1-11.吟遊詩人の来訪、祭りと踊り

 次の朝になった。


 なんというかもう、ネガティブに考えても仕方ないや。フィエが俺がいて嬉しいって言うんならもう無条件で信じよう。盲信する。


 人生の終わりがどうなるかは分からないが、今際の時にも幸せだったと思えるだろう。もう一生分貰った。この異世界に招いてくれた神様がいるならありがとう。入信するから名前を教えてほしい。


 朝食が終わると、フィエと川へ洗濯に行った。今日は朝から綺麗に晴れている。洗濯物はよく乾きそうだ。川の水面に映る、木々の緑の鮮やかさが素敵だ。


 シーツや寝間着を干し終わった後は、家の中でフィエと一緒に座り作業をした。単純作業だがそれだけで楽しい。


 少し眠たげなフィエ。うつらうつらとしたフィエ。俺が見ているのに気付いたフィエ。顔を見合わせて微笑みあえる相手がいるのって楽しい……楽しいなぁ。


 きっとフィエはオバちゃんになってもお婆ちゃんになっても可愛いだろうなぁ。


 俺の脳味噌が幸せ方向にしか働かなくなっていた。午前、午後とフィエとゆったりお喋りしながら作業をする。のんびりとした時間。太陽は輝き、ゆったり心地良い風が吹く。気分が良い。


 山からの涼やかな風に眠気を誘われたのか、フィエは俺に寄りかかって寝ている。昨夜は夜更かししたもんな。これから色々覚えて村の役に立って、フィエを喜ばせる。それだけで人生が満たされるように頑張ろう。


 そんな風に考えていると、フィエが目覚めて欠伸をする。かわいい。


 しばらくしてから、その日は外で作業をしていた村長が窓から声をかけてきた。時計がないので感覚だが、午後3-4時くらいだろうか。


「吟遊詩人が来たみたいだぞ、お前らも来てみるか?」


「珍しいね、街だけじゃなくここまで来てくれるなんて! おもてなし用意した方がいいかな」


「それは一曲聞いて、上手かったらでいいさ。来たのがだいぶ爺さんだからなぁ。腕がちゃんと動きゃいいんだが。


 ああ、洗濯物もう乾いてそうだから取り込んでから来いよ」




 広場には仕事をほったらかしたであろう村人が集まっていた。


 たった一人の爺さん吟遊詩人は、だぽっとした服を着て楽器を複数持っているようだった。荷物が重いのか、足を引きずったような歩き方をしている。長身痩躯で、手足が長いのに骨がごつごつと太く頑丈そうな感じ。白髪頭。口ひげと顎髭を伸ばしており、そちらも白い。まるでタロットカードの『隠者』みたいだ。


 俺とフィエは連れ立って見物に来た。……そういえばデートかこれ。いや、フィエと山や温泉に二人で行ったのも今にして思えばデートだったのかも知れない。


 吟遊詩人は広場の一角に布を敷いて座り、琵琶のような楽器をチューニングしている。そして幾つかの楽器を準備を終えた吟遊詩人は前口上を始める。


「皆々様、この老いぼれにお時間をお割き頂き、誠に有り難い事にございまする。


 まずはいくつか趣向の異なるものをお聴き頂き、お好みのものが御座いましたらそれに合わせて更に歌わせて頂きまする」


 やや枯れ掠れた声。こんな声で大丈夫かなと思ったが、その後の歌は大したものだった。歌に入ると声質が変わるタイプの人だったようだ。


 1曲目は琵琶に似た楽器での弾き語りだった。この世界の演奏水準が分からないが、俺から言わせると『とてもうまい』としか表現できない。技巧がなければとても弾けない速いテンポの曲。


