1-05.眠り、そして夕べの食卓

 さっきからちょっとクラクラしている。まさかもう病気にかかったのかと不安になったが、単に眠いだけだと気付いた。そういえば夜中から今まで、割と緊張した状態で起きていた。思っていたより消耗していたようだ。


 今、突然にそうなったのは村に住めることとなってホッとしているからだろうか。それとも単に体力の限界なのか。


「村長。その……実は夜から起きていたのでちょっと眠たく」


 来て初日に昼寝を始めるのも印象が悪い気がしたが、本当にクラクラしている。相手に察して貰うのを待ったり、無理をして倒れてしまうのも良くないと思い、はっきり言うことにした。


「ああ、疲れが出たんなら休みな」


 村長は気軽な調子で言った。良かった、嫌味のようなものは感じない。でもなんだろう、本当の本当に眠いだけなのに俺は申し訳なさを感じてしまう。


「フィエ、片付けはどうだ。コバタが随分眠そうだ」


 村長が二階に向けて声をかける。よく通る声だ。村長というのは通りが良い声の方が有利なんだろうか、とボンヤリしながら思う。


 少ししてフィエエルタさんがパタパタと階段を降りてくる。


「コバタさん、取り合えず横になれるところまで着いて来て貰えますか」


 彼女に支えられるように誘導されて、ふら付きながら階段を昇る。すごく眠い。ずっしりとした眠気が襲って来ている。瞼が閉じようとする。


「大丈夫ですか、もう少しですよ」


 何かもうよく聞こえない。頭がクラクラする。薬とかそういうのじゃないよな。多分ただ眠いだけだ。フィエエルタさんに手を引かれている。眠い。先ほどの林間の道でも手を引かれた。あの時はなんか不安も多かったが、今はひたすらに眠い。ドアが開く。良い匂い。ベッドのある部屋。やわらかいマットの感触がして、そのまま俺は眠りに落ちた。




