1-12.【フィエエルタ】祭りの夜

 コバタはもう、眠ってしまったようだった。薄暗い室内のなか、隣から聞こえてくる静かな寝息。


 わたしは今、幸せな時間がこの寝息の音とともに過ぎていくのを感じる。時が過ぎ去っていくことへの若干の寂しさ。夜の静けさ。この満たされた、けれどもどこか切ない気持ちにさせる時間がずっと続いたらいいのに。


 でも、明日が来ればまた新しい喜びが生まれてくるのに違いないんだから、それを待ち遠しく思うわたしも確かにいる。




 眠り前の、他愛のない想起がわたしの頭の中で揺れている。


 初めてコバタに会う前。あの日のわたしは河の神様へのお供え物をワザと忘れた。『毎日お供えやってるのにご利益ないじゃんコイツめ、幸福を呼ぶためにオマエという神様が祀られてるんじゃないのか。役立たずめ』と悪態に塗れていた。シツケの出来ていない家畜に『お預け』をするようにお供え物をボイコットしてやったのだ。


 そうしたら、河の向こうから随分と薄着の男の人、コバタがやってきたという……なんとも不思議なお話だ。彼誰時(かわたれどき)に河を渡りて知らない人と出会うなんて、おとぎ話か何かかと思うくらいに。


 最初は月初めにこの村を訪れた、街からの商人さんの関係者かと思った。しかし見てみれば何処から来たとも知れぬ感じの風貌、どことなく困惑した様子の人だった。何というか年齢の割に……怯えた小鹿みたいな雰囲気の人だった。


 よく分からない言葉を話したりするから『迷い人ってコレか!』と珍しいものを見た気分だった。わたしより年上だし背も大きいし男の人なのに、何でわたしに怯えているんだろうと気になった。


 取り合えず何とかしなくてはならない、放置して帰れもしないから連れて帰ることにした。かといって自分より体の大きな人間が自由に後ろを付いて来るのはちょっと怖く感じた。


 その時ララさんからの教えが頭をよぎった。『相手の位置を把握できないことは恐ろしい、どんな方法であれ位置把握をすることは大切だ』と。この教えを実践するときが来るとは思っていなかった。


 村への道中、さすがに囚人のように前を歩かせて監視するわけにもいかない。そんなわけで手を繋いで連れていくことにしたんだった。イザ危険と判断できたなら振り払って森に逃げ込めば、わたしの脚の速さに素足の相手が勝てるとも思えなかった。とはいえ不安で心臓は高鳴っていた。


 その心配は空振りに終わった。わたしより大きな手の男の人が、まるで頼りなげな子供のようについて来るので不思議な気分だった。母親とかお姉さんにでもなったようだった。こうやって連れて歩く存在は『守らなきゃいけない対象』であることを、村に着くまでの短い道中で悟った。




 コバタはわたしから見て、怖がりで大人しい態度を取る人だった。言葉少なながらも周囲をよく見て理解しようとしているようで、言外の態度に状況を把握しているのを感じた。殊更に賢しらに振舞うわけでもなかったけれど、頭の良い人のように思えた。余計な波風を立てないことは処世術なのだなと察した。


 恐縮しながら糸紬のやり方を習ったり、村についてのことを遠慮がちに訊いてくるコバタの様子を見ていると……さすがにもうちょっと心を開いてくれないと面倒臭いと思ったので、とにかく話しかけていくことにした。


 結局『明るい言葉で接して笑顔で話しかければ、相手もやがてはそれに倣う』というおじいちゃんの教えは正しかったようだった。数日の後にささやかながらの微笑を貰った。それまでの愛想笑いとは違う、コバタの本当の笑顔。それはわたしが引き出した成果だった。それを見るのが楽しくて、嬉しく思うようになった。


 そういった日々を重ね、コバタから自然に笑いかけてくれるようになってからは、ちょっと自慢したい気分になった。勿論、そんなことを大っぴらにやるわけにもいかない。でも、コバタの手を引いて村内やらその周辺を連れて歩くのが楽しく思えた。




 ララさんの魔法を見てみたい、とコバタが言い出したときは嬉しかった。コバタが来てからはララさんと話す機会が減っていたし、『わたしの好きな人』同士を引き合わせて皆で仲良く出来たら、それは良いことだった。


 コバタが目を大きく見開いて魔法に熱中している様子はまるで子供のようだった。ララさんもどこか楽し気で、それは良いことだった。


 こうやって、コバタが『わたしの近くの世界』に馴染んでいくことは、良いことだった。でも、なんだか違和感があって……それはララさんが結婚について話し始めた時に一気に肥大した。


