第二話 約束の重み(前編)


 荒木は決断を下した。千弘の手を取り、本陣へと向かう。雨は二人の足跡を洗い流していく。


「千弘殿、私の後ろについて来られよ」


 戦場の混乱の中、二人は敵の包囲網の隙間を縫うように進んでいった。荒木は時折振り返り、千弘の無事を確認する。雨脚は更に強まり、甲冑を濡らし、足元を重くしていく。


 敵兵との遭遇は避けられなかった。荒木の太刀が閃き、二人、三人と襲い来る敵を薙ぎ払う。しかし、その動きには無駄がなかった。千弘を守りながらの戦いは、通常の斬撃とは異なる正確さを要求した。


「あれは……」


 斜面の向こうで、僧兵たちの一団が動いているのが見えた。彼らは寺の武力集団でありながら、どこか異質な雰囲気を漂わせている。通常の僧兵とは違い、整然と部隊を組んで動いていた。


「はぁ……はぁ……」


 千弘の息遣いが荒く聞こえる。まだ若すぎる。戦場の過酷さに、その体が耐えられるはずもない。


 本陣が見えてきた時、伝令の声が響いた。


「殿! 佐伯の軍勢、南方より接近! 数百の兵を率いて本陣へと向かっております!」


 続いて別の伝令が駆け込んできた。


「東の谷筋より、僧兵の大部隊が移動! これまでの戦いでは見なかった装備を帯びております!」


 葦名の声が、雨音を越えて届く。


「荒木か?」


 本陣の入り口で、葦名が二人を待っていた。その姿は既に血痕に染まり、右腕には深手を負っている。周囲には討ち取られた敵兵が散らばっていた。


「葦名殿……」


「よく来てくれた」


 葦名の声は静かだった。

 その目は千弘を見つめ、かすかに微笑みを浮かべる。


「父上!」


 千弘が駆け寄ると、葦名は息子を強く抱きしめた。

 その仕草には、これが最後になるかもしれないという切迫感が滲んでいた。


「荒木、中へ入れ。話がある」


 本陣の内部は、戦況を示す札が散らばっていた。葦名は素早く現状を説明し始めた。


「佐伯の狙いが見えてきた。奴は単なる野心家ではない」


 地図の上で、葦名の指が寺院の位置を示す。


「この寺、最近になって急に力を付けすぎている。武器の質も、僧兵の動きも尋常ではない。まるで……」


「まるで、何者かが背後で操っているかのようですな」


 荒木の言葉に、葦名は深く頷いた。


「既に各地の寺院で同じような動きがある。佐伯はその先駆けとして動いているのだ。この戦は、私たち武士の存在意義すら揺るがしかねない」


 新たな伝令が飛び込んできた。


「殿! 佐伯軍、渓谷を越えました!」


 葦名は千弘の肩を強く掴んだ。


「聞け、千弘。お前はまだ若すぎる。この戦に死ぬには早すぎるのだ」


「しかし、父上。このような時に、この場を離れるなど……」


「武士の子として立派な心がけだ」葦名の声に誇りが混じる。「だが、時として生き抜くことの方が、難しい決断となる」


「父上……」


「荒木」


 葦名は親友を見据えた。その目には、決意が宿っていた。

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2024年11月3日 19:00

時雨ノ誓 みなもとうず @uzuminamoto

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