1-08.狩りの準備運動
次の日はフィエに付いて朝から裏山へと行った。
山中は虫が多いので、いつもより一枚多く外套を着るようだ。虫除けの燻しがされていて独特の匂いがする。デザインも、首筋や袖口から虫が入りにくいようになっている。
猛暑というわけではないが、今は夏だし今日は快晴。これを着て移動するのはそこそこ暑そうだ。熱中症や脱水症状の危険は高まるかも知れない。それでも着なきゃいけない程度には、虫が毒を持っていたり病気を媒介される危険があるのだろう。
今日フィエに教わるのは山道の歩き方。周辺の地理だ。分かっていたことだが、結構キツイ。ゆるやかな麓までならそうでもなかったが、登りや下りがある地形に入ってからは、汗がダバダバと出てくる。大きな革の水筒は持ってきているが、多分足らない……。
フィエも多少の汗は出ているが、かなり余裕を感じさせる。山道を先導し、俺にいろいろ手を貸してくれているから運動量はあっちの方が多いはずなのに……。
「ほらコバタ。わたしの手を持ってこっちにぴょいって飛んで。
足元気を付けてね、よし……大丈夫、ちゃんと支えているから」
そんな風にして、山の中腹くらいまで来る。高い山ではないとはいえ、通ってきた道は半分獣道みたいなところだ。フィエは山刀でバッサバッサと邪魔な草などを切り払いながら先導してくれる。
道中何度か獲物と思われる鹿を見かけた。見付けるのはいつもフィエだった。
「あそこ、ちょっと遠くの木のとこに5匹いるね。木立に紛れてるけど見える?」
「……ああ、見えた。今、耳を動かしてるのがいる」
「そうそう。
今は時期じゃないからそもそも狩らないんだけど、ここでコバタに質問!
狩りの季節だったら、あの鹿はどうしたらいいかわかる?」
答えられない。だから分からないとそのままを伝える。
「おじいちゃんが言うにはね。あのくらいの距離だと射ても外れるか刺さりが悪くて死なない。仕留められないのに射るのは絶対にダメだって。
獲物に当たっても死なないなら、追跡をすることになる。つまり余計に歩くし、普段なら行かない慣れない場所まで入っていかなければいけない。
そうして追った獲物を見失ったり、あるいは獲物が力尽きた場所が悪かったら、労力をかけたのに獲物そのものが得られないこともあるの。
それに一度射て生き残った獣は、仲間や子供に危険を伝えるから、群れ自体が用心深くなって、狩りが難しくなることもある。
……どう? わかった?」
かつて自身が村長に教えられたことを復唱するかのように、フィエは長々と講釈する。フィエはこういう風に誰かに教えることをやってみたかったんだなという感じだ。……少し得意げなところが可愛らしい。
「ということはあれは狙っちゃダメな奴なんだ」
「そうだね。こちらの方向から射られたと分かれば奥に逃げていく。あっちはこの山道ほど楽じゃないし、水場も良い所がないから運んで処理するまでに時間がかかるね。肉の味も良くない感じになっちゃう」
処理って……あ、解体のことか。フィエは弓は出来ないと言っていたが、もしかして解体は出来るのか。俺はそう言う場面は見たこと自体ない。
「じゃあ山の周りの地理を良く知らないと判断できないね」
「うん、山をよく知らないと狩りは難しい。これから何度も私に着いて来て貰ったとしても、うーん次の年くらいまでか。
……おじいちゃんとの弓の練習も合わせると、もう一年かなぁ」
「まぁ……時間をかけないと憶えられないよね、よくわかる。
……? じゃあ普段、食卓に出てくる肉は家畜のものなの? 村長がいつも持ってきてくれるから出所が分かってなかったけど」
「ああそれね。『畑を荒らすケモノは容赦無用』ってお爺ちゃんが言ってた。追い払って済むならそうするけど、しつこく来るのは仕方ないよね。
それに今の季節は山の中も豊かなんだから同情の余地だってない。ちゃんと畑は人間のナワバリだって身をもって教えてあげないと。
あー、あとは家畜の中でも特に聞き分けのない子とかだね。一匹だけフラフラ脱走するだけならともかく、その子につられちゃって集団脱走されると困るから」
なるほどなぁ。この村で連日肉が食べられるという事は、それだけ畑荒らしの獣やらに対処しているということなのか……。
「あ、石打ちならちょっとは教えられるよ」
フィエは腰に下げていたものを外して俺に見せる。紐を編んで作られた石投げの道具……投石器というやつだ。
