1-02.川で出会った少女
足を速めて進むと、道先に木製の橋が見えてきた。道の両脇の木々の間に川のきらめきがチラついている。……対岸の河原に人影が見えた。まだ遠く、よく見えないが水を汲んでいるような動きだ。
地味な色合いの服に、白い布地に青を基調とした柄のケープ。オレンジ色の縁取りのラインが入っている。服の中では主張が大きく、なんだか民族衣装的なものに見える。
街中で見るファッションとは、なんか違うような……。少しの警戒心を覚えたが、涸れかけた喉は理性より先に動いた。
「あのッ……おーい!」
木桶を持ったその人がこちらを見た。……でも相手は無言のままだ。驚かせたか。いやそれよりも返事が欲しい。早足で近付きながら声をかけ続ける。
「おおーい、ここです! わかりますか」
今の俺にはうまい言葉など思い付かない。自分の現状が分かっていないのだから、適切な言葉だって分かるわけがない。
「分かります、見えています。どなたです、どうされました」
よく通る若い声、少女だろうか。こちらの姿を認めて川の土手から上がり、近付こうとしているようだ。
そこで奇妙な感覚がした。相手は日本語を喋っていないのではという直感。俺は外国語はろくに分からない。……なのに相手が言っている意味がわかるし、相手もこちらの呼びかけに違和感なく反応している。声の調子からニュアンスも分かった。驚きや不安も混じっているが、真摯さというか真っすぐさがある。
川の対岸から、小さな木の橋を渡ってこちらに駆け寄ってきたのはやはり少女だった。肩上で揃えた濃茶色の髪が揺れている。彼女は俺の肩ほどの背丈で、全体的に細っこい印象がある。
紐と革製っぽい帯とで結ばれたサンダル。膝下ほどのゆったりとしたクリーム色のスカート。濃いカーキ色のチュニックの上に、民族衣装に見える模様の薄手のケープ。そこまで奇抜な服装というわけではないが、やはり何か違和感がある。
しかし、そんな違和感はすぐに掻き消えた。人に対面したことで社会通念が一気に戻ってきてギクリとする。こっちは大人の男で、着ているのは寝間着代わりのTシャツとボクサーブリーフだけ。……出会ったのが年寄りとか男ならまだしも若い女の子なのは、ちょっとまずい。
不審者事案。俺はそんなつもりじゃなくても世間的にはそうなる。……でも、もうどうにもならない。今更逃げだせばそれこそ不審者だ。
「あの……すいません。こんな格好で」
「……あなたは、どなたです? 一体どうされたんですか」
さっきより幾分か緊張が混じっている。俺の格好に気付いたからだろうか、こちらへ近寄る歩調を緩めている。
俺は立ち止まることにした。こんな格好で俺からぐいぐい近付いて行ったら情状酌量もない。きっと相手も怖かろうし、少し距離を取って話そう。
「怪しい者ではないです。古幡と言います、コバタです」
「コバタ……?」
「はい、コバタといいます。XX市で会社員をしている者でして」
取り合えず身分を明かせば不審者でないと思って貰えないだろうか、無理か。
「??? えっと、コバタさんはどうされたんですか」
少女は何か不思議そうな顔をしたが、取り合えず逃げることもなく俺から少し距離を置いて立ち止まった。
「それが、俺にもよく分かっていなくて。その……今の状況がわからなくて」
言葉が上手く出てこない。こんなことは初めてだから、次に何を言えばいいかが出てこない。まずい、軽く混乱している。
「……落ち着いてください、コバタさんはどうされたんですか」
少女はこちらが動揺しているのを見て取ってか、より落ち着いた声色で問いかけてくる。その表情は真面目で、こちらを案じているようだ。
……あれ、顔立ちが日本人っぽくない。14-5くらいだろうか。美人さんだ。
色白の肌に細く整った鼻筋。利発そうなぱっちりとした目、瞳は深い緑。やっぱり外国人……だよな。どこら辺の国の人かなんて分からないけど。
年下の女の子がこんな落ち着いた対応を取っているのに、まともな話ができない自分が情けない。……何とか俺の現状を伝えなくては。
「昨日……昨日だと思います、自分の家で寝たはずなんですが……。