 夢を見た気がする。よく分からないタイプの夢だった。内容は思い出せないが印象みたいなのは残った。寂寞。そしてその印象すら砂のように吹き消えていく。


 俺はベッドの上で目覚めた。目に映った窓からは夕日が差し込んでいる。


「あ、コバタさん。起きられましたか?」


 近くで女の子の声が聞こえてビクッとなる。ああ、フィエエルタさんか。


 一度寝たせいか、気分は落ち着いている。元の世界に戻ってるとかはなかった。親切な村長のおっちゃんと孫娘の女の子がいる家だ、ここは。


 起き上がって目を擦る。服がくしゃくしゃで、汗もかいた感じがする。ずいぶんと良く寝てしまったな。もう夕方か。


 彼女はベッド脇に置いかれた椅子に腰かけている。編み物の途中だったのか。手を休めてこちらを見ていた。寝起きの姿を見られるのはちょっと気まずい。


「すいません、随分と寝てしまいましたか」


「いえ、夕食までに起きて貰えたので、無駄にはならなかったみたいです」


 夕食までごちそうになっていいのか……と思ったが、よく考えれば帰る場所も方法も今の俺にはないのだから、お世話になるしかないと気付いた。


「えっと……。フィエエルタさんは、ずっとここに?」


「夕食の支度が終わってからはここですね、わたしの部屋なので」


 あれ、どうして俺はフィエエルタさんの部屋で寝てるんだろう? 心がヒュッと冷えた。目が冴える。なんかヤバい。若い女の子のベッドで爆睡とか。


「コバタさんにご用意したお部屋がまだ片付いてなかったので、失礼かもしれないですけど、ここに」


 何でもないことのように言われた。特に迷惑とも思っていないようだ。


「すいません。お借りしてしまって」


「おじいちゃんが……あ、祖父が無理に連れ出したのも良くなかったのかと」


 まったくもう、とフィエエルタさんは身内の無神経に呆れているようだった。


「あ……いえ、夜の内から起きていたので、そのせいだと思います。決して村長さんのせいというわけではなく……」


「コバタさん。起きたばかりですけど、夕食は食べられそうですか」


「あ、頂きたいです」


 寝ていたというのにお腹はちゃんと空いている。昨日から合わせてもあまり食べていないから、ここで変に遠慮もできない。せっかく用意してくれたのだし。


「じゃあ、こちらです」


 フィエエルタさんが俺に手を差し伸ばしてきたので、これでいいのかと戸惑いながらも手を取ってベッドから降りる。


 どこだったっけ。割とよく手をつなぐ文化のとこもあるよな。うろ覚えだけど。そういう文化の土地なんだろう。


 こっちですよ、と部屋を出て手をつないだ理由が分かった。夕方なので窓が少ない廊下はかなり暗い。だから気を使ってくれたのか。


 そもそも電気照明がない。ろうそくやランプをそこらへんに放置するのも防火とか、もったいないの意味で出来ないのだろう。




 意外、と言っては失礼かもしれないが夕食は結構しっかりしたものだった。


 豆と根菜に肉が入った煮物。麦らしきおかゆ。塩を振って焼いた魚。キノコと山菜に肉の炒め物。煮物からかすかに香辛料らしき匂いがして、そこだけ異国風味を感じさせる。


 それらが木の器に彩り良く盛り付けられている。先ほどフィエエルタさんが用意して運んできてくれたので、調理も盛り付けも彼女の手によるものなのだろう。


 食前に軽く祈りの言葉やらがあり、食事が始まった。俺はなんとなく『いただきます』と言って食べ始めた。金属製の二又フォークに木製スプーン。木箸も用意されている。食べるには苦労なさそうだ。


 山菜に多少のエグみと、脂の感じが豚っぽい肉には少しスジがあるように感じたが細かい事だ。味はいいのだからケチをつけるほどのことではない。味付けは加減の良い塩味で、ダシも効いている。あまり大きなクセがある感じの料理ではないから食べやすい。


 おなかが空いていたこともあるので、割と遠慮なく食べてしまった。ちょっと図々しかったかと反省するが、食べている間は手が止まらなかった。


「良い食いっぷりだ。うちはジジイと小娘しかいねぇからメシもなかなか減らねぇ。遠慮なく食えよ」


 そんな俺の様子を見て村長がニコニコしながら言う。フィエエルタさんも微笑んでいる。


 でも本当にいいのだろうか。元の世界に戻れるあてがない以上、これから食事の度に大人の男一人分、この家の負担が増える。今のも社交辞令とかだったりして……あんまり真に受けてもまずいのでは? 取り合えずお礼だお礼、感謝の意を示しておかなければ。


