1-03.そしてメリンソル村

 少女は近付いてきて、わたしはフィエエルタといいます、と俺に手を差し伸べてきた。日本風の名ではない。まぁそれはそうか。


 少女が俺の方に出している手……、位置的にこれは握手か。でもこの手に触ったら、不審者事案とかセクハラとか大丈夫なんだろうか。あまり躊躇っても変に思われるか……?


 意を決し、俺も手を差し出す。自分から握る勇気はない。触った瞬間に悲鳴でも上げられたら人生が終わる。相手は少し不思議そうな顔をして、向こうから手を握ってくれた。彼女はしっかりその手を握ったまま微笑み、もう一方の手で道の先を指差した。


「あちらです、コバタさん。コバタさんで良かったですよね? 行きましょう」


 そうですコバタですと答えながら、女の子に手を引かれて木の橋を渡る。この娘は納得の上でこうしているんだろうが、社会の方は俺を許してくれるだろうか。


 彼女は途中でこちらを振り返って、俺が裸足なのに気付いたようだった。俺が大丈夫ですと言うと彼女は頷き、また進み始めた。


 彼女はここまでの応対を見るに、ちょっと親切過ぎる。……ありがたくもあるが、親切は怖い。俺にそんな親切を受ける権利はない。俺に親切にしても大した恩なんて返せない。そもそも俺に親切にしたところで彼女に何の得があるのか。


 歩きながら色々考えている内に林間の道を抜け、村の近くまで来たようだ。道の先から人の声がする。視線を向けると大きく開けた空間と建物が見えてくる。


 彼女が振り返って微笑んだ。多分こちらへの気遣いを含んだ笑み。


「あそこが村です。取り合えずわたしの家まで来てください。


 ごめんなさい、村の中を通るのは少し恥ずかしいかも知れませんが……」


 俺が自分の格好を恥じているのはよく伝わっているようで、相手は何も悪くないのに謝られてしまった。でも本当にこんな格好で村内を歩いて大丈夫なのか。この少女がこんなにも親切だからと言って村の人もそうなんだろうか。


 林との境界を示す空堀と、背を超える高さの分厚い石垣。その先にある民家の前で何やら作業していたお姉さんがこっちを見た。


 フィエエルタさんと似たようなケープを着ている。こういうのが流行りなのか、それともやはり民族衣装的な奴なのか。


「あれ、その人はどうしたんだ? フィエ」


「この人、『迷い人』みたいなんです。


 何も持っていないみたいなので、服をお分けしないと思って」


「……あー、確かに街からの流れ者には見えないね。


 昔話に出てくる『迷い人』かぁ。本当にこんなことあるんだねぇ……。


 大丈夫? 私も一緒に行こうか」


「大丈夫です、わたしが家まで連れて行きます」


 迷い人? 確かに俺は今どこにいるのか分かっていないから、それはそうか。この年で迷子かぁ……まぁこんな状況では仕方ないか。


 こちらを見たお姉さんと目が合ったので、会釈をしておく。変態だと思われたかもしれないが、せめて無害な方だと思って貰いたい。


 フィエエルタさんに手を引かれ、そのまま村内を進みながら軽く辺りを見渡す。平屋の住居が多い。ちょっと安作りでボロい家もあれば、柱や戸口に装飾の彫り物がある上等な雰囲気の家もある。


 どれもが古い時代の建築方法のもの、手作りのもののように見える。そういう趣向で現代に作られた家とも思えないし、どこにも電線や電柱がない。そもそも電気を使いそうなものが見当たらない。


 遠くから薄っすら漂ってくる家畜のフンの匂い、そして鳴き声。社会見学で牧場に行って以来、久しぶりに嗅いだ匂い。


 そう言った風景の中を、彼女に手を引かれたまま進んでいく。他の建物より明らかに大きな2階建ての立派な家の前で立ち止まる。


「おじいちゃん、ちょっと来れるー?」


 通りに面して開いた窓から、フィエエルタさんはその家の中に声をかけた。


「おぅ、フィエ。河神様へのお供えもの机の上に忘れてあったぞ。


 そんで水汲みは……ん? 誰だ」


 呼ばれて窓から顔を出した人物がこっちを見る。渋い声。白髪交じりの短髪で濃い目の顔立ちのおっちゃん。口ひげを生やしている。


「この人はコバタさん、橋のところで会った。『迷い人』だと思う」


「んん? ……あーあー、なんかそれっぽいな。ここらで見ない感じだ」


 こちらを上から下まで見られる。おっちゃん相手とはいえ、やはり恥ずかしい。


「おじいちゃん。家にある服、あげていい? とても困っているみたいだから」


 ……彼女のお爺ちゃんなのか。少し白髪はあるがそんなに歳がいってるようには見えない。お爺ちゃんというよりは気の良さそうなおっちゃんのイメージだ。


「まぁ、家に入りなさい。服はあの娘が持ってくる。そのままじゃ辛かろう」


 招かれて玄関から家に入ると、広めの土間があって色々な道具が置かれている。壁側の一方には……あれはかまど、だよな。熾火で何かを煮ており、匂いが漂ってくる。ここは炊事場でもあるのか。


