4.エピローグ
「やぁ、おはよう」
相も変わらず、私はこの場所にいた。私を作り上げてくれた、青い青い世界。
もうトレーナーという夢を追いかけるのは少し遅い気がして、諦めてしまったけれど、案外、悪いものではなかった。ならなくとも、こうやって会いに行けば、見つけてくれるのだから、それ以上でもそれ以下でもなく、私は満足だった。もう、あなたこの場所にいないけれど。
少し期間を空けてしまったからだろうか、我先に、と寄って集ってイルカたちが集まってくる。思い思いのポーズを取って、こちらを見つめる動きに、かわいいなあ、と心の声が漏れた。
一枚、二枚、三枚、シャッターを切る。一頭で完全に真正面なのも可愛いが、こうやって集合写真のように密集しているものも、結構可愛いのだ。
わらわらと集まりきって、彼ら彼女らからの挨拶も終わる頃、視界の端で、重役出勤のようにゆっくりと泳いでくる個体が一頭。頭の中が、疑問符で一杯になる。そんなこと、ありえない。居なくなったはずの、あなたが、なぜここに。そう思ったが、見紛うはずもない、何度だって見つめ合った、彼女だ。私を掬い上げてそこにいてくれた、神様。もう会えることなんてなかったはずの愛しい子。
あらら、久しぶり、寂しかったの、なんてぽつりと囁く。
賢い、の定義が私には出来ないので、そういう言い方があってるかわからないけれど、とりあえず順番は守れるようで、無理やり体を間にねじ込んできたりするような、我が強いことはしないらしい。いや、たまに他の個体に威嚇をしてまでドヤ顔でやってくる子もいるが。少なくとも、あなたはそういうことをすることはなかった。私が他の個体と長い間遊んでいると、拗ねることは数回かあったような気がする。まあ、可愛いかったので、よしとしておこう。
先程と変わらず、シャッターボタンを押し込んで世界を切り取っていく。今日は随分、機嫌が良いようだった。快晴だからだろうか。陽の光が、水槽全体に差していて、彼女の輪郭を浮かび上がらせている。
カメラを顔から離して、じっと見つめ合う。
刹那、あなたの顔が、微笑んだ気がした。イルカに表情筋はないので、そんなことはないはず。擬人化は厳禁だぞ、と私の中の誰かが言う。わかっている、わかっているけれど。どうにも、私にはこの思考が擬人化だなんて、思えなかった。
もう二度と、急に会いに行かなくなるなんてしないから、何度でも会いに来るから。だから、あなたは、いなくならないで、ずっとここにいてよね。声に出ないように、心の中でそう叫ぶ。
今度目に入ったのは、困ったような顔。ついには、仕方ないなあ、なんて笑われてしまった。
もう時間なんだ、なんて言われた気がした。くるりと、名残惜しそうにあなたの体が逆を向く。あぁ、もう、仕方ないな。次は私が笑う。手を伸ばしたい衝動を、押さえ込む。彼女だって、行きたいわけではないはずなのだ。ここで追いかけるのは、あんまりにも往生際が悪くて格好が悪い。最後だって、これまで通り笑顔でいなければ。
もう一度、あなたが振り返った。私はあの頃と同じように、行ってらっしゃい、と手を振る。見えたのは、随分と、満足そうな顔。ふい、と視線が逸れた。尾びれが、動き出す。距離が離れてゆく。あなたの輪郭が、ふわりとプールの水に溶けていく。
見送りの後に確認したカメラの液晶には、半透明のあなたが、ヴェールに透かされて、幸せそうに写っていた。
水族館、イルカを待つ。 うみつき @160160_umitsuki
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