起きたら、この道をあっちへ行った所の……大木のところに何故かいたんです」
しどろもどろになりかけるが自分に分かることは伝えた。少女は俺の言葉を少し反芻するように呟いてから、答えてくれた。
「分かります。道が南へ曲るところの大木……ですよね?」
「そうです。それで……ここがどこか分からないんですが、どこなんでしょう?」
「ここですか……? えっと、メリンソル村の近くです」
……地名が日本っぽくない、しかも村。……まさか海外? そんな馬鹿な。
いや、もしかしてどこかのテーマパークとかハウステンボスの敷地……? それならあの子の服装もそう解釈できる。従業員……年齢的にバイトか。
「えっと、ここは日本……でいいんですよね?」
「それは地名……なんでしょうか。よく分かりません」
彼女が日本に住んでいる外国人であったとして、ニホンが分からないことなんてあるだろうか。
「ええと、あるいはジャパン、ニッポンとか」
「それも地名ですか……? ごめんなさい、わたしには分からないです」
確かさっきも彼女は地名って言っていた気がする。国名なんですけど。これが通じないとなると、次の話の取っ掛かりが見えない。
参った……毎朝行きたくないと思っていた会社に行きたくなってきた。そうだ会社の留守電にでも連絡入れておかなきゃ。でもスマホ今持ってないな、朝に欠勤の電話は後からめっちゃ怒られそう。……え、本当にここどこ?
「……ちょっと困っていまして。
申し訳ないですが、スマホとか持っていたら貸して頂けませんか。無理なら交番とかコンビニとか……近くにないでしょうか」
「……ごめんなさい、それが何かわからないです」
『貸せない』とか『近くにない』ならまだしも『分からない』……このくらいの年ならスマホは持っていると思ってたんだが、この子は存在そのもの知らなさそうな話しぶりだ。
なんなんだ、今のこの状況は? 俺が少し呆然としていると少女はこちらを覗き込むように訊いてきた。
「わたしにはよく分からないところもあるんですが……コバタさんはお困りなんですよね?」
困っているかと問われたなら、それはそうだとしか答えようがない。ここで見栄を張ったり嘘など吐いても仕方がない。
「困ってます、情けないんですが」
「それなら……よろしければまず、わたしの村までお連れします。
ところで、コバタさんの服はどうされたんですか。……まさか奪われたとか」
……奪われた? まぁ、半裸みたいなもんだしそういう発想も出てくるのかも知れない。でも俺なんかの服を奪う奴はいないだろう。
自分でも外に居るには恥ずかしい格好なのは重々承知している。若くてかわいい女の子からそれを指摘されるのは更に恥ずかしい。
「いえ、これは昨日寝た時の格好のままで……。
ごめんなさい、この姿で外をうろついちゃダメなのは分かっているんですけど」
先ほどから落ち着いて応対してくれた少女だったが、なぜか今の言葉を聞いて安心したような素振りを見せた。……なんでだ、俺は外でボクサーブリーフとTシャツしか身に着けていない不審者に相当する。加えて、若い彼女から見れば多分オッサンの分類であろう俺に安心する要素など有ろうはずがない。
「お持ちでないのなら、わたしの家に着いてからお分けします」
少女は親切にもそう提案してくれた。こんな格好の相手に。……なんか、言葉が通じるのに日本っぽい要素がない。というか現代社会っぽいところを、起きてからひとつも見ていない。
もしかして一番バカらしいと思ってた選択肢の、異世界転生なんじゃないかとすら思えてくる。いや、生まれ変わった覚えはないから転移か。
ここを異世界だと考えると、先ほど少女の服装に違和感を覚えた理由も分かる。……既製品っぽくないんだ、この子の格好って。これって手作りっぽい。
さっき彼女が安心したように見えたのは『近くに服を追剥するような危険な奴がいない』とか、俺が『外でこんな格好をしているのが当たり前の種族や民族ではない』と分かったからかも知れない。
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