騒がしい山の神様
正岡直治
第1話
何処がてっぺんなのかさっぱり分からない、まるで大型の電気設備の中にある張り巡らされたコードのようにウネウネとした巨木たちの根っこをやっとの思いで、またいだり、くぐり抜けたりしながら、何となく頂上らしき場所にたどり着きそうだ。それにしても、どうすればこんなに大きくなるんだろうと半ば呆れてしまう。ここまでくると、幹の部分も露出している根っこの部分も同じようなもので、どこからが幹で,どこからが根っこなのか境界線もはっきりしない。
「しっかりおがんでおいで!」
母からそう言われて、早朝家を出て、新幹線とバスを乗り継いで登山口に到着したのが朝の九時、今からもうすぐお昼になろうかというとき、やっと目的地に到着した。
若い女一人でこんなところまで行くのは危険ではないかと思われるかもしれないが、神様に「お会い」するには仕方がない。我が家は、この華美山の山頂に生えている樹齢一万年ともいわれている落葉松をご神木としているのだから・・・
足がかなり痛い。凍てつく寒さで凍った鉄のパイプのようにカチコチになってしまった。這って行きたいところなのだが、少し格好が悪いので、こんな山の中で誰に見せるわけでもないのだが、一応きちんと歩くことにした。ひょっとしたら神様がみておられるかもしれない。物心つく頃から、我が家はこの山のご神木を熱心に信仰しているから心に神様が当たり前のように染みついている。
日本は多神教で色々なところに神様が宿っていると考える人が多い。その中から自分が何を信仰するかは人によるのだと思う。まあ、複数信仰してもいいのだが・・・
我が家の、この華美山の頂上にあるこの落葉松のご神木は矢鱈とウネウネしていておまけにかなりの巨木だ。巨木や巨岩は、どこか神秘的で信仰の対象にするにはうってつけだ。仏教は飛鳥時代頃に日本に入ってきた宗教である。歴史的には、八尾路図の神の方が日本では古参ということになるのだろうか。しかし、その八尾路図の神と仏教の中に出てくる(どなたかは忘れたのだが)如来様や菩薩様が、日本古来の神と融合していることもあったような気もする。岩手県の平泉にある中尊寺の敷地内には神社が確かにあった。
日本では平安時代頃から、仏教と政治の関わりが深くなり、信教という面では仏教が中心になっていったのだろう。
しかし、我が家はどうして仏教ではなくて、この落葉松をご神木にしたかというと私が生まれて間もない頃、少し難しい病気になって、親が何かにすがらなければと思った折に、どうもこの落葉松のご神木にたどり着いたらしいのだ。そのお陰かどうかは分からないのだが、父が言うには、私のこの少し難しい病気は重くならずに済んでいるようなのだ。
騒がしい山の神様 正岡直治 @ix38anrdsk
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