「危ない獣とかに会ったらゆっくり離れるのが基本だけど、やたら興味示して寄ってくるのもいるからね。護身用なんだ。
山刀もあるけど、その距離までケモノ相手に近寄られたらもう負けかな」
フィエはニコニコ笑いながら投石器をくるくると回している。多分これも村長とかに教えられて、誰かに教えたくってしょうがない感じだな。可愛らしい。
「今日はそんな危険がないといいね。……でも石打ちは今度教えて貰えると嬉しいかな。フィエと練習するの楽しそうだし」
「約束したからね。キッチリ教えるよ」
フィエは微笑みながら軽い足取りで先を行く。
実を言うと俺はもう足が疲れてきているのを感じている。ちゃんとしたブーツを履いてきているが、それでも現代日本で売られているほど高性能な靴ではない。
そして山道も人の手である程度は整備されているが、散歩気分では歩けない。ここまでも小休止は何度かしたが、素直に疲れてきたことを伝える。まだ日も高いんだけどなぁ。
「じゃあ、ご飯食べる場所探すね。食べて、ちゃんと休んだら帰ろう」
普段の昼間は少量の間食を摂るだけだが、こういう時はガッツリとした昼ご飯持参らしい。そりゃ運動量が全然違うし、そうなんだろう。
「連れてきてもらったのに俺、こんなに早くへばっちゃって……申し訳ない」
「それは謝るところじゃないよ。それより山中で動けなくなる方が怖いんだから! むしろ偉いよコバタ。ちゃんと言ってくれて。
帰り道で山菜を摘んでいこうね。今日の晩御飯になるから期待しててね。
……あ、ここ座れるし見渡しいいね」
遠景がよく見える場所に座って休憩する。取り合えず地理をしっかり憶えるのが最初の課題のようだった。
座り込んだ体にジンワリと疲労が染みる。汗をたっぷりかいたためか、毛穴から老廃物が全て出ていってしまったような気がする。代わりに肌はベタつくが。
フィエは食事をしながらも、見える景色についてあれこれ教えてくれる。この前食べた山菜はあの辺りに良く生えてるとか、あの辺に塩分の高い温泉が出ている場所があって、そこに動物が塩を舐めに来るとか、そう言った話だ。
食事が終わった後も俺の横に座って、更にあれこれ指差しながら、あの場所の石は滑りやすい、昔おじいちゃんがコケたことがある、などと思い出話も含めてニコニコと説明してくれた。
俺はもちろん話は真面目に聞いているし、ちゃんと憶えるよう確認したり、質問したりもした。でもさっきからフィエとの距離感がやけに近い。というかフィエは色々指をさして説明したあとに、こちらに微笑みかけながら寄りかかって、体を預けてくる。肩に寄りかかられる感触。いつもよりずっと近い声。フィエの息遣い。
……………。
……ここに来てからまだ半月ほどだ。何の好感度イベントも達成した覚えはない。俺はイケメンではない。相手は若く可愛らしい。俺は残念なことに今までこういった接触を受けた経験はない。結局どうすればいいか分からないから、話に集中して受け答えをするしか間が持たない。
漫画やドラマ、映画でカッコイイ奴がするような行動を思いつくことはできる。でもそれは自分には似合わない。そんなの笑われたり拒否されたらと思うと怖くて出来ない。……格好良くもない男は、こういう時どういう動きをすればいいんだ。見本が思い浮かばない、真似できる対象がない。
…………いや待て、これはフィエが単に距離感近いタイプであるだけで、勘違いしちゃいけないんじゃないか。冷静になろう俺。
話が途切れるタイミングで、不意にフィエと見つめ合ってしまう。
まずい。間を持てあます前に俺は思い切ってフィエの手を握った。フィエの手を握るのはほぼいつものことだ、これは許されている。
「フィエ、そろそろ帰ろっか」
ダメな言葉かもしれないが、俺が思いついた中ではまだマシな言葉だった。フィエはしっかり手を握り返して笑ってくれた。
俺は帰り道に、山の景色を見ながらふと、黒澤明の『七人の侍』を思い出した。
映画を見た時、七人の内の一人である未熟な若侍を、なんか俺は見下していた。他の奴らが格好良いから、特に達人っぽい侍が格好良過ぎたから、若侍が情けなく見えた。
今、俺は自身の情けなさを自覚して考えを改めた。あの若侍は俺より圧倒的に格上だ。顔は良いし未熟とはいえサムライだし、それに俺ほどヘタレではなかった。
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