時雨ノ誓

みなもとうず

第一話 分かれ道

 刃が閃き、血飛沫が舞った。荒木定景の太刀は、まるで生き物のように蛇行しながら敵の喉笛を薙ぎ払う。甲冑の隙間を縫うように、冷たい刃が肉を裂く音が響いた。


「どこだ、葦名は——」


 戦場の泥を蹴散らしながら、荒木は敵の包囲網を突き崩していく。雨が降り始めていた。初秋の冷たい雨が、戦場に漂う血の匂いを地面に押し流していく。


 敵が二人、三人と立て続けに襲いかかってくる。荒木は足場の悪い斜面を逆手に取り、上段に構えて相手の動きを制した。敵の足元が泥に取られた瞬間、その隙を突いて一太刀。甲冑を着けた敵が転がり落ちていく。


「この程度か」


 荒木の声は低く呟くように漏れた。だが、心中は穏やかではない。戦況は明らかに不利だった。敵の数が予想以上に多く、しかも統制が取れている。これは単なる山寺との小競り合いではない。背後には大きな力が蠢いているはずだ。


 ---寺院か。


 昨夜、葦名経久と交わした会話が脳裏を過る。


「寺の中に、ただならぬものを感じる」


 酒を酌み交わしながら、親友は静かにそう言った。同じ師のもとで育った二人は、幼い頃から互いを認め合う好敬のライバルだった。葦名の勘は普段から鋭かったが、この時ばかりは珍しく表情に迷いが浮かんでいた。


「刀も、弓も持たぬ寺侶たちがなぜあれほどの自信を——」


 その言葉は、雨脚が強まる戦場で、今まさに現実となって荒木の目の前で展開されていた。


「殿!」


 部下の叫び声に振り向くと、敵兵が押し寄せる中、小さな影が必死に戦っているのが見えた。子供だ。しかも見覚えのある姿。葦名の息子、千弘。まだ十四にもならない小童が、必死に刀を振るっている。


「なぜここに!」


 荒木は叫びながら、千弘の元へと駆け出した。雨に濡れた地面を滑るように進み、千弘に襲い掛かろうとした敵の背後を一気に駆け抜ける。相手が振り返る前に、荒木の太刀が背中から胸を貫いていた。


「千弘殿!」


 荒木が駆け寄ると、千弘は震える手で小さな刀を握りしめていた。その姿は、まるで師匠の元で初めて刀を握った頃の葦名経久そのものだった。


「荒木殿……父上が……」


 千弘の声が震えている。雨は更に激しさを増していた。泥濘と血の混ざった水が、足元を濁流のように流れていく。荒木は咄嗟に千弘を庇うように立ち、周囲を警戒する。


「葦名殿は?」


「本陣で、敵の大将と……」


 千弘の言葉が途切れた時、遠くで鐘の音が鳴り響いた。寺の梵鐘だ。その音は戦場の喧騒を貫いて、不吉な響きを残していく。荒木は直感的に感じ取っていた。この戦いは、表向きの争い以上の何かが蠢いている。そして親友の葦名は、その核心に迫ろうとしているのではないか。


「千弘殿、ここは危険すぎる」


 荒木は素早く周囲を見回した。本陣のある方角からは、更なる敵兵が押し寄せてくるのが見える。このままでは千弘の身が危ない。しかし、この場を離れれば、葦名との約束は——。


 雨の向こうで、また一つ悲鳴が上がった。敵味方入り乱れての混戦が、更に激しさを増していく。荒木は瞬時の判断を迫られていた。名誉か、約束か。戦士としての誇りか、人としての誓いか。


 その時、千弘が小さく呟いた。


「父上が……父上が心配です……」


 荒木は歯を食いしばった。今この時、自分は武士として、人として、何を選ぶべきなのか。


 雨は更に激しく降り注ぎ、戦場の喧騒を押し流していく。その音すら掻き消すような、激しい梵鐘の響きが、再び戦場を震わせていた。

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