「ありがとうございます。とてもおいしいので、つい食べ過ぎたかも」


「食べ過ぎってことはないだろ。ほらもっと食え」


 ……この感じは社交辞令じゃないな。若者にメシを食わせたがる系らしい村長からすると、まだ足りないようだ。フィエエルタさんもすぐにお代わりをよそってくれる。


「おいしく食べていただけて、嬉しいです。腕によりをかけましたから」


「とてもおいしいです。あまり表現が上手くないんですがその……とてもこう……なんというか……おいしいです。


 ありがとうございます、フィエエルタさん」


 俺の表現力の無さはひどい。グルメレポーターというのは絶対にできない。でもにっこり笑って貰えた。良かった。


「コバタなぁ……ちょっと、いやかなり堅苦しい。もう礼儀正しいのは分かったから、それはもういい。


 こいつはフィエって呼べ。いつか舌噛むぞ」


 村長はなんか酔ってウザい絡み方をするオッサンのように言った。あれ、今日の食卓に酒なんてあったっけ? 飲んでなくてもこのノリなのだろうか。


「あ、えっと……でも、その……」


 文化の違いか俺の性格か、あまり親し気に呼びかけるのに抵抗を感じる。


「じゃあ、わたしもコバタさんのことは『コバタ』って呼びますから。


 そちらもどうぞ、……コバタ」


 フィエエルタさんはちょっと笑いながら言った。可愛い子に愛称呼びか……慣れないことだ。


「フィエ……さん」


「そんなに丁寧じゃなくていいですよ。


 そんな風に呼ばれると、わたしの方が年上みたいです」


 ちょっと困った風に言われる。『さん』付け不可。俺は基本的に年下だろうが一律で敬称は付けるんだけどな……。呼び捨てなんていつ以来だろう。


「……フィエ」


 ちょっとぎこちないままだったが、慣れるしかない。これは相手の名前なんだから、いちいち照れ笑いとかしてはダメだ。


「フィエ、おいしい料理をありがとう。もっと食べたいくらいです」


「はい。……でも無理してまで多く食べようとしなくてもいいですからね」


 フィエに食事の手が遅くなっているのも気付かれたようだ。意外とよく見られているのか、それとも俺が分かりやすいタイプなのだろうか。




 食後は3人でお茶を飲みながら、いくつか話をした。俺は『迷い人』が元の世界に戻ったという事例がないか、改めて確認した。


「コバタは戻りたいんだよね、やっぱり」


 フィエが残念そうに言う。なんか泊りで遊びに来た親戚が帰っちゃうときの子みたいな感じだ。お互いを呼び捨てにしたせいか、フィエもちょっとだけ砕けた口調になってきている。


「あ、いえ。その辺は無理に何とかしようと思っているわけじゃなくて。


 ただあまり長くこちらにご負担かけられないというか……」


「あー。気にするな、そんなの。うちは余裕あるし、ワシの村だってそんなにショボくない。コバタ一人にメシも食わせられんくらい貧乏に見えるか?」


「そんな風にはまったく見えないです……食事も良かったですし。


 でもその……俺にも何か手伝えることを貰った方が」


 俺は再度、この家の仕事の手伝いを申し出た。善意というよりは……打算だなこれ。何もしないでいたらさすがに呆れられるだろう。この村から追い出されないために何かしないといけない。


「とは言ってもなぁ。今の時期大したことやってねぇから。


 畑はこの間やっちまったばかりだし、何かの直しとかも今はないしなぁ。となると男手が必要なのもねぇし……まぁ何か考えておくよ」


 取り合えず俺に手伝えることをなにか考えて貰えるようだ。何もしないままここに居るよりはずっと安心できる。ありがたい。


 話が終わりもう眠ることになるとフィエに2階一番奥の部屋まで案内された。角部屋で窓が多く、ちょっと広めで良い部屋のように思える。……ここまで良くして貰わなくてもと思った。


「こんな良い部屋、俺が使ってしまっていいんでしょうか」


「残りのベッドがある部屋はここだけなんです。


 ベッドの配置換えまでするとかえって大仕事なんですから、遠慮なさらず」


 フィエがそう言うのを聞いて、俺は地雷ネタになるかもと思ってそれ以上口を挟まなかった。……多分ここ、フィエの亡くなった両親の部屋だ。


「何かご不便ありましたら、わたしの部屋か祖父の部屋まで声をかけて下さい。


 わたしの部屋は2階の階段前のところ、祖父の部屋は階段降りて正面です」


 おやすみなさい、と言われドアが閉じる。今日この部屋をフィエが掃除したと言うが、それにしても綺麗だ。普段から清掃はしていたのだろう。


 大きめのサイズのベッド……死んだ人のアレコレを想像するのも不謹慎な気がしたが、夫婦の部屋だったんだなと思う。それに他の私室と離れた位置にある。


 この世界にこういう方法でいいのか分からないが、手を合わせて「お借りします」と黙祷する。死後の世界とかは信じていないが、これくらいは礼儀だ。


 ためらう気持ちはあったものの、俺のために用意してくれたベッドを使わないというのもおかしい。さきほどフィエがサイドテーブルに置いて行った燭台の火を消し、俺は寝ることにした。


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