第3話
***
正彰が真田について書いた自叙伝が発売されるのは、奇しくも鎚里が記した金盛の自叙伝が発売された翌週だった。
金盛の自叙伝の売れ筋は好調で、週間ベストセラーにランクインするほどだった。
人の過去を面白く、また楽しく読ませられるのは、鎚里の手腕だろう。金盛の自叙伝を、多くの人が手に取って読むのも分かる。しかし、そこに金盛本人の姿はいなかった。金盛という同じ苗字をしたフィクションの中のヒーローが活躍しているだけ――、実際に読んだ正彰は、そんな感想を抱いた。
大手書店に、金盛の自叙伝の隣に真田の自叙伝が並べられていた。金盛の方は既に何冊何十冊も減っていて、パッと見ただけでは真田の自叙伝は売れ残っているように見える。一週間のタイムラグがあるのだから、ある意味当然の話ではある。
けれど、本棚の陰に身を潜めて、売れ行きを見守っていた正彰と真田の胸中は穏やかではなかった。特に、真田の自叙伝を執筆した正彰は、より一層焦っていた。
「もし売れなかったら俺の責任です」
真田の人生には、人を動かす力がある。ここ数か月の間、一番近くで真田と接した正彰だからこそ、胸を張ってそう言えた。
なのに、その真田の人生を記した自叙伝が売れ残りでもしたら、それは正彰に人を惹きつける文章力がなかったからに他ない。
そもそもの話、正彰が一冊の本を書き上げたのは、今回が初めてだ。何度も推敲したし、真田もその部下達も目を通して、「良い文章だね」と誰もが声を掛けてくれた。直接的に褒められた経験がなかった正彰は、その言葉を信じ、励みとした。しかし、実情はといえば、身内に褒められているだけであって、正彰の文章の拙さが露見されている可能性だってあるのだ。
一向に減らない積み上げられた本を見て、正彰はぎゅっと強く拳を握った。
「言っただろう? 全責任は私が取る、と。徳井くんは果たすべき責任を全部果たしたんだ。私も読んだが、君に任せて正解だった、と確信しているよ」
「……でも」
「正直どちらでもいいんだよ。売れたら確かに嬉しいが、一人でも多くの人に私のことを正確に知ってもらえることが何より喜ばしい」
トゥルースランド株式会社という大企業を背負う――それは一般人の想像を遥かに超えた重圧だ。
実際、あることないこと問わず多くの風評被害を受けたという話を、真田の口から聞いた。改善の余地のあるクレームなら大歓迎だと豪語していたが、ただ真田の地位を貶めようという敵意に満ちた悪評について触れる時は、真田の顔も流石に曇っていた。一度世に広まってしまえば、いくら風評被害とはいえ完全に解くことは難しく、誤解したまま真田を揶揄する者も未だ少なくないという。
真田みたいな苦労人かつ人格者が不当に攻撃されるという現実を、正彰は許せなかった。
だから、真実の言葉を詰め込んだ文章を世間へと投じたのだが、手に取られて届かなければ意味がない。
真田は気遣ってくれているが、正彰の胸中を満たすのは申し訳のなさだった。
「さて、私も次の仕事がある。名残惜しいが、そろそろ行くとしようか」
真田の背中を追うため、正彰は書店を後にする。少しだけ寂しそうに見えた真田の背中を見つめながら、正彰は爪が食い込むくらい両拳をギュッと握った。
正しく真実を伝えられて、読んだ人の心を掴むような影響力があれば、目の前にいる人物に悲しい想いをさせずに済んだのに。
そう自分の不甲斐なさに辟易するだけだった。
しかし、正彰の想いとは裏腹に事態が動いたのは、思ったよりも早いその日の夕方だった。
きっかけは、ネットの感想。
『真田社長の自叙伝、超感動した! 華々しいシーンだけじゃなくて、苦労話も失敗談もふんだんに書かれてたから、親近感湧いた!』
そう言った旨の書き込みが、ネットに多数広がった。冷静に考えれば、一般からの反応がその日の夕方になるのは当然だ。一冊の本を数時間足らずで読み上げて、感想を投稿する人物なんて早々いない。