 ララさんにとって、光教団で斡旋している政略結婚の話は……あまり触れたがる話題ではなかった。言ってみればララさんの失敗の記憶だ。……なんでララさんは、コバタにそんな話をしたんだろうと思って二人を見ると、その原因が分かった。


 ララさんとコバタは年齢も背丈も似たようなものだ。なんというか、ララさんが『結婚の失敗談を過去のものとして昇華した』気になっているのはそういうことなんじゃないかと思えた。


 この二人が結ばれたら? 二人とも、今よりもっと距離の離れた人になってしまう。特にコバタ。なんでララさんに笑いかけてるんだコイツめ。




 ……あとは、わたしが全力で突っ走った感じがある。コバタはわずか半月の間で、わたしにとって『隣にいて当たり前の人』になっていたんだなぁ、と思う。好きな人が隣にいなくなってしまうのは、嫌だ。


 両親だって、そうだったんだから。


 わたしの近くにいてくれる人、わたしを嬉しい気持ちにさせてくれる人、わたしと手を繋いでくれる人がいなくなっちゃうのは、ダメだ。受け入れがたい。無理。何とかしたい……たとえ、それがララさんを出し抜くような真似であっても。


 山中でのお昼ご飯のあと、コバタに甘えるように寄りかかってみた。わたしもあんな真似は中々正気では出来ない。わたしの高鳴る胸の音は、頬の熱さに比すれど劣らなかった。このような破廉恥な振る舞いを、コバタはどう思うか気になった。


 少し恐れつつもコバタの顔を窺い見ると、わたしの頬の赤さが伝染したような顔色だった。そのうちに、コバタの心音も聞こえて来た。……要するに、私と同じだけの速さで高鳴っていたのが、ちょっとだけ先に余裕を取り戻したわたしの鼓動が落ち着いてきたことでズレたのだ。


 コバタは慌てたように、わたしの手を握って帰りを促した。……実を言うと『コバタからわたしの手を握ってくれた』のはその時が初めてだった。


 ……舞い上がった。温泉行は『山行き計画』時点では廃案だったものだ。さすがにハシタナイというか、覚悟が決まっていなかった。でもあの時は『ここで手を緩めてコバタが隣にいなくなってしまうくらいなら、どうとでもなれ』と思った。




 そして、昨日の夜。


 そして、今日の夜。


 わたしはコバタの横にいられる。




 幸せな寝息の音を聞きながら、わたしも幸せな呼吸をする。……でも、息を吸い込んだ胸にササクレた痛みを感じる。


 わたしは、ララさんを裏切ってしまったんだろうか。今日の祭りの席でララさんと会ったとき、胸が詰まった。ララさんはいつものように話してくれたし、お陰でわたしもいつもの調子に合わせることが出来た。


 でも気詰まりでその場から逃げ出して、席に戻ったときにはララさんはいなかった。コバタが言うには警備の仕事をしに行ったらしいが、のんびりでサボりがちなララさんが急に勤勉になるとも思えなかった。


 コバタは、わたしが翻した『実り』のケープに言及した。恥ずかしがりなコバタが朝から言いたそうな顔で言わなかったことを、急に口にした。


 ……ララさんはきっと、そっと身を引いた。6年近くわたしのお姉さん役をやってくれた人だから、わかる。ララさんからの優しい気持ちはヒリヒリとわたしの胸の内を焼いた。


 そうして夕になって日が暮れて、吟遊詩人が笛を吹き始めた。


 わたしは『踊ろう』と誘い抱き締めてくれたコバタの胴体に、ヒリ付いて痛む胸の内を押し付けるように、傷口に痛みを紛らす軟膏を求めるように抱き付いた。


 痛みは消えない。でも紛らせた。胸が高鳴って熱く血が巡って。頬を染めて頭の中を茹で上げてくれるから、後ろめたさを忘れることが出来た。


 でも、でも。わたしには……わたしにはまだ。


 コバタに隣にいて貰う……それには。


 わからない。胸の内の衝動に突き動かされるように世界は。


 わたしの世界。わたしの近くの、わたしの近くにいてくれる人との世界。


 不安、不穏。先ほどまでの高鳴りや痛みとはまた違う、締め付けるような。


 …………ああ、きっと、もう夢の中だ。幸せの只中に、わるいゆめをみている。

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