 先ほどまでガヤガヤしていた村人の話声が静まり、辺りが吟遊詩人の歌声と奏でる音色だけで満たされていく。奏で続ける指の動きが少しも止まらず、弦の音を重ねていく。それが滑らかで無理をしている感じがない。たった一人の演奏なのに音は洪水のようだ。音の移り変わりの目まぐるしさに単純に圧倒される。……これって人間で出来るんだ。プロって凄いなぁ。


 歌声はまるで音楽の一部かのようだ。スキャットなのか、それとも歌詞があるのを俺がうまく聞き取れないのかは分からない。よく見ると足を使って打楽器のようなものも同時演奏している。器用なことするなぁ、と思っていると音楽は終わりを迎えた。


「……以上でご挨拶代わりの一曲目は、終わりにございまする。


 ハハハ、老いたる枯れ枝の指なれど、どうやら動くようで一安心でございまする」


 わっと歓声が上がる。いくらここが田舎の村だと言っても、これだけの喝采を受けるのは、並の奏者では難しいだろう。一曲目で観客の度肝を抜くための勝負曲だったのかもしれない。


 横を見ると、フィエもかなり驚いた様子ではしゃいでいた。かわいい。


「俺ビックリしたよ。いい腕の人みたいだね」


「コバタもわかる? なかなか聴けないんだよ、こんなに上手いの」


 周囲もざわざわとして、今の演奏についてお互い話しているようだ。ウキウキとした雰囲気が周囲からも伝わってくる。盛り上がるのも分かる。純粋な娯楽と言えるもの少ないしなぁ。


「有難うございます、有難うございます。


 ……次は趣向を変えて演らせて頂きまする、こちらもご期待あれ」


 次は語りがメインの、歌というよりは物語に合わせて音楽を付けたものだ。先ほどの速い曲とは違ってスローテンポ。……ああ、これは戦争の名場面とかをテーマにした奴かな。


 耳なし芳一が歌う壇之浦の合戦の奴って、こういう系統なんだろうか。聞いたこともないし内容もよく知らないけど。吟遊詩人の爺さんが弾いてるあれって琵琶系統の楽器だから近いのかな。ただ当然だけど今歌われているのは日本風って感じではない。異世界版の壇之浦か。


 1曲目と違い、歌詞が聞き取りやすい演奏になっている。だが詩的表現は文化依存が強いためか、言っている意味は分かるけど何を表現しているかイマイチ分からない部分がある。


 ……数的不利を抱え追い詰められた戦い。駄目押しの魔法が放たれる。それを潜り抜けて敵の大魔法使いを討った英雄。敵の動揺。その機に乗じて半壊した部隊を取りまとめ戦局を引っくり返したもう一人の英雄……。


 こういうの聴いたことなかったけど、物語を音楽で聞くのも面白いな。


「……以上がタッセにて起きました大いくさの顛末でございまする。


 勇猛に散った兵の身は土に還れども、あるいは弔われ灰となろうとも。その勇ましき姿は、吟遊詩人の歌と地母神の御心に、しかと残っておりまする。


 そして今、皆さまの御耳にも」


 芸歴が長そうなだけあって慣れた振る舞いだ。ちょっと大げさでクサい感じのする口上も、堂々と言われればそういうものだと受け入れられる。


 充分に喝采を浴び終えると、吟遊詩人は次の口上を始めた。


「さて、吟遊詩人は歌い奏でるが生業にございまする。


 ですが、わたくしめは皆様方にも歌をふと思い浮かべ、口遊んで頂きたいと願うような強欲者。わたくしめが奏でた曲が、百年先のわらべ歌や恋歌になる……そんな大それたことを望んで止みませぬ。


 ええ、もっと世界は歌に溢れてほしいのです」


 次の曲は、先ほどまでの派手だったり個性的なものではなく、シンプルで落ち着いた恋歌だった。最初から最後まで憶えろと言われたら難しいだろうが、ちょっとしたフレーズを思い出して口遊むには良さそうな曲だった。