多くの投稿に目を通しながら、正彰は胸を打たれていた。
もちろん本当に凄いのは、真田自身だ。真田から聞いた話に感銘を受けた正彰は、仕事云々はおいて真田の話をせがんだし、聞いた内容を誤解なく伝えられるように詳細に書き綴った。そのおかげで、真田のことを父親と思えるほど深く知ることが出来たし、親しくなることが出来た。
真田の自叙伝を読んだ人は、真田に対する認識を改めて、より一層尊敬出来るようになるだろう。やる気に満ち溢れている人は、第二の真田を目指そうと、今から努力するかもしれない。
それほど真田倫幸の生き様には、影響力がある。
真田自身も、「自分の生き方が、誰かの道しるべになるくらい影響を与えることが出来たら、心の底から誇らしいことだ」と明言していたことがある。
真田の想いの影の立役者になれたということが、正彰にとって、どれほど喜ばしく誇らしいことだろうか。
それから、ネットの一言を皮切りにして、閉店を待たずして各書店で売り切れが続出した。
一方、皮肉なものではあるが、金盛の自叙伝の売れ行きは急激に下がった。これまたネットの書き込みではあるが、
『真田社長の自叙伝読んだ後だから分かるけど、金盛社長のは話が嘘っぽい』
『ぶっちゃけ金盛の人柄が全く見えなくて違和感しかなかった』
『ただのフィクションとしての読み物としてだけなら満足かもだけど、ちょっとねー』
と手のひら返しのように、金盛の自叙伝に対する評価は下降する一方だった。
「――だから言っただろう。徳井くんには人を惹きつける力がある、と」
発売翌日の朝、社長室に呼ばれた正彰は、ご機嫌に笑顔を見せている真田と対面していた。この人を失望させたままにならないで良かった、と正彰は思った。
「徳井くんのおかげで、私の自叙伝を最高の本として完成させることが出来て、多くの人に読んでもらえた。私が思い描いていた以上の結果だよ」
「あ、いえ」
正彰にはもったいないくらいの真田による賛辞に、思わず謙遜してしまう。そんな正彰に対して、真田は口角をニヤリと上げると、
「そこで、だ。徳井くんは何が欲しいんだい?」
突然の提案に、「え?」と正彰はつい声を漏らした。
「君が欲しいものは、全て用意すると言っただろう?」
行きつけのカフェで真田から仕事の依頼を受けた時、確かにそう言われた。しかし、その時は、真田に対する参考資料という意味だったはずだ。
どうやら、完成後の報酬も含めて、ということだったらしい。
「幸い、私は社長という立場だ。大抵のことは、用意できるはずだが……あ、土地とかは勘弁しておくれよ」
こうして接するようになるまでは、硬派なイメージが強かった真田だったが、意外と冗談好きなところがあると分かった。馴れ馴れしくすることが失礼に値するのではないか、なんて正彰はもう思わない。
「えっと」
正彰は考える。欲しいものは何だろう――、そう自分に問いかけた時、正彰の中に明確な答えが見えた。
そして、それは――。
「真実を綴った文章を必ず残すんだって、今まで思ってました。けど、上手く行かなくて、挫折しかけてた時、真田社長に会ったんです」
浮かぶ答えが『言葉』に至るまで、丁寧に丁寧に、声を紡いでく。声にする度、正彰は今までの人生が無駄ではなかったと腑に落ちていく。
「俺が欲しいものは、もう十分すぎるほどに貰いました。あなたの自叙伝が語り継がれることは、俺の夢がずっと語り継がれることなんだから」
だから、もうこれ以上なんて要らない。
真実を伝えられること以上に欲しいものなんて、何もなかった。
<――終わり>
Leave the Truth 岩村亮 @ryoiwmr
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