられては困りますとも、ええ困ります。


 そんなツマラヌものは弾き飛ばせる力を今すぐにでも保証いたしましょうとも。


 ……あなた様には不思議の力を持った指輪をお預けしましょう。


 古今無双の値打物、あなた様を助ける力を持ってございまする。


 とはいえ、これだけで守り切れたものか。いやはや無理でございましょうか?


 あなた様の敵はクマなどよりもっと大きなものなので御座いまする。


 これで足らぬと思うならば、あとはご自分で手札を増やすだけ……」


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 頭がグルグル回されているような感覚。こんな、意味の分からない……。


 昨日の夜、楽しげに酒を飲んで、歌い騒いでいた爺さんが、何を間違ったらこんなことを言い出すんだ。訳が分からないが……こんなふざけた、舐め腐った態度で「お前は弱いから助けてやる」と言っているのは分かる。


 そしてそれは、本当に救いの手かもしれない。……そう、思ってしまった。

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