 俺は、手をつないで横にいるフィエの方を見た。紡がれるロマンチックな歌詞や演奏に夢中のようだ。吟遊詩人は観客にメロディを憶えて貰うためなのか、何度か曲をループさせている。俺は目当ての歌詞のところで、そっと合わせて歌ってみた。


 フィエがこちらを見て、とても嬉しそうに笑った。




 吟遊詩人はその後もリクエストを受けて何曲も歌った。結構なお爺ちゃんだから大丈夫かなとも思ったが、声の張りや艶は調子の良さが増すばかりだった。プロって凄いな。


 途中でララさんが俺たちの近くに来た。魔法使いのお姉さんも吟遊詩人の腕の良さには驚いているようだ。フィエとはやはり仲が良いらしく、隣に座って曲の合間には感想を話している。


「あ、そろそろわたし、吟遊詩人さんに飲み物を出してくるね。


 おじいちゃんだけじゃなく、わたしからもご挨拶とお礼も言っておかないと」


 村長の孫娘だからこういうことは率先してやるのだろう。俺も手伝おうかと言ったのだが、フィエにやんわりと、手伝うほどのことではないと押し留められた。


「……コバタくん。キミさぁ、フィエと何かあった感じ?」


 フィエがいなくなったのを見計らったように、ララさんがこちらに聞いてくる。この人……勘がいいのか。フィエは特に俺とのこと言ってなかったのに。


「えっと……なんでですか?」


 返答に窮し、すっとぼけてみる。


 フィエとは婚約した。とはいえフィエが公表を望んでいるかをまだ聞いていないし、俺もちょっと照れがある。ララさんはなんで分かったんだ。


「この場では深く聞かないけどさ。ほら、フィエのケープ。


 あー、キミは迷い人だから分かんないかー」


 ララさんはニヤニヤしている。……あの民族衣装っぽいケープが何か? 


 吟遊詩人に賛辞の言葉をかけて、お茶を注いでいるフィエの姿を見る。今日は朝からいつもと色が違うのを着ているが、あれって……いつもの奴の裏返しなのか。


「あれって朝からそうなんですけど、まさか間違って着ちゃってるんですか?」


「お、気付いてはいたのか。じゃあコバタくん……説明するねぇ。


 昨日までのフィエの着方は青を基調とした『若草』を表してたんだけど、裏返しの橙色がメインなのは『実り』を表す。まぁ、恋人いますよっていうか、婚約済のサインなんだよね。


 ……もしかして『奥さん』用の新しいケープも必要になっちゃうのかなァ?」


 ララさんはニヤ付きながら俺の表情を見ている。やばい、顔が熱い。


 つまりあのケープはリバーシブルで、そういう立場を表示するのに使われるのか……。バレバレな奴じゃん。こんな席で堂々と着ているわけだし。


 ていうか村長?! フィエは朝からあの着方だったぞ。気付いてないってことはないだろうけど、スルー能力高くないか。俺に対しての態度もいつも通りでナチュラルだったし。特別な何かを言われた覚えがない。


「まぁ……キミはフィエがいつもと違う感じなのちゃんと分かってたんだよね?


 ちゃんとフィエ本人に『いつもと雰囲気違うね』って指摘してあげてればねー。本人から説明されたと思うんだけどねー。コバタくんはもうちょっと女の子の装いに興味持ってあげていいんじゃない?


 まぁ、それはいいか。フィエもコバタくんから直接尋ねて欲しいみたいだから、自分からは早々には言えないよね。キミがフィエのそういうとこへ声掛けしてさえいれば、私からこんな風に教えて貰わなくても良かったんだけどねぇ」