 土間の奥でサンダルを脱いだフィエエルタさんは裸足でパタパタと奥に駆けていく。服を持ってくるって言ってたな。


「ああ、服を着る前にそこで足を拭うといい」


 そう言っておっちゃんは水をしぼった手ぬぐいを渡してくれた。スノコの上で足を拭う。……よかった、足裏に傷はなさそうだ。


 そうしているとフィエエルタさんが戻ってくる。おっちゃんが着ているのより新しい感じの服を抱えて持ってきてくれた。これは柄がないし、あんまり民族衣装っぽいデザインではない。フィエエルタさんは女の子だからお洒落しているだけなのか。


 まずズボンを渡される。このズボンには洗い方が書いたタグとか企業のロゴとかもない。……やっぱり手製の品っぽいな。


 よく知らない人の前で服を着るというのもあまりない経験でドギマギする。まずはズボンを履こう。これは助かる。これがないのはツラかった。渡された上着もTシャツの上から着る。……これおっちゃんの奴っぽいな。上から被った時に加齢臭がほのかに漂った。


 なんとなくで着てみたが、少し着心地が変か……? と思っていると、フィエエルタさんが変な箇所を直してくれた。それに加えて上着の袖口とかズボンに着いたひもを結んでくれる。彼女の振る舞いが自然だったのでされるがままだったが、端から見れば子供が服を着せられているような光景だったに違いない。


 服はややごわつく肌触りだったが、通気がいいのか涼しく感じる。


「ありがとうございます、貸して頂いて」


 着る前にもお礼を言った……と思うが自信がない。念のためもう一度言う。お礼と挨拶は重ねて言っても問題にはならない。


「構わんよ。あちらで座って話そうか」


 ここはリビングかダイニングだろうか。土間から一段上がった隣は板張りの床で、椅子がいくつかとテーブルが置かれている。


「取り合えずそこの椅子に座るといい。


 ……あぁ、喉が渇いていそうだね。フィエ、茶を頼む」


 至れり尽くせりだ。さすがに遠慮しようか、とも思ったが本当に喉はカラカラだった。先ほどお礼の言葉を言うときに、喉がかすれていたのが自分でもわかった。


「あっ……水桶、河原に置いてきちゃった! 汲み置きで……ああやっぱり取りに行ってくる方が……」


 先ほどまでの落ち着いた様子とうって変わってフィエエルタさんが慌ただしい。年相応というか、ちょっとバタバタしている。


「桶は後でいいから。汲み置きもそんなすぐ悪くはならん。沸かせば大丈夫。


 ああ、豆の方ももう茹で上がるから、そっちも出してくれ」


 突然お邪魔してしまった家でそこの家族の会話を聞いているのも居心地が悪い。フィエエルタさんの畏まった口調が崩れているのも、やっぱりさっきは怖がられていたのかなという感じがして、何だか気まずい。


 彼女が茶の湯を沸かしに向かったのを見届けると、おっちゃんは俺の向かいの席に腰かけて話し始めた。


「ああ、すまなかったね。……えーと、コバタだったか」


「はい、コバタです」


 下の名前も言おうと思ったが、ちょっとだけ警戒感があったので伏せておく。相手は親切な良い人に見えるけど、今はよく分からない状況なのだし。


「ワシはあの娘の祖父だ。


 迷い人ということだから、ここがどこかは分からないんかね」


「ええ、さきほどメリ……? あ、すいません。村の名前を聞いたのですが知らない場所で」


「ああ、メリンソル村だね。……こちらで最初に気付いたとき、どこにいたか分かるかね」


 おっちゃんからは先ほどから渋く落ち着いた声で応対されている。こちらの緊張を見て取って、不安を感じないような話し方をしてくれているのかも知れない。


「河を渡って、道なりに東の方に行った先にある、曲り道の大木のところです」


 ふぅむ、とおっちゃんが少し黙り込む。……あれ、何か間違えたか?


 朝日を背にして歩いてきたんだから東でいいはずだ。あの大木は一つだけぽつんと立っていたから多分わかるよな? フィエエルタさんには分かったし。


「……境目の場所か。やはりそういうところなんだな。


 あー、あそこら辺は『境目』と言われていてな、過去にもコバタのように迷い人が現れたことがあったんだそうだ。どうして現れるのかは、ワシからしてもさっぱり分からんのだが……」


 なんだそれ、突然現れるって……今回みたいなのが過去にもあったのか。俺が初めてってわけじゃないのか。


「じゃあ……他にもこの村に、俺みたいな迷い人っているんですか」


「いやいや、前のはワシも直接は知らない。ワシが生まれるよりずっと前の話だからな。言い伝えでしか知らないんだよ」


 そうなのか。……それなら自分は今、ここにいる唯一の異邦人なのか。未知の環境で俺一人。


 思考がそこで止まり、視線がふらふらと泳ぐ。室内の装飾品、こまごまと置かれた生活用品、生活感がある。なのに家電や電灯はどこにも見当たらない。俺にドッキリのようなものを仕掛ける相手はおらず、これだけのものを用意することは道楽ではできない。……ほんとにこれ、異世界なのか。

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