 面目ない。だって女の子の服装を褒めるとか、なんかイケメン仕草っぽくて俺には言い辛かったんだ。……でも、これからは言った方がいいんだよな。


 ララさんは優しい人なのか、そこまででイジりはやめてくれた。


「んじゃ、私はそろそろ警備の仕事してくる。ほとんど広場に集まっちゃっているから少し見回りはしないとね。魔法使いはツラいよ。私も聴きたいのに。


 なぁキミ……しっかりやれよ。せっかくいい感じをあの吟遊詩人が作ってくれてるんだから」


 そう言ってララさんは颯爽と立ち去ってしまった。ララさんのケープは青を基調とした若草の色合いだった。




 俺は戻ってきたフィエの手をいつもよりしっかりと握った。曲の合間に俺はしれっとフィエのケープについて褒めたりもした。フィエははにかみながらもその意味を説明してくれた。


 小休止を挟みながらも、吟遊詩人は数時間は歌っただろう。日が暮れかけて広場には火が焚かれ、ランタンが吊るされる。ララさんが近くにいるらしく『灯虫』の魔法が空高くに灯り、満ちた月と共に広場全体を淡く照らす。


 それぞれの家からはテーブルに椅子、食事や酒が持ち寄られた。田舎に娯楽を提供すれば、こうして祭になるようだ。


「皆様、皆様! この孤独な老人と共に、このような素晴らしき食卓を囲んで下さるとは感謝に堪えません!」


 大げさな喜びを表現され、村人からも笑い声が上がる。演奏自体はもう一区切りついて終わっている。これはあの人の仕事が終わった後の労いの時間なのに、この爺さんほんとエンターテイナーだなぁ。


「ええ、今しばらく、喉が休まるまでは歌はご勘弁を……。ただし酔えば横笛を吹きたくなる病気にかかっておりまして!」


 吟遊詩人の前にいくつもの木のジョッキが並べられる。それに村人が片っ端から酒を注いでいく。


 俺とフィエは、そんな陽気な吟遊詩人を横目に食事をし、雑談していた。


 先ほど演奏が一区切りして酒宴が始まったとき、最初にフィエはお酌をしに行って賛辞を呈していたから、もうこちらにいても問題ない。それに何より今は吟遊詩人の周りに空きがない。


 出店とかそういうものはないけど、お祭りの雰囲気がする。吟遊詩人も見事だったし、今は祭の夕べにフィエの隣にいられることが嬉しい。


 酒や食べ物をそこそこ食べた吟遊詩人が、演技なのかガチなのか、やや酔っ払った口調で口上を始めた。


「皆様! 大変上等の果実酒を聞こし召し、わたくしめの天地は逆さ。


 零れ落ちる詩興に、わたくしめは笛を吹きたくなって参りましたぞ!


 もしお食事がひと段落ついていらっしゃるようであれば! 愛する方、あるいは今、お隣にいる方と、わたくしめの笛に合わせて踊って頂けますでしょうか。


 ええ、是非ともです! 踊る者がないのは悲しい限りなのです」


 フィエと顔を見合わせる。踊りって……あの吟遊詩人が言うにはペアだから、社交ダンスみたいなやつ? やったことはない。でも祭の夜をフィエと楽しみたい。


 踊り方こそ分からないが、誘い方は映画で見たことがある。この世界でも多分、似たような感じだろう。俺は椅子から立ち上がって、フィエに対して手を伸べる。


「踊り方はよく分からないけど……フィエ、一緒に踊ってくれる?」


「お誘いだね、喜んで」


 フィエは満面の笑みで俺の手を取ってくれた。吟遊詩人の笛の音は既に始まっている。ゆったりとした音色。


「えーと、どうしよう」


 取り合えず片手は握って、もう片方でフィエを抱き寄せる。


「二人の踊りなんてわたしだって分かんないよ、初めてだよ。


 下手同士なんだし、こうやって一緒にユラユラしていよう。


 踊りと言ってもさ、きっと何かそれっぽければいいんだよ」


 結局、俺とフィエはゆったりとした笛の音に合わせて揺れるだけ。なんのステップもない。抱きしめ合ってゆっくり揺れているだけ。


 本当にこれでいいのか分からなかった。でも、フィエは嬉しそうだった。

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